第39話 生涯をかけた研究テーマ
モモの亡骸から作った肉体の記憶、上限に達しき者の予言を記されている賢者の遺跡を回り、リコ様にモモを紹介してもらってから、私の生涯をかけた研究テーマが決まった。
停滞している双子の研究が進めば、計画を次の段階に進めることが出来るのだが、思ったよりも苦戦を強いられてしまっている。エーテルは幼少期に勇者様のマナを移植され、強い魔力に当てられると暴走するのだけど、規則性がなくこの力を利用するにはかなりの危険が伴う。故意に暴走させてデータを集めれば、解決策が見つかるかもしれないが、生徒が傷つくようなやり方は瑞希くんが許してくれないだろう。
時間と空間という対なる属性を持つ私たち、私が彼の予知夢を見れるように、同じような現象が彼の身に起こっても不思議ではない。
私の行き過ぎた愛が彼との繋がりを強くしている。
それでなくても、彼は私に不信感を募らせている。モモの肉体の記憶も完成したことだし、出張体験入学で瑞希くんたちが南の国に行っている間にやるべきことをやらなくては。一分一秒も無駄にできない状況だというのに、こんな時に限って訪問者が現れた。研究の邪魔をする人間は誰であっても許せないが、研究の援助をしてくれている相手とあっては、ぞんざいに扱うことは出来ない。
助手として学校に残ってくれたロイドくんに、コーヒーを汲んでくれるようにお願いする。
「私のは砂糖とミルクをたっぷりでお願い」
俺のはブラックで頼むよと勇者様は注文した。
「こんなところまで何しに来たんですか?」
「俺の娘が亡くなったって聞いてな。焼かれる前に顔を拝んでおこうと思ったんだよ」
「あなたにも親の心があったんですね?」
勇者様は遺体が覆われているブルーシートを捲り、死んだ娘の顔をしばらく眺めていた。
「目鼻立ちがテトラそっくりだな……。優秀な遺伝子を受け継いだみたいで安心したよ。まあ、死んでしまえば意味ないけどな。この顔なら恋人の一人でもいたんじゃないのか?」
「あなたが過去にしでかした行いのせいで、周りから疎まれていたそうですよ。あなたと違って顔も中身も申し分ないので、気を引くために意地悪していた子もいるかもですけど」
心当たりがあるのか勇者様は苦笑いした。追い打ちをかけるように私は言った。
「妹のことなら忠告しといたはずですよ。あの自尊心の塊が誰かの言いなりになるわけがないって――」
「それに関しては言い訳のしようがないな。彼女はもういないものと考えているよ。駄目なら駄目で始末してしまえばいい。魔法にも限界があると知った今、あの子の錬金術よりも君の研究のほうが未来を感じるんでね」
「死者蘇生は誰も成しえてない神の領域。急かしたところでどうなるものでもありません」
「しかし、君はその方法を知っている。既に、必要な条件はこちらで揃えたつもりだけど」
「私はただ仮説を立てたに過ぎません。いかなる研究もまずはそこからスタートします。それに、肉体の記憶を手に入れたところで、条件を満たしたことにはなりませんよ。鍵、南京錠、愛の記憶。三つの上限が揃わないことには、奇跡を起こすことは出来ません」
「鍵の使用者である俺が上限に達していても、記憶の欠片となった彼女がその器でなければ、生き返らせるのは不可能だというのか?」
「私が現在進めている研究が実を結べば、その問題も解決するかもしれませんがね」
どういったものなんだと食いついてくる。他人にすがることしかできない惨めな男。こんな浅ましい人間が神だの勇者だの崇められているかと思うと、なんだか滑稽だった。
私はこの研究の可能性について論ずる。
「魔力を底上げするドーピング剤ですよ。これを使えば誰でも上限に達することが出来、不可能を可能に存在に近づけるというわけです」
「その言葉、信じていいんだな?」
「私は可能性があると言っただけです。別に、あなたのためにやっているわけではないので、妙な期待をされても困りますね。もちろん、これからも私の研究の援助してくれるのであれば、それに応じた見返りはお返しますけどね」
私が瑞希くんとの繋がりに執着しているように、勇者様はテトラ様を生き返ることしか頭にないようだ。まだその時ではないと分かると否や、注文したコーヒーが届くのを待たずにとぼとぼ帰っていた。その背中は欲しいものを買ってもらえなかった子どものようで、物語に登場する英雄とは程遠かった。
ロイドくんが淹れてくれたコーヒーを飲み、急な訪問者のせいで止まっていた作業を再開する。気になって作業に集中できないのか、さっきの会話についてロイドくんが質問してきた。
「さっきの会話って?」
「テトラ様を生き返らせるとかなんとか。――そんなことが本当に可能なんですか?」
「ああ、あれね。あれは半分本当で、半分嘘かな。私は研究を続けられるか怪しいから、答えにたどり着くのはあなたかもしれないわね」
「あなたに出来なかったことを俺が? いくらなんでもそれは期待し過ぎじゃないですか」
