26 嫌われ者の使い方
「うわ、また来てるよ!」
「昨日も開き直ってたし、ほんと有り得ないよね」
今日も変わらず絶好調の陰口祭り。最新の陰口対象だという事もあってか、あっという間に広まった。
昼前には3年の姉さんや1年の梅雨からも連絡が届き、共に宇佐のイジメを終わらせた事を労う内容だった。つまりは二日目にして学校中に知れ渡っている。
教室の外には休憩時間の度に人が訪れては根津を見て指差し、しばし陰口を叩いて満足すれば帰っていく。
ちなみに男子はその時に被害者の宇佐を見て、ぽけーと見惚れるのもセット。
そして今日も俺はのんびり過ごしてるし、春人も夏希も動かない。宇佐は相変わらず人の群れに囲まれてる。
人の噂も75日というが、2ヶ月半もの間こんな光景が続くとどこかで爆発しそうだ……夏希が。
「あーうっざ」
「……機嫌悪いな」
「そりゃそーでしょ。ずっとわちゃわちゃと……どんだけ暇なんだっての。てか何かあたしまでチラチラ見られてるし」
「有名だもんな、お前」
「見せ物じゃねーっての。つかそもそもあたし陰口とか嫌いだし」
こんな調子で二日目にしてかなりストレスを溜めてる夏希さん。明後日くらいには一喝して追い払うくらいはしそうだ。
まぁチラチラ見られてるって意味では実は俺も同じ。もっとも、言うまでもなく夏希とは違って非友好的な視線だけど。
(……どうしたもんかなぁ)
ほんの少し悩む。昨日の放課後までは一切やる気がなかった宇佐の最後のお願いを思い出す。
『厚顔無恥を承知で伺います。愛を助ける事は出来ますか?』
自身が助けてもらっておいて、重ねてお願いすることへの申し訳なさを滲ませた問い。
どれだけ考えても打開策が思いつかず、しかし自業自得とはいえ親友の現状を見ていられないと悩み、溢れ出た願い。
少しの付き合いの中ですら分かる宇佐の性格からして、このお願いは相当言い出し辛かったと思う。
交換条件の上でなら割とマイペースを発揮するが、一方的な施しは極端に恐縮したり避ける傾向があるし。今回のは完全に後者だ。
俺も俺でやる気はなくなってたし、ほっとく気満々だった。が、そこで昨日の放課後だ。
(……素直に驚いたな)
口ばかりで小心者、自身の不利や痛みからとことん逃げる臆病者。
そんなイメージでしかなかった根津が、俺や夏希相手に逃げずに真っ直ぐ啖呵を切った。
その一切迷いのない真っ直ぐな目はまるで宇佐を思い起こさせる。こんな嫌われ者の俺でも絆されかねない綺麗さを、まさか根津が見せてくるとは。
正直に言おう。手を貸してもいいかなと思った。
「……まぁ、デメリットがそんなにあるワケでもないし」
「んー?何の話?」
思わず口に出たらしい言葉に夏希が反応するも、何でもないと濁す。
あっという間に6限目となった今、休憩時間とは違って授業中はテスト期間だけあって全員真剣に黒板に向かっている。
俺もノートに内容を写していると、放課後を知らせるチャイムが鳴った。
「よーし、帰るかー」
「おー、じゃあな」
「何でだよ、秋斗も一緒に帰ろーよ」
早速とばかりに勉強道具を片付ける夏希に、俺は首を横に振る。
「悪い、しばらくは一緒に帰れんわ」
「はぁ?何でだよ?」
夏希の問いかけには答えず、代わりに人差し指を口元に当てるジェスチャーを見せる。それに夏希は怪訝そうに首を傾げるが、これにも何も言わずに席を立つ。
テスト期間だというのに既に一目見ようとでも思ったのか、わらわらと教室の外に集まる野次馬を眺めながら、俺はゆっくりと根津の方に歩いた。
「…………お、おい。あれ……」
誰がそれに気付いたらしい。小声の陰口が集まってざわざわとうるさかった教室が、俺が進むにつれてだんだんと静かになっていく。
そして俺が根津の前に立った時には、シンと鎮まりかえっていた。
「…………っ!」
ガタッ!と音を立てて椅子が動く音が二つ。その方向――春人と夏希に視線だけ向けて、鋭く睨む。2人は何か言いたげな顔で、しかし口をつぐんでくれた。
言いたいこと視線で汲んでくれる長い付き合いの2人に感謝と、まぁ謝罪を内心で呟いてから、改めて座る根津を見下ろす。
「な、何よあっき「おいおいおい、結局このザマか?」……は?」
