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5 お兄様相談室


 先触れも無しに辿り着いた兄の部屋。

 私の姿を見て、部屋の前を守っていた衛兵が困惑を見せる。だけど「お兄様に用があるのです」と言えば、誰も私を止められない。

 王女権力を振り翳してしまったわ!

 でも兄が成人する前までの幼い頃は、たまに調子が良い日にはこうして兄に突撃していた。成人されてからは遠慮していたけれど、こうするとちょっと昔に戻ったみたい。


「お兄様! 聞いてください!」


 久しぶりに兄の部屋へと踏み入った。まだベッドの住人となっている兄の元に突き進んで、遠慮なく揺さぶる。


「リリィ……毎日遊んでやれるほど、私も暇ではない……」


 揺さぶられて薄目を開けた兄が、寝起きで掠れた低い声を絞り出す。朝から叩き起こされたからか、うっすらと開かれた深い緑の瞳は心底面倒そうである。

 そんな表情すら様になるのだから悔しい。

 渋々ながらも兄は気怠げに半身を起こした。改めて私の顔を見るなり、端正な顔を顰める。


「どうした。愉快な顔をして」


 口を引き結んで泣きだしたい気分を堪えている妹に向かって、大変失礼である。

 だけどからかわれるのは覚悟の上。それでもこの胸のもやもやを吐き出したかった。


「お兄様。私、失恋してしまいました……っ」

「昨日の今日で、どうしてそうなった」


 私の告白に兄が間髪入れずに突っ込みをいれてくる。指先でこめかみを押さえ、頭が痛いと言いたげだ。

 だけど眼差しは、何があった? と問いかけてくれる。


「朝早く目を覚ましたから、城を散策してみたのです。そうしたら厨房から焼きたてパンの美味しそうな香りがしてきたので、そこにいたパン職人に一つ分けてもらったのですが」


 経緯を説明する私に、兄が辛抱強く耳を傾ける。ただ私を見る目が、徐々に残念なものを見るかのようになってきている気がする。

 お兄様も焼きたてパンを前にしたら、あの誘惑に勝てないはずよ!


「それがとても美味しくて」

「よかったじゃないか」

「そう言ったら、パン職人が自分が作ったものだと言いまして」

「そうか。向こうも嬉しかったんじゃないか」

「それで、私は気づいたのです。この方と恋をしたら、いつもこんな風に焼きたてパンが食べられるのではないかと……っ」


 訴える私を見る兄の顔が、なぜか前世で使い魔にしていた魔族チーベットスナギッツーネを思い出す表情になった。目が細められて、なんとも感情の読めない顔だ。人間もこんな顔が出来るのね。

 しかし感情の昂っていた私はそのまま話を続ける。


「ですがそのパン職人は、すでにご結婚されていたのです!」


 人生初の失恋だった。

 一瞬の、燃えるどころか火がつく前に水をかけられたような恋でした!!!

 

「今の話では、パン職人にはなんの落ち度もないな」


 話を聞き終えた兄が哀れみすら滲ませて私を見る。


「だからおまえは視野が狭いと言うんだ」


 更に、心の底から呆れ切った声を投げかけてきた。

 傷心の妹に容赦がないです! 慰めてくださるとは思っていませんでしたが!

 ショックを受ける反面、しかし兄の言葉にハッと気づかされることもあった。意地悪な言い方に翻弄されてしまうが、つまり兄は「視野を広げてみなさい」と言ってくれているのだ。

 世界はもっと広いのだと。


(そういうことですのね!)


 一気に視界が開けていく感覚に包まれた。


「わかりました、お兄様。つまり私が口説き落とすべきは厨房のパン職人ではなく、王都一のパン屋だと仰るのですね!」

「違う」


 兄の着眼点は素晴らしい! と思って声に出したら、即座に却下された。

 兄の顔がチーベットスナギッツーネ化したまま戻らない。取り憑かれてしまったのかと思えてくるぐらいよ。


「では、どうすれば良いのですか」


 馬鹿にされていると感じられて、ちょっと悔しくなってきた。上目遣いに恨みがましく兄を見る。

 いつもなら「自分で考えなさい」と言われるところだけど、今回は哀れに思ったのか兄が口を開く。

 

「リリィ。パンを焼ける男を好きになるのではなく、おまえの為ならば焼きたてパンを好きなだけ用意してくれる男を選びなさい」

「!」


 な、なんですって……!

 言われた言葉が信じられない。大きく目を瞠る。

 なんて傲慢な考え方なの!? さすがはお兄様! 常人にはできない発想だわ!


「お兄様は悪女になれる素質をお持ちですね!」

「誰がそんなものを目指していると言った」


 驚きのあまり思ったことを口からポロリと溢したら、嫌そうに口を引き結ばれてしまった。

 はあ、と仕方なさそうにまたも溜息が吐かれる。不意に兄の視線が私の後ろへと向けられた。同じように視線を辿れば、その先にはそれまで部屋の扉傍に静かに控えていた私の護衛騎士が立っている。

 さすがに訓練されているだけあって動揺はしないが、いきなり視線を向けられて僅かに首を傾げた。


「クルト・フィスター。たとえばリリィが毎日焼きたてパンを食べたいと望んだら、卿はどうする?」


 兄が唐突に護衛騎士を会話に巻き込んだ。

 いきなり話を振られた護衛騎士ことクルトは軽く目を瞠った。すぐにちょっとだけ困ったみたいに眉尻を下げて微笑む。


「トワイリリィ殿下がお望みでしたら、満足いただけるほどのパンを俺が焼くのは難しいので、買いに走りましょう」

「!」


 当たり前のことだとばかりに言われて息を呑む。


(これが……王女の権力!)


 なるほど、理解したわ。

 そうだった。私は王女。この立場を使ってでも、素敵な恋を掴むと決めたのだったわ。


「今度こそ理解できました、お兄様。つまり権力をうまく使って、素敵な男性を捕まえてみせよ、ということですね?」

「…………。もういい。おまえに恋は早すぎる」

「そんな! もう私は16歳ですよ!?」


 兄は匙を投げたのか私を放置してベッドから降りた。呼び鈴を鳴らして侍従を呼ぶ。それから唇を尖らせる私を見下ろして、指先で軽く額を小突かれた。

 

「おまえの相手はここまでだ。私はこう見えて忙しい。今から着替えるが、見ていく気か?」

「お邪魔いたしました!」


 兄がやけに疲れて見えたせいか、妙な色気の滲む目に流し見られて、慌てて部屋を飛び出した。



 意地悪ばかり言う兄だけど、この日から私の朝食に焼きたてのパンが出てくるようになったのは、間違いなく兄の指図だと思うのであった。



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