30. お母様が助けてくれました
私はひたすらジョーを心配しながら、オストワル辺境伯領へ向かった。乗っていた馬車にジョーを運び込み、必死で止血をした。涙を流し、ごめんねと謝りながら。
ジョーの顔色はどんどん悪くなり、呼吸も弱くなってくる。やがて、そのわずかな呼吸すら消え、どこに触れても鼓動も感じない。
私は、こうやって亡くなる騎士を見たことがある。まだ王宮で勤めていたころに、合戦で負傷して運び込まれた騎士たちだった。
あの騎士たちを見送ったのも辛かったが、相手がジョーとなると、心に負うダメージは計り知れない。しかも、私のせいでジョーは傷を負ったのだから。
私が、ポーレット侯爵領に戻るなんて言わなかったら良かったのだろう。ジョーを庇おうと、短剣を投げたのもいけなかったのかもしれない。あれからジョーは、私を抱きしめたまま戦っていた。
あの時こうすれば良かったという、後悔だけが湧き起こる。だが、過ぎてしまった今、時間を巻き戻すことなんて出来るはずもない。
私はひたすら自分の服を破って、包帯としてジョーに巻き、止血をする。薬師は神様ではないから、人を死の淵から連れ戻すことは出来ない。それが悔しかった。
私はふと、馬車の中にある本に目が留まった。本にはこう書いてある。
『緊急時の蘇生法 元王宮薬師長 ガーネット・ポーレット』
元王宮薬師長 ガーネット・ポーレット?まさか……
思わずその本を手に取ると、青ざめた顔のお兄様が教えてくれた。
「お母様が生前執筆した本だよ。
でも、それを見ても、ジョセフ様を救えるか分からないけど……」
そういうお兄様も、かなりのダメージを負っているようだ。体を押さえ、肩で息をしている。お兄様も救わねばならない。でも、今はジョーだ。
そしてそこには、私が知らない蘇生法が乗っていた。
『止血が完了したら、顎を上げ、肺までの気道を確保する。
唇を合わせ、息を吹き込む。
その後、一分間につき百二十回を目安に、胸部の圧迫をする』
その手順通りにジョーの顎を上げ、唇を重ねた。
重ねたジョーの唇はまだほんのり温かく、ジョーが生き返る希望を持つ。それとともに、今まで過ごしたジョーとの甘い時間を思い出した。
ジョーは私を抱きしめ、こうやってそっとキスをしてくれた。ジョーにキスされると、顔が真っ赤になって幸せで、この時間が永遠に続けばいいのにと思った。
こんなに甘くて優しくて、その身を犠牲にしても私を守ってくれたジョーを、失いたくない。
ジョーの唇に、そっと息を吹き入れた。私の息はジョーの体の中へ入り、微かに胸が膨らむ。
そして私は、本に記載してある通り、ジョーの胸部を圧迫する。
どうか……生きて!
お願い、ジョー!!
何度も何度も繰り返した。諦めそうになるが、少しでも可能性があるのなら、私は止めない!
馬車が治療院の前に着く頃……もう無理なのかと思い始めたその時……
ジョーがとうとう息を吹き返したのだ。
苦しく咳き込んだジョーは、うっすら目を開けて私を見た。ぼんやりと焦点の合わない目だが、その目を見るとまた涙が溢れてきた。
私は泣いてばかりの弱虫だ。だけど……少しだけ、ジョーの役に立てたかな。
ジョーは泣いている私の頬に、そっと手を伸ばす。そして嬉しそうに目を細めた。
◆◆◆◆◆
それから、私は治療院で忙しい日々を過ごした。
お母様の本のおかげで、なんとかジョーは一命を取り留めた。だが、完全に回復するまでにはまだ時間がかかりそうだ。
そんなジョーの隣では、同じように傷付いたお兄様の治療も行われる。
治療といっても、山は乗り越えた二人だ。私特製の不味い薬や痛み止め、感染対策中心の治療となる。
「うっわー!!この薬をまた飲まないといけないなんて……」
お兄様は露骨に顔を歪めている。それを見て、隣に寝ているジョーが面白そうに告げた。
「よし。ヘンリーと俺、どちらが先に飲み切れるか勝負だ」
「うわっ!ジョーはこんなの飲めるの!?」
「飲める。アンが作ったものならなんでも」
治療をしていくなかで、お兄様とジョーは友達になってしまった。そして、お兄様は私といる時よりも、ジョーといるほうが楽しそうだ。これには、ジョーに嫉妬してしまうほどだ。
