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6 夢


 夢を見た。

 今は遠く、もう手の届かない過去の夢。



 夜の闇に包まれた深い森の中、焚き火からパチパチと火の粉の爆ぜる音がする。

 少し距離を空けた場所に座っていても聞こえてくるのは、それだけ周りも静かだからだ。あまり大きな音を出したりして、魔族に気づかれないように。最新の注意を払っての小休止。

 安心できない状況に、心と体が疲弊し切っている。だけど連戦で体力が限界を覚えているだろう騎士も、魔力が枯渇しかけている魔法使いも、誰も弱音は吐かない。残り少ない味のない保存食を分け合って、明日へと命を繋ぐ。

 この硬くて歯が立たないパンすら、貴重なものだ。あとどれほど食べられるかもわからないほどに。

 それでも、硬いものは硬い。

 不味くても我慢は出来るけれど、まず歯が立たないのはいただけない。これまでにもどれほど苦戦を強いられたことか。唾液で柔らかくするにも、乾いた口では限界がある。


(私の歯はダイヤモンドではないのよ!?)


 しかし誰も弱音を吐かないのに、この程度で女王たる私が嘆くわけにはいかない。

 パンをじっと見据える。

 この際、魔法で……。繊細な力制御が苦手なので、一瞬で消し炭にしそう。もしくは、粉々の粉末状にしてしまいかねない。ちなみに先日は半分炭にした。食べたけれど。

 そう考えると、いっそ粉にして流し込んだ方がまだ食べられるのではなくて!?


「陛下。こちらをどうぞ」


 その時、近づいてきた背の高い魔法騎士が木の器を差し出してきた。

 反射的に受け取ると、器は仄かに温かい。中を覗いてみると液体が入っている。


「スープとも呼べないものですが、浸せば食べやすいかと」

「これは卿の貴重な水を使用されているのではありませんか」


 受け取ってしまったたものの、驚いて困惑する。

 この森では一部の魔族の吐く毒素のせいで、水を手に入れるのも苦労する。こんな風に消費していたらすぐに足らなくなる。

 女王であっても条件は同じだ。甘えてはいられない。


「いま栄養不足で陛下に倒れられる方が困りますから」


 それを言うなら、あなた達にも同じことが言えるでしょう。

 返そうとしたが、魔法騎士は苦笑して受け取らない。私の座る場所より人一人分を空けて腰を下ろす。

 そして同じように硬いパンに歯を立てた。バリバリ、ゴリゴリ、とパンらしからぬ咀嚼音が聞こえてきた。

 岩を齧っているのかしら!?

 その音に慄いて、スープは有り難く受け取ることにした。


「ありがとう」


 そっと呟けば、魔法騎士は目を三日月型に細めて笑った。

 その時なぜかほんの少し、胸の辺りが熱くなった気がした。


(きっと器があたたかいからだわ)


 まだ温かいスープにパンを浸す。ふやかされたことで少しだけ食べやすくなった。ほんのりと塩気を感じるから、水の中に貴重な塩も溶かしてくれているらしい。

 これですら贅沢だ。これを用意するために彼一人で動いたわけではないだろう。誰もあえて恩をきせないだけで。私だけがこれを飲んでいることを黙認されていると感じる。


(私が女王だから……)


 勿論、相応の働きはしてきた。

 先日も先頭に立って片っ端から魔族を薙ぎ払い、道を切り開いたのは私。森の一角を火の海にしてしまったけれど……。

 おかげで騎士達には「俺たちまで焼き豚にする気ですか!?」と叱られたけれど。

 あなた達、豚というにはちょっと筋肉質すぎるわ。豚に謝ってちょうだい。あの子達はもっとジューシーよ!

 思い返しているうちに食べ終わっていた。久しぶりにまともに胃に収まったことに感動してしまう。

 器が空になると魔法騎士が回収してくれて、なけなしの荷物がある場所に返しに行く。そしてまたも私の前まで戻ってきた。


(まだ何か用があったのかしら)


 不思議に思って見上げていたら、彼は唐突に自分が羽織っていたマントを外した。何をするのかと見ていると、腰を落として私を包むようにマントを掛けてくれる。

 驚いて大きく目を瞠った。


「いけません! こんなことをしたら卿が風邪を引くでしょうっ」


 声を潜めつつもマントを貸してくれた魔法騎士を諌める。

 連戦に続く連戦で、既に最初に持ってきていた野営用の毛布などは途中で捨てざるをえなかった。そのため今は各々が身につけている服だけしかないのに。


「数時間ほどなら問題ありません。少しおやすみください。陛下がお目覚めになるまで、俺たちが見張っていますから」


 目の前に膝をつき、グレーの優しい目が私を見つめる。


「私ばかりが甘えているわけにはいきません」


 与えられる優しさと慈しむ眼差しに、やけに息苦しさを覚えた。休まねばならないほど疲れて見えてしまっていることが、情けないからだろうか。

 それでも全身を包むマントは程よい厚みを感じて心地いい。


(私が彼らを守らねばならないのに)


