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7 目標を定めよ


 カーテンの隙間から差し込む朝日が眩しい。気怠さを覚えながら、ゆっくりと体を起こす。もう朝が来たみたい。


(懐かしい夢を見ていた気がするわ……)


 どんな夢だったかまでは覚えていない。ただ胸の奥に切なさが残っている。

 息を吸い込んで、自分がちゃんと生きているのだと実感する。手も動く。足だって動く。息も吸えるし、声だって出せる。

 だって私は、トワイリリィとして新たに生まれ変わったのだから。

 かつて出来なかった恋を、今度こそこの手に掴んでみせるのだ。


「よし! 使うべきは、権力!」


 兄の教えを口に出す。確かに私は王女。気に入った相手に「私に恋をなさい」と命じれば、私と恋愛をしてもらえるかもしれない。


(でも求めているのは、そういうことではない気がするのよっ)


 そもそも、相手を気にいるってどんな感じなの? 恋って何? 私がパン職人に抱いた感情は恋だったのよね?

 チーベットスナギッツーネ化した兄の反応を思い返すと不安になってきた。もしかして、私はあの時はただお腹が空いていて、食欲に惑わされただけな気もしてきた。今となっては、あの時感じた手応えに自信がなくなってくる。

 恋をしたことがないから、正解がわからない。

 恋とは……なんなの?

 悶々と悩みながら侍女を呼んだ。着替えを手伝ってもらいながら、ふと思いついて侍女に目を向ける。


「エルザ。あなた、婚約者がいらしたでしょう?」


 わからないなら聞けばいいのよ。

 成人してすぐに私に仕えてくれている侍女である子爵令嬢のエルザは、私より3歳年上。既に幼馴染と婚約も交わしていて、私が成人を迎えたら職を辞して結婚すると聞いていた。

 婚約者とは仲睦まじいというから、立派なお手本になるのでは!?

  

「婚約者の方のどんなところを好きになったの?」


 いきなり話を振られたエルザは驚いて空色の瞳を瞬かせた。

 ハッ。侍女の私的な部分に突っ込み過ぎてしまったかしら!?


「言いたくないなら話さなくてもいいのよ。ただ……恋をする参考に、させていただきたくて」


 今まで鬱々と過ごしてきたから、こんな突っ込んだ会話をしたことがなかったと気づく。よく考えたら、前世でも色恋話なんてしたことがなかった。

 というか、前世に至っては男性と艶っぽい会話をしたことすらなかった。なんてことなの。

 もっぱら、どこそこに魔族が出たとか、襲撃された被害状況だとか、そんな殺伐とした会話しかした記憶がない。

 世間一般の男女はどんな会話をするというの!?

 エルザは困惑した表情を見せたが、肩を震わせて栗色の髪を揺らした。感極まったのか、ちょっと涙ぐむ。


「殿下がそのような前向きなお気持ちになられるなんて……っ。なんでもお聞きください。私に答えられることでしたら、喜んでお答えします!」

「無理のない範囲でいいのよっ?」


 泣かせてしまったわ……!

 今までの私は度々寝込んだり、落ち込んだり、時に死にかけたりしていたものねっ。さぞかし心配させていたのでしょう。

 焦る私の髪を丁寧に梳かしながら、気を取り直したエルザが口を開く。


「私と婚約者は幼馴染で、小さい頃から交流がありました。幼い頃はただ一緒に遊んでいただけなのですが、成長するにつれて、逞しくなっていく彼に惹かれていきました」


(最初は体目当てだった、ということなのね!?)


 こんなに赤裸々に教えてくれるなんて、なんて優しい子なの。

 世間の御令嬢も意外に見ているところは見ているということなのね。内心、驚いてしまったわ。勉強になります。


「あるとき彼が女性に言い寄られている姿を見て、恥ずかしながら、取られたくないって思ってしまったのが恋の始まりだと思います」


 それはわかるわ!

