41 恩師
「ふぅ……しつこいな」
期末テストも無事終わり、明日の終業式が終われば夏休みとなった放課後。
部活動も再開した事で、活気と気怠さという相反した雰囲気が校舎にはびこる。
そんな中、俺はアホみたいな熱気……いや熱狂した集団から逃げ惑っていた。
理由は簡単。集団――男子生徒による襲撃から逃げる為だ。
ではその原因はと言うと、発端は宇佐が「テストの反省会をしたい」と何気なく言った事だ。
その発言から一呼吸の後、男子生徒が一斉に参加したいと名乗りをあげた。うん、窓ガラスが揺れる音量だった。
相変わらず、いや以前よりも人気が高まっているってのは本当らしい。
たまに聞こえてくる声いわく、以前よりも笑顔を見せるようになり、それに惹かれるとか。
そんなワケであっという間に冬華――と、その時の冬華と話してた夏希――は人の群に囲まれた。
それを他人事で眺めていたのがいけなかったのかも知れない。というか今思えばそうだった。早めに逃げ出すなり助けるなりすれば良かった。
なんせ人混みをすり抜けて近寄ってきた春人と呑気に雑談していたくらいだ。
「何この盛り上がり?」「夏休み前に接点を作りたくて必死なんだよ」とか話してると、夏希の苛立ったような声音が聞こえてきた。
憎たらしい程よく通る声で、「あたしらに言うな!勉強会は秋斗主催なんだから秋斗に聞け!」と。
さすが我が悪友、清々しいまでの嘘を堂々と叫んでくれやがる。マジふざけんな。
それから一拍置いて一斉に俺を見る男子生徒達。
獲物を捉えるその目には色々な感情がこもってた。悲鳴は上げなかった。人間マジでビビると声も出ないらしい。
思わず恥も外聞もなく隣に立つ春人に「助けて親友」と言うが、「これは無理」の一言で切り捨てられた。
悪友に売られ、親友に見捨てられた俺は即座に決断を下した。
逃げよっと。
それから鬼ごっこが始まるワケだけど、何故か明らかに鬼が増え続けた。
恐らく他のクラスのやつらも話を聞いて参加したんだと思う。マジ勘弁。
逃げ切るのは無理だ、と俺は逃走を断念。鬼ごっこからかくれんぼへと切り替えた。
そして今居るのが生徒指導室。
生徒が学校内で無意識に避ける場所ツートップの一角だと思う。ちなみにもうひとつは職員室。
俺の見込みは今のところ正しく、廊下を駆け抜ける足音や俺を探す声は聞こえてくるものの、生徒指導室の扉が開く事はない。
「さっさと帰れよ」
もう1時間くらい経つんだけど。完全下校時間までこのままじゃないだろうな。
とか考えてた時だった。
「貴方こそ何をしてるのかしら?早く帰りなさい」
「うぉあっ?!」
慌てて振り返る。俺に気付かず部屋に入ってくるなんて只者じゃない。
しかし、振り返った先には血走った目の男ではなく、冗談みたいに整った顔の女性だった。
「せ、先生……?はぁ〜……マジでびっくりした……」
「学校が騒がしいと思ったら、貴方が原因のようね。今度は何をしたのかしら?」
「いや、今回のはただの被害者っす」
「そうなの、大変ね。でもそろそろ完全下校時間だから早めに帰りなさい」
「うす……あいつら帰ったら帰ります」
「……まぁ仕方ないわね」
先生からしても騒ぎが拡大するのは避けたいんだろう。もう少し隠れておきたいと言う俺を見逃してくれるらしい。
そこでふと先生の持ってる鍵に気付く。
「おぉ、良いもん持ってますね。借りていいすか?」
「え?あぁ、これ。……いいけれど」
仕方ないとばかりに溜息混じりに頷く。
生徒指導室は内側からだろうと鍵がないと施錠出来ない。そのせいで机に隠れていたけど、これで少しは気楽に隠れられる。
「ふぅ……助かった…」
「全く、テストも終わったというのに何をしてるのかしらね」
「男の嫉妬と執念から逃げたりしてました」
