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幕間 最愛なる女王陛下

※護衛騎士クルト視点



 これはきっと夢だ。


 ふと、夢の中にいることに気づくことがある。大抵は気づくと同時に目を覚ますものだが、今日は勝手が違うらしい。

 夢だと気づいても目を覚ますことなく、あまり日の差し込まない暗い森を歩き進める自分がいる。どうやら夢だと気づいても、今の自分の思う通りには動けないようだ。

 空を仰いでも生い茂った木々の葉に阻まれて日差しは僅か。体は空腹を覚えていて、無意識にため息が溢れた。顔を下に向けると、着ている服は随分と薄汚れていて、所々にほつれが見受けられる。生地は古いものに見えないのに、袖口はかなりすり減っていた。

 手には抜き身の大剣を構えていて、時々進行方向を邪魔する木々を払う。

 そんな自分の行動と深い森の匂いに、既視感を覚えた。


(ああ、これは……昔の夢だ)


 今の自分ではない、過去の出来事。

 もう戻ることの出来ない昔の自分。

 それならば、この森を歩き続けた先にいるのは。

 他より少し明るく見える場所があり、休憩する為にそちらに足を向ける。生い茂る草の合間を抜け、一歩踏み込んだ。


「!」


 踏み込んだ先には先客がいた。

 長い銀髪を後ろで一つに縛り、少年のような格好をした赤い目が印象的な少女。どうやら隠れて何かを頬張っているところだった。


 自分より5歳年下の、我らが女王陛下である。


 索敵に出ていた自分はどうやらいつの間にか魔の森に惑わされて、元いた場所付近まで戻ってきていたようだ。

 目が合うなり、彼女はバツが悪そうな顔をした。含んでいたものをゴクリと飲み込む。

 彼女の目の前には、ルビーの如き赤い小さな実が連なった木が1本生えていた。

 食べられる木だが、魔の森と呼ばれるここは魔族が多く棲息する地のため、土は有毒な魔素に侵されている。彼女が隠れて食べていた実も同じく魔素が染み込んでいて、人体には害となる。

