6 2組の喧騒
「……よし、いないな」
朝起きてマジで学校に行きたくないと吐き捨てながらも登校した今、校門を少し離れた場所で周囲を警戒しながら進む。
足音を殺して、かつ素早く足を運ぶ。小学校の頃に鍛えられた普通必要のないスキルを駆使して下駄箱へ到着。当然警戒はしながらだ。
そして無事2年2組まで移動してーー入り口の扉の前で壁に寄りかかって腕を組む少女を見つけた。
(いないと思ったら、ここに居たのか……)
まだ見つかっていないものの、油断したところを突くように待ち伏せする少女――根古屋夏希に見つからないよう曲がり角に身を潜める。
スマホで時刻を確認すればあと5分でホームルームが始まる。確認したそばから予鈴が鳴っていた。
待ち伏せといってもいつまでも出来るもんじゃない。ホームルームが始まると同時に行けば話すタイミングはなくなり、夏希と会話をする事もないはず。
(やっぱ学校で話すのはな。面倒くさいイメージしか見えないわ)
昨日は夏希に説き伏せられたものの、やっぱ面倒くさいもんは面倒くさい。往生際が悪いだとか思うだろ?分かってんだよ、悪あがき上等だよこんちくしょ。
「……何をしているのかしら?早く席につきなさい、大上くん」
「あ、先生。おはようございます」
「おはよう。さぁ、早く行きなさい」
「おはようございます!」
「……元気な挨拶なのは良いけれど、早く行きなさい。そろそろ怒るわよ」
粘ってみたもののやっぱりダメだったか。
2年2組の担任教師、高山瑠美先生。この志岐高校というダメ教師の集まりの中で唯一まともであり、むしろ優秀としか言えない若手教師である。
俺自身も高山先生には世話になったし、他の教師とは折り合いが悪いんだけどこの人は別だ。俺も素直に尊敬してるし、先生もこんな素行が良いとは言えない俺にも一生徒として接してくれている。
「それにしても大上くん、今年は出席日数は順調なのね」
曲がり角から教室までの短い距離を歩いていると、高山先生がふと思い出したように声をかけてきた。
「まぁ去年痛い目みたからっすね。余裕を持っとこうかと」
「賛成よ。そもそも基本的に休んで欲しくはないのだけれどね」
「あー……お得意様以外は仕事受けないようにしたんすけど、それでも少しは休む事になりそっす。もうちょい早く捌けりゃ良いんすけどね」
「言っておいてなんだけれど、無理はしないように。体調を崩しては元も子もないわよ?」
「うす、あざまっす」
あまり感情の起伏を感じさせない話し方だから厳しい口調に聞こえがちだけど、なんだかんだ優しいんだよなぁ。
「……あら?以前より顔色が良くなってるわね」
「そっすか?」
俺の顔を覗き込むように見上げながらーー先生は女性の平均身長よりは高いけど俺よりは低いーー不思議そうに首を傾げる。
それにしても冗談みたいな美人だなこの人。隠れミスコンで先生も参加可能なら一位だったのではとか言われてるらしいけど、マジで有り得るんじゃないか?