「……呆れた」
溜息混じりに言いつつ、先生は席に座ってパソコンを起動させる。
俺としても余裕が出来たのか、軽い気持ちで軽口を叩いてみる。いやね、意外とウブなのは知ってるからつい。
「先生、2人きりっすね。俺、ずっと先生に伝えたかった事が……」
そう言いながら先生に近付いて顔を覗き込む。
ここらで呆れ混じりに叱られて終わりだと予想していたが、予想外の反応があった。
「…………」
「あの……先生?」
「ひぁっ?!」
固まったかと思えば唐突に叫ばれた。
冷静沈着、正確無比を体現したかのような高山先生の挙動不審。レア、可愛い、などの単語は浮かぶものの、それよりも困惑が勝つ。
「ちょ、どしたんすか?体調悪いとか?」
「っ!」
少しだけ近付いて顔を覗き込む。顔赤い。目もどこか潤んでるし、どう見ても体調が良いとは思えない。おいおいおい。
「ちょ、先生、体調悪そうじゃないすか!早く帰って休まないと!まーた1人で頑張りすぎてるんすか?!」
「ち、ち、ちかっ……!」
「呂律も怪しいか……思ったよりヤバそっすね。なんでこんなになるまで我慢するんすかもう」
なんか見る見る内に体調が悪化してる気がする。これはちょっと急いだ方が良さそうだな。
早く保健室に……いや、病院の方が良いか?
「先生、病院行きましょ。車持ってましたっけ?」
「な、ないっ?」
「何で疑問系?んじゃ別の先生に送ってもらいますか……屯田以外で」
さて、鬼ごっこもかくれんぼもしてる場合じゃないな。
あ、そう言えば俺と先生ってデキてるとかの噂があったな。
鎮火してきたとは言え、一緒に居ると再燃しかねない……けど、そんな事言ってる場合でもないか。
とにかく、早いとこ先生を安静にさせないと。
――キーンコーン……
タイミングが良いのか悪いのか、完全下校時間を知らせるチャイムが鳴った。
噂の再燃や血走った目の男共もさすがに帰るだろうから一つ心配は消えた。
けど、代わりにそれよりも大きな問題が思い浮かぶ。
「……他の先生達はさすがに残ってるよなぁ?!」
「ちょっ、ちょっと?!」
いやいやまさかね。最近は労働時間が問題視される程多忙な教員ですよ?まさか誰も居ないって事はないでしょ?誰か無給でせっせと労働してるでしょ?!
そう思うんだけど、なんせこの志岐高の教師だ。面倒事を片っ端から高山先生に押し付けるような教師陣だ。可能性はゼロじゃない。
とりあえず高山を先生を抱えて、扉を足で開けてダッシュ。
「おおお大上くんっ?!」
何か先生が言ってるけど、ごめんなさい後回しで。筋トレしてて良かった。抱えたままでもそれなりの速度で走れる。
というワケで保健室!ハイいない!次!職員室!ハイいねぇ!マジかよやべぇなここの教師達!
途方に暮れて職員室の前で立ち尽くす。
そこで先生も落ち着いたのか、「下ろして」と声が掛かった。
「あ、すいません。立てますか?体調はーー」
「大丈夫。大丈夫よ。大丈夫だから」
大丈夫らしい。2回どころか3回も言われたら頷くしかない。
「体調は問題ないわ。完治よ、ええ、完治したわ」
「いやそんなワケ……あ、いえ、はい」
「完治した私は自力で帰れるの。自分の足で帰れるの。なんなら走れるわ」
「あ、はい」
なんか口調が怪しかったけど、触れてはいけない気がしたので頷いておく。
顔を手で覆ってるけど、髪の隙間から見える耳がめっちゃ赤い。やっぱ体調不良なんだろうな……生徒の前だからって強がってるのかな。
「仕事が残ってるの。だから、仕事をするの。明日までに終わらせるの」
「えと、はい。……いやいや待った、さすがにそれは」
「するの」
いや頑固ぉ。そして何その口調ぉ。
夏希、あと冬華もだけど、何で顔が良い女性って頑固なの?これが女子力なの?
