飼い犬の逆襲
なんだかんだ予定のあった夏休みもあっという間に終了。
9月も終わろうとしていた頃、私の嫌いなあの行事が始まろうとしていた。
先「…――というわけで、2組のクラス対抗リレーはこの順番で行こうと思う。
それから、各自出たい競技をこっから選んでその紙に明日までに記入しておくように」
生「「はーい」」
…――キーンコーンカーンコーン…
先「…じゃあ今日はこれで終わりにする。日直ー、号令ー」
生「きりーつ、れーい。ありがとうございましたー」
生「「ありがとうございましたー」」
緑「…はぁー、夏休みが終わったと思ったらもう体育祭かー」
私「体育祭とかほんと勘弁…、なくなればいいのに」
緑「えー?私は好きだけどなぁ、体育祭」
私「緑は運動得意だからそう思うんだよ。私運動ダメだし」
50m走でのタイムはクラスで最後から数えた方が早いし、体力もない。そもそも運動嫌い。
だから学校行事の中で体育祭がダントツで嫌いなのだ。
「楽しめばいいんだよ、楽しめば!」と緑は軽く言ってのけるが、足の遅い奴がクラス対抗リレーの時にどれだけ精神的に追い詰められるか知らないのだろう。
(こういう時だけは、緑が少し憎く感じるんだよなぁ…なんて)
緑「…あ、そうだ。梅子は出る競技もう決めたの?」
私「え?…あぁ、まだだけど…。どうせどれ出てても結果同じだし」
黒板に書かれていたのは《パン食い競争》《障害物競走》《借り物競争》《ムカデ競争》の4種目。
どれもしたくないのが正直なところだ。
緑「私は~…障害物競走にしようかな!面白そうだし!」
私「あー、去年も盛り上がってたもんね」
緑「うん!色々こなすのって結構燃えるんだよね~」
ニコニコと楽しそうに黒板を見つめる緑。私は応援する立場だけでしたいものだが…。
(とはいえ…、どれかには出ないと怒られるしな…)
緑と同じ障害物競走…はすでに結果が見えてるし、何より緑の応援に集中したいからパス。
ムカデ競争も他の生徒と息合わせて歩くとか絶対足引っ張るし…。
かと言って借り物競争は借りるものがリスキーなものとも考えられるし…。
緑「…梅子、そんな真剣に悩むこと?」
私「私にとっては死活問題だからね」
緑「そんな大げさな…」
私「…仕方ない、ここはパン食い競争にするか…」
緑「おお、意外なとこ行ったねぇ。
てっきりパンが取れなかったらどうしよう~とか言って他の奴選ぶのかと思ったけど」
私「これでも泣く泣く決めたのよ。選ばないのが一番なんだから」
緑「あ~…、左様で」
一応個人競技だし、パンさえ集中してとればいいんだ。うん。
そう言い聞かせて提出する紙に《パン食い競争》と記入をしていく。
八「…あ!梅子ちゃん、パン食い競争出んの!?俺も一緒のしよっかなぁ~」
私「っ!なっ、か、勝手に見ないでよ!」
緑「八谷はまだ決めてないの?」
ヒラヒラと紙を揺らしながら私の顔を覗き込む八谷。目が合った瞬間花火大会のことがよぎり、反射的に目を逸らしてしまった。
あの日何か言いかけた八谷だったが、それからというもの特にそれらしいことを言ってくるわけでもなく。何もなかったかのように私と接していた。
私は馬鹿みたいに思い出すというのに。
(忘れなきゃ。あんなのこいつにとっては記憶にも残らない出来事なんだから)
八「ん~、まだ決めてはないけど借り物競争とかいいなーって考えてるかな」
緑「あー、私もそれ悩んだわ~」
八「でも梅子ちゃんがパン食い競争に出るんならパン食い競争でもいいなぁ」
私「はっ!?や、やめてよ!」
八「えー?俺、梅子ちゃんと一緒に走ってパン食べたいんだけどー」
緑「いや、お昼ご飯一緒に食べたいみたいな言い方するけど競技だからね」
私「やだよ!八谷と一緒にパンなんか食べたくない!」
緑「梅子もそこじゃなくない?」
ただでさえ八谷が話しかけてくるから他の女子の視線が刺さるのに、これ以上一緒にいたら何されるか分かったもんじゃない。面倒事に巻き込まれるのはごめんなのよ。
