終章 真綾視点1
父の口癖はくだらないだった。そんな父から私は厳しい英才教育を施された。世の中には選ばれた人間とそうでない人間がいて、出来損ないはうちにはいらないと教え込まされた。親に言われるがまま生きてきた私は、何時しか父を超える天才と呼ばれ、学生と言う立場で父の研究の手伝いをするまでに成長した。
異世界を研究している父は家庭でも絶対の存在だった。母は厳格な父にいつも怯え、二つ年の離れた妹は父に見限られ次第にやさぐれていった。
結菜は私とは正反対のタイプだった。一人でいることよりも誰かといることを好み、勉強よりも友達との時間を大事にした。しかし、私はそんな生き方が羨ましいとも、惨めだとも思わなかった。生きている世界が違う、そんな感情を私は妹に抱くようになった。
家族で囲む食卓はいつも地獄の空気だった。
「真綾、最近なぜ研究室に顔を出さない?」
厳格な父の質問に私は答える。
「私がいなくても問題ないのでは?」
「鍵も南京錠も完成しつつあるが、そこで終わりってわけじゃない。お前には俺の仕事を引き継いでもらわないといけないんだ。まさかお前、男がいるんじゃないだろうな? 恋愛に真剣になるのは馬鹿のすることだ。青春なんてものは負け組の都合の良い解釈だ。お前と言う人間は誰にも理解されることはない。それがなぜだか分かるか。――お前が特別だからだ。周りに理解されようとするな。お前は俺の言う通りに生きていればいいんだ。いいな」
「はい……」
父は私のことを誉めたいわけではなく、遊び惚けている妹を遠回しに否定しているのだ。妹は食器も片付けずに自室に引っ込んだ。誰よりもお喋りだった妹が一度も口を開かず、ごちそうさまも言わなくなったのは何時からだろう。
出来損ないがと父は舌打ちした。
こういう時、姉としてどうするのが正解なのか、それすらも私には分らなくなっていた。
父の言う通りに生きてきた私だけど、恋にうつつを抜かしているというのは事実だった。相手は同じ大学に通う楠瑞希だった。瑞希くんとは小学生の頃からの幼馴染で、いつから男性として意識し始めたのか思い出せないけど、最近になってまた熱を帯び始めていた。
私は周りから才色兼備だとよく言われるが、私からすると彼のほうが完璧超人に見えた。温和な性格で勉強もスポーツも何でも出来た。告白して玉砕した女の子は数知れず、そんな彼を遠くから眺めるのが私は好きだった。
誰よりも彼のことを見てきたから分かる。彼が私を選ぶことはない。学校で浮いている私にも彼は優しく声をかけてくれたけど、彼の優しさに私は甘えることが出来ないからだ。それが恥ずかしさから来るものなのか、プライドから来るものなのか、自分でもよく分からなかった。
引く手数多の瑞希くんだけど、女性の好みにうるさいのか、誰とも付き合おうとはしなかった。そんな彼が選んだ最初の女性は私の妹だった。
その事実を知ったのは自宅の玄関先。休日に瑞希くんが私の家を尋ねて来たのだ。
「瑞希くん、どうしてここに……?」
ドタドタと二階から妹が現れた。
「先輩、楽しみだからって早く来すぎですよー」
「別に、楽しみだから早く来たんじゃない……。人として最低限のマナーを守っただけだ。てか、今日は誰も家にいないんじゃなかったの?」
「お姉ちゃんがいることすっかり忘れてました」
瑞希くんは気まずそうに私を一瞥して。
「勉強の邪魔しちゃ悪いし、外に行こうよ。準備が終わるまで玄関の前で待ってるから」
「先輩、家の中で何するつもりだったんですか?」
「いいから、早く着替えて来い」
「はーい」
私に詫びを入れてから瑞希くんは外に出た。
その日の夜、妹が私の自室を尋ねてきた。妹と会話するのが何時ぶりだったか、それすら分からないほど私と妹の間には溝が生まれていた。
「驚いたでしょ? 向こうから告白してきて、二か月ほど前から付き合っているんだ。お父さんたちには内緒にしてね」
「いつ仲良くなったの……?」
「秘密だよ。姉妹でもプライバシーはないとね。お姉ちゃんが勉強以外に興味を持つとはね。もしかして、先輩のこと好きだったとか?」
ニタニタと笑いながら妹は続けた。
「それはなんだか悪いことしちゃったな―。けど、お姉ちゃんとは釣り合わないと思うよ。まあ、モテるだけあってルックスはいいけど、正直、長続きするかは微妙かなー。先輩って優しいだけで一緒にいて面白いタイプじゃないし、男としての魅力はほぼ皆無だよ。告白されたからとりあえず付き合ってみただけで、お姉ちゃんがどうしてもって言うなら、土下座してくれるんなら別れてあげてもいいよ。なんなら、私が間を取り持ってあげようか? 私はこう見えてお姉ちゃんっ子だからね」
私は右手で握り拳を作った。
「何時でも相談してね。おやすみ、お姉ちゃん」
その瞬間、私の中で何かが壊れる音がした。悲しみはなかった。私の中にあったのは憎しみだけ。妹の私に対する悪意が私の澄んだ心を奪ってしまった。