とは言え、恩師を体調不良のまま1人学校に残って仕事をするのを見逃す気にはなれない。
てかその仕事ってどうせ他の教師に回されたやつでしょうに。
じゃないと高山先生が仕事を終わらせれず、他の教師が定時上がりなんておかしいし。マジでここの教師終わってんな。
「先生、ダメっす。帰って休みましょ」
「仕事をするの。明日までに終わらせるの」
「NPC?」
聞く耳持たない。というか聞こえてます?
けどまぁそりゃそうだよな。夏希や冬華と違って、高山先生は大人。子供の俺の意見がすんなり届くなんて考えは甘いわな。
しかし、逆にこっちは子供の特権がある。つまり、感情論。ワガママだ。
「却下っす。帰りますよー」
「ぅわひゃ?!」
なかなか愉快なリアクションをする先生を抱きかかえ、下駄箱へゴー。そう、聞いてくれないなら強制送還である。
「わ、わか、分かった!分かったから!下ろして!」
「逃げるやつの常套句なんで却下っす」
「逃げないから!お願い信じて!」
「裏切るやつの常套句なんで却下っす」
そんな感じで10回くらい却下しながら夕暮れに染まる校舎からワーカーホリックを連れ出した。
「もう……人の話を聞いて欲しいわ」
「いや俺のセリフっす」
結局、タクシーも病院もいらないと凄い剣幕で言い張る先生に折れて。そのまま家まで送る事で落ち着いた。
道中、らしくもなく唇を尖らせてぐちぐち言ってる先生を宥めたり受け流しながら歩く。
駅につき、電車に乗り、電車を降りて、歩く。その全てがあまりに見慣れたものなので驚いた。
「あのー先生、これちゃんと家に向かってますよね?」
「えぇ、貴方がうるさいからそうしてるわよ」
「そんな怒らないでくださいって。てか家めちゃ近いかもっすね。今んとこ俺の通学ルートそのまんまっす」
「そうでしょうね」
世間話のテンションで呟くと、先生からも同じトーンで返事が返ってきた。やっと機嫌が落ち着いてきた事を察して内心安堵の溜息をつく。
「あぁ、そう言えば前に俺んち来た事あったっすね」
「えぇ、あの時は驚いたわ。私はそこを曲がった先にあるコンビニの横よ」
「うわ、1キロも無いんじゃないすか?」
多分ゆっくり歩いても10分かからないな。夏希んちより近いわ。
「それなら貴方はそのまま帰りなさい。そこからは私だけでいいわよ」
「いやダメっすよ。倒れでもしたら一生後悔しますし」
「倒れないわよ。それに今日は夜に台風が来る影響か涼しいもの………あ」
「……あーあ、先生のせいっすよ?」
「な、何でそうなるのかしら?!」
フラグってこれかぁー、と思ったね。
先生の言葉と同時にポツリ。からの10秒もせず土砂降り。その2秒後に俺は全身びしょ濡れになる覚悟を決める勢い。
しかし先生はそうじゃなかったらしく、焦ったように前屈みになってカバンを守っている。
「お、大上くんっ!申し訳ないけれど傘は持っていないかしらっ?」
「いや、ないっす。もう諦めてます」
「い、潔いのね。と言うより清らかな微笑み浮かべて両手広げるの辞めてちょうだい」
「受け入れる心、現代日本に欠けていますよね……」
「開き直り方が鼻につくわね……でも私はまずいのよ。カバンの中のUSBメモリが壊れたら今日の仕事が無になってしまうわ」
「あーなるほど……それは辛いっすね」
てゆーかその前に、何を呑気な事言ってんだ俺?先生、体調不良じゃねえか!
