18
ある日の午前二時。俺は自室でお笑い番組のアーカイブを観ながら一人ゲラゲラと笑い転げていた。
特別予定もなかったもんで今日はずーっとこんな感じだ。
朝起きてアヤナちゃんの作った朝飯を食べてお笑い。昼にアンジュちゃんが作ってくれた昼食を食べてお笑い。
夜、二人の夕飯を頂き風呂に入ってから今に至るまでお笑い。
最高に非生産的な一日を送っている自覚はあるがやめられない。
「さて、次だな」
漫才番組を楽しんだら次はコント番組だ。
タブレットを切り替えようとした正にその時である。
<排泄物製造機さん……もとい尊さん。お楽しみのところ申し訳ありません>
「誰がウンコ製造機だって?」
正解だよ馬鹿野郎。
だが俺はウンコ製造機の自分も嫌いじゃない。駄目な自分を認めて受け入れてやることが成長に繋がるんだよ。
<この屑、開き直ってるだけでは?>
「こういう結論ありきの考え方が偏見を生むんだよなあ」
社会派高校生の俺としてはね。
「ってそんなことはどうでも良いんだよ。こんな時間にどうした?」
<……S案件です>
「……なるほど。直ぐに準備する」
そりゃこんな時間になるわな。深夜とかモロに危なっかしい時間帯だし。
だが逆に俺にとっては都合が良い。ひっそりと処理出来るからな。
<……申し訳ありません>
「良いさ。これも俺の仕事だ」
いずれは専門の部署を作るつもりだが今は人員が居ないので俺がやるしかない。
集まってくれた千人の中にはそういう適正持ちも居るかもしれないが彼らとて余裕があるわけじゃないんだ。
「で、一応確認するがどうなってる?」
<尊さんに会えないかと私に打診が来たので準備が出来たらそちらに向かうが大丈夫か? と返しておきました>
「それで良い」
勝手に俺の意思を代弁したように思えるがそうではない。
事前に対象の様子によって何パターンか対応を用意し、都度適切に使えと言ってあったからな。
「様子は?」
<……想定通りのことをしています>
「そうか。名前と写真を」
性別によって俺も心構えとか対応の種類が変わるからな。
<名前は安西美悠。写真はこちらになります>
「うぉ……これまた如何にもな」
黒髪に白メッシュのツインリボンに前髪パッツン。濃ゆいアイライン。やたら多い右耳のピアス。顎に引っ掛けたマスク。
平和だった時に撮られたものなんだろうが……その時点でもう……うん、ねえ?
人を見た目で判断しちゃいけないとはいうが、しかし内面がまったく外に出ないってこともないわけで……。
「っし。行くか」
外出着に着替え軽く身嗜みも整えた。人前に出れる姿にはなっただろう。
ステラの転移で飛んだ先はマンションの一室だった。
暗い廊下を先導に従って進みMIYUというネームプレートがかかった部屋の前で足を止める。
「鷹城尊だ。入って良いかい?」
ノックし、呼びかけると数分してくぐもった声で入室許可が出た。
部屋に入るとこれまた女の子女の子した部屋で……良い匂いがした。
件の安西ちゃんはベッドの上でみのむしのように毛布を被って座っていた。
マスクもメイクもしておらず、あまり眠れていないのだろう。目の下には隈が刻まれている。
「……何で、あんなことしたの」
「あんなこと、とは?」
俺がそう答えるとこれまで俯き気味だった安西ちゃんは顔を上げ憎悪に燃える瞳で俺を睨み付け言った。
「とぼけないでよ! こないだの……あなたが戦ってる姿を見せ付けたこと!!」
ああそうだ。分かってた。分かった上でとぼけたんだよ。
じゃなきゃ吐き出せないからな。
「やめてよ……何であんなことするの? みゆは、みゆはこんなの望んでない……。
思い出に包まれながら穏やかに過ごして時間切れを迎えたかったのにあんな皆を煽り立てるような!!」
……結界が消えてそのまま虚数空間に消える。
勝てるかどうかも分からない戦いに身を投じて磨り潰されて死ぬよりは救いがあるのかもな。
「最低だよ。やるなら自分ひとりでやってよ。なんでみゆたちを巻き込むの!? この……人殺し!!」
「……」
「戦うのがえらいことなの? 戦わない子は間違いなの? ちがうじゃん……そんなのおかしいよ……」
自分がどう終わるのかを決めるぐらいの権利があると言えばその通りだ。
「偉いわけじゃないよ。戦わないのを間違ってるっていうつもりもない」