それでも駄々をこねようとする八谷に、クラスの女子が数人話しかけてきた。
女「八谷く~ん、競技何に出るの~?」
八「え?あー…、まだ決まってないんだよなー」
女「八谷くんなら、どれに出たってかっこいいよね~!私すっごく応援するから!」
女「私も~!」
八「まじ?ありがとー!」
さすが人気者。ひとつ笑いかければ女子たちの顔はピンクに染まる。分かってやってるのかそれとも素なのか、こいつの考えてることはよくわからない。
じゃあね~と女子たちが去って行ったあと、こちらを再度振り返り紙をみつめなおした。
八「ん~…梅子ちゃんと同じ競技にしたかったけど、今回は借り物競争にしようかな」
緑「お、結局そっちにしたんだ」
八「こっちも気になってたからね~。
あ!もし借り物が《好きな人》とかだったら梅子ちゃん借りに来るからねっ」
私「なっっ!!?」
緑「うわぁ~、それは梅子全クラスの女子を敵に回すなぁ~」
私「ちょっ!?ほんと勘弁してよ!八谷もそんなことしたら二度と口聞かないから!!」
八「えぇっ!?」
私「当たり前でしょ!?私の高校生活台無しにするつもり!?」
八「そ、そんな大げさな…」
私「とにかく!借り物競争では私のところに物を借りに来ないで!分かった?」
「ぅ~…」と叱られた子犬のように悲しそうな顔をして肩を落とす八谷。それを見て「あーぁ、見事に玉砕だねぇ」と笑う緑。
私は、高校生活を安全に過ごしていたいのだ。
先「吉田ー!!もっと手ぇ動かせー!!」
私「はぁっ!はぁっ!」
リレーの練習は私にとって苦痛でしかない。
運動できないのがクラスにも私自身にもひしひしと伝わって行ってしまう悲しさ。
迷惑そうな視線が背中に突き刺さるこの感覚。
いくら手を動かそうと、足を動かそうとも、変わらないスピード。
(…これだから、団体戦って嫌いなのよ)
バトンを渡した後は、体の中の酸素が全部抜けていったのではないかと思うほど息が上がる。
目の前が一瞬暗くなる。
傍からみた私は『一生懸命頑張りました』アピールしてる奴に見えるのかな。
速くもないくせに一丁前に疲れた顔して、ってか?
被害妄想が次々と頭を駆け巡る。
八「梅子ちゃん!おつかれ!」
私「っ!…あ、は、八谷…」
頭上から聞こえた明るく憎たらしい声は、私の肩を震わせた。
見上げればいつもの顔した八谷が立っていて。
八「さっきのバトンパス、めっちゃ良かったよ!」
私「は…?」
無邪気にそう話す八谷の顔が、いつもより歪んで見えた。
きっとこの男も心の中では私を馬鹿にしてる。運動できる奴ができない奴の気持ちなんて分かりっこない。
私は会話を中断して自分の位置に座った。
(…ひねくれてるのは、私なんだろうな)
はやく終わってしまえばいいのに。ポツリと呟いた言葉は、しゃぼん玉のように割れて消えた。
緑「ん~っ!体育祭日和って感じだな~!」
私「…あっつ…」
私の願いも虚しく、雲一つない晴天が私たちを迎えた。
10月になろうというのにまだまだ日差しが照りつける。
私「…もうすでに疲れてきたんだけど…」
緑「まだ始まってもないじゃん!」
私「もう始まらなくていい…」
がやがやと盛り上がる会場。行きかう生徒や先生。
ついに始まるのかー…なんて思いながら、入場門に整列した。
放「…――位、紅組ー、4位は緑組ー…」
放送係のアナウンスが響く中、いよいよ2年生によるクラス対抗リレーの番が来た。
バクバクと緊張で心臓が飛び出そう。
こけたらどうしよう、抜かされたらどうしよう…そんな不安ばかり。
緑「…うーめこ!大丈夫だって!」
私「…緑…」
緑「走ってしまえば一瞬!ね?」
私「…うん」
そう、走ってしまえば一瞬。その時だけ我慢すればすべて終わるのだ。
自分の思考を洗脳するかのように、その言葉だけを唱え続けた。
…――パァンッ!!