「あー俺のアホ!先生こっち!」
「へ?」
「俺んちすぐそこなんで!」
「へぁ?」
今日の先生リアクション豊富だな、とか思いつつ、呆けた表情で固まる先生を抱えてダッシュ。雨ん中で復活まで待ってられん。
すぐ近くまで来ていたので1分程で着いたものの、アホみたいな雨量のせいでびしょ濡れだ。急がないと。
「くそ、結構濡れちゃったな。先生、シャワーどうぞ!風呂溜めてもいいんで!」
「…………あぁ」
「先生?急いで、悪化しますよ!」
「ああぁぁあ……」
「……あの、先生?」
いきなり頭を抱えて唸る先生に、さすがに俺も首を捻る。
「……男子生徒の家に?しかも一人暮らしの?これ不純異性交遊なのかしら?懲戒免職?」
「あー……まぁ心配にもなりますよね」
至極ごもっともな懸念ではある。けど緊急事態だし……でも納得しないと入りそうもないし。
「まぁ俺も黙っときますし、万一の時は緊急事態だって説明すれば良いんじゃないすか?」
「………はぁ〜…………………もう、それしかないわよね」
葛藤の末に観念したらしい先生は、溜息を溢しながら立ち上がる。
濡れた髪を手で払い、どうやら守り切ったらしくあまり濡れていないカバンを置く。
「申し訳ないけれど、お言葉に甘えてシャワーを借りるわね」
「どぞ。タオルと着替えは用意しときますんで」
「ありがとう」
そう微笑んで洗面室へと向かう先生は、見るからに開き直った様子だ。
良い事だ。濡れたままうだうだしていては風邪を引きかねないし、時間の無駄でもある。
そう良い事だ。俺が今更になってビビり始めた事以外は。
「やっ……ばい、よな?いや、ただ間違ったことをしたつもりはないけど、正しくはない気がする…」
テンパってる自覚がある。いや仕方なくない?
正直『生徒と教師』の問題はほぼ気にしてない。あれは妙な間違いが起きた時の話であって、高山先生に限ってそんな心配はないからだ。
それより、『俺と美人女性』の問題だ。
正直、個人的な理由で恋愛云々は切り離しているものの、男子高校生である以上その手の欲求は人並みにある。それがこの場において厄介だ。
いや、夏希のおかげで慣れはある。冬華はそもそも事情が事情だから邪な感情を交えるのは不謹慎だと思って切り離してる。
ただなぁ……高山先生って時折半端なく色っぽいんだよ。
強制的にドキドキさせられたり理性がやられそうになるのはここ数年で高山先生がダントツで多い。だから怖いし、緊張する。
「せめて夏希か春人か冬華が居てくれれば……」
今日に限って冬華も居ない。というか変な逃走劇のせいで先に夏希と寄り道して帰ると連絡があった。
そんなワケで孤軍奮闘しなければいけない。我ながら情けない弱音を吐いていると洗面室から音が聞こえてきた。
早くない?と思ったけど、意外と時間経ってた。どんだけ蹲ってたんだ俺。
「ありがとう、お風呂お借りしました。大上くんも早めにどうぞ」
「あ………はい」
「?」
まだ乾いていない黒髪や火照った顔。俺の服は少し大きいけど、胸部だけは狭そうに服を押し上げている。当然下着は濡れてしまったからーー
うん、これ死ぬな。マジで。
あまりじっと見ると色々ヤバそうなのですぐに目を逸らしーーその様子を不思議そうにする先生、あんたは自分の容姿を自覚しろーードライヤーを机の上に置いて洗面室へと向かう。
「ふぅぅ………………………っ」
深く深呼吸。いっそ冷水を浴びて頭を冷やそう。
風呂場の扉を開き、ふと気付く。
「先生、服なんすけど洗濯機回しといていいすかー?乾燥機能ついてるんでその内乾くとは思うんすけどー!」
風呂場から声を張って確認すると、「ありがとう、お願いするわ」と返事が。
畳んであった服をーーあまり見ないようにしてーーそのまま洗濯機に放り込み、スイッチオン。稼働を始めたのを確認して改めて風呂場へ。
さて、頭冷やすとしようか、となんだか疲れた体を鞭打って扉を開いてーー誤算に気付く。
「………!」
風呂場に残る香りにやられ、思わず壁に頭を叩きつけた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「…………………」
精神をガリガリと削られた俺は、重たい体を動かしてリビングへと戻る。
