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匂い立つは黄金の薔薇~花園の令嬢と最後の庭師~  作者: つるよしの
第一章 それは最後の穏やかな日々
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第4話 茶会のアクシデント

 婚姻の前倒しの宣告と、そしてクラウスとの顔合わせを済ませてから十日が過ぎた。


 あの日からアシュリンは、思わぬ速さで過ぎ去ろうとしている娘時代の思い出を作るべく、積極的に友人を家に招いていた。今日は蒼く薫る風が木陰を渡る夏日である。アシュリンは執事のカルスの勧めもあって、エンフィールド家自慢の庭園にて茶会を開くことにする。

 

 今日招いた友人は、アカデミアの級友のなかでも特に仲の良かったカミラとベラである。睡蓮の浮かぶ池を望むテラスで、三人はフィルデルガー南部産の紅茶と、自家製のアプリコットケーキを頂きながら、屈託の無いお喋りに花を咲かせていた。むろん、話題の大半はアシュリンの結婚についてである。


「まさか、こんなに早くアシュリンが花嫁になるなんてね。私たちのクラスで一番の速さじゃない?」

 

 感慨深そうにアシュリンの顔を覗き込みながら、こう言ったのはベラである。すると、隣に座っていたカミラもうんうん、と頷きながら彼女に同調する。

 

「そうよ。家柄から言って、あなたが早くお嫁に行くのは、まあ、かねてから予想がついていたけど、まさかアカデミアを卒業してすぐに結婚するとは、思ってもみなかったわ」

「……私だってびっくりよ。まさか、年内になんて、寝耳に水もいいところだわ」


 ティーカップを傾けながらアシュリンは、苦笑しながら級友ふたりに応じた。今日のアシュリンの格好は、青緑色の夏らしいディタイム・ドレスだ。マリアンの用意してくれたそれはいつもよりも大人びた雰囲気の装いであり、級友ふたりはそのことも、アシュリンに掛けられた「良き伯爵夫人」になることへの期待の表れだとして、やんやとアシュリンをからかった。


「覚悟なさいよ、アシュリン。いかにあのお優しいライナルト様が旦那様になるとはいえ、クルーゲ家と言えば建国以来から続く名家よ。粗相は許されないわよ」

「そうよ。アカデミアのときみたいに、あの怖いミセス・ヘンゼルトの国史の授業で一番前の席に座りながら大口開けて居眠りしてみたり、初級魔術の授業で失敗してクランベリージュースをミント・スープの味付けにしたり、そんな騒動を起こさないでよね。あのジュース、男子部へ差し入れに行ったの私だったから、大恥かいたのよ!」

「やだ……! ベラったらやめてよ! 人の失敗をなんでそんな、いちいちあげつらうのよ!」

「そりゃあ、アシュリン・エンフィールド嬢といえば、アカデミアではなにかと有名なおっちょこちょいだったものねえ」

「もう! カミラまで!」


 アシュリンは顔を真っ赤にして膨れてみせた。それをみてベラとカミラが声を上げて笑う。少女たちの和やかな笑い声は風に攫われて、池の水面を跳ね、庭園の緑を掠めていく。やがて、ひとしきり笑い転げたあとのベラが、ひとつ咳をすると、真面目な顔つきになってアシュリンに問いかけた。


「……で、結局、時期が早まった理由はなんなの?」

「それが……よくわからないの」


 アシュリンはアプリコットケーキを口に運びながら、肩をすくめて答えた。なんとも心許ない答えだが、本当にそうなのだから、致し方ない。あれから、父にそれとなくその疑問を尋ねる機会を窺ってはいるのだ。ところが、またも父は仕事に追われていて、ここ数日も屋敷に不在のことが多く、結果としてアシュリンはそのチャンスを逃し続けている。

 すると、カミラが思いもかけない推理をし始めた。


「ねえ、あれじゃない。秋といえばちょうど、“アシュリン”の咲く季節じゃないこと? それにわざわざ婚姻を合わせたんじゃない? より結婚パーティを華やかにするためにとか」

「ああ、あのアシュリンが産まれた記念に作られた黄金(こがね)色の薔薇? たしか、花が咲くのは晩秋だったわよね。なるほど、園芸に造詣が深い、あのエンフィールド伯爵が考えることとしたら、一理あるかも」