割と厳しい先生なのに生徒からの人気が高いのは優秀さもあるけど、間違いなくこの美人っぷりも原因だろう。
「えぇ。睡眠というより、栄養を摂ってるからかしら?やっと大上くんも食事に気を使うようになったのね」
あ、これ宇佐のおかげのやつだ。
「あー……そっすね。ちょっとだけ」
「ふふっ、偉いじゃない」
嬉しそうに微笑む先生には悪いけど、俺の功績じゃないんです。
今日は違うものの、ここ数日はまともな飯を食べてたのが良かったんだろう。それまでがカップラーメンとかばっかだったしな。
話しているうちに教室の前に着き、先生が壁に体重を預けている夏希へ視線を向ける。
「さて、根古屋さんも教室に入りなさい。ホームルームを始めるわよ」
「うっす」
「……はぁーい。覚えとけよ秋斗ぉ……」
入りながらボソリと呟かれた言葉を聞き流して、負け犬の遠吠えだなと鼻を鳴らしてやった。突き刺さる視線の鋭さが増したけど。
気分が良くて挑発まがいな感じになったけど、気にならないくらい爽快感がある。この調子なら夏希と絡まずにいれるかも知れないな。休憩時間はすぐ逃げれば良いだけだし。
席につく。俺の席は廊下側から2番目の一番後ろで、夏希は窓側の真ん中あたり。外に逃げるのは俺の方が間違いなく早い。
そんな事を考えてながら高山先生の通る声に耳を傾ける。
「来週には球技大会、その次の週には中間テストがあるわ。大変でしょうけれど力を出し切れるよう頑張りましょう」
そう言えばそんな時期か。立て続けに結構でかいイベントが続くから面倒くさいんだよな。
まぁほとんどの生徒は中間テストに力を注ぎ、球技大会を捨てる。俺もそうする。
「球技大会は……種目について質問がありましたが、これは分かり次第報告するわ。ごめんなさい、まだ決まってないの」
んー、高山先生が仕事遅れるとは考えにくいし、球技大会を担当する教師が動かないとか仕事が遅いとかで滞ってんのかね。
言われてみりゃ普通ある程度前にチーム分けやら済ませるもんな。
球技大会の担当となると……思いつくのは体育教師の屯田あたりか?体育会系を変に拗らせたような教師だったっけ。
「ではこれでホームルームを終わります」
お、さすが高山先生。無駄なくサクッと終わらせてくれる。ダラダラ話さないのはありがたいよなぁ、その分言葉多く生徒に近寄ろうとする教師ではないけどさ。
それより早く教室から出ないとな。夏希が来るかも知れん。
「きりーつ、きをつけー、れーい」
「「「ありがとうございましたー」」」
気の抜けた挨拶と同時にスルリと扉へ足を運ぶ。悪目立ちしないようにバタバタと走らずに、でも素早く移動する。俺の得意技で「やぁ大上くん」ぇえええ?!
志々岐春人?!なんでこいつが扉の前にいんの?!こいつ窓側の前の方の席だよな?!速すぎるだろ!
「はるっ……し、志々岐くん?そこをすぐにどいてくれ」
「そんなに急いでどうしたんだい?トイレかな?」
「なんでもいいだろ!?早くどけって!」
「尿意が限界なのかな?」
「あーもうそれでいいからどけ!」
「冷たいなぁ」
「本当になぁ?秋斗ぉ」
「あ……」
後ろから聞こえる底冷えする声。ニヤリと優等生らしからぬ性格の悪い笑みを浮かべる志々岐春人。多分表情が削げ落ちてるであろう俺。
「ね、根古屋さんが……?!」
「ど、どうなってんだよ!?」
「知るかよ!俺が聞きたいわ!」
騒然とする教室。見回せば、懲りずに宇佐に絡もうとしてか宇佐の近くにいる猪山と根津も、足を止めて目を見開いてこちらを見ている。
唯一、宇佐は我関せずで次の授業の準備をしてる。あいつやっぱ変わってるわ。
いや、それよかどうにかこの状況を乗り越えないと。
「……ど、どうかしましたかね?根古屋さんや」
「あぁ〜?何だよその呼び方、冷てーなぁ。夏希って呼べよー」
「てめっ……!」
「「「はぁああああああああっ?!」」」
俺の文句を呑み込む悲鳴にも似た叫びが教室に響き渡る。うるっさ!音量のせいでちょっと窓ガラス揺れてたぞ!
「ぶくくっ……」
「おい志々岐春人」
「な、んぶふっ……だい?」
「……覚えとけよてめぇ」
明らかに確信犯である志々岐春人が肩を揺らして俯いている。視線で人を貫けるなら今頃こいつの脳天には風穴が空くというのに……!
