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悩む暇があれば絵を描きたい、けど針一本描けない:3

 アレクトの手は非常に手慣れた様子で時計台を描いて行く。

 この一年彼女の描くライカンズデルも風景画には必ず時計台が映っていた。ある意味この絵は、この一年の彼女の集大成なのだろう。

「その画家の名は画狂老人卍」

「…………え?は?」

「名の通り絵を描く以外の事をしない、生涯を絵描きに捧げたような人物だ」


「ゲール、今の名前……」

「家が汚れる度に引っ越して、生涯で93度も家を越した。ロックな生き方だな、少々憧れるよ」

「ねぇ、もう一回名前言って、ねえ」


 無視してゲールの方もアレクトの荷物から取り出した紙と絵筆を持ち、濃い筆跡で何かを描き始める。

「彼の破天荒なエピソードは色々ある、とにかく絵を描く事以外には頓着しない人物で、絵の代金が入った袋を検める事もせず家賃の催促があればそのまま投げてよこしたと。会話する暇すら惜しんで絵に熱中していたそうだ」

 アレクトは沈黙した。


「そんな彼の晩年の言葉は『あと5年あれば本物になれるのに』だそうだ。当時ですら国一番の画家だったというのに……真に求道者だった、という訳だ」

 大きく取った紙を床に置き、水でふやかした黒の絵の具を使いゲールは文字を書いた。


「こう書くんだ、私の世界の文字だよ」

 白い紙に描かれた濃い筆跡を見て、アレクトは感嘆の声を上げた。

「……格好いい」

「うむ、我ながら達筆だ」

 ここで、それまで動き続けていたアレクトの手が止まる。


「ゲールの絵、久しぶりに見た」

「ん?これは絵ではないんだが」

「異世界の字でしょ、でも人を感動させられる象形は絵も同然よ」

 画狂老人卍、と描かれた紙をアレクトはゆっくり眺める。

「良い形だわ、力強さがあって、絵に一生懸命に生きた人の名前って言われて納得できる」

 少し卍に思いを馳せたのだろうか。しばらく眺めた後、自分の絵に戻った。


 アレクトが絵を好きになったきっかけは、ゲールの話す異世界の話。そして彼が記憶を頼りに描いた芸術の大家の絵、その影響が大きかった。

 もっとも、彼女がゲールに打ち明けることは無いだろうが。




「アレクト、そろそろ夕暮れだ」

 ゲールが言うや否や、ライカンズデルの時計台が夕刻を告げる。

 ゲールは熱中したように絵を描くアレクトの肩をそっと叩いた。

「………………ん」

 アレクトの手が止まる。ほとんど半日だが彼女は絵を描ききっていた。

「…………ゲール、どう思う?」

「見事だ、写真のようだ」

「シャシン?」

「まるで現実を切り取ったかのように映っている」

 その言葉で納得したようにアレクトは頷いた。

「じゃあ、しばらく乾かして……」

 アレクトはキャンバスの裏に座らせていた自動人形(オートマタ)を抱き抱えた。

「……会いに行くことにしましょうか」

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