「私がやれることはあなたにだってやれるはずよ。人生は自分の可能性に気づいた瞬間始まる。その力を他人ために使うのか、自分のためだけに使うのかはあなたの自由だけど、相対的価値と絶対的価値を一括りにしないことね。あなたが後悔しない選択をすることを願っているわ」
少しは先生らしいことを言えた気がするが、どういう未来を歩むかは本人の心持ち次第。たかが教師に出来ることなんて限られている。
彼は私とはまた違うタイプの人間、私利私欲のために力を使う私なんかよりよっぽど研究者に向きの性格をしていると思うが、それが逆効果にならないことを祈るばかりだ。
*
ベッドに寝転がったまま南京錠を開けると、全身が温かい光に包まれ身体が軽くなった。この魔法はおそらく、光属性の加護の魔法だ。
基本、起きたら夢の内容は忘れてしまうが、今朝見た夢はこれとは違う。過去に体験した出来事のように鮮明に思い出すことが出来る。ただの夢だと思いたいが、これを彼女に受け取った時からなんとなくそんな気はしていた。
これは南京錠ではなく、肉体の記憶。それも、モモの亡骸から作ったものに違いない。
これを作るために彼女を殺したのだとすると、他の生徒も同じ目に遭わされる危険がある。双子は真綾の研究の鍵を握っているようだし、どういう扱いをされるか分かったものではない。
勇者様が危険人物なことには変わりないが、一番の危険人物が身近にいるということになる。大概のことには目をつぶってきたけど、これ以上彼女の好き勝手を許すわけにはいかない。
お互いのマナが繋がり始めているということは、真綾も俺が夢を見たことに気づいているかもしれない。わざと見せたという可能性だってある。何を信じて何を疑えばいいのか、判断を見誤れば取り返しのつかないことになる。
加護の魔法には癒しの効果があると言われているが、モモが力を貸してくれているような気がした。もう二度とあんな思いをしないためにも俺がしっかりしないと。
決意を新たにしていると、スマホの着信音が鳴った。普段は生徒とコミュニケーションを取るために使っているのだが、着信相手は武市だった。
『例のこと真綾ちゃんに話してくれたか?』
「一応は……」
『真綾ちゃんに協力をお願いするよう頼んだが、お前のほうが乗る気じゃない感じなのか? 今回の件は俺の身勝手なお願いだから、別に無理に引き受けなくてもいいんだぞ』
「うちの生徒が絡んでいるみたいだから、そうも言っていられなくなったんだよ。ただ、俺はあいつと違って生徒を囮にするとか、身も心もないことは出来ないからな。例のごとくあいつは自分から動くつもりはないみたいだから、俺は俺のやり方でやらせてもらうぞ」
『生徒を囮ってえげつないことを考えるな……。誰もそこまで望んじゃいないから安心しな。俺じゃ二人の関係に踏み込めないからな』
「それで、協力者の見当はついたのか?」
『力のない運び屋に頼むとは思えないから。平野真白、田所良平、清水弥代、岸辺未来、この辺りが怪しいと思うけど』
「岸辺未来……」
『ん? 未来ちゃんがどうかしたのか? また、恋愛関係のもつれか?』
「またって何だよ、またって。俺は生まれてこの方、女性に恨まれるようなことをした覚えはないぞ。ただ、性格的に合わないというか、個人的に苦手意識を持っていただけだ」
『俺はどこか似た印象を持っていたけどな。未来ちゃんはお前と同じで唯一無二の能力を持っているから可能性は高いな』
「その四人の行動パターンをメールで送ってくれよ。こっちはこっちで調べてみるからさ」
数日後、武市からメールが送られてきた。
少し前まで俺も運び屋として働いていたが、不真面目だった俺と違って、協力者の疑いがある四人は真面目で働き者という印象だから、予測にない動きをすることは考えにくい。
任務の難易度はそれほど高くないので、生徒たちにも協力してもらおうと思っているのだが、双子とロイドは連れていけないので、ミーアとアクアに仕入れた情報を共有した。
「全員、東の国を拠点にしていますけど。これって何か理由があったりするんですか?」
アクアの問いに答える。
「運び屋の仕事はアイテム収集だからね。東の国は冒険者の町で情報が集まりやすく、取引も出来るからいろいろと便利なんだよ。金払いのいい人間は客として見てくれるから、俺たちに対する風当たりもそこまでだしね」
「北と西は考え方が古いからあれっすけど、南の国は誰に対しても友好的っすよ」
どこか悔しそうにミーアが言った。
「あそこはアクセスが悪いからな……。ダンジョンも数えるほどしかないし。欲しいものは取引で手に入れるほうが早いんだよ」
つまり、とアクアが要点をまとめた。
「私たちの目的地はイザベルってことですね。そこでまずは情報収集。であれば、ダナモのシドに話を聞いてみるのはどうでしょう?」
ヒースに身体を乗っ取られ散々な目に遭ったシド。本人は何ともないと国に帰りたがったが、投影魔法は精神的ダメージが大きいので、治療がてら学校まで付いてきてもらい、アクアの許可が出るまで保健室にいてもらうことになった。