「ねねね、ね根古屋さん!なんでそんなクズにっ?!」
そんな俺と志々岐春人を他所に、クラスメイトの1人が夏希へ声を掛けていた。バイブレーションの効いた声につられてか、それとも夏希の普段の振る舞いのせいか教室に緊張感が走る。
「はっは!クズだってよぉ秋斗。言い返せば?」
「めんどくさい。てかクズってのも間違いじゃないし良いんじゃね?」
「はぁー?……まぁいいけどさー、たまには言い返しても良いと思うなー」
「あ……あの、根古屋さん……?」
「んー?あぁ。別にあたしが声かけたいヤツに声かけてるだけだろ?ほっといてくんない?」
「え……」
夏希の返事が予想外とばかりに驚愕するクラスメイトくん。周囲のざわめきは増すばかりだし、俺に集まる視線はもはや殺意すら感じるし……朝からなんつー面倒な。
そんな中、いまだに我関せずを貫く宇佐がスッと音もなく立ち上がりーードサッ!と音を立てて俺にでかい袋を押し付けてきた。
え、いきなり何?マジでマイペースすぎだろこいつ。てかなんだこれ?こんなもん使う授業とかあったっけ?
「すみません、預かっててもらえませんか?私が持ってるとあの2人に何されるか分からないので」
「あぁ?……まぁそうかも知れんけど、なんだこれ?」
気になったのか、目の前の志々岐春人と背後で俺の肩に手を乗せる夏希も覗き込むように顔を寄せている。
確認したワケじゃないけど、クラスメイト達も間違いなく同じだろう。さっきから聞き逃さないとばかりにすんごい静かなんだもの。
いや、小さく「夏希さんがクズにあんなに顔を寄せて……!」とか小さい悲鳴混じりに聞こえてきてる。それを聞いて内心慌てつつそっと距離をとった。
そんな中、この空気を気にした様子もなく、宇佐は俺を見上げて何故分からないのかと言いたげに首を少し傾げて口を開く。
「お泊まぶっ…………むぅ?」
「……お前の度胸だけは認める。だからこれ以上は言うな」
「へぇ……?」
そうか、そうだよね。言われてみればそりゃそうだわ。
でもね宇佐さん、教室の中で注目が集まる中言うもんじゃないよね?アホだろこいつ。何不思議そうに首傾げてんの?
咄嗟に口をふさいだ自分の反射神経を褒めてやりたい。
志々岐春人のやつだけは面白いオモチャを見つけたとばかりに笑ってるが、他のクラスメイトは訳が分からなそうにしてるし、まぁセーフだろ。
いや、小さく「あのクズが王女様の口に触れて……!」とか小さい悲鳴混じりに聞こえてくる。内心慌てつつ手を離しながら、王女様って呼ばれてんのかと内心少し笑った。
「お、おいおい!何してんだよ宇佐ぁ!」
我にかえったように、黙ってたと思ったらいきなりエンジン全開で叫ぶ猪山。それを聞き流して宇佐は俺が抱える荷物をポンと叩いて「よろしくお願いします」と一言。
見ようによっては挑発的な態度だが、猪山みたいな人種がそれをどう捉えるか……なんて分かりきってる。まんま挑発として捉えるわな。
「無視してんじゃねえぞ!てか何宇佐の荷物をてめぇが持ってんだクズがぁ!」
顔を赤くしてブチギレる猪山が宇佐の荷物へと手を伸ばしてくる。一応預かったーー押し付けられたーー立場としてははいどうぞと渡すのもどうかと思い、ひょいとバッグをよける。
「てめぇ……っ!いっちょ前に番人気取りかぁ?」
「強制的にされたんだけどな。被害者です」
「俺が代わってやるよ!」
「女子の荷物を必死に……絵面やばいぞ」
「う、うるせぇ!あーもうなんなんだよてめぇは!宇佐と根古屋さんとどんな関係なんだ?!」