 だが空腹に耐えかねたのか、食べてしまったようだ。魔素が体に溜まれば発狂してしまうこともある。一瞬で顔が強張った。


「吐き出してください! すぐに!」

「落ち着きなさい、卿。これぐらいの実なら、魔力のある者なら体内で解毒できます。卿は魔法騎士ですね? ならば問題ないでしょう」


 慌てる自分とは反対に、彼女は小さく息を吐き出した。爪くらいのサイズの実を幾つかもぎ取る。


「どうぞ」


 女王陛下自らに差し出される物を受け取らないわけにはいかない。顔を引き攣らせながら反射的に受け取ると、彼女は真面目な顔で頷いた。


「これであなたも共犯者です」

「巻き込まないでください」

「食べられるときに食べておくのは、戦士の鉄則ですよ」


 悪びれもせず、彼女は実を口に運ぶ。咀嚼した後、両目を固く瞑って口を窄める。

 この実は瑞々しくて美しい見た目に騙されがちだが、恐ろしく酸っぱいのだ。普段はジャムにして食べるもので、そのまま食べて美味しいものではない。


「とはいっても、魔力を持たない者には毒です。彼らの前で食べるのは酷なので、こうして隠れて食べているわけです」


 そして彼女がここで腹を満たした分、自分の食糧を他の者へと回すのだろう。

 そうとわかって、ため息が溢れた。この女王がたまに食事時にいなくなるのは、こういうことをしているからなのだろう。

 女王がこの実で我慢しているのに、自分は遠慮しますとは言い難い。仕方なく、隣に並んで渡された実を口に含んだ。

 想像以上の驚くほどの酸っぱさだった。鼻の奥にまで酸っぱさが突き抜ける。そして舌がピリピリと痺れた。本当にこの実は食べて大丈夫なのか不安になる。

 顔を顰める自分を見上げて、小柄な彼女がちょっと笑った。


「言い忘れていましたが、魔素の影響で食べると舌が痺れます」

「そういうことは先に言っていただけますか」


 苦虫を噛み潰した顔をして軽口を叩いても、彼女はいたずらっぽく肩を竦めるだけだ。

 変わった女王だった。



 彼女を初めて見たのは、彼女が13歳の初陣の時。

 その頃の自分は18歳。

 子供の頃に暮らしていた村を魔族に襲撃されて家族や友人を亡くし、たまたま他の人より強い魔力を持っていたから、魔族への復讐を胸に魔法騎士を目指した。

 魔族との衝突が絶えない中、戦士はいくら補充しても足らない状況。成人の年である15歳で魔法騎士見習いとして魔族討伐に従軍した。着実に力をつけて、正式な魔法騎士となったのが17歳の時。

 その翌年に、彼女が参戦することになった。

 最初はいくら魔力が強いとはいえ、13歳の王女など士気を高めるためのただのお飾りだと誰もが思っていた。本音は足手纏いだと感じていた。守ってやれるほどの余裕もないと苛立つ者すらいたくらいだ。


 しかし、彼女は圧倒的な力を見せつけた。


 小柄な身からは考えられないほど無尽蔵な魔力。天賦の魔法の才。

 異形の魔族を前にしても怯むことない度胸。容赦なく敵を薙ぎ払う無情さを兼ね備えながら、かといって仲間に対しては薄情ではない。功績に驕ることもなく、ひたすら魔族を殲滅することに尽力する王女。

 国に帰る頃には、彼女はお飾りではなく誰もが認める戦士だった。誰よりも功績を上げる姿に、神にもたらされた救いの女神にすら見えていたほどに。

 だから翌年、魔素に侵された王が崩御されて彼女が14歳で女王になっても、誰も文句は言わなかった。

 そして女王になってからも、彼女は戦いの場で先陣を切った。

 自分たちより幼い彼女が戦っているのに、逃げ出せる者などいるはずもない。 


 自分たちを導く彼女は、正しく女王だった。


 そんな風に近寄りがたいはずの存在は、戦場に出ればこうして誰に対しても隔たりなく接する。魔法騎士で騎士爵は授与されているとはいえ、元は孤児の平民である自分に対してもそうだ。

