アレクト・マイヤー
「無理!」
数時間後、アレクトは頭を抱えていた。
キャンバスには鉛筆で雑に描かれた下書き、現在地はライカンズデルの時計台を臨む広場。中心には色鮮やかな花壇のある街の人々の憩いの場である。
「全然ダメ、才能ない、こんなの持っていっても鼻で笑われるだけ、今日はもう帰る」
アレクト・マイヤーは画家である。
誰が何と言おうと画家であると彼女は自認している。
「アレクト……今日もか?」
ただ、彼女はこれと言った作品を世に出していなかった。
「うがぁぁぁぁ」
ゲールは声を抑えて慟哭するアレクトの隣に座っている。
「……こんなのただ風景描いてるだけだわ」
「一週間前はここが気に入ったと言っていたじゃないか?それにまあ……よく描けているぞ」
若干陰った空模様、ライカンズデルの煉瓦造りの建物、街の中心の時計台、とアレクトの絵は彼女が見たであろう風景を正確に描写していた。
「……本当のこと言って」
「単に描いただけ、と言った雰囲気の絵、面白味は無い」
「……ふん」
「良い所を挙げるのなら時計台だな、こんなに離れているのに数字に針の形までよく描けている。色合いも見事だ」
「…………そう」
アレクトは物憂げに自分の描いた絵を見つめている。
「………………はー」
しばらくそうした後画材を片付け始めた。
「帰るのか?」
「まだ」
不服そうにアレクトは答える。
「場所変えるの」
「今更!?」
ゲールが驚愕の声を上げる、感情と共に彼の身体を回す歯車が回転速度を上げる。
「そうよ」
「もう時間がないぞ?」
「だから急ぐの。これ持って、傷付けないでよ」
アレクトはまだ乾き切っていない絵をゲールに渡した。まだ色の塗られていない部分も多い未完成の絵を。
「一応聞くが、今回の展覧会諦める予定は?」
「絶対にない」
そのまま画材を持ち、アレクトは歩いて行く。
「だろうなぁ」
絵を大事に持ったゲールは軽やかな音を立ててアレクトについて行った。
十数分後、二人はライカンズデルの時計台前まで来ていた。
「ふぅん、ここか」
納得した様子でゲールが時計台を見上げる。
「私の言葉を聞いてくれてたんだな?」
「……近過ぎるわね、もうちょっと違う場所行くわよ」
ゲールを無視する彼女の頬は少しふくれている。
アレクトが時計台を下から眺めていると、時計の針が進み正午を伝える鐘の音が街に響き出した。
「おお、さすがここまで近いとよく響く。歯車もよく震えるよ」
「そうね」
ただ、鐘の音を聴いたアレクトは不思議そうな顔をした。
「おかしいわね、まだ昼には早いわ」
彼女は自前の懐中時計を懐から取り出し、時刻を確認する。
「六分も早いわ、どうしてこんなになるまで放置してるのかしらね」
そのままアレクト達は時計台の中へ入って行った。
ライカンズデルの時計台は街の中心部、周辺には劇場があり、美術館があり、一週間後の芸術展もここで行われる。
「こんにちはー、エリオ爺さん居ます?」
そして時計台の真下の部分、建物の土台となる区画にアレクトとゲールはやって来ていた。
「お?アレクトじゃないか!親方ー!アレクトが来たぞー!」
アレクトが声をかけた瞬間、中に居る若手の職人達が喜びの声をあげた。
「スティーブ、親方は役所の方だよ。朝言ってただろ」
「ああー、そうでしたね兄さん」
スティーブと呼ばれた職人は恥ずかしげに頭を掻いている。
「なによ、エリオ爺居ないのね。だったらあの時計の有様も納得だわ」
自分より遥かに身長の高い職人を前にしてアレクトは高飛車に言い放つ。
「あーあ、言われちまったなー」
「どんくらい進んでた?」
「六分、早く直さないどんどん進むわよ」
にやりと笑いながらアレクトは続ける。
「どうなのー?直せるのー?爺さんったら芸術展に間に合わないーって役所に泣きつきに行ったんでしょー?なんなら私がやってあげてもいいのよー?」
自身たっぷりにアレクトが喋る。
「お、おう。そいつは心強い」
「でもねー、タダでやってあげるって訳に──ぐほぉ!」
何かを要求し出す前にゲールが手に持ったキャンバスでアレクトを床に土下座させた。
「残念だろうが食べ放題期間の延長は無しだ」
今度はゲールがきっぱりとした口調で言い放つ。
「ごご……ゲー……おま……え」
「ゲールさん……良いんですよ?こっちは直してもらえるんならそれで……」
「いや良いんだ。甘やかし過ぎるのは良くないからね、今までのお礼です。と彼女なら言っているよ」