苛立ちのまま叫ぶ猪山の言葉に、教室中の注目が一気に増したのが分かった。
「あー……」
まぁ当然の疑問だよな。
かたや絶賛イジメにあってるとは言え、学校一の美少女とか言われる宇佐。
かたや孤高なんて褒めてんのか貶してんのか分からん呼ばれ方にも関わらず人気のある夏希。
宇佐は現状のせいで話す相手がいないし、夏希はもともと自分から話す事はほぼない。そんな2人が揃って話しかけてるとなれば気になるのも仕方ないのかも知れない。
実際のところはこいつらが期待してるような話じゃないけどな。
宇佐は俺と交渉して寝床を確保したいという話で、夏希は単に幼馴染だから話すってだけの事だ。
「気にしなくて大丈夫だぞ猪山、お前が心配してるような話じゃない。お前どんだけ宇佐の事好きなんだよ」
「は、はぁあああっ?!」
「でもあれらしいぞ。男子小学生の気になる子へのちょっかいってやつ、女子からしたら嫌らしいから別の方法でーー」
「黙れえっ!てめぇ、許さねえぞ?!」
あれぇ、アドバイスしたらめっちゃ怒られたんだけど。
「おい、人の善意をーー」
「いや秋斗ぉ、今のはお前が悪いわ」
「さすが大上くん。人の心を躊躇いなく踏み躙るなんてね」
「あっれぇ?」
夏希と志々岐春人が2人して呆れてる。いや志々岐春人はどことなく楽しそうだ……こいつやっぱ実は性格悪いよな。
周囲を見れば男子はいたたまれなさそうにしてるし、女子は色めきだってる。
そんな視線やらに晒された猪山は顔を赤くしてこちらをこれでもかと睨む。もはや怒りか羞恥か分からんが、見てるだけで謝りたくなる顔の赤さだ。
「ごめんなさい」
さすがに謝っとくか……あれ?なんかごめんなさいとか聞こえた?
横を見ると、猪山へ向かって頭を下げている宇佐が居た。俺の代わりに謝罪してくれたーーってワケじゃないよな。
「だぁっはっはっは!派手にフラれたなー猪山!」
「ぐっ!わ、笑ってんじゃねえぞ嵐山ァ!」
なんとも言えない空気の中で爆笑するのは嵐山風馬。
こいつの説明は空気を読まないバカで8割がた終わると言っていい。
「それより根古屋!今日も綺麗だな!」
あとの2割はムードメイカーで、割と志々伎春人と仲が良くて……あとはこれ。夏希によくアプローチをかけてる。
恥ずかしげもなく熱烈な言葉を送る嵐山に、夏希は俺の手から宇佐のバッグをとって持ち上げながら呟く。
「うへぇ、結構重いじゃん。結構長期的ぽいなー」
「なつ……根古屋さんや、嵐山が話しかけてんぞ」
「夏希って呼べー?」
「聞けよ」
「だぁっはっは!気にすんな大上!いつもの事だ!」
人の良さが溢れてそうな笑顔で肩をバシバシ叩く嵐山。痛えよ。
ツーンとそっぽ向いてる夏希を宥めつつ、楽しそうに笑う志々岐春人にこっそり肘打ちしておく。
「おーい秋斗ぉ、聞いてんのかぁ?」
「痛いよ大上くん。やり返してもいいかな?」
「ったく根古屋は冷たいな!たまにはお話しようぜ!」
「……大上さん、人気者ですね」
「学校一の嫌われ者に言うセリフか?」
好き勝手話しまくるヤツらに頭を抱えてると、どこか呆れた雰囲気で宇佐が呟く。嫌味にしか聞こえない言葉にさらに頭を抱えてしまう。
「クズが……!調子に乗りやがって…!」
「うざぁい!クズとドロボーのくせに!」
おまけに聞こえてくる猪山と根津の声や、他にもクラスメイトが陰口を叩いてるのが聞こえてくる。
「……はぁ、なんなんだよこれ」
改めて思う。
マジでこのクラスめんどくせえ。