 俺にだけ特別なわけじゃない。誰に対しても彼女の態度は公平だ。

 だけどこうして二人きりで隠れて一緒に実を食べていると、距離感を錯覚しそうになる。

 だからだろう。こんな質問を投げかけてしまったのは。


「陛下は、戦うのは怖くないのですか? 力があるからといって自分ばかり戦うのは、理不尽だとは思わないのですか」


 この時の彼女は参戦して三年目。16歳になっていた。

 あまり成長したとは思えない身長と細い体、動きやすく少年みたいな格好をしている。とはいえ、それでも年頃を迎えた女の子なのだ。

 城の奥深くで守られて傅かれていても、なんらおかしくない立場なのに。

 グレーの瞳で見下ろすと、彼女はきょとんとした顔で俺を見上げた。赤い瞳を丸くして、何を言われたのか理解できない、と言わんばかりだ。

 さすがに身の程を弁えずに踏み込みすぎたかもしれない。焦りが芽生えて、慌てて発言を取り消そうと口を開きかける。

 しかしその前に、彼女が答えた。


「私は城の奥深くで守られて、何もわからないままただ祈るだけしかできない方が怖いです」


 真っ直ぐに俺を見つめる赤い瞳の中に、自分の姿が映り込む。


「自分の手で大切な人たちを守れる。その力があって、よかったと思っています」


 嘘のない眼差しで、真摯な言葉だった。

 これが、俺たちの女王陛下。

 ……たぶん恋に落ちたのは、この瞬間だったのかもしれない。

 息を呑む自分の前で、「それに」と彼女が目を逸らして再び実を摘みとる。


「国の難しいことを考えるのは向いてないので、ただ殴り倒して済むならその方が簡単ですし」

「はあ……」

「まだ幼いですが、国の内政を任せられそうな優秀な弟がいてよかったです」


 しみじみと言われて、思わず間抜けな声が出てしまった。王の証である血の如きルビーの指輪を見つめ、「はやくあの子に譲れるようにしたいわ」とぼそりと呟く。

 ……これが、俺たちの女王陛下。

 自分にやれることと出来ないことを理解していて、迷わず出来ることを選んで邁進してくれる人。

 自分を虚飾することなく、等身大で接してくれる。それを頼りないと言う人もいるだろうが、自分にはとても好ましく思えた。

 実を含んで口を窄める姿は、年頃の少女にしては素直すぎて。何の意識もされていないことはわかっていたけれど。

 そしてこの先も、彼女が自分を特別視するとは思えなかったけれど。

 否。きっと戦いが終わるまで、彼女は誰に対しても平等であるように思えた。彼女は、俺たちを導く女王でいなければならなかったから。

 それでもよかった。そんな生真面目な彼女を支えられるなら、なんでもやれた。


 胸に抱いた敬愛と、仄かな恋心。


 告げるつもりはなかった。困らせるだけだとわかっていたから。それは最期の瞬間まで。


(あの最期の戦いで、彼女の背を押したのは俺だ)


 すべてを切り捨てさせる残酷な別離を突きつけて、より過酷な場へと送り出した。


『さあ、行って』


 彼女に希望を託して、たった一人で。

 もちろん自分にやれるだけのことはやった。だけど、彼女について行ったところで足手纏いにしかならないとわかっていても、せめて自分一人でも傍にいられたならば、結果は違っていたかもしれないのに。

 そんなありえないことを考えて、今でも胸を締め付けられる。



 あの後。

 離れた場所からでも見えた、夜空が昼に見えるほどに明るい天に届きそうな真っ白い火柱。

 それは彼女の中の最高温度。骨すら残さずに焼き尽くす、約6500度の熱の塊。

 地面が揺れたほどの衝撃と、自分が戦っていた場所にまで届いた激しい熱風。

 それと同時に、唐突に統率を失ったかのように崩れていく魔族の陣形。魔王を打ち破ったのだと肌で感じられた。敵が弱まったその隙に、最後の力を振り絞って殲滅した。

 それでも朝日が滲み出る頃には、立っているのは自分だけだった。

 満身創痍の瀕死の体を引きずって、一縷の望みを抱いて彼女の元へ目指した。

 討たれた敵の残滓と仲間達の屍を越えて、逆に耳が痛くなるほど静かな森を抜ける。魔王の城は瓦礫すら残らないほどに焼け尽くされて、残るのは真っ白な灰のみ。

 残ったものは何もない。魔王の城も。魔王も。

 彼女すらも。

 何もかもが幻想のように白くて、その中で差し込む朝日にキラリと輝く何かが見えた。今にも崩れ落ちそうな体を叱咤して、足を引きずりながら光の元へと辿り着く。


「指輪……」


 彼女がいつも付けていた、王の証たる血の如きルビーの指輪。

 保護魔法が掛けられていたのだろうか。次代の王に渡す為に。彼女らしいと、こんなときにまで思ってしまう。

 白い灰の中から掬い上げた指輪を、うまく動かなくなった手の中に握りしめる。

 もう愛した女王はどこにもいないのだと、噛み締めて。

 喉から迸った慟哭は、風に舞い上がる灰の中に溶けていった。




   ***


 急速に意識が浮き上がる。

 はっ、と詰めていた息が急速に喉を突いて出た。気づけば全身に嫌な汗をかいている。目を開けば、そこは見慣れた騎士宿舎の自分の部屋。

 カーテンの隙間から差し込む光が、朝の訪れを告げている。


(あのときの夢、か)


 懐かしい夢を見てしまった。物心つく前から繰り返し見る前世の自分の夢。

 今日こんな夢を見てしまったのは、昨夜ケットシーの行動で起こされたせいか。

 ため息を一つ吐き出してベッドから起き上がった。いつも通り身支度を整えて、早めの朝食を済ませて今の主人の元へと向かう。

 トワイリリィ王女殿下。

 体が弱く、繊細な心の持ち主……だったはずが、近頃では生まれ変わったかのように精力的になった少女。


(実際、生まれ変わっていらっしゃるわけだが)