スタートの合図と同時に一斉に走り出す。
どの生徒も速くて、接戦となっているこの戦いで私は役に立てるのだろうか。
着々とバトンは渡り、次は私の番。
ゆっくりと自分のスタンバイ位置に移動する。
ちらっと緑の方を見ると「がんばれ!」と大声が聞こえた。
(…せめて抜かされないように、それを目標に頑張ろう)
男「はあっ、はっ!…はいっ!!」
私「はいっ!」
力強く手に打ち付けられたバトンからは、今まで走った人たちの熱を感じた気がした。
最大限腕と脚を動かし、次の人だけを見て前に進む。
すぐ後ろからは大きな足音が聞こえ、焦りと不安を掻き立てた。
(…お願いっ!あと少し…っ!!)
私「はあっ!はあっ!…緑っ!!」
緑「梅子!よくやった!」
パシッ!と繋がれたバトンは無事、私の手から次の走者である緑に渡すことができた。
グラグラと視界が揺れ思わずレーン外の端でしゃがんでしまった私。
終わった。もう思いつめることはない。その解放感が私を包んだ。
その頃緑は、皆を嘲笑うかのようにどんどんと追い抜いて4位から2位へと躍り出る。
走り終えた緑の顔はとても楽しそうで。私たちはまだ終わってもいないのにハイタッチをした。
女「「八谷く~~んっっ!!がんばって~!!」」
緑「お、うちのアイドルの登場だなぁ~」
レーンにはみ出るのではないかというくらい、外にびっしりと並ぶ女子たち。
しかし当の本人は試合だけに全神経を注いでいた。
緑「だいぶ集中してるな~、梅子のワンコは」
私「なっ!何よその言い方!あいつは私のものなんかじゃないし!」
緑「あー、はいはい。そろそろ来るよ~」
私「ちょっ…なんなのよもう…」
黄色い歓声とともにスターとした八谷は先頭の男子に食らいつくように走り去っていく。
その顔はあの夏の試合の時に見た顔と同じ顔。
あと少し、あと少しで追い越せる。
緑「八谷ー!!あと少し…――」
私「…行けーーーっ!!八谷ーーーっ!!!」
気づいたら、緑よりも大きな声で八谷を応援していた。
手に汗を握り、一人の男にみんなの願いを乗せて。
…――パンッパンッ…!!
私「…はあっ…は…っ…」
放「…―ただいまの結果ー…1位、2組ー…」
ワァアアッと湧き上がる歓声。喜び合う生徒たち。
私と緑も抱き合い、喜んだ。
私たちがテントに戻ると、一斉に八谷のところに生徒があふれた。
女子はもちろん、クラスの男子や他のクラスの男子までも囲んでいた。
緑「あはは、さっそく囲まれてるねぇ」
私「まぁ、あんな逆転勝ちしたらね~」
緑「梅子も応援してたじゃん、私よりも大声で♡」
私「えっ、あ、い、いいじゃんか別に!」
緑「八谷知ったら喜ぶぞ~」
私「ばっ!?や、やめてよっ!」
緑「ええ~?なんでよ」
私「な、なんでも!恥ずかしいじゃんか!」
緑「ん~、そっかぁ…。
…って言ってるけど?はーちや?」
私「え」
私の向こう側を見る緑の視線を追うと、少し驚いた顔をした八谷がすぐ後ろに立っていた。
ひゅっと無意識に息をのんだ私。
八「…梅子ちゃん、ほんと?」
私「なっ!?な、何の、こと?」
八「俺のことすげー応援してくれてたって」
私「えっ…と…」
緑「もうほんっと応援してたよ~?私より叫んでたし」
私「は!?ちょ、緑!?」
急いで緑の口を手で塞ぐが、本人には聞こえてしまって。
あんだけいつも突き放してんのに人一倍応援してるとか恥ずかしすぎる。
私「ち、ちがっ!これはその…!」
八「…あー…、ちょっとごめん」
八谷がふっと自分の手で顔を隠した。その間からは暑さのせいか赤く染まった頬が見えて。
八「……やば、ほんと嬉しいんだけど」
私にもなぜだか、急に暑さがやってきた。
午後からは各自の競技に参加する。
まずは、緑の選んだ障害物競走からスタートする。
私「緑ー!がんばれー!」
