終章 ジエチル視点1
幼くして親を亡くした俺たち兄弟は、十歳になるまで商品として育てられた。排他的でプライドの高いぺスカ族やラビ族と違って、ダナモ族が統べる東の国は来る者は拒まずの姿勢だが、国の管理がしっかりしておらず、それ故に貧富の差が激しい。紛争などが原因で難民となった子どもは競売にかけられ、売れ残った者は施設という名の監獄にぶち込まれる。
強制労働を強いられるこの地獄のような生活から抜け出すために難民たちは奴隷のような扱いを受け入れ必死に働く。しかし、俺たち兄弟はここでの生活に満足していた。買い手が現れれば自由を得られるかもしれないが、そのまま生き別れになる可能性が高い。それ以上に悲しいことはない。
俺たち兄弟は特別魔力が高いわけでも、特殊な属性を使えるわけでもなかったので、買い手など現れないと高をくくっていたが、俺たちを買いたいという風変りな人物が現れた。
金に糸目を付けないという買い手の態度に、売人は何か裏があるのではと怪しんでいたが、俺たち兄弟は離れ離れにならなかったことを喜んだ。
妹のエーテルは馬車に揺られながら新しいお家どんなところかなと期待を膨らませていた。妹の能天気さは長所でもあるが、俺たちの置かれている立場を考えれば命取りにもなる。
「お前な……、引っ越しじゃねえんだぞ。まだ買い手の素性も分かってないのに……」
「あのオッドアイはラビ族の特徴でしょ。良い人がどうかは蓋を開けてみないことには分からないけど、裕福には違いないよ」
そんな妹の願望が叶い、無口な男に連れてこられた場所は立派なお屋敷だった。しかし、案内されたのは広いお庭でもダイニングでもなく、ジメっとした空気が漂う地下室だった。さっそくここでのルールを伝えられた。
男の要求はシンプルなものだった。一週間に一度注射器でマナを送り、身体に起きる変化を診察させてほしいというもの。
どういう目的があるのか説明はなく、許可がないと外出できない監禁生活は依然と変わらなかったが、食事は向こうが用意してくれたし、兄弟別々の部屋に閉じ込められることもなかったので精神は安定していた。
注射器を打った翌日は微熱が出た。それも免疫がついたのか三か月経った頃には熱も出なくなり、身体の状態も良くなった。
俺とは対照的に妹は弱っていった。何もしていないのに息苦しそうに肩で呼吸するようになり、日に日に痩せていった。
妹がこんな状態になっても男たちは実験をやめることはなかった。むしろ、効果が出てきたと結果に満足しているみたいだった。妹だけ別室に連れていかれるようになり、明日にでも俺の目の前からいなくなるんじゃないか、悪い方向に考えてしまう不安な日々が続いた。
このままでは取り返しのつかないことになると悟った俺はここから脱出することを提案した。エーテルは息も絶え絶えにこう言った。
「なにを言ってんだよ、兄ちゃん。ようやく俺たちにも運が巡って来たって言ってたじゃないか。今は悪いだけでボクもその内良くなるから」
バレれば命はないと妹も分かっているようだ。
良くなるどころか妹の髪は色素が抜け落ち、黒から白に変わってしまった。歩くこともままならなくなった妹を担いで俺は屋敷を抜け出した。
「無理だよ、兄ちゃん。逃げられっこない」
大きくなった妹の重みを背中に感じながら俺はただ前だけ見て走った。薬漬けの日々、自分の体力がこんなに失われているとは、まだ一キロも走ってないのに肺が焼けそうだ。だが、本当に辛いのは妹だと思えば身体が動いた。
しかし、それは感情に任せた突発的な行動。追っ手はすぐにやって来た。
「兄ちゃん、ボクを置いて逃げて。お願いだから。ボクという足かせを外して自由になるの。シスコンのままじゃ恋人もろくに出来ないよ」
俺が取れる選択肢は二つに一つ。妹と心中するか、妹を見捨てて自分だけでも助かるか、どちらの選択も選べなかった俺は、ただがむしゃらに走った。追っ手の数は四人、俺が囮になったところで一分と持たないだろう。
自分を犠牲にしてでも妹を助ける。兄として当然の行動も非力な俺には出来ないのだと悟った。
俺たち兄弟を逃がすまいと、追っ手の男たちは殺すつもりで魔法を放ってきた。背中にエーテルを抱えていたので受け身も取れずに、右半身を強く打って身体はズタボロに。
「兄ちゃん! 兄ちゃん!」
必死に身体を揺するエーテルは目に涙を浮かべていた。薄れていく意識の中で俺は妹を泣かせたのは何時ぶりだろうとどうでもいいことを考えていた。
*
全身に尋常なくらいの痛みを感じ、俺はここが死後の世界ではないことを認識した。日が昇ってはいるが意識を失った場所と同じ景色、状況の確認よりもまずは妹の安否。俺が生きているということはもしかしたら妹も、一縷の望みにかけて探した妹は血だらけだった。
しかし、その血は敵から浴びた返り血で、肉の塊になった死体の中心に妹は立っていた。まるで心がここにないかのような目、血の繋がった妹を恐怖の対象として見るのはこれが初めてだった。エーテルは俺の存在に気づくと、そのまま意識を失ってしまった。
這いつくばりながら俺は妹に近づき、抱き寄せて、心臓が動いているどうか確認する。
妹の身体に何が起こったのか、正常な状態に戻るのか、どういう運命が待ち構えていようと、兄弟一緒ならきっと乗り越えられる。




