自分のタイプ、他人のタイプ
私は小説を書く時、プロットとかいうものを立てない。
正確に言うと立て方を知らないのであるが、一応『こんな感じかな?』と、設計図っぽいものを先に作ってから執筆してみたことはある。
はっきり言って、ひどいものが出来た。
不自然な動きをする人間、なぜそこでそんなことを言うのか気の知れない人間ばかりが登場し、ストーリーのための操り人形の如く、奴隷のように、作品を窮屈な労働に勤しむ工場のような有り様にしてしまった。
私は推敲をほとんどしない。
書き上がったら即、投稿している。
投稿してから推敲することはあるが、投稿前に推敲するということはまずしない。
言うまでもなく面倒臭いからであるが、それで結構矛盾なく仕上がる。
それどころか後で読み直し、自分で『ああ、これってこういうことだったのか!』とびっくりすることもよくある。
これはもちろん自慢などではない。
これが私の『タイプ』というだけのことなのである。
ユングの心理学類型によると、私は『直感型』である。
頭で考えるよりも先に、直感で物事を判断する。
自分が考えているというよりは、『直感の神』が私の頭上に現れて、「これを書け」と命じているのである。
だからそいつが「書け」と言ってくれないと何も書けないし、「書け書け書け書けーっ!」と連続で言ってきたら、自分でも呆れるほどの量の文章を書ける。
そいつに従っているだけなので、自分の頭でこねくり回したプロットなんか起こしたらひどいことになる。
書き上がったものを改めて自分で読み返し、推敲なんかしようものなら、頭の悪さが滲み出て、おかしなことになる。
そいつの「書け」といったものが正しいのだ。そいつの間違いなんか正そうとしてはいけない。
べつに自分が天才だなどと言っているのではない。
これが私の『タイプ』なのである。
こういうふうにしか、私は書けないのだ。
直感型は思考型の人から見ると天才に見えるらしい。
隣の芝生は青く見えるらしい。
つまり、私から見れば、思考型の人が天才に見えているということだ。
緻密にプロットを立て、推敲に推敲を重ねてから投稿できるなんて、とても真似できない。
私にとっては最初に思い浮かんだことはけっして推敲などしてはいけないものなのだ。
人にはそれぞれタイプがある。
自分のタイプに合った執筆のしかたを見つけ、それをすればいいと思う。
まさに『人それぞれ』である。
『これが正しい』という、ただひとつの方法など、ない。
同じタイプでもそれぞれにやり方が違ったりもする。
だからただひとつの『正しい小説の書き方』とか存在しないのである。
あったらみんなおんなじになってしまうのでつまんないし。
ぜひ、自分に合ったやり方を見つけてほしいものだと思う。
偉そうにすんません。