私の応援は緑に届き、腕を大きくあげて答えてみせた。
生「いちについてー、よーい…」
パンッと鳴り響いた合図に追いつくかのように、緑は先陣を切って走り始めた。
網をくぐったり跳び箱超えたり色々な障害物を難なくこなしていく。
応援する間もあまりないまま、1位着でフィニッシュした。
私「…緑ー!おつかれー!さすがだねぇ、ぶっちぎりじゃん!」
緑「えっへへ~、もっと褒めてくれてもいいんだよ~」
私「いや~、やっぱ運動は向いてるんだよねぇ緑は」
緑「運動"は"って言わないでよ!運動"も"でしょ!」
私「え~?」
緑「上げて落とさないでっ」
うわーんと泣き真似をする緑をなだめる私。こういう会話が落ち着くんだよなぁ。
緑「…あ、次梅子の番じゃん!頑張ってね!」
私「ぼちぼち頑張りまーす」
パン食い競争は個人競技だから気分は楽な方。パンが早く取れればいいけど。
(…く…そぉぉぉおおっっ…!!)
競技は何の問題もなくスタートしたのだが…。
なっかなかパンが取れない。まぁこれがまた取れないのです。
私「なんっで!こん…っなに!取れないのぉぉおっ!!」
何回口で引っ張ろうとパンは取れない。
私が飛び跳ねてるすぐ横で緑と八谷が騒いでるのが目に入った。
緑「ぶははっ!!う、梅子~っ!早くとってよ~っ!」
私「うっさい!!こっちは必死なんだよっ!!」
八「えっ…、めっちゃ可愛いんだけど…??」パシャシャシャシャシャッ
私「そこは連写やめろぉぉおっっ!!」
緑「おつかれ~!」
私「…ほんと疲れたよ、いろんな意味で…」
八「めちゃくちゃ可愛かったよ、梅子ちゃんっ!」
私「あんたはさっき撮った写真消さないと二度と関わらないからね」
八「ええぇっ!!」
精神的にも身体的にも疲れたが、これでもう私の出る幕はない。
あとは…。
緑「えっと今からはー…っと、ムカデ競争か。私あれ苦手なんだよねー」
私「わかるわかる。人と息合わせるのきつすぎ」
緑「だよね~」
私「はー…汗でべたべたする。ちょっと水道で顔洗ってくるわ」
緑「はーい」
…――バシャッバシャッ…
私「ふ~…、ちょっとはマシになったかな~…」
グラウンドから少し離れた中庭にある水道で顔を洗う。
冷たい水が少しずつ私の熱と取り払っていく。
女「…――でさ~…」
タオルで顔を拭いていたとき、ふと数人の女子の声が耳に入った。
おそらく、彼女たちも陰で休んでいたクチだろう。
女「てかさ、最近先輩とよく一緒にいる女子いるじゃん?」
女「あー、えっとたしか…吉田?って名前だったかな」
女「そうそう!あの人って、先輩とどういう関係なのかなぁ」
ドキリ。
(…間違いなく、私と八谷のことを話してる。なんてタイミングだよ…)
あの子たちも八谷のファンクラブ的な子たちなのだろうか。
過激派だったとしたら見つかると大変なことになるかもしれない。
そろっとその場を立ち去ろうと足を動かした。
…――ぱきっ
不運なことに、私が1歩踏み出した場所には小枝が1本。
そんな作り話のようなことが本当にあるのか。いや、このまま気づかれない可能性も…。
女「ん?…あ、ねぇあの人でしょ?その吉田先輩って」
女「え?…あ!ほんとだ!」
女「もしかして話聞いてたかなぁ」
小さな物音に気付いた後輩たちは、何を思ったのか悩むことなくこちらに向かってくる。
笑顔もなく、真顔で。
いや後輩とはいえ怖いですよ、そりゃあ。
女「あの!2年生の吉田先輩…ですよね?」
私「えっ、あ…そ、そうだけど…」
同じ学年に吉田がいればごまかせたのに、生憎吉田は私1人。
彼女たちはお互い顔を見合わせ、再び私を見やった。
女「…あの、単刀直入で聞きますけど、先輩は八谷先輩の彼女なんですか?」
私「は!?彼女!?」
女「だっていっつも八谷先輩と一緒にいるとこ見るし…それも私たちだけじゃなく他の人たちも!
