10. 人気者に格上げされました
治療院の二階には、小さな食堂があった。ソフィアさんが言うには、入院患者のための食堂らしい。だが、今はソフィアさん一人の手に負えず、入院は出来ないこととなっている。
私が来たから入院出来るようになるのだろうか。いや、それにはもっと人が必要かもしれない。
その食堂の椅子に座り、ソフィアさんが出してくれたハムサンドを食べながら、ようやくゆっくりとソフィアさんと話が出来た。
「アンちゃんは、都会のほうから来たんだよね?
ここに来たらびっくりするよね、田舎だから」
「いえ!のどかだけど大きな街で、人々も温かくて人情味があって、私好きです!」
これは本心だった。もちろん、ジョーが育った街だから好きなのかもしれない。だが、王都特有のギスギスした雰囲気や、他人に無関心な雰囲気、せわしなく時間が過ぎていくのとは全然違う。
治療院は忙しかったが、私はこんな温かい街が好きだ。
「ありがとう」
ソフィアさんは嬉しそうに笑う。
「昔はね、ここも争いが多くて危ない街だったんだ。怖い人がすぐに入ってくるから、夜道は男性でも歩けないような。
石造りの頑強な家が多いのも、その名残りなの」
オストワル辺境伯領の治安が悪かったことは、私も知っている。だが、街の様子を見ると、予想以上に現在は平和らしい。争いのあの字もないようだ。
「この街の騎士団が、すごく強いからですよね?」
王都で知ったことを告げると、そうなのとソフィアさんは自慢げに笑う。
「ここは国境で危ない人が多かったから、騎士団も強くなきゃならない。
ジョセフ様が騎士団長になられてから、オストワル辺境伯領騎士団は、国の中でも一番と言われる強さになったわ!」
「……ジョセフ様?」
「ええ、ジョセフ様。
長い間留守にされていたジョセフ様が帰られたから、この国もまた安泰だわ」
頷くソフィアさんの言葉に、必死で考えた。
ジョセフ様?……ジョーではないよね?
色々考える私の前で、ソフィアさんが続ける。
「ジョセフ様の剣の腕は、王宮騎士団長よりも上だと言われているわ。でも、そんなに強い人だから、性格も冷たいのよ。
特に、女性には関心がなくて口も聞いてもらえないわ」
えっ!?それじゃあ、ジョセフ様はジョーではないだろう。
だって、ジョーは甘くて優しくて、私の心をめちゃくちゃにするのだから。
ジョーよりも強いジョセフ様がいるのなら、この国は本当に安泰だろう。
「あっ、でもね、アンちゃん。あなたって……」
ソフィアさんが口を開いた時、呼び鈴がけたたましく響いた。がやがやと人の声も聞こえてくる。時計を見ると、なんと開院の時刻を過ぎているのだ。
「あっ、いけない。午後の部開始だわ!」
ソフィアさんと階段を駆け降りた。すると、扉の外にたくさんの人影が見えた。そして、ソフィアさんが扉を開いた瞬間、午前のようにどっと人が溢れてきた。
「ソフィア様、助けてください!うちの子が!!」
「熱が高くて死にそうです!」
「手が動かなくなってきたわ!!」
不安に駆られる人を温かく迎え、絶対に治そうと決意する。話を聞き、患部を診て触れて、的確な治療を選択する。
「あぁ、新しい薬師様!」
いつの間にか、私も患者に認められていた。これも全て、ソフィアさんを見ていて大切なものに気付いたからだろう。その患者は高熱にうなされながら、必死に言葉を紡いで教えてくれた。
「あなたの評判は……街中で広まっています。
あなたは……神様からの贈り物です」
「……え?」
状況が理解できないが、どうやら私は神様からの贈り物になってしまったらしい。胡散臭いニセ薬師から考えると、かなりの出世だ。一体、どうしてしまったのだろう。
その時扉が開き、午前中に治療した人々が入ってくる。みんな揃って顔色が良く、明るい表情をしている。
「アン様、ありがとうございます!!わしは歩けるようになりましたぞ!」
杖をついていた老人が、すたすたと歩いている。心なしか、背筋もピンと伸びたようだ。
「この子、熱が下がりましたの!」
ぐったりしていた子供も、今や元気に跳ね回っている。
「私は熱が下がったけど、手足も動くわ」
合併症を心配した女性も熱が下がり、元気そうにしている。
生きる気力を失った人が、こんなにもいきいきしている姿を見ると嬉しくなる。治療をして良かったと、心から思った。
「そうそう!アン様って、ジョセフ様のご病気を治したかただったんですね!」
「えっ!?じょ、ジョセフ様!?私知りません!!」
かろうじてそう告げるのが精一杯だった。なんだか頭がくらくらする。まさか、ジョセフ様って……
そんななか、
「アン!」
ずっと待っていたその声が聞こえた。思わず治療の手を止めて振り返った私は……紅潮していた。
私の記憶の中の彼は、薄汚れたシャツを着ていた。髪もボサボサに逆立っていて……
だが、目の前にいる彼は、記憶の中の彼とは全然違っていた。黒い騎士団の服に身を包み、腰には煌めく剣を携える。金色の髪はきちんと整えられ、その整った顔を一段と際立たせている。
天下のイケメン、キタ!!!
あまりのかっこよさにくらくらする私だが、
「アン、頑張ってるんだな」
彼はいつものように私に歩み寄り、頬を緩めて頭を撫でる。
や、やばい。騎士団の彼は一段とかっこよく、顔が真っ赤になってしまう。胸のドキドキが止まらない。彼の甘い視線に耐えられず、思わず目を逸らしてしまう。
こんな私たちを見て、
「きゃ、きゃあーーーっ!!
ジョセフ様が女性に笑いかけてる!!」
「し、信じられないーッ!!」
悲鳴を上げる人々。鼻血を出して倒れてしまう人までいた。
「し、止血しないと!」
私は彼を振り払い、慌てて倒れた人に駆け寄った。そして、鼻にタオルを当てて止血する。
止血しながらも、まだドキドキは止まらなかった。タオルを持つ手が震えていた。
「アン、手を煩わせて悪い。君の様子が心配で、見に来たんだが……」
その言葉は嬉しいが、人々の注目を集めるからやめて欲しい。それに……
「ジョセフ様」
軽々しく彼を呼んではいけないと思いそう呼ぶが、彼はぎょっとした顔をする。なんでそんなに拒否反応を示すのだろうか。
「ジョーでいい。今まで通りでいい。
……今まで通りにしてくれ」
甘く切ない声でそんなこと、言わないで。現実を知りながら、ますます離れられなくなってしまうから。そして、ジョーがそんなに甘いから、今まで通りでいいやなんて思ってしまうから。
ジョーはいつものように、笑顔で頭をそっと撫でてくれる。
「また来るから」
しまいには、頬にチュッと口付けをして去っていった。私は腫れてしまいそうに熱い頬を押さえながら、ジョーが出て行った扉を見ていた。いけない、いけないと思いながら。
ジョーはこの街の勇者、ジョセフ騎士団長だった。私に、彼の相手が努まるわけがない。
ぼっと火照る頬を押さえ、私はただ茫然と立ち尽くしていた。
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