私の前で、苦い薬を我先にと一気飲みする二人。お兄様は案の定へたれたことを言い始め、飲めると言ったジョーですら、変な顔をしている。その顔を見て、あまりの苦さに涙を流しながら、お兄様が笑った。
「ほら!ジョーだって不味いって思ってる!!」
そんな二人を、私は腕を組んで睨みながら告げた。
「文句ばかり言わず、ちゃんと治療を受けてください。
薬を飲まずに膿だらけになって死んでしまっても、知りませんからね!」
私の言葉を聞き、お兄様は青ざめて残っている薬を一気に注ぎ込んだ。そんなお兄様を見て、ジョーは楽しそうに笑っている。こんなジョーの笑顔を見れて、幸せだと思った。こうして、またジョーといることが信じられないほどだ。
「お兄様。薬を飲んだら、リハビリとして薬草園を散歩なさってください」
私の言葉に、
「えぇー!?」
お兄様はまた音を上げる。
「僕の足、傷付いて動かないんだよぉ」
「いいえ。お兄様の足は負傷していません。
ずっとベッドの上で寝転がっていたから、筋肉が衰えているのでしょう」
そして私は付け加えた。
「もし、本当に歩けないと言うなら……
そうですね、とびきり苦い薬と、神経を繋ぐ痛い鍼治療を受けてもらいましょうか」
その言葉を聞き、お兄様は飛び上がった。そして、転げるようにドタドタと階下に降りていく。
ほら、お兄様、ちゃんと歩けるじゃないの!
「まったく、困る人ですね」
お兄様が消えた階下を見て笑っている私は、不意に
「アン」
ジョーに呼び止められた。
ジョーの声を聞くと、胸がきゅんと甘い音を立てる。薬師モードから、乙女モードへとぱちりと切り替わってしまう。
振り向くと、ベッドに入って上半身を起こしたジョーは、目を細めて嬉しそうに私に手を伸ばしている。そして、私はどきどきしながらも、やはりそれに気付いていないかのように振る舞う。
「ジョーも元気になって良かった」
ぽつりと告げると、
「また、アンに助けられた」
甘くて優しい声で告げられる。そんな甘い声を聞くと、胸がきゅんきゅん言って止まらなくなる。
こんなに必死な胸の内を知られないよう、ジョーから顔を背けて必死に平静を振る舞う。だけど、ジョーは許してくれない。
「アンがいないと、俺は生きられないんだな」
「何言ってるの」
ジョーはいつも、こうやってまっすぐ私に気持ちを伝えてくれる。これが心地よく、嬉しくなっていたのも事実だった。
それに比べ、私はいつもツンツンしてばかり。恥ずかしいが、もう少し素直にならないといけないのだろう。
「私こそ……いつもジョーに助けられる」
そう。オオカミの群れからも、山賊からも、黒い騎士たちからも守ってくれた。
「当然だ。忠誠を誓ったから」
ジョーを見ると、彼はまだ私に向かって両腕を伸ばしている。私がそこに収まらない限り、伸ばし続けるのだろうか。
そして、私が簡単には収まらないと分かると、ジョーは次の手に出る。
「おいで、アン」
酷く甘ったるい声で私を呼ぶのだ。
「ぎゅっとさせて」
そんな、子供みたいなことを言わないで欲しい。人々が恐れる最強の騎士ジョセフ様は、私の前では駄々っ子だというのか。
仕方なくジョーに近寄ると、そっと、だけど強く強く抱きしめられる。大好きなジョーの香りと、その強い体のせいで、私の頭はくらくらする。まるで麻薬でも使ったかのように、ジョーしか見えなくなる。
ジョーは私を抱きしめ、愛しそうに頬を合わせる。そして、耳元で囁いた。
「アン……もう一度、しっかりと言わせてくれ。
俺と、結婚してくれ」
胸が痛い。ドキドキが止まらない。
「せっかく再会出来たのに、ヘンリーには申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
でも、アンがいなければ、俺は駄目だ。俺はアンを愛している。アンと共に生きたい」
この、まっすぐな言葉がぐいぐい突き刺さる。そして、幸せな気持ちでいっぱいになる。
もちろん、私の答えは決まっている。
「ありがとう!嬉しい!」
ジョーは目を細めて、嬉しそうに私を見た。そしてまたきつく抱きしめ、唇を重ねた。
ジョーを失ってよく分かった。私は、予想以上にジョーがいなきゃ駄目なのだと。お兄様は悲しむかもしれないが、きっと分かってくださるだろう。
いつも読んでくださって、ありがとうございます!