4-2
彼はわたしの手をとろうとした。
「やめて! 大きなお世話。あなたはショウをほっといて一人で逃げたらいいのよ。あなたがショウの親友だなんて信じられない。最低! 大嫌い!」
再び涙が込み上げてきた。ショウ、誰もわたしをあなたから引き離すことはできない。あなたを一人ぼっちにはしない。
喚声が聞こえて、サブマシンガンの音が近付いてきた。あの人たちは何を撃っているのだろう。怖い……
「何があろうと僕は君を救う。たとえ拒絶されても……。動かないのなら、力ずくで連れて行く」
ユウキくんはそう言うと、サブマシンガンの紐を首に掛けて、いきなりしゃがんで正面からわたしの腰を抱えて担ぎ上げた。わたしは泣きながら足をバタバタさせて両手で彼の背中を叩いた。ユウキくんは細い路地へ入ってわたしを肩に担いだまま走った。
「何するの! わたしが生きようと死のうとユウキくんには関係ない。わたしはショウと一緒にいたいの」
ああ、ショウ、ごめん、ごめんなさい。あんなところに一人ぼっちにしてしまって、ごめんなさい。本当にごめんなさい……。ここから降りてあなたの所に行くから、すぐに行くから待ってて……
「聞いてくれ! ショウは、世界で一番アオイさんを愛していた。そしていつもこう言っていたんだ。何かあった時は俺が命にかえても守る。けれど、もし俺がいない時にあいつが大変な目に遭ったら必ずおまえが助けてくれって。ショウが言ってたあいつっていうのは、アオイさん、君のことだ」
「……」
「だから君がなんと言おうと、僕は君を助ける。これはショウとの大切な約束だ。何があろうと必ず約束を果たす」
……約束…… そうだったのね……。ショウがそんなことを言っていたなんて知らなかった。
ユウキくんは道を慎重に選んで森へ向かっている。でも、わたしを担いているとスピードが出ない。サブマシンガンの音が近付いてくる。このままだったら敵に追いつかれる。そうなったらユウキくんまで殺される。
「降ろして……。ユウキくん、お願い」
「アオイさん。生きるって、約束してくれ」
「わかった。約束する。ショウの気持ちを大切にする」
ユウキくんは立ち止まってわたしを地面に降ろした。苦しそうに肩で息をしている。
「ごめんなさい。わたしのせいで苦しい思いをさせてしまって」
「君が……」
彼は肩を上下させながら続けた。
「生きるって、言ってくれたら、それで、いいんだ。行こう」
「……」
わたしたちは走った。敵の目を盗んで、やっと街外れの畑にたどりついた。ここから森まで、収穫が終わったばかりの広大なジャガイモ畑が続く。丸見えだ……
「森へ向かってまっすぐ走ればいい。僕の前を、走ってくれないか」
「前を?なぜ?」
「理由は、いつか、わかる。さあ早く」
意を決して足を踏み出した。ひんやり冷たい夜を突っ切る。50mほど走ったところで、ドーンと打ち上げ花火のような音がして、あたりが真昼のように明るくなった。背後でサブマシンガンの発射音が轟いた。後ろは振り返らない。地面を蹴って思いっきり走る。
ピシッ
ピシッ
空気が切り裂かれる音。
バシッ
熱い! 走りながら右頬に触ると、どろっとした感触があった。血が出ている。
「だいじょうぶか?」
真後ろから、ユウキくんの、絞り出すような声が聞こえた。
「だいじょうぶ!」
転びそうになりながらジャガイモ畑を駆けた。どこまで続くのだろう……。サブマシンガンの音がだんだん遠ざかっていく。あたりは暗い月明かりだけになった。何日も監禁されて疲れ切っているし、おなかが空いて力が入らない。でも必死に走った。もうすぐ森の入り口。息が苦しくて足がもつれる。もうこれ以上は無理!