「なら……!!」
「俺の行動も同じだ。戦わないことが偉いことなのか? 戦う人間は間違ってるのか?」
咎められる謂れはない。
「結局のところ、選ぶのは自分だろ? 俺は選択肢を提示しただけだよ」
「そんな詭弁!!」
毛布を払い除け俺に飛び掛かる彼女の手には包丁が握られていた。
嫌な感触と共に俺の腹に刃が食い込んでいく。
勢いがついていたから結構深くまで刺さったが我に返ったのだろう。安西ちゃんは青い顔で手を放し、その場で尻もちをついた。
「あ、ちが……いや……」
殺したいぐらいに俺が憎かった。だから包丁を隠し持っていた。
でもそれは所詮、一時の激情だ。本気の殺意を維持し続けることは出来ない。
刺せば冷静になってしまうだろうという俺の読みは当たっていた。
「これぐらい何てことないさ」
言いつつ二段階までロックを外し包丁を引き抜く。
ぶしゅー! と血が噴き出してもおかしくはないが出血は僅かだ。
傷口周辺の肉が蠢動しミチミチと音を立てながら塞がっていく。
「気に病む必要はないよ」
「なん、で」
冷静じゃない状態でも俺のアレが扇動染みたものだと理解出来るぐらいには安西ちゃんは聡明だ。
だから今自分がやっていることも身勝手な八つ当たりだと自覚はある。
しかしそこから目を逸らしてでもやり場のない感情をぶつけなければおかしくなる。
ああいやもうハッキリ言おう。自殺しかねないほど追い詰められてる。
だが俺を刺したことで冷や水をぶっかけられ冷静になってしまった。
(一先ず危険水域は脱したか)
S案件ってのは自殺のSだ。
ステラの教科書的というか、AIに出来る範囲での対応で何とかなるのはそちらに任せることにした。
しかしそれでは難しい案件や俺に恨みを抱いているのが居る場合はこちらに回すよう指示を出していた。
そういう相手の対応は俺がするべきだろうからな。で、その第一号が安西ちゃんってわけだ。
「なんで、こんな」
「身勝手に大人しく付き合ってるのかって?」
安西ちゃんは項垂れるように力なく頷いた。
「そうだな。本当ならもうちっとスパイシーでスパルタな感じで正論でぶっ叩きながらメンタルケアするつもりだったよ?」
でも、
「安西ちゃんさ、俺を責めても大人たちを責めなかったじゃないか」
「ぇ」
「感情抜きにすれば大人たちは責められてもしょうがないことをした」
あんな風に居なくなったこととか……いやそれ以前の問題か。
何の選択もないまま過酷な生を決定づけたことは責められて当然だ。
生まれて来なければ良かったなんて言われても否定出来ないだろ。
そこらの問題については俺はもう割り切ってるというか解決してるが今も抱えてる奴は結構居ると思う。
俺にそいつらを責めることは出来ない。仕方のないことだと思ってる。
「けど俺は今も両親を愛してる。君もそうなんだろ? だから大人を責める言葉を口にしなかった」
生まれて来なければ良かった。
そんな言葉をぶつけたなら母さんも父さんもきっと悲しい顔をしただろうから。
「それでまあ、何だい。塩対応する気がなくなってね」
「そんなことで……」
「そもそも嫌える要素がないからな。それぐらいのことでも対応柔らかくなっちゃうよ」
「……え、何? みゆが好みってこと? こんな状況で……引く」
ちげーよ!
「流石に俺もこんな状況で下半身でもの考えるような馬鹿じゃねえっての」
「じゃあ」
「なあ安西ちゃん。一つ聞くぜ?」
思い出に包まれたまま静かに終わりたい。
徹底的に抗い災厄に勝利し未来を手にしたい。
「それが俺と君のスタンスだが……正反対だと思うか?」
「当たり前じゃんそんなの」
「俺はそうは思わない。距離があるだけで決して交わらないものではないと考えてる。だって根っこは同じだから」
「そんなわけ」
「あるよ」
だってさ。これって要するに、
「“現実を受け入れられない”からだろ?」
許容出来ない現実の中身は違えども共に今在る現実にNOを突きつけているのは同じだ。
そしてどちらも命懸け。俺は言わずもがな、安西ちゃんもまた自分の望む結末に命を捧げようとしていた。
つまりはだ。
「何か心境の変化があればこっちに転がって命懸けで同じ現実に中指おっ立ててくれるかもしれないじゃん」
頼りになる仲間になるかもしれない相手をどうして嫌えるよ?
