5. 彼はとても強いようです
ジョーが目覚めて二日後、私たちは山の中の小道を歩いていた。
王都よりも標高が高いのだろうか、随分と寒い。私はぶるっと身を震わせて縮こまる。こんな私に、ジョーが教えてくれた。
「この山を越えたら、オストワル辺境伯領だ」
「そっか。もうすぐなんだ!」
長かったこの旅も、もうすぐ終わりに近付いているのか。はじめはどうなることかと思ったが、ジョーのおかげで本当に何とかなりそうだ。
「ジョーの故郷、見てみたいなあ」
何気なく告げる。
「きっと、いいところなんだろうなあ」
ジョーはその大きな手で、私の髪をくしゃっと撫でる。急に触れられて、不覚にもどきんとしてしまった。
「いいところかは分からない。都会から来た人にとっては、物足りないだろう」
そうか。私はジョーに王都出身だとは告げていないが、都会の者だと分かるのだろうか。
だけど私にとって、王宮に閉じこもっているよりも、こうやって野山を歩くほうが合っている。ジョーと過ごしたここ数日、私はとても活き活きしている。
「辺境伯領に着いたら、仕事を探さなくちゃ。
雇ってくれる人はいるのかなぁ」
「アンは恩人だから、働かなくても俺が養う」
「遠慮しておきます!」
ジョーはきっと冗談を言っているのだろう。もし冗談ではなかったとしても、治療を理由に養ってもらうなんて都合のいい話すぎる。だけど、時々は会いに来て欲しいだなんて願ってしまう自分がいた。
こうやって楽しく歩いていたのだが……
「お前ら」
急に低い男性の声が聞こえたかと思うと、周りを男たちに囲まれていた。
皆、各々手に刀やら棒やらを持っている。髭の生えた荒々しい顔に、ジョーのような薄汚れた服。……山賊だ。
ジョーが目を覚ました日、この辺りには山賊がいると言っていた。会わないでいて欲しいと思っていたが、とうとう会ってしまったのだ。
山賊を前に恐怖でがくがく震える私を、庇うように前に出るジョー。ジョーが強いことは分かったが、これだけ大人数を相手に勝つのは不可能だろう。
「ジョー……」
ここは降参して、逃げよう。私は金品はそんなに持っていないけど、珍しい薬草くらいなら渡せるから。そう言おうとしたが……
「大丈夫だ、アン」
ジョーは私の頭をそっと撫でた。
大丈夫……そうでいて欲しい。
オオカミに襲われた時も、大丈夫だった。だけど今回は、あの時とは比にならない……
こんな時なのに、ジョーは怯える様子もなくすくっと立っている。むしろ、その後ろ姿からは余裕すら感じる。
山賊はニヤニヤ笑いながら、私たちに聞く。
「お前ら、金目の物は持っているか?
命が惜しけりゃ、全て置いて去れ」
「生憎、何も持っていない」
ジョーはさらっと答えるが、その声はどこか凛としていて力強さがある。不思議だ、ジョーの声を聞くと、本当に大丈夫かもしれないと思ってしまうなんて。
「それならお前の命が、その女を置いておけ」
山賊は私を見て舌舐めずりをした。下品で気持ちが悪く、背筋がゾゾゾーッとする。だけど、ジョーがその話を受けることがないことなんて、分かりきっていた。
「断る」
ほら、想像通りの返事だ。だが、その返事に救われたのは言うまでもない。
薄汚れた男に拒否されて、山賊のプライドもズタボロだ。親分は容赦なく
「お前ら、かかれ!!」
子分に命令し、余裕の表情で飛び掛かる子分たち。各々武器を振り上げて……
だが、次の瞬間、その余裕の表情は崩れ落ちていた。
「待ってろ」
ジョーは再び私の頭をぽんと撫でると、山賊たちのほうへ向かっていく。そのまま華麗な回し蹴りを放ち、多数の山賊を一瞬でノックアウトさせる。
そのままジョーは山賊の刀を奪い、次の瞬間、親分の額に刀を突き当てていた。冷たくて余裕な笑みを浮かべながら。
親分は一瞬で自分の命の危機に晒されたことを理解すると、一気に青ざめた。そして、まるで死人のように口を開き、生気のなくなった顔で手を挙げる。
ジョーの圧勝だった。山賊が気の毒になるほど、ジョーが強かった。
「おっ、お許しください」
親分は恐怖で裏返った声を上げる。
「ここでお前らを殺すことも出来るが、アンが助けたがっているから許してやる」
ジョーは静かにそう言って、私を見る。その瞳からさきほどの冷たい光は消え、いつも見る温かい笑みを浮かべながら。
そんなジョーを見ていた親分は、突如はっとした顔になる。そして、震える声を漏らした。
「おっ……お前は!
……いや、まさかあの男が、こんなところにいるはずがない」
……あの男?
疑問に思う私の前で、ジョーがまた冷たい声で言い放った。
「つべこべ言うな。去れ」
それが合図だった。山賊は一目散に逃げ出し、森の中へと消えていった。ひぃーなんていう、恐怖の叫び声とともに。
山賊たちが去っても、しばらく恐怖で体ががくがく震えた。そんな私の両手をそっと握り、
「大丈夫だ」
ジョーは静かに告げる。
ジョーの握る手が熱く、火傷してしまいそう。手だけではない、頬や体だって火照っている。私はきっと、すっごくへたれて泣きそうで、それでいて真っ赤な顔でジョーを見ているのだろう。
だが、ジョーが手を握ってくれるから、恐怖も和らいできた。ジョーが隣にいてくれれば、どんなピンチも乗り越えられる気がした。
不意に近くで、ヒヒーンと馬の鳴き声がした。
ジョーに続いて森の中を少し進むと、なんと茶色の馬が一頭見えた。馬には鞍が付けてあり、縄で木に縛りつけてある。きっと、山賊の忘れ物だろう。
「馬があったら早いな」
ジョーはそう言い、慣れた手つきで手綱をほどく。
「よし、辺境伯領まであと少しだ。馬で進もう」
「う、馬で進むって言われても……私、乗り方分からないし……」
慌てる私の手を再び握るジョー。それでまた、ぼっと顔に火が灯り、熱を持つ。
「大丈夫。俺が乗れるから」
ほら、また大丈夫って言われた。ジョーが言う大丈夫は、本当に大丈夫なのだから。
ジョーは手取り足取り教えてくれて、なんとか必死に馬によじ登った。それでも、ジョーが触れるたび体が熱い。そして、ジョーは慣れた様子で私の後ろに飛び乗った。
「もうすぐだ、アン」
甘い優しい吐息が耳にかかる。それだけではなく、その力強い体は私を抱きかかえるようにして馬の手綱を握る。ジョーが手綱を引くと、馬はゆっくりと駆け出した。
ジョーはすごい。強いだけでなく、馬の扱いにも長けているなんて。
きっと、私はジョーのお荷物扱いなのだろうが……
こうやってぎゅっとされて、手や頬が触れるたび、胸の調子がおかしくなる。甘くて苦しい悲鳴を上げる……
「わあ、すごい!速いんだね、馬って!」
必死に平静を装うが、胸が甘くドキドキ言って止まない。王宮で薬師をしていた私は、きっと男慣れしていないからだろう。
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