…で、どうなんですか?」
ピリリと感じる緊張感。この子たちは本気で八谷のことが好きなんだ。
ぽちゃんっと水道の水音が静かに聞こえた。
私「私は、八谷の彼女なんかじゃないよ」
女「っ!ほんとですか!?」
明らかに表情が明るくなる2人。
私「八谷が私のとこにいつも来るのも、別に深い意味なんてないし」
女「なんだぁ…、てっきり八谷先輩の彼女なのかと…」
私「あはは、八谷が私なんかと付き合うわけないでしょ?…あ、もうすぐ八谷出るんじゃないかな。
あいつ借り物競争に参加するからさ」
女「えっ!そうなんですか!?」
女「急いでいこ!先輩、ありがとうございました!」
八谷の活躍を見ようと、彼女たちはグラウンドに駈け出して行った。
私もふぅ、と一息つく。
私「…さて、私も戻らないと…」
「…―梅子ちゃんみっけ!」
私「っ!……なんだ八谷か、びっくりさせないでよ」
いつからそこにいたのか、それともたった今来たのか、グラウンドにいるはずの八谷がいた。
なんか八谷から背後取られるの多いなぁ、なんて呑気に考えていると、ふとさっきの2人に言った言葉を思い出した。
私「てか、八谷もうすぐ競技始まるじゃん。早く行かないと怒られるんじゃない?」
八「…うん」
私「…?なに、そんなにこっち見てから」
さっきまで笑顔だった表情が、一瞬にして真面目な顔に変わった。
怒ってるわけでもなく、悲しんでるわけでもない。
八「…さっき誰かと話とかしてた?」
私「え?」
さっきというのはあの2人の後輩のことだろう。
私「話してたけど…それが何?」
八「…もしかして俺のこと?」
私「まぁ…そうだね」
八「…そっか。どんな話してたの?」
私「え?…えっと、私と八谷がよく一緒にいるからもしかして付き合ってんじゃないのかって…。
まぁもちろん否定したし、それ伝えたら笑顔で向こうに走って行ったよ」
八「…ふぅ~ん…そっか」
特に表情を変えるわけではなく、ただただこっちを見つめる八谷。
グラウンドでは借り物競技参加者への集合の放送がかかっていた。
私「…って、ほんと準備しないとやばいって!放送かかって…――」
八「…別に否定しなくてもよかったのに」
私「……え?」
はっきりと、私の耳に八谷の言葉が届いた。
私「…な、に言って…」
八「……じゃ、俺行くね」
私「あ、ちょっと!」
言い逃げをしていったあいつの背中を目で追いつつも、私は状況が整理できなくなっていた。
(落ち着いて…、今八谷は…)
八『…別に否定しなくてもよかったのに』
私「……っ!!」
流石の私も、この言葉の意味は分かってしまった。
本気なのかどうかはわからないけど…でも…。
(…信じて、いいものなのだろうか)
花火大会の時も、今回も、一方的にそれっぽい言葉を言っただけで、はっきりとしたことは一言も言ってはいない。
でも、言いたいことはあからさまだった。
放「…――種目…借り物競争…――」
私「っ!…そろそろ戻らないと緑に怪しまれるかも」
現実に戻されたわたしはグラウンドへと走った。
緑「…あ、梅子遅かったね~。何かあった?」
私「え?あー…まぁちょっとね」
緑「え、なになに?意味深じゃん~」
私「別に、後輩の子たちと話してただけだよ」
緑「え、後輩?なんでまた」
私「それは…―」
女「えっ!?八谷くんこっちに来てない!?」
女「うそ!?なになにっ!?」
私「ん?」
借り物の書かれた紙をもった八谷は、まっすぐこちらにやってきている。
周りの女子は自分なのではないかと騒ぎ始めた。
緑「…まさか、ほんとに出たのかなぁ」
私「え、なにが?」
緑「あいつ前言ってたじゃん。『好きな人』が出たら梅子のところに行くからって」
私「ぅえ!?うそでしょ!?」
緑「う~ん…、それはどうだろうか」
そんなことを話していたとき、八谷はまるで飼い主のもとに戻った飼い犬のように寄り道することもなく私の前で足を止めた。
私たちの周りに人だかりができる。
八「…ごめん梅子ちゃん、来ちゃった」
私「なっ…」
緑「八谷ー、梅子に何借りに来たの?」
八「ん?……そりゃもちろん!」
――ガシッ!
