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8-2     



 クリームシチューとバゲット。ワインもあったけれど、わたしはブドウジュースにした。敵でなければ初対面とは思えないほど親近感が湧くだろうと思わせる何かがカトリーヌにはある。饒舌ではないけれど、わたしのことを気遣ってくれていることをひしひしと感じさせるほど、その演技は堂に入っている。食事はとてもおいしかった。


 この家には他に人はいないのだろうか。食卓を片付けた彼女が部屋に戻ってきた。わたしたちはゆったりとしたソファーに隣り合って座った。


「カトリーヌ、この家にはわたしたちの他には誰もいないの?」


「家の中は私とアオイだけです。でも、外はたくさんの兵士が見張っています」


「やっぱりそうなのね」


「この部屋の中ではアオイは何をしても自由です。私しかいないけれど、困ったことがあったら何でも言ってください」


 カトリーヌ、わたしはあなたのことを信用しているわけじゃないのよ。あなたの言葉遣いはだんだん変化している。少しずつわたしの警戒心を解いていくつもりなのね。


「ええ、もちろん。カトリーヌと話していると、囚われの身であることを忘れそうなの」


「アオイ、あなたは囚われの身です。それは間違いありません。けれど、いざというときは私を殺して逃げてもかまわないのです」


「カトリーヌ、なんてことを言うの! わたしはあなたを殺したりなんかしない!」


「私たちの国があなたたちの国にどんなことをしているか、私はよく知っています。私は、あなたに殺されたとしても文句は言えません」


 カトリーヌ、あなたは何を言っているの? なぜそんなことを言えるの?


「ああ! なぜ? なぜあなたの国にあなたみたいな人がいるの?」


「……」


「嘘みたい。本当に嘘みたい。カトリーヌ、わたしの友達がね、あなたの国の兵士は悪魔のようなことをしているけれど、みんなが元々悪魔だったわけじゃないって言ってたの」


「……」


「あなたは、わたしの国が百年前にあなたの国を併合して支配していた時代に、わたしの国の兵士たちが極悪非道なことをしたと教えられている。そうでしょう?」


「……」


「あなたの国では子供たちに徹底的に憎しみをたたき込んでわたしの国の人たちを恨むように教育しているって友達は言うの。そうやって千年経っても消えないほどの憎しみや恨みを教え込まれてたら誰でも復讐してやろうって気持ちになってしまうんだって。あなたはどうなの? そういう教育を受けてきたんでしょう?」


「そうです。私もそういう教育を受けてきました。あなたの国の人はみんな残虐で憎むべき敵で千年の恨みを晴らすべき相手だと。いつか必ずあなたの民族を陵辱して拷問して皆殺しにしなければいけないのだと」


「そうなのね……」


 やっと本性が現れた。やっぱり敵だ。間違いない。


「けれども、それは間違いでした。アオイの国に留学してそれがわかりました。私はたくさんの人たちにとても親切にしてもらいました。友達もできた。ケンカもした。仲直りもした。切ない恋もしました。どれもが素敵な思い出なのです。もちろん嫌な思いをしたこともありました。でも、いい思い出の方が多いのです」


「本当なの?」


「はい。民族が違っても人は誰もが喜びや悲しみを感じながら毎日を生きています。みんな幸せになりたいと願っています。そして誰かを幸せにするために、誰かのために生きたいと願っている人も大勢います。どちらの国にも」


「そうかもしれない……」


「留学をして、私はあなたの国の人を信じることを学びました。信じることができると知りました。人を憎んでもいい、恨んでもいい、けれど、永遠に憎み恨み続けるのは間違っているということも知りました」


「カトリーヌなら知っていると思う。古典の中に『怨みに報いるに徳をもってす』という言葉があるの。友達が言ってたんだけど、人は、恨むために生きるんじゃなくて、許すために生きるんだって」


「知っています。私も、人と人が本当に信じあえる世界にしたいのです」


「カトリーヌ、あなたはまるで……。いえ、なんでもない……」


 その時、部屋の隅の黒電話機が鳴った。カトリーヌが急いで駆けつけて受話器を取った。結構長い。なんの話をしているのだろう? 