 自分の獲物を目の前で掻っ攫われたら、それが貴重だったと気づかされるものよね。

 私も前世で食べようとしていた干し肉を鷹型魔族に奪われた時は、怒りのあまりお返しに焼き鳥にしてやったわ。あの時は周りに引かれたけど、これは普通の感性だったのね。よかった。

 うんうん。と力強く頷いていると、エルザが嬉しそうに微笑む。


「それでもなかなか好きだとは言えなくて……そんな時に成人を迎えることになって。彼が、私のデビュタントでエスコートしたいと申し出てくれたのです!」


 思い出しているのか、エルザは頬を赤らめる。

 可愛い。とても可愛い。見ているこちらが思わず微笑んでしまったくらい。


「それはとても素敵ね」


 言い出せなかったと本人は言っているけれど、きっとこの調子で彼の前でも好きなことは滲み出ていたのではないかしら。

 そんな可愛い姿を見せられたら、どんな男もイチコロだわ。イチコロっていうのは、一撃でコロリの略よ。私も魔族相手ならイチコロは得意だったわ。まあ、私の場合は即死させたって意味だけれど。


「殿下にも、きっと素敵な恋が訪れますわ!」


 エルザが目をキラキラと輝かせながら両手を組んで私を見つめる。


「ありがとう。とても勉強になったわ」


 恋するエルザの姿は可愛い。やはり恋って素敵ね。私にこんな可愛い姿が出来るのか不安になってくる。

 いえ、出来ないのではなくやるのよ。

 せっかくエルザが詳しく教えてくれたのだから。ひとまず実践していくべきよ。


(まずは、体目当てでいけばいいのよ!)


 いままであまり考えたことはなかったけれど、可憐なエルザですら最初は体目当てだったというのだ。参考にすべきでしょう。

 即ち、私が狙う相手は、体の出来上がっている男性ということね!?

 それならば、城の中に最適な場所があるではないの。騎士の訓練場を見に行きましょう。素敵な出会いが私を待っているかもしれないわ!

 思い立ったが吉日というものよ。身支度も整ったのでさっそく立ち上がり、颯爽と部屋から出る。


「クルト。今から少し出かけるわ」


 既に扉を出てすぐの場所で護衛に徹していた、近衛騎士クルト・フィスターに声を掛ける。

 クルトはグレーの瞳で私を見下ろして、少しだけ驚きを滲ませた。


「本日はどちらに?」


 普段引きこもっている私が早朝から出掛けたがったら、疑問に思われるのは当然と言える。


「少々、騎士の訓練場まで」

「トワイリリィ殿下が、そのような場所にどういった御用でしょう?」


 さらりと癖のない黒髪を揺らし、心底不思議そうに問いかけられた。ギクリ、と胸が竦む。

 まさか、ちょっと騎士の体を物色しに……とは言えない。


(そういえば、クルトも鍛えているのよね?)


 私が小柄なせいもあるけれど、クルトは見上げるほどに背が高い。そんなに筋肉質には見えなくとも、王女の専属護衛騎士の任を賜るくらいだから腕は確かなのだろう。詳しくは知らないけれど。

 今更だけど、まじまじと緑の瞳でクルトを見つめる。

 今まで単なる護衛騎士としか見ていなかったから考えたこともなかったけれど、よくよく見ればクルトの顔はとても整っている。家柄も侯爵家だったはず。


(クルトが恋愛候補になってくれたら……いえ、駄目ね。今まで散々鬱屈した姿とか死にかけた姿とか見せてきているのだから、クルトが私を好きになるはずがなかったわ)


 向こうからお断りされる事例もあるのだ。残念な結果になるとわかっていて踏み込むのは辛い。


「トワイリリィ殿下?」


 見つめ過ぎたせいか、再度名前を呼びかけられて我に返った。

 そうだった。訓練場に行く理由を言わなければ。何か適当な言い訳を!


「行ってみたいからよ」


 何も思いつかなくて、簡潔に堂々と答えた。

 やましいことがあっても堂々としていれば、案外通ってしまうものなのだ! 元女王が言うのだから間違いはなくってよ!

 背筋を伸ばしてクルトを見上げると、ちょっとだけ彼の唇が綻んだ。


「失礼しました。そういうことでしたら承りました。お手をどうぞ」


 腰を眺め、手を差し出される。その手に手を乗せてクルトを見上げた。グレーの瞳と目が合うと、愛しむような眼差しをされる。

 その瞬間、ふと既視感を覚えた。

 これと同じ瞳を、どこかで見たことがあるような……


「私、以前どこかであなたと会ったことがあるかしら?」


 気づいた時には、頭に浮かんだ疑問がぽろりと唇から零れ落ちていた。

 するとクルトが珍しく愕然とした表情になる。


「毎日お会いしております」

「そうではなくて……いえ、そうね。ごめんなさい、まだ寝ぼけていたみたい。忘れてちょうだい」


 当たり前のことを言われてしまった。

 私が11歳の頃から5年間も仕えてくれているのだ。これまでにも似た状況になったことは何度かあるはず。


 だから微かに記憶に残る夢の中の誰かと重なった気がしたのは、きっと気のせい。



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