ドライヤーで乾かし終わった先生は、髪を下ろしている。どことなくあどけなさが垣間見れ、それにまた心臓が跳ねるのを感じる。
「戻ったのね……あの、大上くん?疲れてないかしら?」
心配そうに首を傾げ、微かに前傾姿勢になる先生。そのせいで覗く深い谷間。お願いもうやめて。オーバーキルですから。
「……いや、大丈夫っす」
どうにか絞り出し、リビングと併設されたキッチンの蛇口を捻って水を一気飲み。微かに気持ちと体に余力ができた気がした。
「とりあえず、服乾くまではゆっくりしてください。あ、使うならパソコンもあるっすよ」
お茶を用意しながら告げると、先生は少しだけ考える素振りを見せてから首を横に振る。
「いいえ、気持ちだけ頂くけれど仕事は帰ってするわ。それよりせっかくだし、二者面談でもしようと思うの」
「二者面談……っすか」
まぁなんとも生徒想いの先生らしい。
こんな学校から諦められた生徒との面談なんて、自分の仕事を後回しにしてまでする事でもないだろうに。
とは言え恩師の言葉に無意味に逆らうつもりはない。お茶を出し、テーブルの対面に腰を下ろす。
「そんなに畏まるつもりはないわよ。ただ、最近学校によく来てくれるから、学校生活の感想でも聞けたらと思ったの」
「なるほど。先にそこに答えるとすれば、学校に行ってるのは出席日数がヤバいからっす」
「そうでしょうね。でもそれだけじゃなくて、以前より人と話すように……というより話す人が多くなってるわよね?」
微笑みながら問われる。恩師のどこか嬉しそうな笑顔を前に、変なプライドや気恥ずかしさで誤魔化す気にはなれなかった。
「そう、っすね。先生の受け持つクラスだけあって、変わり者が多いみたいで。てか今更っすけど2組って面倒な生徒の寄せ集めっすよね?」
「ふふ、ノーコメントよ。でも、貴方が楽しめてるなら結果オーライだったわね」
「それ言ってるようなもんじゃ……いや、本当お疲れ様っす」
「ありがとう。でも、私もそれなりに楽しんでるわよ」
まぁ良くも悪くも飽きないクラスだとは思うけども。
押し付けられた仕事を笑顔で容認出来るあたり、人が出来てるのか諦めてるのか、それとも単なる本音か。
そんな考えを見抜いたように、高山先生はニコリと微笑む。
「貴方のおかげよ?1学期は色々とお世話になったわね」
「………いえ、とんでもないっす」
まぁたやられた……。不意打ちだろ、この美人マジで自分の美貌を自覚してくんないかな。もしわざとなら静なんて目じゃない小悪魔だ。
とりあえず目を逸らし、バレないように細く深呼吸をして視線を戻す。
その視線の先で、高山先生はいかにも予想外だったとばかりに目を瞠っていた。
「あの、どうかしたっすか?」
「……いえ、ちょっと意外だっただけよ」
そう言って、今度は少女のように笑う。この使い分けが計算されたものなら、稀代の悪女になれるだろうな。
「かなり大人びてると思ってたけど……今もしかして、照れてたのかしら?」
「んぁっ?!」
「あら……ふふっ、そういうところは年相応なのね」
「くっ……!」
楽しげに、しかし揶揄う色を隠そうとしない先生。
悔しいけどその通りだ。というか恋愛方面に関しては小学校で諦めたから年相応にすら至らないと思う。
とは言え、やられっぱなしというのは癪だ。
「……先生こそ、良いんすか?一人暮らしの男の部屋で、そんな無防備に座っちまって」
ほんの身を乗り出しながらトーンを落として言う。
意外とウブだし、慌てるか先生モードで軽くお説教のどちらかだろうけど。
「貴方はそんな事はしないわよ。それでもしたいのなら受け止めるわよ?」
「…………。……えっ?いや、えっ?!」
予想は外れ、更なる爆弾発言に脳は仕事を放棄した……けど、先生の顔を見て我に返る。
「……いたいけな生徒を弄んだっすね…」
「ふふっ、あはははっ!ごめんなさい、いつものお返しも兼ねてみたんだけど、まさかそんな反応をしてくれるなんてっ。あははっ!」
余程楽しかったのか、腹を抱えて笑う先生。
腹立つわぁ。覚えとけよ……と思うんだけど、こうも楽しそうに笑う先生を初めて見たという事もあって感情的には苛立ちより驚きが勝っていた。
