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幕間 それは誰も知らない祈り

※兄 エアハルト視点


 公務を終えて、すっかりと日の落ち切った時刻。既に城内では夜勤以外の者は本日の業務は終了しており、静けさに包まれている。

 ようやく一息つける時間になったところで、自室の扉がノックされた。


「クルト・フィスターです。お呼びと伺ってまいりました、エアハルト殿下」


 名乗られた名前を聞いて、「入りなさい」と許可を出す。


「急に呼び出してすまないな。フィスター」

「いえ。どういったご用件でしたでしょうか」


 ソファーに座ったまま迎え入れ、向かいのソファーを手で促したが固辞される。彼はソファーの脇に立ったまま、呼び出した理由を問うた。

 クルト・フィスターは妹トワイリリィの専属近衛騎士である。本来ならば職務を終えている時間に呼び出したのは、他でもない。


「卿から見て、トワイリリィの調子はどうだ?」


 数日前から、いきなり何かが吹っ切れたかのように活き活きしだした妹の名を口にする。


 我が国の唯一の王女である、トワイリリィ。

 早産で生まれ、生まれつき虚弱体質だ。何人もの医師に診てもらったが不調の原因はわからず、成人まで生きられないのではと危ぶまれているほどにか弱い。

 それでも先日16歳を迎えられて、私を含めて周りはどれだけ喜んだことか。

 しかし肝心のリリィが、物心ついてからは自分を産んだせいで母を死なせてしまったと、責任を感じるようになってしまった。更にはこんなに弱くては役に立てないと塞ぎ込んだ。


 結果、城の奥深くに閉じこもって鬱屈した生活を送っていた。


 これまでもなんとか元気つけようとしてきたが、甘やかせば「自分は何も返せない身なのに」と落ち込む。

 そっと見守るだけでいれば、「自分などいなくてもいい存在なのだ」と凹む。

 仕方なくやけになってからかってみたら、キラキラとエメラルドグリーンの瞳を輝かせて怒った。

 これが一番マシな反応だと思い、会う度に意地悪な兄として接してきたが……それでも妹の悲観的なところは変わらなかった。

 それが先日。久しぶりに高熱が続いて命も危ぶまれた状態の後、幸いにも回復してから、トワイリリィがおかしくなった。


(というより、昔に戻ったと言うべきか)


 幼い頃のトワイリリィは、か弱いながらも明るい娘だった。

 私の姿を見ると、いつも『おにいさま』と嬉しそうな顔をした。私の後を必死についてこようとしていたことを思い出す。小さい頃は体の調子が良いと、よく自分を早朝から遠慮なく叩き起こしにきた。

 トワイリリィを産んだことで母は亡くなってしまったが、恨む気持ちはなかった。自分も母も、トワイリリィが生まれることを何よりも心待ちにしていたのだから。


『ハルトはお兄様になるのよ。素敵なお兄様になって、守ってあげてね』


 そう母とも約束していた。

 だから優しい母との思い出を一切持てずに母を亡くした妹を憐れんだ。母がいない分、愛してあげようと父と自分は誓ったのだ。

 母譲りの艶やかな銀の髪に、新緑を映し取ったかのごとき大きな瞳。拗ねると小さな唇を尖らせ、笑えば花が咲きこぼれるように愛らしい、小さな妹。

 多少の奇行も、調子が良い証拠だとは思っている。

 しかし。


(恋がしたいとはな)


 妹も年頃になったということなのだろうか。

 実際もう16歳だ。貴族令嬢ならば、婚約者がいる者も珍しくない。

 だが。


(焼きたてパンごときで男に絆されるとは……)


 頭が痛い。

 古今東西、餌付けは有効だと聞くが、あまりにもちょろすぎるのではなかろうか。いったいパンの何がそこまで魅力だったのか。普段から私達があの子に何も食べさせていないようではないか。


(そういえば昔も、ベリージャムクッキーを作った料理人と結婚すると言っていたな)


 それを聞いた時、父の顔からは笑顔が消えた。5歳児の思いつきに対して、なんて大人気ないのだろうと引いたものだ。


(つまりリリィは5歳児の頃から成長していないということか)