根津が心底不思議そうにニックネームなんか口にしかけたので、被せて言葉を吐き出す。
根津が目を丸くしているのを無視して、言葉を並べていく。
「バカが、俺が言った通りにしてりゃ今頃宇佐は俺のもんだったのによ」
「ちょ、あんた何言っ「うるさい黙れ。俺から逃げようとして猪山に良いように使われたせいでこの結果だ。直接文句でも言わねぇと苛立ちでどうかしそうだわ」
静まり返った教室に俺の声が響く。
根津はいよいよ訳が分からないとばかりに混乱した様子だが、そろそろ流れは出来てくるはずだし、すぐに理解できるだろう。
おまけのパフォーマンスに根津の机をガン!と殴ってみる。ビクッと震えた根津も見下ろす俺。……側から見れば、恫喝にしか見えないだろうな。
「今のって……もしかして、そういうこと?」
「だよな。根津って、大上にやらされてたって事だろ」
「えー、でもだからって仲良しだった宇佐さんを裏切るとかどーなの?」
「でも、あの大上相手だよ?どんな脅され方したか分かったもんじゃないじゃん」
野次馬やクラスメイトから、チラホラと漏れ出す疑念の言葉。
噂なんてものは曖昧で、時に正しさよりも自分が見たい光景や楽しめる内容へと書き換えられる。所詮は他人事、自分が楽しければ良いワケだ。
そしてこの志岐高校において、俺ほど貶めやすく、見下して楽しみやすい相手はいない。
「えーーっ!マジ?!じゃあ根津さんも被害者じゃん!」
「あの仲良し美人コンビがクズに狙われたんだってよ!」
「根津さんも大上から逃げようとして、猪山に相談したら猪山にも騙されたらしい」
「えっ、根津さん超可哀想じゃん!」
そんな俺がそれっぽい事を言えば、人を嘲りたいが為にわざわざ根津を見に来るようなヤツらだ。すぐに真実を捻じ曲げて面白おかしく改変する。
根津の注目度が高い今それを行えば、効果も抜群ってもんでして。
「マジサイテー!ちょっと球技大会で出しゃばったからって調子乗んなクズ!」
「根津さんから離れろ問題児!帰れ!」
あっという間に根津よりも叩きやすい俺が諸悪の根源だと見なし、罵声をあげる。
その怒りや嫌悪に満ちた表情は、しかし俺からすれば偽善であり、ともすれば楽しげに見えた。あ、もしかしたらテスト期間のストレス発散にもなってるのかもな。
「はいはい、うっせーな。証拠もないのにぎゃーぎゃー騒ぐな。帰って勉強しろよ」
適当な言葉を捨て台詞にして、さっさと退散する。あとはほっとくだけでじゃんじゃん尾鰭背鰭をつけて広まるだろう。
いやぁ、簡単なお仕事でしたわ。
俺は良い方向に導く話術も人徳もカリスマもない。
春人のように話術や人徳で正しく導く事はできない。夏希のように存在感やカリスマで空気を支配して流れを変える事もできない。姉さんのように生徒も教師も巻き込んで流れを自ら作り出す事もできない。
俺に出来るのは、俺の汚名を利用して悪意の先を書き換える事だけ。
逆に言えば、それだけは簡単に出来る。春人よりも夏希よりも姉さんよりも、悪感情の操作だけはやりやすい立場にいる。
これだけが、この学校における俺の領分だ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
部屋に戻り一息つく。
最近は忙しかったけど、やっとこれで肩の荷は全部下せた。疲れた、とまではなくとも、気が楽になる感覚はある。思わず優雅にコーヒーなんか飲んでみたりしちゃう。
コーヒーに口をつけた瞬間、ガチャバタンドタドタ!と騒がしい音が連なるように慌ただしく鳴り響いた。
「邪魔すんぞ秋斗―!」
「あっづぁっ!」
完全に油断していた事もあり、ビクッと体が揺れてコーヒーが顔にかかってしまった。
慌ててティッシュで拭く俺に構わず、夏希は我が物顔で部屋へと押し入る。マジで俺より家主かってくらいくつろぐんだよねアイツ。
「逃げられると思ったかい?あ、僕もコーヒーでいいよ」
「ほぁ〜、ここが先輩の家ですかぁ。学生にしては良いとこ住んでますねぇ」
「ちょ、静!あんまじろじろ見たら失礼だよっ」
と思いきや、我が物顔がプラス3。特に春人よ、お前何で家主の許可なく侵入してそんな偉そうに出来るの?