 カトリーヌが静かに受話器を置いた。ちょっと困った顔をしている。


「何かあったの?」


「アオイ。最初に言っておくけれど、これは総領様直々の命令です」


「……」


「命令は二つ。総領様の所へ行くまでにわたしたちの国の言葉を覚えてほしい。それと、これからはわたしたちの国の服を着て生活してほしい」


 敵国の言葉を喋って民族衣装を着ろと言っているのだ。覚悟は決まっている。そんなことくらいなんでもない。


「わかりました」


「よかった。嫌と言われたらどうしようかと思っていました。私は教師の資格も持っています。教えることには自信があります。あなたにぴったりの服を仕立てたいので明日採寸します」


「似合うかな……」


「はい。アオイはとても美しいから」


「褒めてもらっても何もあげることができない。ごめんなさい」


「気持ちだけ下さい。他には何もいりません」


「……」


 カトリーヌは壁の時計をチラッと見た。


「もうこんな時間になってしまいました。そろそろ寝ましょう。私は隣の部屋にいます。何かあったらベッドサイドの呼び鈴を押してください。お風呂は部屋の一番奥のドアを開けて下さい。着替えはこのクローゼットに入っています」


「ありがとうカトリーヌ。おやすみなさい」


「おやすみなさい、アオイ」


 彼女は軽く手を振りながら部屋を後にした。不思議な気持ちだった。カトリーヌ、あなたは敵国の人。憎むべき敵のはず。なのにとても信頼できる人のような気がする……。いえ、わたしはあなたの国と戦っている。カトリーヌは敵。決して心を許してはいけない。


 お風呂に入った。とても気持ちがいい。ふくらはぎの傷を見ているといろいろなことを思い出した。ユウキは何をしているのだろう。捕まってなければいいのだけれど……。ああ、どうか無事でいて。ユウキ、絶対に敵の手に落ちてはだめ。わたしが敵国に連れ去られたらもう会えないかもしれない。


 涙が込み上げてきた。白い大きなバスタオルで涙と体を拭き、水色のパジャマを選んでシャンデリアのスイッチを消した。ふかふかの羽毛布団と大きなベッドが部屋の真ん中にある。ユウキは今夜どこで寝ているのだろうか。


 カトリーヌは教えてくれなかったけれど、ここはどこなんだろう。カーテンは閉まっている。外には何があるのだろう。わたしは窓際に近づいて耳を澄ました。


 ゴゴゴゴゴゴゴゴ


 地を這うような低いくぐもった音。カーテンを少しめくって外を見た。


 この部屋は2階にあるんだ。少し離れた所に月明かりに照らされた自動車の列が見える。トラックが多い。荷台にはこぼれ落ちそうなほどたくさんの人影。兵士たちだろうか。ゆっくり走っている。


 大きな荷物を積んだトラックが通過した。荷台には見慣れない形のものが積まれていた。四角い大きな檻。運転台の天井から荷台の一番後ろに斜めに載っている。斜めに傾いた檻?

 

 窓に顔をくっつけた。檻には長い筒が20本くらい入っている。あのトラックも、このトラックも、次も、また次も……。結局、50台くらい通過した。


 何かが記憶に引っかかっていた。斜めに傾いた檻、長い筒……。訓練小隊の時に学んだはずの何か。 もしかして……ロケット弾? あんなにいっぱい……


 大変! 


 早く司令部に知らせなければ。でも、どうやって?


 ふと思い出した。古い黒電話があったはず。ひょっとしたらあれが使える……なんてことはないか。さっきカトリーヌは『総領様』直々の電話だって言っていた。『総領様』が電話に出たらどうしよう。「受話器を上げたらカトリーヌが出るかと思ったんです」とかわたしたちの国の言葉でまくしたててすぐ受話器を置けばいい。きっと総領様は大目に見てくれるだろう。試してみよう。もしかしたら普通に使えるかもしれない。……ああ、でも、護衛隊司令部の番号を覚えていない……


 そうだ、スズキ中尉の私物のスマートフォンの番号なら思い出せる。呼吸を整えて受話器を持ち上げ、ダイヤルを回した。


 トゥルルルルルルー   お願い、繋がって!


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