 過保護にしすぎたかもしれない。おかげで異性への耐性をつけそびれてしまった。

 5歳児の『わたくし、このクッキーをつくったひととけっこんするわ!』がトラウマになった父の過保護に磨きがかかったせいもある気がする。

 思わず重い溜息がこぼれ落ちる。

 妹の調子が良いのは喜ばしいが、なぜか心配で胃痛を覚える状況になってきた。

 だからこそ、日々トワイリリィのそば近くに使える護衛騎士ならば、同じ心境ではないかと思ったわけだが。

 フィスターを見つめる。フィスターはグレーの瞳を僅かに細め、微かに口元を綻ばせた。


「ここ数日、トワイリリィ殿下は心身ともに大変健やかであらせられます。この調子が長く続いていただけるよう祈るばかりです」

「……それだけか?」

「それ以外に、何か?」

「いきなりパン職人に恋などしたことに対して、なんとも思わないのか」


 思わず恨みがましさが滲んだかもしれない。妹より深い緑の瞳を細め、目の前に立つ男を探って見据える。


 クルト・フィスター。

 私より2歳年上の23歳となるこの近衛騎士は、フィスター侯爵家の次男である。私とは11歳の頃に引き合わせられた彼は、本来は私の側近候補であった。

 最初は私の側近くに仕えていたが、騎士を目指し、18歳の成人を迎えてすぐにトワイリリィの専属近衛騎士に立候補した。

 皇太子たる私の側近候補の座を、惜しげもなく捨てて。

 誰もが驚いたし、私も止めた。しかし彼は躊躇いもなく妹に仕えることを選んだ。

 その当時、トワイリリィは11歳。ちょっとのことで体調を崩す妹は滅多に表に出てこられず、それまでフィスターとの個人的な接点はあまりなかったにも関わらず、である。

 本来ならば年頃の未婚男性を妹の専属護衛騎士にすることなどないが、体が弱い妹にはまだ婚約者はいなかった。

 この先もどうなるかもわからない身だが、念の為に将来を考えて、支えていける人物が傍にいた方が良いのではないか。

 そんな思惑もあり、フィスターが専属護衛騎士となることは受理された。

 書面どころか口頭ですら契約を交わしたわけではないが、暗黙の了解として婚約者候補という立場として。


「てっきり卿は、トワイリリィん好いているとばかり思っていたが」


 見据えて告げれば、フィスターが感情を読ませない顔で微笑んだ。


「ええ。それはもう、心から」


 静かに笑う表情は年齢以上に落ち着いて見えた。彼を前にしていると、いつも自分が子供になった気がしてくる。不思議な男だった。

 そして今も指摘されても慌てるわけでも、焦るわけでもない。率直に肯定されてしまった。

 あまりにもその様が自然すぎて、思わず眉を顰める。


「念の為に聞くが、いつからだ?」

「一目惚れでした」


 あっさりと言われて息を呑んだ。

 フィスターがトワイリリィに初めて会ったのは、妹がまだ6歳の時だ。


「そんな頃から、幼女趣味が……!?」


 妹に近づけたのは間違いだったかもしれない。


「違います」


 愕然と呟けば、眉尻を下げて即座に否定された。


「そういうのではありません。ただ、トワイリリィ殿下が日々を健やかに幸福にお過ごしになるお姿を見守れるならば、それで良いのです」


 穏やかに微笑んで言われた言葉は、本心から告げていると感じられた。

 好いているとは思っていたが、単純に王女に支えるということ自体に騎士としての本懐を抱いているだけなのかと思えてくる。

 それにしては、瞳にはそれだけではない慈しみが滲んでいると思える。


「わからない男だな。リリィが幸せであるならば、その相手は自分でなくとも良いのだと?」

「はい」


 迷わず頷かれて眉根を寄せる。

 昼間に妹に水を向けてやったが、妹も完全にフィスターの事は眼中にないようだった。


(てっきり恋をしたいと言われた時は、フィスターの好意に気づいたのかと思ったが)


 フィスターは侯爵家の次男だから、階級的にも問題はない。爵位は彼の兄が継ぐが、父のことだから娘のために適当な爵位を彼に当てがうだろう。

 それにフィスターは癖のない黒髪の短髪にグレーの切れ長の瞳をしていて、華やかさには欠けるが、整った顔立ちをしてる。背も高く、体格も鍛えてはあるが着痩せするのか威圧感はない。一部の女性からは好意を寄せられているようだ。安易になびいたりはしないようだが。

 トワイリリィもその魅力に気づけば、簡単に恋に落ちそうだ。

 しかしそうならないということは、フィスターは今までもまったく、妹を好きなそぶりなど感じさせていないという事だ。

 ただの護衛騎士として、空気のごとく自然に妹を守っている。


(理解できないな)


 トワイリリィの心境もわからなければ、その側にいる男の気持ちがなによりも理解できない。余計に胃痛の原因が増えた気がしてきた。

 気持ちを落ち着かせるために、ゆっくり息を吐き出す。


「他の男に掻っ攫われて、後から泣き言を言ってきても聞けないからな」


 念の為に、釘は刺しておく。

 婚約者候補であっても、トワイリリィが別の人間を選べば私はそちらの味方になる。

 だが妹の相手として、いざとなれば気に食わない気持ちは湧くだろうが、フィスターならばと認めているのだ。

 フィスターは小さく笑ってから静かに一礼した。話は終わりだと判断したのか、部屋から出て行った。

 その背を見送って、余計に疲れが溜まった気がして何度目かわからない嘆息を吐き出した。


 だから、誰も知らない。

 人気のない静かな廊下で、クルト・フィスターが呟いた切実な響きの言葉を。


「……あの方が幸せになる姿を見届けられるならば、それだけでもう十分なのです」


 祈りにも似た、願う声を。


「今度こそ」



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