 ここで初めて出会った時の衝撃は忘れられない。

 顔も姿も何もかも違っても、帯びる魔力の色はそのままだった。6歳当時、たまたま通りかかったトカゲ型の魔族を無意識に容赦なく手で捕まえて消し去っていた。それは前世から染みついた本能故の行動だったのかもしれない。

 その瞬間を目撃してしまって以来、今世こそ彼女を守るのだと誓った。

 本人が覚えていないなら、それはそれでよかった。

 あんな苦しい戦いを記憶している必要なんてない。今世こそ幸せに、普通の愛される王女として生をまっとうしてくれるならば。

 

『リリィが幸せであるならば、その相手は自分でなくとも良いのだと?』


 そう自分に問いかけたエアハルト王子殿下の言葉が脳裏をよぎる。

 今となっては彼女に釣り合う家格である。だが自分を相手だと周りが決めてしまうのは、違うと思った。前世では何もかも恵まれなかった彼女だ。せめて今世では彼女が望む幸せを手に入れてほしい。

 そんなことを考えながら、庭に散策に行くと告げたトワイリリィ殿下についていく。


「あら! ルビーベリーが生えているわ」


 のんびり庭を歩いていた殿下が足を止めた。木の合間を覗き込み、ひょろりと生えていたルビーベリーの実を発見して歓声を上げる。

 ルビーベリーは森の奥深くになる木である。たぶん、鳥が種を運んできて庭に落としたのだろう。日が差すせいか成長が早く、庭師も気づかなかったのかもしれない。

 殿下はいそいそとポケットからハンカチを取り出した。広げたハンカチの上にせっせと実を摘んでいく。詰みながら、口にも頬張ろうとする。

 そういえば昔も同じようなことがあったような。


「殿下、その実はそのまま食べたら酸っぱいですよ」

「!」


 声を掛けたら、ビクリと肩を震わせた。

 普段からなるべく気配を消しているせいか、たまに俺がいることを忘れるようだ。護衛として優秀な部分が、たまにこうして仇になる。

 殿下はバツが悪そうな顔をして立ち上がった。


「クルト、手を出して」

「いえ、俺は結構です」

「いいから早く」


 断っても唇を尖らせてねだられる。こういう姿や話し方は、前世とは違う。愛されてきた王女だと思える。

 それでもその姿も好ましく思う。

 仕方なく言われるままに手を差し出した。案の定、掌の上にルビーベリーの実を数個、乗せられた。


「エルザには内緒よ。拾い食いするなんて行儀が悪いって怒られてしまうわ」


 そう言って、にこりと笑う。


「これであなたも共犯者よ」


 これと同じ言葉を、かつても聞いた。

 思わずまじまじと見つめてしまうと、殿下もふと何かに思い至ったような表情になった。

 自分を見上げて、不思議そうな顔をする。緑の瞳に映り込む自分の顔は昔と違っているのに、魂が同じだからかあの時と同じ表情になっている。

 彼女も思い出したのだろうかと脳裏をよぎる。近頃の行動を見ていると、かつての彼女と被ることが多々ある。魔族を見かければ迷わず倒すところとか。


(本人は気づかれていないと思っているようだが)


 しばらく視線が混じり合った。

 あの頃の自分を思い出してもらいたい。否、何も知らないままでいてほしい。

 相反する感情は、どちらも本物だ。


「どうかなさいましたか?」


 話しかける声は震えなかっただろうか。

 トワイリリィ殿下は目を瞬かせると、眩しそうに目を細めた。


「いいえ。なんでもないわ」


 そう言って、静かに笑った。

 何か思い出したようだけど、大事に胸にしまい直したみたいな顔。

 だから何も言えなくなる。

 もしかつての俺を思い出して、またその胸に留めおいてくれるならば。それ以上に望むことは何もない。

 ……ない、はずなのに。


『他の男に掻っ攫われて、後から泣き言を言ってきても聞けないからな』


 脳裏に釘を刺すエアハルト王子殿下の言葉が浮かび、それがチクリと胸に刺さった。



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