締切はかくの如く安眠を妨げる
金属音が一つ鳴った。
続けて一つ。さらに続けてもう一つ。
小さな部屋の中に幾重もの音が響いていく。
古めかしいが暖かみのある木造の部屋で金属を叩く目覚まし時計の騒音が響く。
「……んー」
ベットの中から一人の少女が顔を覗かせた。
濃い赤髪が伸び放題になっている少女は、布団から顔を出したと思えば再び布団の中に引っ込んだ。
部屋に大量に置かれた目覚まし時計の音から隠れるように。
「アレクト、起きろ。近所迷惑だぞ」
部屋の外から老人の声が聞こえた。
「…………スー」
アレクトと呼ばれた少女からの反応はない。
布団で五感を防ぎ、夢の世界へ逃避している。
「入るぞ」
ノックも無しに老人が入って来る。
室内だというのに黒いコートと手袋を付けて、仮面と帽子で顔を隠した奇妙な風体の老人だ。
ドアを開けるとけたたましい金属音の重奏が老人を迎える。
「アレクトォ!起きろ!あと一週間だぞ!」
布団を剥ぎ取ると半裸の少女が現れた。
「……うがぁぁ……起こすなゲール……」
気にした風もなく少女は枕に顔を埋める。
「後一週間だぞ?」
目覚まし時計を止めつつゲールと呼ばれた奇妙な老人は同じ言葉を繰り返す。
ゲールの言葉にアレクトは身体を震わせた。
そしてベットから降り、不服そうな顔をしながら寝室の外へ出た。
アレクトは焼いたパンとサラダの朝食を摂り、ゲールは湯気の立つ珈琲の入ったカップを手に持っている。
「……それもう良い?」
「ああ、どうぞ」
勢いよく朝食を食べきったアレクトがゲールから珈琲を受け取る。湯気の立つそれに牛乳と砂糖を大量投入する。
「おいしい、眠い」
「何の為のカフェインだ。さっきも言ったが後一週間だぞ、絵は出来てるのか?」
「うーー……」
アレクトは頭を抱え机に突っ伏す。
ゲールが繰り返して言うのは2人の住む街、ライカンズデルで年に一度行われる芸術展、そこにアレクトが出展する絵画の事である。
「インスピレーションが来ない……ゲール……天啓をちょうだい……」
「よしきた」
軽く請け合い、ゲールは突然手足を広げてポーズを取り始めた。
「…………何の真似よ」
はっきり言って滑稽な格好をするゲールにアレクトが呆れ顔で尋ねる。
「『我が子を喰らうサトゥルヌス』のポーズだ」
「ふざけてるの?」
机を指でトントンと叩き、苛立ち気味にアレクトが言った。
「いえいえいえいえアレークトォ、私は己の重々しき『全身』を使い我が祖界にある芸術の大家の絵画を忠実に『再現』し君のインスピレーションを呼び覚まし残念な芸術の才を昇華させてあげる、そんな努力をしているのだよアレークト」
「……黙ってないと溶鉱炉に放り込むわよゲール」
アレクトは起き抜けの状態からやっと身支度を始めた。
いつもの上着、いつもの半ズボン、お気に入りの懐中時計、と普段通りの格好を整えていく。
赤いガラスが嵌め込まれ、見事な彫金が施された銀の懐中時計は彼女お気に入りの一品だ。
「こわいこわい、ところで父上からお手紙だ」
ゲールの懐から赤い蝋で綴じられた封筒が出てくる。
「置いといて」
アレクトが部屋の隅を指差す。
そこには堆く積まれた手紙の塔があった。
「良い加減読んであげれば良いというのに」
手紙はどれも未開封のままである。
「ゲール、キャンバス持って」
ペレー帽をかぶり、画材を持ったアレクトは家の外へ向かう。
「今日は風景画?人物画?それとも自画像?」
キリキリと歯車のような音を立てて、ゲールがキャンバスの束を背負う。
「……思いついたら」
「私の絵は描いてくれないのかい?」
「アンタの絵は絶対描かない」
朝日差す玄関から、小さな影と大きな影が外へ出ていった。