「そうよ、きっとそうよ。だって、あの薔薇を新居に咲かせるためだけに、専属の庭師を招いたくらいなんでしょう!?」


 自説の展開に夢中になったカミラが、前のめりになってアシュリンに畳みかける。その勢いで、テーブルに置かれたティー・ポットが真っ白いテーブルクロスの上に、がちゃん、と横転する。途端に横になったポットから茶が流れ出し、あっ、と思ったときには、茶色い奔流がアシュリンの右手指先に触れてしまっていた。じゅっ、と熱い茶がアシュリンの指で音を立てて跳ねる。


「あっ……つ!」

「わあ、アシュリン! ごめんなさい! やだ、火傷しちゃった?」

 

 顔を顰めながら指先を押さえたアシュリンを見て、カミラが転がったティー・ポットを持ち上げながら慌てて叫ぶ。だがアシュリンは、すぐに表情を和らげると、こう言いながら席を立った。


「カミラ、大丈夫よ。このくらいの火傷なら池の水で冷やせば、すぐ治るわ」


 アシュリンはテラスから庭に降り、ドレスの裾が濡れないように気をつけながら池の端に屈むと、水面に赤くなった指を近づける。

 そのときだった。背後から低い男の声が聞こえたのは。


「そんな澱んだ水に、傷ついた指を浸すおつもりですか?」


 アシュリンが驚いて後ろを見れば、庭仕事の途中だったらしいクラウスが立っていた。突然の庭師の登場に、ぽかーん、として声も出ないベラとカミラには目をくれず、クラウスはアシュリンのもとにずんずんと歩み寄る。そして、かがみ込んだままの彼女の右手をぐいっと無遠慮に掴んだ。アシュリンも、声もなくクラウスの顔を見つめる。その焦茶色の瞳はいつもと同じように険しく、少し呆れているようにも見て取れた。胸の鼓動がいやおうなしに高まる。


 だが、クラウスはアシュリンの様子に特に気を留める素振りもなく、彼女の腫れた指先をいかつい両手で包み込んだ。すると、クラウスの掌から、金色のひかりの渦が迸る。

 それは、あっという間の出来事だった。数秒後、ひかりは音もなく消え失せ、そしてアシュリンが指先を見てみれば、火傷の傷も跡形なく消えていた。


「クラウス……あっ、えっと、あの……」

「念のため、あとで侍医にも診てもらってください。私はこれで」


 そう言い残すと、クラウスはアシュリンの手を離し、足早に庭園の緑のなかに去って行った。アシュリンが礼を述べる間も与えず。


「……ねえ、アシュリン! もしかして、あの人が例の、あなたの専属庭師なの!?」

「いま、彼が使ったのって、治癒魔術じゃない? すごーい!」


 池の畔で、呆然とクラウスの消えた茂みを見つめていたアシュリンに、ベラとカミラが駆け寄る。ふたりは興奮気味に、アシュリンに向かってまくし立てた。


「初級の治癒魔術なんだろうけど、すごい慣れた感じだったわよね! 庭師だから、多少は魔術の嗜みはあって当然だろうけれど、びっくりしたわ! あの人の魔晶石、どんな色してるのかしら?」

「しかも、すごく格好良いじゃない! 顔に傷があるのは気になるけど、とても男前だったわ!」

「……ちょっと、ベラにカミラ、落ち着いてよー!」


 アシュリンは級友たちをテラスへと押し戻しながら叫んだ。だが、ふたりはうっとりとした瞳で、クラウスについて声高に語り続ける。


「ずるいわ、アシュリン! ライナルト様だけでも、あんな美丈夫でいらっしゃるのに!」

「そうよ、あなた、この国の美男子を独占するつもり!?」

「……やだ! そうは言われても、私が好きで雇うんじゃないし!」


 口々に勝手なことを言い出したふたりを黙らせるべく、アシュリンは必死に声を張り上げた。張り上げながらも、胸の鼓動がいまも、どきん、どきんと脈打っているのをアシュリンは感じる。そして、至近距離で見たクラウスの焦茶色の瞳を覆う、暗い影を思い返す。


 ――どうして彼は、いつも、あんなに険しい顔ばかりしているんだろう。


 アシュリンは、いまは痛くもかゆくもない指先を、じっ、と見つめながら考えた。だが、思い当たる節はない。


 賑やかな庭園の茶会の時間が、夏のひかりに揺られ、緩やかに流れていった。

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