10-1 + クラニウム +
秋に始まった戦争は翌年の夏が始まる前に突然終わった。A国とB国に同時に革命が起きて独裁政権が倒されたのだ。二つの国の新しい政権は即座に戦闘を停止した。数百万の敵はあっという間にわたしたちの国から撤退した。
わたしたちの国の人たちはこの戦争で何千万人も殺されて穴に投げ込まれていた。わたしたち生き残った者は遺体を土の中から掘り出して丁重に埋葬した。父、母、兄、姉の変わり果てた姿もあった。モエと思われる遺骨もあった。ショウは最後まで見つからなかった。悲しみすら感じられないほどの喪失感……
敵は千年の恨みを晴らしたのだろうか。それとも千年の恨みというスローガンは敵が一党独裁を維持するために必要な手段の一つに過ぎなかったのだろうか。それすらもよくわからない。敵だった国の新しい政権はもうそんなスローガンを掲げてはいない。
私たちの国は、この戦いで殺された人たちの恨みを晴らすために『この恨みを決して忘れない』と叫ぶべきなのだろうか。それはもちろん議論されたしいろいろな機会に何度も取り上げられたし、国会でも長い間議論された。そして結論が出た。
『報復はしない。事実は教えるが報復を煽るような教育はしない。わたしたちの世代はA国とB国を死ぬまで恨むかもしれない。けれど、その恨みは次の世代には持ち越さない』
それがわたしたちの国の方針。
戦いが終わって3年後。わたしは遙か北の国にある黒い森の奥に木の小屋を建てた。そこは誰にも蹂躙されていない神聖な場所だった。森の中は、世界から誰もいなくなってしまったと思うほど静かだった。ここにはユウキとわたしだけしかいない。テレビもラジオもスマートフォンもない。電気すらない。
森に暮らして6年が経ち、わたしは25歳になっていた。もう二度とあの時のように人に銃口を向けることはないだろう。あのような憎しみを感じたくはないし憎しみを込めた弾丸を撃ちたくはない。このまま永遠に平和が続くことを祈っている。
◇
起伏のあまりない深い森の中。空には星が数限りなく瞬いている。赤、青、白、黄、橙。たくさんの光の直射で目がくらみそう……。天の川はこんなにも激しく輝く星の集まりだったのだ。星たちはわたしたちを照らして、太陽が照らすことのできない地球の裏側までも照らしている。星たちの光は影を生まない。わたしにもユウキにも影はない。
ここは今、星の光に支配されている。数十光年、数万光年、数億光年かけて到達した氷のように冷たい光の束がわたしたちを照らしている。
わたしたちは獲物を求めて移動する。星明かりに照らされて森を歩く鹿を見つける。ライフルのボルトハンドルを押して直径7㎜の弾丸を薬室に送り込み、重たいボルトを確実に回転させる。照星に捕らえた獲物を狙い澄ます。静寂。無音。ゆっくり息吐きながら引き金を絞る。
轟音が響く。肩に木の銃床が食い込む。一発。ただ一発だけ。若い鹿の脳髄を貫く熱い弾丸。倒れた鹿に駆け寄って頸動脈にナイフを当てる。皮を剥ぎ、肉を切り分ける。焚き火の光に赤く輝く肉を丁寧に加工して保存する。
これであと一ヶ月生きることができる。鹿の命と肉がわたしの命と肉になる。わたしの体はきっと血なまぐさい。けれど魂は汚れていないと思う。北極星のように清らかなままでいたい。命をいただき、命をつなぐ。命と命の清らかなつながりと清らかな営み。いつか死ぬからこそわたしも許されるのかもしれない。
◇
最近、太陽や月を含めてあらゆる星の光を見かけなくなった。最も身近な光は焚き火の光。わたしたちは寝袋にくるまって顔と顔を近付けて空を見上げている。炎が揺れる。すっかり葉の落ちたカラマツの枝の向こう。かつてはたくさんの星が輝いていた。燃える木がパチパチとはぜる音。煙の香り。冬が近付いている。何もかも凍らせて白く包んでしまう冬。
