13. 変な噂が流れています
それから十日あまり経った。
広大な領地を持つ、オストワル辺境伯領の小さな治療院は相変わらず忙しい。
だが、徹底した感染対策と治療により、感染症は次第に落ち着いていった。
街の人々は元気に道を行き交い、患者も減ってきた。むしろ今は畑仕事で怪我をしたとか、変なものを食べてお腹を壊したとか、そんな病人が多い。
そして嬉しいことに、この街の人々も私の存在をすっかり受け入れてくれて、毎日楽しい日々を送っている。
ソフィアさんも、新入りの私の生意気な意見を、うんうんと聞き入れてくれた。それでこの街の医療のレベルは格段と上がったし、薬草園もますます拡大している。
今や薬草園は人々の注目の的になっていて、時々近所の人が興味深そうに見にくるのだ。
……というのも、最強と言われる騎士団長のジョーが、朝早くから水撒きをしているから。私がしなくていいというのに、勝手に来て水撒きをしてしまうから。
「アンちゃん」
朝一番にやってきたのは、私はこの地ではじめに診た年老いた男性だった。当時歩けなかったのが信じられないくらい、今は元気に動き回っている。
「わしは今年、街で開かれるマラソン大会に出ることにしたんじゃ」
「へぇー!マラソンだなんて、すごいですね!」
その言葉に感心しきりの私に、彼は嬉しそうに告げる。
「わしが走れるようになったのも、アンちゃんのおかげじゃ。
アンちゃん、本当にありがとう!」
「いえいえ。私こそ、元気なお姿が見られて何よりです」
男性は話すだけ話して、私が作った足が速く回る薬を買って出て行った。こうやって元気になった患者と話すのも楽しいし、何より慕ってくれているのが嬉しい。
王宮では人々の治療をしてはい終わりだったが、ここでは治った人々が無駄話をしに度々訪れてくれる。そんな関係性がなんだか嬉しかった。
「アンちゃーん!今日から紅白ケーキ売り出すから、よろしくね!」
ケーキ屋の奥さんも、差し入れを持って時々訪れてくれる。今日はもちろん、紅白ケーキだ。ピンクと白の可愛いケーキの上に、ウエディングドレスを着た私と隊服姿のジョーのクッキーが乗っている。
「嬉しいのですが、結婚はしません」
苦笑いして告げると、またジョーの話が始まるのだ。
強くて怖い騎士団長とされていたジョーは、今や薬師アンにうつつを抜かすジョーとして有名になってしまった。というのも、ジョーが頻繁に治療院に現れるからだ。初めて会った時は紳士的な男性だったのに、今やジョーのアピールはすごいものになっていた。
「アンちゃん。もうそろそろジョセフ様を認めてあげたら?」
ケーキ屋の奥さんは、困ったように言う。
「この前なんて、アンちゃんにあげるためと、花屋の花を全部買っていかれたらしいわよ?」
そうだった。そしてジョーは、家政婦のごとくその花をせっせと治療院や私の家に飾ったのだ。あまりに花が多くて花粉アレルギーになりかけてしまった。
だが、この事実を告げるとジョーが悲しむだろうと、黙っておくことにした。
「ソフィア様も大変でしょう?
ジョセフ様、よかれと思って色々しでかしていかれるから」
「そうですね。毎朝薬草園で水やりをしてくださるし、昨日は階段をピカピカに磨いてくださいました。
私としても、騎士団長にそこまでしていただくのは心苦しいです」
私は額に手を当てて、その話を黙って聞いていた。
ジョーのその気持ちは分かるが、はっきり好きだと言われた訳でもない。もちろん身分の差という問題もあるし、何よりイケメンで強いジョーのことだ、女性には不自由しないだろう。
「私、からかわれているのだと思います」
ため息混じりにそう告げると、
「確かにジョセフ様は信じられないことをたくさんされるけど、至って本気だと思うよ?」
ソフィアさんは、またそんな私に気を持たせるようなことを言う。
「そうそう。アンちゃん、もしかして今まで彼氏とかいたこともないの?
男心分からないの?」
「はい……」
私が頷いた時……
「アン!」
ちょうどタイミングよく、ジョーが現れたのだ。その声を聞いた瞬間、びくっと飛び上がってしまった。今日はどんなサプライズが待っているのだろうか。
ジョーの声を聞くなり、
「じゃあ、私はそろそろおいとましますね」
ケーキ屋の奥さんは帰ってしまうし、
「アンちゃん。私、消毒薬作ってくるね!」
ソフィアさんは奥へと引っ込もうとする。
そういう気遣いはいらないし……ジョーと二人きりになると、またときめいてしまう。私は確実に、ジョーへと引き込まれているのだ。
だけどジョーは、
「ソフィアさん」
意外にも、消えてしまいそうなソフィアさんに声をかけたのだ。その、手に持っている小包をぐっと前に出しながら。
「アンとケーキを食べようと買ってきた。もちろん、あなたの分も。
もしよければ、少し休憩とかどうか?」
「じょ、ジョセフ様……どうもありがとうございます……」
ソフィアさんはびっくりして苦笑いなんてしている。それに、ケーキってまさか……
「どうやら、俺はアンと結婚する運命のようだ」
そう言ってジョーが包みを開けると、さきほどケーキ屋の奥さんからいただいたものと全く同じケーキが、三つ入っている。……三つなのだ。ジョーも居座る気満々なのだ。
「あの……それならちょうど同じものがあって……」
いただいたケーキを指差すと、ジョーは嬉しそうに目を輝かせた。
「そうなのか。君ももうすでに買っていたのか……」
甘い声で嬉しそうに言われ、いちいちドキドキしてしまう私は、いつまで経ってもジョーの甘さに慣れない。
実際、ジョーと私が結婚なんて出来るはずもないのに。
こんな甘い態度で接せらると、私もますますはまってしまうから、必死で抵抗する私。
「あっ!私、お皿とフォークを取ってきます!」
ぱたぱたと二階へ食器を取りに上がる私は、真っ赤で少し震えている。叶わぬ恋なのに、思わせぶりな態度はやめて欲しい。私は、どんどんジョーにはまっていくから。
私が二階に上がっている間、ジョーとソフィアさんは話をしていた。ソフィアさんによると、以前のジョーはこんなにも親しげに話をしなかったらしいのだが。
「相変わらず、お好きですね」
「あぁ。何としてもアンは手に入れたいから」
「でも……とても言い辛いのですが……
アンちゃんは、ジョセフ様が冗談を言っていらっしゃると勘違いしています」
「それなら、もっとアンに迫らないといけないようだな」
こんな話の内容を、私が知るはずもなかった。こうやって、ジョーの求愛はどんどんエスカレートしていくのだった。
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