草の中に倒れ込んだ。ユウキくんも草の上に転がった。右の頬がひりひりする。もう一度触れた。出血はそれほどひどくない。
体をひねって仰向けになった。いくら呼吸しても、空気が、足りない。気が遠くなりそう。
「アオイさん。もうすぐ、セルフディフェンスの、勢力圏内、だ。森の中は安全だって、ショウが、言ってただろう」
声のした方を向くと、ユウキくんは胸を大きく上下させていた。
「ショウのことは、とても、残念だ」
「ショウは…… もうショウには逢えないのね」
言葉に詰まった。涙が込み上げてきた。
「一人ぼっちで、きっと、寂しがっていると思うの」
「アオイさんの言うとおりだ」
「……」
「でも、もしあそこで、君が死んでいたら、あいつの悲しみは、たとえようもなく、大きい。そんな悲しみを、あいつに味あわせたくはない。そうだろう?」
「ええ、これ以上、悲しませたくは、ないわ……」
「君の辛さは、わかっているつもりだ……」
「ユウキくんも……」
「そうだ。とても辛い」
「さっきは、最低とか、大嫌いだなんて言って、ごめんなさい」
「いいんだ」
「約束のこと、知らなかったから……。本当にごめんなさい……。最低なのは、わたしの方だわ。謝っても、謝りきれない……」
「謝らなくて、いい」
「……」
「僕は、必ずショウやモエたちの無念を晴らすつもりだ」
「わたしも。でもどうやって?」
「戦う」
「黒服たちと?」
「そうだ」
「でも、方法は?」
「わからない。けれどこの手で敵を倒したい」
「この手で……。わたしも同じ気持ち」
「君も?」
「わたしも戦いたい」
「君は女の子だ。やめたほうがいい」
「ユウキくんさえよければ、一緒に戦いたい」
「僕と一緒に? なぜ」
「ショウやモエたちの気持ちがわかるのは、ユウキくんとわたしの二人だけなのよ」
「そのとおりだ。二人だけになってしまった」
「みんなの無念を晴らしたい。それはあなたもわたしも同じ。そうでしょう」
「同じだ」
「同じ思いの人と一緒に戦いたい。同じ思いなら、きっとどこまでも戦える」
「気持ちはよくわかった。でも、やっぱり君は女の子だ。少し考えさせてくれないか」
その時、ガサガサと藪をかき分けるような、落ち葉を踏むような音が聞こえた。わたしたちは慌てて草むらの中にうつぶせになって、森の方を向いた。
人影が現れた。こちらに近付いて来る。5人もいる……。こんなところで待ち伏せされていたなんて……
「あきらめずに戦おう」
「ええ、もちろん」
ユウキくんは腹ばいになったままサブマシンガンを構えた。わたしは人影をじっと見つめた。敵はもうわたしたちを発見しているのだろうか、まっすぐ足早に向かってくる。恐い…… 恐怖で体が固くなる。えっ? ユウキくんがサブマシンガンを地面に置いた。どうして? 戦うんじゃなかったの?
「だいじょうぶ? 怪我はない?」
それは女性の、優しい声だった。正しい発音、正しいイントネーションのわたしたちの国の言葉。もしかして……
「み、味方ですか?」
ユウキくんが上ずった声を上げた。
「ええ。私たちはセルフディフェンスの巡視隊よ。安心して」
一気に力が抜けた。5人の胸にはわたしたちの国の紋章があった。お揃いの迷彩服を着て、銃を肩にかけている。あの迷彩服の模様はテレビで見たことがある。災害が起きたときにたくさんの人を助けていたセルフディフェンス隊員と同じだ。わたしたち、本当に助かったんだ!
「僕たちは高校生です。先生も同じクラスのみんなも黒服に殺されてしまいました……」とユウキくんがうめくように言った。
「酷い目に遭ったのね。でも、もう心配ないわよ」
女性隊員はわたしたちにペットボトルを渡してくれた。濃い色のベレー帽から美しい黒髪が肩にこぼれている。巡視隊は全員女性。わたしたちは体を起こしてペットボトルの蓋を開けた。口を付けてゴクゴク飲んだ。水だ。おいしい! 生きている! ああ、生きている!
「ありがとうございます……」ユウキくんはそう言ったとたん、後ろにひっくり返った。 わたしの意識も遠くなっていく……