どれくらい寝ていたのだろう。深い眠りから目が覚めた。
「ユウキ、おはよう」
彼は挨拶を返してくれない。とても無口だ。暗闇で寝袋を畳み、ザックに入れた。ユウキも入れた。地面は乾燥している。靴紐を固く締め、ザックとライフルを背負った。獲物を求めて移動する。小鳥たちは鳴かない。木々の枝をそよぐはずの風も死んだように眠っている。光がほしい。太陽の、あの強烈な光がほしい。光と共に歩いて行きたい。もしかしたら、いつのまにか極夜※の中をさまよっているのかもしれない。でも、まだ秋も終わっていないのに。早すぎる……
※極夜=白夜の対極にある暗黒の世界。白夜の反対。一日中太陽が沈んでいて、暗い。
◇
暖炉の明かりに照らされたライフルを分解し、注油し、布で磨く。銃身にクリーニングロッドを通す。クルミの銃床に亜麻仁油を手で擦り込む。直径7㎜の弾丸を撃ち出す単発のボルトアクションライフル。命を繋ぐ大切な道具。
ライフルの手入れが終わった。カラマツの丸太で作ったサウナ小屋に入って体から汗をしたたらせる。裸のまま森に飛び出して、火照った体を雪の上を転げ回って冷やす。何度も何度もサウナで火照って雪で全身を冷やすと宙を浮いて空を自在に駆け回ることができる。どんなことでもできるような快感が生まれて体の中心を突き抜けるから。
焚き火、鹿肉、香草、サウナ、湖、ライフル、弾薬、火打ち石、ナイフ、木の小屋、暖炉、木綿のシーツ、木のベッド、そしてあなた……。他には何もいらない。
◇
冬至を祝った。太陽が再生し始める日。焚き火がわたしたちの頬を暖かく照らす。焙った干し肉と香草のスープ。これが冬至のごちそう。
最近、鹿の姿を見かけない。こんなことは今までなかった。アロマティーの葉を持って小屋に寄ってくれていた森林警備隊の隊員たちも、姿を見せなくなって久しい。わたしが作るアップルパイをとても楽しみにしてくれていたのだけれど……。毎月干し肉と塩や穀物を交換していた行商人も来ない。いったいどうしたのだろう……
◇
3月11日。今日はユウキとわたしの26歳の誕生日。
寒い。ユウキ、とっても寒いの。3月とは思えない。この1ヶ月間、ほとんど何も食べていない。先週、ここから一番近い村まで3日もかけて行ってみたけれど、死んだように静かで、どの店も荒らされていて、誰もいなかった。何が起きたのだろう。村の舗道に落ちていた新聞には【Ydintalvi】という大きな見出しがあった。初めて見る単語。とても疲れていたので記事は読んでいない。
◇
重い足を引きずって森の奥の小屋に帰ってきた。暖炉にいくら薪をくべても凍えてしまいそう。
ユウキ、もっと近付いてあなたの目を見せて。ユウキ、「アオイは僕の瞳の奥に永遠に生きている」って言って。二人はいつも一緒。それがあなたとわたしの望みなのだから。
ああ、暖かくなってきたわ……。まるであなたに抱かれているみたい。目の前にまばゆい光が見える。
愛する家族、ショウ、モエ、そしてわたしを守るために亡くなったたくさんの人たち。みんな今も生きている。永遠にわたしの瞳の奥で。ねぇユウキ、そうでしょう?
ユウキ、一緒にあなたの診療所で働きたかったね……
……眩しい光がわたしを包んだ。
「ユウキ…… わたしも、あなたの所へ、みんなの所へ行くから……」
アオイは白く美しく輝くクラニウムを胸に抱いて、その硬い眉間に開いた小さな弾痕を優しく撫でた。
アオイの手が止まった。彼女の頬に、一筋の涙とほほえみが残った。




