その日暮らしと言わないで:2
夜、ライカンズデルの門前。
アレクトとゲールは二人組で持ち場に着いていた。
そんな二人の前に四足歩行の小さな死霊が現れる。人の目にはぼんやりと光って見えているが、実態のないそれは夜を照らしてはいない。
森から来た猫の姿の死霊は、門の中に住む人々の陽の気に惹かれてやって来た。
「はーいどうぞお通りくださいねー」
アレクトは戯け気味に死霊に声をかけ、手に持ったカンテラを揺らす。小さな霊魂には害はない。夜になると陽の気を求めて人の住む場所にやってくるが、しばらくすれば消えてしまう。
「平和だな」
ゲールのすぐ前を2、3匹の小さな死霊が駆けていった。
まだ可愛い気のあるそれらを見て、ゲールはリラックスした様子だ。
「そうね」
対するアレクトも表面上は落ち着いた様子を見せている。
(どうしよ、まだ絵が描き終わってない。父さんもやって来た、明日こそ描きあげないと、どうするの?前から描いてたヤツ完成させる?でも時計台のいい絵が描けそうなのに……ああ絵が描きたい……)
ただ、彼女の心は迫る芸術祭の締切で悶々としていた。
脳内で思考を巡らせるアレクトが限界を超えて奇声を上げた。
「どうした?」
ゲールが声をかける。
「表面張力が決壊したの」
「心の?」
「ええ」
アレクトが奇声を上げるのはよくある事なのでゲールとしても特に反応はしなかった。
「……ねえゲール、私の絵……下手じゃない?」
ただ、今日はアレクトの口数が多かった。
「君は絵が上手いぞ」
「……正直に言って」
彼女の声は小さく、いつもより不安げだ。
キリキリと、手持ちの懐中時計の発条を回している。不安になるといつもやっている、アレクトのストレスのサインだった。
「……上手だと思う所にお世辞はないよ」
ゲールが言葉を選ぶ。
彼なりにどう彼女を元気付けたものかと考え、高速で歯車が回り出す。
「風景画は建物から植物まで細かく描ける、人物画はしっかりと人の特徴を抑えてる。基本は完璧に出来ているよ君の絵は」
「じゃあ、あと足りないのって……」
「「独創性、かな?」」
二人の言葉が重なる。
ただ、この会話は彼女が画家を目指して何度も繰り返され、結果辿り着く同じ結論だった。
「そんなの即興で補えたら苦労してないわー!」
虚空にアレクトの声が響く、遠くの方でカンテラを持つ人影がビクッとした。
「うむ、精進だぞアレクト」
アレクトに返しながら、離れた同業者に対しゲールが何もないですよと手を振り伝えた。
「ハァ……ハァ…………ん?」
喉を枯らしたアレクトが水筒に口を付けていると、大きめの光がこちらに近づいて来るのが見えた。
「ゲール、見える?」
アレクトは警戒しながらカンテラを構える。
「ああ、大きいな。それも人型か」
少しずつ、ぼんやり光る大きな霊魂が近づいて来た。
「最近、どっかで死んだんでしょうね」
アレクトが門に据えられた鈴を鳴らす。仲間に危険を伝える呼び鈴だ。
大きな死霊、特に人型の物には注意しないといけない。
陽の気に集まる彼らは人に触れたがる。大きく冷たい彼らに触られると、生きている者は耐えられない。身体が中から冷たくなり、耐えられず死んでしまう。
生者の身体に死霊が入ると、それはそれは恐ろしい化け物になる。
「さーてカンテラくん、お仕事の時間だよ」
アレクトがカンテラを叩いた。
すると中から真っ白な槍が飛び出し、死霊の身体に突き刺さる。
生きる者が死霊達に対抗する手段、魔法だ。
「アレクト、来たよ!」
「2体だな?コイツをお見舞いしてやるぜ!」
他のバイトメンバーが死霊目掛けて魔法を放つ。
金色の炎に鈍色の礫、魔法の力に優劣は無いが、その姿は様々だ。
三人から魔法を受けた二体の死霊は、形を保てず地面に沈む。そのうち小さな死霊になって、再び街にやって来るのだろう。
「ふー、大した事ねぇな。あと四時間、気張って──」
バイト仲間が喋る最中。カランカランと、新たな鈴の音が響いた。
「続いて来た、みたいね。私行ってくるわ」
動こうとしたアレクトがゲールを目で追った。
「……ゲール?」
アレクトが、辺りを見回した。
「ゲール?どこ──ひっ!」
油断していた。
遠くでなった呼び鈴を聴き、ここには居ないと踏んでいたアレクトに死霊が襲いかかって来る。
残像を残す青白い残光を見て、アレクトが目を瞑った。
だが、彼女の体を冷たさが刺すことはなかった。
「…………あ、ゲール」
ゲールが死霊とアレクトの間に立ち、機械仕掛けの腕で死霊の頭をがっちり抑えていた。
「アレクト、散らしてくれ」
ゲールの身体は機械仕掛け、彼の身体は死霊によって冷やされることも、取り憑かれることもない。
「わかった、ありがと」
アレクトのカンテラから、湾曲した白い槍が飛び出して死霊の身体を散らす。
夜の一仕事はまだ始まったばかりだ。