八「梅子ちゃん自身だよっ!」
私「ぅわっ!?ちょ、ちょっと!?」
当たり前のように私の腕を掴んだ八谷は、足早にコースへと戻っていく。
観客から悲鳴のような歓声が聞こえる中、私は走ることに必死で、腕を振り払う余裕なんてなかった。
あの紙に書いていることも知らないまま。
――パァンッ!…
私「はぁっ、はっ…!」
八「よっしゃ!俺たち1位だよ、梅子ちゃん!」
私「な、なにがよっしゃ!よ…。私のところに来たら二度と口聞かないって言わなかった…?」
八「うっ…、それはそうなんだけど…。やっぱり嘘はつけないし…」
私「…てかその紙に書いてあったのって…」
男「1位おめでとうございまーす!」
話の途中で放送担当の男子がマイクをもってこちらに話しかけてきた。
借り物競争は借り物を借りてゴールすることが条件。
借り物を本人に確認しなくてはならないのだろう。
(まさかほんとに…、いや、それだけは…さすがに…)
緑の言葉が頭をよぎるが、無いこと願い目をつぶる。
男「えー、紙に書かれていた借り物はなんでしたか?」
八「あ、えーっと…俺が引いたのは…」
この一瞬だけ、音が無くなったのではないかと思うくらいの静けさが訪れた。
八「…―『好きな人』っす!」
私「……は…」
全「「ええええええぇぇぇぇえっ!!!!?」」
とても笑顔で、そう彼は答えた。
その瞬間会場中に響き渡る驚きと、悲鳴。
私「なっ、なっ…」
男「なんと好きな人!ちなみにお二人は付き合ってるんですか?」
八「いや、絶賛片思い中っす!」
私「は!?」
男「じゃあ、これは公開告白と言っていいですね!?」
私「こ…っ!?」
(状況に全くついていけない。なに、ほんとにこの男私のことが好きなわけ!?)
冷や汗なのか暑さのせいなのか、汗が滝のように流れる。
当の本人はケロッとした顔でははっと笑って見せた。
八「…いや!今回は俺が本気なんだって伝えるために付いてきてもらいました!」
私「…え?」
八谷はくるっと私と向き合うと、まっすぐ目を合わせた。逃がさないと言わんばかりに。
そんな視線から、逃げられるわけもなく。
あぁ、心臓が、うるさい。
八「…だって梅子ちゃん、俺がずっとアピールしてんのに全部スルーなんだもん」
私「え、いや…」
八「今俺が告白しても、冗談だって思われて終わりってことになりかねないし…。
だから今日は、俺がほんとに梅子ちゃんのことが好きなんだよって証明するだけにする」
私「…は、八谷…」
少しだけいたずらっ子のような笑顔で笑いかけた彼は、実に楽しそうで。
八「…これからは梅子ちゃんでもわかるくらい堂々と攻めていくから、覚悟してね」
私「ひぇ…っ」
今年の体育祭は全校生徒の冷やかしと悲鳴で幕を閉じたのだった。