 すると魔法騎士は少し困ったように眉尻を下げた。


「ですが陛下は、女の子ですから。たまには俺たちにも格好をつけさせてください」

「は……?」


 女の子ですから!?

 言われた言葉が一瞬理解できなくて、口から間抜けな声が漏れた。

 唖然としたまま、まじまじと赤い瞳で魔法騎士を見つめる。


(私が、女の子だから)


 たとえば私が「女王だから」と言われていたら。あなたは偉い人なのだから休むべきだと言われたら、突っぱねたと思う。

 上に立つ立場だからこそ、私はいざという時にあなた達を先導しなければならないのだからと。


(でも、女の子だから、なんて言われたら)


 侮られているとは思わなかった。私を見る魔法騎士の目に哀れみはない。

 ただ本当に、私を女の子として見てくれていると感じられて。

 まるで普通の女の子として扱われたことに、喉元から頭のてっぺんまで熱が一気に回った気がした。指先まで熱くなったと思えてくる。夜の森はこんなにも寒いのに。


「……それでは、お言葉に甘えて」

「はい。お休みください、親愛なる女王陛下」

 

 微笑む相手の顔を見て、胸の奥が妙にざわついた。それを押し殺して目を閉じる。

 私の身を包む大きなマントに、守られていると錯覚しそうな夜だった。




 ──その数日後、魔族との激しい衝突があった。

 既に魔王の足元にまで迫っていたからだろう。お互いに譲れないところまで来ていた。そんな激戦の中、陽動作戦を立てることになった。

 表側で撹乱と戦闘を請け負う班と、その隙に魔王の元まで駆け抜けて魔王を打ちとる私とで。

 誰も連れて行けなかった。誰を連れて行ってもきっと足手纏いになったし、表側の戦闘はたった一人すら欠けさせられない状況だった。


 そしてきっとそれすら、誰一人残らないだろうことは目に見えていた。


 皆、ここで死んでいくのだ。

 命を賭して、魔王以外は足止めするという気概が伝わってきた。だから。


(ここで別れたら、きっと二度と会えない)


 そうとわかっていても、私はそれを選んだ。

 私に最後の希望を託して、振り向かずに駆け抜けろと告げる彼らに応えて。


「どうか、未来を勝ち取ってください。我らの最愛なる女王陛下」


 あの日の魔法騎士は力強く笑って、私の背を押した。


「さあ、行って」


 鼓膜を震わせた最期の言葉は、とても優しい声だった。


(……私は、女王)


 だから誰かを犠牲にしてでも、守り、繋いでいかなければならないものがあった。

 背を押される手が離れた瞬間、振り返ることを自分に許さなかった。ただ地面を蹴って、がむしゃらに駆け抜ける。

 戻りたくなる衝動を押し殺して。

 叫び出したい激情には、奥歯を食いしばって。

 だけど熱くなった目頭だけは堪えきれずに、溢れた雫が渇いた頬を濡らした。

 悲しいのか。悔しいのか。苦しいのか。その全部だったのか。

 胸の奥、微かに残るしこりには必死に気づかないふりをして。



 私は、恋をするわけにはいかなかった。

 特別な誰かを作るわけにはいかなかった。

 だって私は女王。いざという時は誰を犠牲にしてでも、走り続けねばならない身だったから。

 だから私は誰かに心奪われるわけにはいかなかった。大事な誰かを作ることを自分に許さなかった。

 感情に蓋をした。気づかないふりをした。寄せられる好意にも、愚鈍であれと自分に強いた。

 だってこんな時に、大切だと思ってしまった誰かの手を離したら。

 もしも、失ってしまったら。


(二度と立ち上がれなくなると思ったから)


 それでも、きっと。


(……私は、あなた達を愛していたわ)


 恋には、できなかったけれど。

 私と一緒に戦ってくれたあなた達を。誰よりも、何よりも。心から。



 これはもう取り戻せない世界の話。今となっては手の届かない遠い過去。

 そんな頃の、夢を見た。




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