「てか何で梅雨も居んの?」
「ちょっとせんぱ〜い?何であたしを無視したんですかぁ?」
「はいはい静落ち着いてっ。えと、アキくんごめんね。噂聞いて来ちゃった」
「噂……って、もう1年まで広まってんのか」
こりゃいい。予想以上のスピードだわ。いや予想以上すぎるだろ、ついさっきだぞ。
「それだけ秋斗が有名って事だよ」
「ふーん。まぁお前らと違って良い意味じゃないけどな」
説明する春人に軽口を返してなんとなしに顔を見ると、いつもの笑顔……の奥に、蠢く何かが見えた気がした。
その瞬間、第六感ともいうべき何かが特大の警鐘をこれでもかと鳴らし始める。
「そうだね。秋斗は悪い意味で有名になったよ。この一年と少しの時間をかけて、少しずつ、確実に」
「………あ、あの、春人さん?」
「懐かしいね。1年が始まってすぐに先輩達をぶちのめして、その次の日に学校では話しかけるな、なんて言われたな」
俺の言葉が届いてないかのように春人はつらつらと言葉を俺の部屋に落としていく。
言葉が落ちた先から放電でもしているかのように、だんだんと部屋にビリビリとした異様な雰囲気が満ちていく気がした。
その異変を感じとったのか、梅雨は顔を引き攣らせ、静は目を丸くしたまま冷や汗を一筋流す。夏希は傍観を決め込むかのように壁を背もたれにして脚を組んで座っていた。
「秋斗が何故そんな立場を甘んじて受け入れているか、理由なんて分かってる」
「あ、あぁ。まぁ春人ならそうだろうな」
「――だが、僕は一度も納得したとは言ってないぞ!!」
じわじわと変化を見せ始めた雰囲気を、一気に塗り替えるかのように。
春人は雷にも似た咆哮と貫くような眼光で俺を突き刺した。
その雷光を思わせる一喝の余波で、1年の2人は体を痙攣させたかのように跳ねさせ、そして震わせている。
「何故君はいつも勝手にそんな事をするんだ!何もかも1人で解決出来ると自惚れているんじゃないのか?!」
あまりの迫力に、長い付き合いの俺も圧倒される。
これこそが、いつも優しい笑顔に隠されたーー春人の剥き出しの顔。
無意識の内に頭を垂れて、跪きそうな学校の王の迫力。だがーー
「それとも根津さんに惚れたか?何が恋愛はしないだ、しっかりと現を抜かしているじゃないか?!」
「――あぁ?」
だからと言って素直に謝れる程、俺はこいつとの付き合いは浅くない。
「何だい、違うとでも言うのか?!」
「違うに決まってんだろうが!お前は本気で恋愛なんてくだらねぇモンで俺がこんな真似すると思ってんのか?!」
雷鳴のような怒声に全霊で返す。
こいつが何を言いたいのか、何故感情を完全にコントロールしている春人が怒ったのかなんて後回しだ。
視界の端に映る一年2人が俺の声のせいでその場に崩れ落ちたのも気にかける余裕もなく、春人だけを睨む。
「何のために俺がこんな立場にいるか分かってる?!全然分かってねぇじゃねえか!」
「分かった上で言ってるんだ!ずっと見逃してあげたけど、いい加減に君の馬鹿さ加減には我慢の限界だ!」
「んだとてめえ!それで収まるもんもあっただろうが!必要なんだよ!この役目が!」
「分かってないのは君だ!必要?!くだらない!そんな成り行きで手に入れた立場に縋るなんて、君も随分情けない男になったな!」
怒りを湛える目に冷気が混じる。目の前の見下すような視線に、自分の中のどこかでブチンと何かが切れる音がした。
「縋るだと?!俺がいつ縋った!使えるもんを使っただけだろうが!」
「それしか使えないの間違いだろう?!そんなものでしか解決出来なくなったのかい?!」
「じゃあてめぇなら解決出来たのか?!笑っときゃ周りがついてくる人気者のてめぇがあの数の悪意を消せたのかよ?!」
「さぁね!ただ君のような無様は晒さないさ!それに僕だけじゃ出来なくても力を借りればどうにでも出来る!」