「そんなこと……!」
「あり得ないって? どうかな。人間生きてりゃ考えなんて幾らでも変わる」
今、協力を申し出てくれた千人の生徒。
彼らも戦いが始まり絶望的な状況になれば「戦うことを選ばなければ良かった」と思うようになるかもしれない。
だが逆も然りだ。何せ、
「これまで信じていた何もかもがひっくり返るようなことが既にあったんだぜ?」
今俺たちを取り巻く現実を過去の自分に言ったところで誰が信じる? 信じられないに決まってる。
しかし現実はこうだ。ならばどんな可能性も極小であろうと切り捨てることは出来ないだろう。
「ま、タイムリミットは短くても五年あるんだ。ゆっくり考えれば良い。
少なくとも今直ぐ死ぬだの俺を殺すだのを決める必要はないと思うぜ?
とりあえず今は飯食って風呂入ってぐっすり眠ることを勧めるよ」
背中を向け歩き出す。
「あ……」
まだ何か言いたげだったがこれ以上は余計だ。
今までは一人にしておくべきではなかったが今は一人の時間が必要だと思う。
そのまま玄関まで行き、ステラの転送で自宅へ。
「疲れた。一人にしてくれ」
<分かりました。……お疲れ様です>
リビングに入りソファに背を預け天井を仰ぐ。
眠くはない。でも目を開けているのが億劫だったのでゆっくりと目を閉じた。
(“人殺し”、か)
何の覚悟も出来ていないままタイムリミットが訪れ戦いが始まれば死ぬ確率が高くなる。
そうでなくても覚悟を決めるのが遅く十分な訓練を出来なければ同じこと。
戦うことすら選ばずリミットが来ればそんな人間を守ることにリソースを割けないので死なせるしかない。
(幾らでも理由は思いつく……が、結局のところは言い訳だな)
扇動し戦いに駆り立て死地に向かわせようとしているという事実は一切覆らない。
今挙げた理由が本気ならまだ多少救いはあったが俺は違う。
そういう理由がないでもないが一番大きいのは勝つため。自分の願いを成就させるため。つまりは我欲だ。
途上で救われる人間が居たとしても根っこが我欲なら人殺しという誹りは甘んじて受け入れるべきだろう。
「耳が痛い言葉ってのはこういうことを言うんだろうなあ」
そうぼやいたところで目元に温かい何かが被さった。
驚き身体を起こすと温かいおしぼり、そして……。
「アヤナちゃん?」
「はい。お疲れ様です尊さん」
何――――ステラ、アイツか。
余計な気を回しやがって。一人にしてくれ→一人にした(ちょっとの間)とか舐めてんの?
「……負担をおかけしてしまいましたね」
「いやこれは」
「分かっています。恐らく私や狭間さん、アンジュさんも無理でしょう」
最初は何とかなってもメンタルケアを続けている内におかしくなる。
ケアに従事出来るほどの余力はないという俺の判断は正しいと言う。
「でも一人ぐらいなら、ってか? 俺は大丈夫だよ」
「それも理解しています」
む。
「尊さんの意思を挫こうとすればそれこそ玉の緒ごと絶つしかないでしょう。
それほどまでに強く、逆境に強過ぎるからこそ今回も少し凹むだけできっと直ぐにケロっと立ち直る」
そういう見方も凹むがそれなら……。
「だから、これはそう」
小首を傾げ口元に人差し指を当て思案し、アヤナちゃんはくすりと笑う。
そしてそのまま横に座り俺の身体を倒し頭を太ももに乗せる。
「頑張った人への労い、ということで一つ」
あやすように俺の頭を撫でるその手は優しく温かで……。
「そういうことなら、まあ、受け取ろうかな」
とても拒絶する気にはなれなかった。