「治療と言ってもやれることはほとんどないんで、もう帰しちゃってもいいんじゃないですか。口を開けば文句ばっかり言ってくるし。このままじゃこっちが病んじゃいそうです」
悪態をつく元気があれば大丈夫そうかな。話を聞くついでに東の国まで送ってあげることにした。
今後のためにも彼とは良好な関係を築いておきたかったが、俺たちにあまり借りを作りたくないのか、シドは後ろの席に座って無言を貫いていた。
しばらくはミーアが場を持たせてくれたが、喋り疲れたのか寝てしまったので、車内は静寂に包まれ、気まずい雰囲気が流れた。本物の車と違ってラジオに逃げることも出来ないので、このタイミングで何か使える情報がないか訊いてみた。
「孤児を攫って人体実験の材料にね……。俺たちも似たようなことをしてたんだ。そこに関してどうこう言うつもりはないが、同じ轍を踏むのはあまり賢い選択とは言えないな」
「台詞と行動があってないんじゃないの。懲りずに鍵狩りを続けていたのはどこのどいつよ?」
アクアがごもっともなことを言った。
「あれは下の連中が勝手にやったことだ。俺は何の計画もなく向こうの世界に潜り込もうなんて浅はかなことはもう考えちゃいないよ」
「君が全てを把握しているわけじゃないのか?」
「俺の作った組織は線ではなく点で繋がっている。俺がいなくなって組織がまともに機能しているのかは正直なところ分からないな。東の国は冒険者の町として栄え、様々な種族が入り混じる開けた国であるが故に、殺人や窃盗などが横行する危険なところでもある。思想も価値観も種族によってバラバラだ、組織を大きくするためには仕方のないこととはいえ、いろいろと考える必要がありそうだな」
現実世界に不法侵入してきた時は、計画性のない考えなしと思っていたが、この若さで組織をまとめるのはいろいろと大変なようだ。
「孤児が狙われているっていうんなら、人身売買が出来る施設に行ってみるんだな。俺はそこで育ったから売人とは今も付き合いがある。送ってくれたお礼に一筆書いてやるよ」
イザベルには表では取引できない闇市が地下にあるが、人身売買となると話が変わってくる。町はずれにあるという施設の場所を聞き、情報提供してくれたシドと別れた。
シドが言うにはここは元々孤児院だったらしい。国の長だったイアンが行方不明となり、執政官が後を引き継ぐことになっておかしくなったという。パワーバランスで劣る国を立て直そうと、法も秩序もない金儲けの国に代わり果てた。
脱走されないようにフェンスには有刺鉄線と、雷の魔法が施されていて、施設というよりも監獄に近い造りだった。
幼くして親を亡くしたエーテルとジエチルは、十歳になるまでここで商品として育てられたようだ。不幸自慢をしない二人だが、ここでどういう生活をしていたのか想像を絶するので、連れて来なくて正解だったかもしれない。
子ども連れでこんなところに来たからか、そういう目的と勘違いされたらしい。十代にも満たないような可愛いロリっ子をお勧めされた。
こういう商売が成り立っていること自体複雑だが、異世界をより良いものにしようなんて大それた目標を掲げているわけではないので、媚びるように手を揉む売人にこの店の購買履歴を見せてもらえないかお願いしてみた。
「お客様、大変失礼かと存じますが、個人情報の保護は店の信用に関わってきます。何の権限があって命令するのか分かりませんが、冷やかしならその血をもって償わせるぞ」
柔らかい物言いだが、目は笑っていなかった。
客じゃないと分かった途端強気になる売人、こういう商売をしている人間は金儲けのことしか頭になく、まともに相手をしても仕方ないので、シドに貰った手紙を渡した。売人は慌てた様子で事務所に引っ込み、購買履歴の情報が載った店の資料を持ってきてくれた。
ミーアとアクアと一緒に確認してみる。これと言った手掛かりはなかったが、エーテルとジエチルの名前を見つけることが出来た。
二人がここで暮らしていたという記録。双子の記憶では長髪長身のラビ人で、もしかしたらクリストファーじゃないかということだったが、購入者の名前は空白になっていた。十年近く前のことなので覚えていないだろうが、ポッコリお腹の売人に覚えがないか訊いてみた。
「奴隷を欲する理由は人それぞれですからな。履歴を残したくない人間には追加料金を支払うことで履歴を消せるシステムとなっております」
「そうか……」
そういえば、と売人が思い出したかのように。「最近、同じことを聞きに来た人間がいましたね」
「それ、どういうやつだったか覚えているか?」
「前髪にメッシュの入った黒髪の女の子ですね。歳はあなたと同じくらいだったかと」
見た目の特徴からしておそらく岸辺未来。俺たちと同じことをしていたということは、上の言いなりで動いているわけではないのか。
彼女と会って一度話をしてみるべきかもしれない。彼女からすると俺は敵側に寝返った売国奴、話し合いが成立するか分からないが、やるだけやってみてもいいかもしれない。




