2 私が救世の女王!?
あれから興奮しすぎて力尽きたために改めてベッドに戻って眠ったものの、目を覚ましても前世の記憶は失われていなかった。
(私が生きてるのは夢ではなかった!)
そのせいか、カーテンの隙間から差し込む朝日にすら感激する気持ちが湧いてくる。
(なんの危険も感じずに眠れて、普通に目が覚めるなんて素晴らしいわ!)
なんて恵まれた世界でしょう! 夜明け前の気が緩んだ時間に襲ってくる魔族どもを薙ぎ倒さなくていいなんて!
ベッドから降りてカーテンを開いた途端、目に映る穏やかな光景が眩しい。
毎日見ていた庭園なのに、なんと尊く感じられるのかしら。色鮮やかに咲く花の素晴らしさがわかる。いままで体の弱い自分に鬱々と塞ぎ込んでいたことが勿体なく感じられる。
ほら、今なら空を自由に舞う鳥の姿も優しい気持ちで見られるわ。
今日も元気に黒い鳥の集団が、城の庭の上を横切っていく。先頭を飛ぶ鳥はリーダーなのか一際大きい。他の鳥より目がひとつ多くて、足も三本……
(魔族じゃないの!?)
平和ボケしかけていたけど、魂に染みついた習性は抜けていなかったしい。
気づくと同時に、指先に集めた魔力の光を玉にして丸めて、指先で瞬時に弾いていた。
パリンッ!
突き抜けた魔力玉のせいで、窓が割れる音が部屋に響き渡った。その間に、放った魔力玉は容赦なく先頭を飛ぶ魔族を吹き飛ばした。頭を失って魔族が墜落していく様を冷めた目で見やる。
床に落ちた時には魔族は黒い煙と化して、この世界から消えていた。どうやら鳥の集団は操られていたらしく、魔族の誘導がなくなったからか散り散りに飛んでいく。
(なぜ、ほぼ滅んだはずの魔族が……?)
眉を顰めて、魔族が落ちて黒いシミが残る地面を見下ろす。
ここに生まれてから習った歴史を脳内でおさらいしたところ、どうやら前世の私が生きた時代は500年も前の話。
当時の私が魔王を滅ぼしたことで、魔族も激減したと考えられている。おかげで私は『救世の女王』と呼ばれているのだとか。
(なんて恥ずかしい!!!)
散々周りからは「魔王より魔王」「破壊神の申し子」などと恐れられていた私が!
救世の女王!?
やめて。恥ずかしいです。確かに私は血反吐を吐くほど頑張りましたが、讃えてほしかったわけではなく。むしろその後、あの惨憺たる状態から立ち上がって歩き出した民が素晴らしいのであって……!
いえ、それは讃え出したら長いので今は置いておこう。気になるのは、魔族の現状。
今やかつて魔族の地と呼ばれた場所に、僅かに生息が確認されている程度のはず。
それが、なぜそこから離れている平和なこの地に?
(待って。今はそれどころでもなかったわ……っ)
疑問が脳裏に浮かんだけれど、それより大変なことが私を待っていたのだわ。
そう、それは。
「トワイリリィ殿下! 大丈夫ですか!」
「殿下! 今の音はどうなされたのです! お怪我はございませんか!?」
扉がノックもなく激しく開かれた。そこから護衛騎士と侍女が血相を変えて飛び込んでくる。
当然である。
反射的に魔族を撃墜してしまったせいで、窓ガラスを割ってしまったのだから! そりゃあ護衛騎士も侍女も驚くでしょうよ!
「大事ありません。これは……経年劣化でしょう」
焦る気持ちを胸の内に押し殺し、平然とした顔を取り繕って堂々と嘘をついた。
護衛騎士は怪訝な顔をしたが、念の為にテラスに出て周囲を警戒する。侍女は私のすぐ傍までやって来て、全身にくまなく視線を走らせて怪我がないかを確認する。
「いきなり窓が割れるなんて、さぞかし驚かれましたでしょう。お怪我がなくてなによりです。ガラスの破片が散って危のうございますから、どうぞこちらへ」
侍女に気遣う眼差しを向けられて、優しく手を引かれる。安全な部屋へと誘導されているけれど、罪悪感がすごい。
私が、窓を割りました。
なんて、いままで体が弱くて鬱々と過ごしていた私が言ったら心配されるじゃない!?
だって世間では、思春期男子の一部は意味もなく窓ガラスを割って、盗んだ馬で走り出すと聞いたことがあるわ。私もそれと同じく乱心したと思われたら困る。
ましてや、魔族が衰退すると共に魔法使いも減って、今では希少な存在になっているというのに。いままで引きこもり生活を堪能していた私が、魔法を使えるなんてわかったら……
(はっ! そうよ。反射的に倒してしまったけれど、私、魔法が使えてたわ!?)
それに付随して、息苦しかった呼吸が少し楽になっていることに気づく。
ということは、もしかして。
(私の不調の原因、魔力過多症なのではなくて?)
この国に生まれた私、王女トワイリリィは生まれつき体がひどく弱かった。予定よりかなり早く生まれ、その時の無理が祟って母は私を産む時に亡くなられている。
なんとか生まれたものの発育が悪く、今も些細なことで寝込んでしまう。成人を迎えられないのでは、と侍医にも懸念されていた。
父も兄も、そんな私に無理をさせないようとても大切に育ててくださった。お兄様はちょっと意地悪を言われたりもするけれど、愛があるからこそだとはわかっていた。
私は愛されて、大事にされてきた。
だけどこれまでの私は、家族に報いることができない自分に悲観して、城の奥深くで下を向きながら日々を送ってきた。
愚かである。
ちゃんと両手両足が生えていて、目も二つ健在で、鼻はきくし、話すこともできたし味覚だって感じる。耳だって、みんなの声を聞き取ることができたのに。
それなのに生を受けてから16年、耳を塞いで、目を閉じて、口を噤んで、私は役に立たないといじけてきた。
それに対して、誰も無理強いはしなかった。見守ってもらっていたのだ。そんなことにも気づけないほど視野が狭くなっていた自分が今更ながらに恥ずかしい。
これからは、心を入れ替えて生きていくわ。
それに体は治らないものと思っていたけれど、魔力過多症ならば魔力を発散させればいい。そう、魔族の一軍をざっくり滅ぼせば……
(魔族は私が前世で倒してしまっていたわ!?)
なんということでしょう。しかも私、破壊の魔法しか取り柄がない。
前世では需要と供給が成り立っていたから、結果として『救世の女王』などと讃えられただけに過ぎない。
(今の私が魔法を使ったら、ただの破壊魔か大殺戮者!)
窓を叩き割って盗んだ馬で走り出すよりタチが悪いじゃないの!
いけません。これは安易に口に出してはいけないことです。私の前世が『救世の女王』だなんて、絶対に誰にも知られてはいけない。今も魔法が使えることも!
(だけどなんとかして魔力は発散させなくては……密かに犯罪者を叩きのめしていく? 私、力を加減するのは苦手なのに)
一歩間違えたら、私は殺人鬼に!
今後を思うと顔から血の気が引いていく。
「まあ、殿下! お顔が真っ青に! おかわいそうに。怖かったのですね。もうこのようなことが起こらないように徹底して点検いたします。ご安心ください」
怖いのは、私自身なのだけど……。
私を別室に連れて来てくれた侍女の優しさが辛い。
果たして私は、まともに愛に生きることはできるのでしょうか!?