「おーおー人気者は違いますねぇ?!お前はそれで良くても、俺は1人でやる!やれた!」
怒りに任せた応酬が、ピタリと止む。いや、ゴロゴロと次に来る稲妻の予兆を示すような一層不穏な気配に変わったと言うべきか。
「……言っても聞かない男だとは思ってたけど、これでも分からないとはね。仕方ない、一度痛い目を見れば分かってくれるかな」
「……ほぉ、痛い目にねぇ。ぬくぬくと過ごしてるお前にやれるのかぁ?その整った顔が腫れ上がって人気が落ちても知らねえぞ」
言いつつ、全身に神経を張り巡らせる。
そこらへんの不良相手とはワケが違う。気を抜いてたら一瞬の後には倒れてるなんてことになりかねない。
しかしそれは春人も同じ。目に見えて分かる警戒と緊張、そして闘志を滲ませて音もなく半身になっている。
「――君が間違っていると証明してあげよう!」
「――俺が間違ってねぇと証明してやるよ!」
同時に叫び、踏み込む。牽制はいらない。お互い、固く握り締めた拳を振りかぶりーー
「「そこまでっ!!」」
「ぶへあっ?!」「ぐぅっ!?」
――2人して真横から吹き飛ばされた。
どがんがしゃんと音を立ててテーブルやら何やら巻き込んで吹き飛ばされ、変な声が口から漏れ出た。てか春人のやつは呻き声までかっこいいのな。腹立つわ。
とか場違いな事を頭の端で思いつつ、自分が居た場所を見る。
「やるのはいいけど、場所と状況を考えなー?」
「アンタ達部屋のど真ん中で何やってんの。やるなら外でやんなさい」
「夏希……」
「……紅葉さん。いつの間に…」
「アンタ達が騒いでる間に決まってるでしょ」
そこに立っていたのは、片足を上げて静止している夏希と姉さん。
ちなみに夏希は青で姉さんは赤。何がとは言わないが。あと春人の顔も赤。何故かとは言わないが。
「……ちっ。しゃーないな、春人てめぇ表に出「あ、やっぱ待った」ぐぇっ?!」
「くくっ、無様だね秋斗。さっさと表に出「あんたもよ」ぐっ?!」
外でやれっつーから外に出ようとしたら、夏希に踏まれた。理不尽では?
おまけに俺を嘲笑いながら先に出ようとした春人も姉さんに踏まれてる。お願いだから若干嬉しそうにしないで欲しい。
「おい夏希、邪魔すんな。あと姉さんやめて、カーストトップが変態に目覚めちゃうから」
「まぁ落ち着けっての。やりたいなら話が終わってからにしろ」
「何言ってんのアキ。あんたら3バカに今更変態要素が加わったところで誤差の範囲じゃないの」
めちゃくちゃ言うね姉さん。それにしても、話の後?何の話?
「……話?俺がやった事なら知ってるだろ?てか一年2人が知ってるくらいだから全員知ってんじゃねえの?」
「事実確認の話じゃないわ。簡単に言えば、アンタへの説教よ」
「え、何で?」
思わず目を丸くする。俺を呆れたように睨む姉さんに視線をやろうとして、視界に2人の女子生徒が映った。
「……宇佐と根津までか。ここ、一応俺の家なんだけどな」
宇佐達まで不法侵入かよ。姉さんは身内だけど、他7人全員は普通にアウトだからね。
「そんな事はどうでもいいの。アキ、今回のはアンタは間違えてるわよ」
「はぁ?間違いって何だよ?」
姉さんまでワケの分からん事を……さすがに春人のようにぶちのめすワケにはいかないが、こうも立て続けに口出しされたら苛立ちが溜まって仕方ない。
もう面倒だしイライラもやばいし、話は後にして春人しばこうかな。とか半ば本気で考えていると、
「……大上くん、落ち着きなさい?私も聞きたい事があるのよ」
「………ぅえ?」
今度こそ度肝を抜かれた。無意識の内に驚愕の声が出るくらいには。
「……二者面談のつもりだったけれど、まぁいいわ。むしろ詳しい話が聞けそうだものね」
玄関側の扉、そこに凛と立つ女性――高山先生が感情を見せない表情で俺を見下ろしていたからだ。