「あーもう苦しい……大上くん、意外と可愛いのね」
「先生は急に可愛くなくなったっすね」
「ふふっ、拗ねないで?」
「子供扱いやめてくれ……」
「してないわよ。学校で一番頼りにしてる男性だもの。教員を含めてもね」
「ぐっ………!」
あきまへん、惨敗どす。言われ放題だし、何言ってもも勝てる気がしない。志岐高の最強教師は伊達じゃなかった。
それでもどうにか切り返せないか考えていると、高山先生は落ち着いた声で呟いた。
「安心したわ。前よりも感情豊かになったわね」
「………そーすか?」
「ええ。私も冷徹とか言われてるみたいだけれど、貴方の方が底冷えするような冷たさがあったもの……初めて会った時とか、ね」
「……あんま自分じゃ分かんないっす」
そうよね、と微笑む。
「根古屋さんが貴方の横で支えてくれてる。志々伎くんと背中合わせで高め合ってる。良い友達ね」
「……まぁ、そっすね」
「ふふ。でもそれは、貴方が2人の力になってるから寄り添ってくれてるのよね」
「いや、そこはどうなんすかね?」
「間違いないわよ。私だって助けてもらってるもの。あの2人もそう思ってるはずよ……そして、宇佐さんもね」
真っ直ぐに俺を見て、真っ直ぐな言葉をくれる。捻くれたヤツが周りに多い分、その真っ直ぐさが照れくさい。
うぅん、これが子供と大人の差なんだろうか。悔しいけどサラっと言われるとかっこいいとしか思えない。
けど、確かにそうだ。
夏希は口では色々言うけど、なんだかんだ側に居てくれる悪友。
春人は頼りになるし、自惚れじゃなければ頼ってくれてる親友。
冬華はーーどうなんだろうな。ペース乱されるし、そのくせマイペースだし……けど、俺が変わったというなら、きっと冬華のおかげだ。
「ふゆ…宇佐はどうなってくは分からないっすけど。まぁ、お互い面倒事もなく楽しく過ごせるようにはしたいと思ってますよ」
「ふふ、応援してるわ」
「あざす。でも、変わったってなら1人抜けてるっすよ」
「え?」
「先生が前に立って導いてくれたから。だから、ちょっとは前に進めたんです」
うん、先生を見習って俺も素直に言おう。
目を丸くする先生にそう言い、頭を下げる。
「ありがとうございます。いつか追いついて、借りを返す……いえ、恩返ししますんで」
先生のおかげで2年に進級出来た。屯田の時に辞めても良いと思った時に叱ってくれた。だから俺はまだここに居る。俺のままでいる。
教師達からもクズ扱いされる俺にそこまでしてくれるのは高山先生だけだ。先生がいなければ、きっともっと捻くれていたと思う。
「ありがとうございます」
借りを返す。そう思ってたけど、蓋を開ければ借りは増えるばかりだ。
先生は助けてくれたと言ってくれたけど、全く足りてない。これが大人と子供の差なのだろうか。
けど、やっぱり貰いっぱなしは性に合わない。貰って何も返さないような奴になりたくない。
いつか返す。返せる俺になる。
そう、思わせてくれた。
感謝を込めて感謝を告げる。今はこれしか出来ないから。
「……もう。ズルいわよ、いきなり」
「……?」
先生の言葉に疑問符を浮かべつつ顔を上げーーようとして、優しく頭を押さえて止められた。
え、まだ頭下げとけって事?頭が高かったっすか?地面にこすりつましょうか?
「……今こっち見ちゃダメ。見たら怒るわよ」
「……うす」
少し鼻声の先生に、俺はそれだけ言って動きを止めた。
そして1分くらいだろうか。電子音が洗濯完了を知らせてくれる。
「……あの、先生。服乾いたっすよ」
「ありがとう。お風呂だけじゃなく洗濯までしてもらって申し訳ないわね」
「何言ってんすか」
これくらいさせてください、と続く言葉は口にはせず、頭に乗せられた手が離れたのでゆっくりと頭を上げる。
先生はいつものように隙のない綺麗な顔で微笑んでいた。いや、気のせいでなければいつもより笑顔が柔らかい気もする。
「……服、着替えてくるわね」
「あ、了解っす」
その言葉と同時だった。
――ピシャァアン!ゴロゴロゴロ……
轟音。それに呼応するように、雨が地や窓を叩く音。
「あー……忘れてた」
「私もよ……迂闊だったわ」
台風来ちゃいました。やっぱ先生ってフラグ回収の天才ですわ。




