8-1 + 監禁 +
作戦が始まって3日目の夜。わたしたちの狙撃陣地の周辺は静かだ。交代で寝るためにユウキは茂みの中のテントに入った。今夜も異状なし。ユウキから引き継ぎを受けたわたしは狙撃陣地で前方を警戒していた。何の前触れもなかった。突然後ろから襲われた。敵が何人いたのかすらわからない。一瞬のうちに頭に布をかぶせられ、薬のようなものを嗅がされた。薄れていく意識の中で、ユウキが敵に捕まらないことを祈った。
◇
真っ白な高い天井に豪華なシャンデリア。きらびやかな光。ここはどこなんだろう…… あれから何があったのだろう……
体にはふかふかの布団を掛けられていた。大きなベッド。一人で寝ているみたい……。何を着ているのだろう? 胸に触れると絹の肌触り。袖を見ると光沢のある綺麗なピンク色。本物の絹のパジャマなの?
「お目覚めになりましたか?」
わたしたちの国の言葉だ。正しい発音とイントネーション。セルフディフェンスに救出されたのだ。よかった!
若くて知的な女性がベッドサイドに座って微笑んでいた。絹のような光沢の赤と青の生地で仕立てられたボリュームのある服を着ている。変わった形の服。でもどこかで見たことがある……
「ここは……どこ?」
「ここはアオイ様の国の街の中です。戦闘中に我が軍に捕らえられたのですよ」
えっ、アオイ様の国って何? 我が軍に捕らえられたってどういうこと?
「アオイ様は我が国の大切なお客様です。我が国を統べる総領様が、狙撃金章という偉大な勲章を持つあなたをご所望になっておられます。アオイ様、私と一緒に我が国へ参りましょう」
彼女の声はとても穏やかだった。でも、何のことかさっぱりわからない。
「どういうことですか?」
「我が軍は、狙撃金章を授与された男女二人の敵兵に莫大な懸賞金をかけています。総領様は二人とも生け捕りにするようにとおっしゃいました。決して殺してはならないと命じられています。女性の方は、つまりアオイ様は大切な方として総領様のお側にお迎えすることになっているのです」
「なぜ?」
「総領様は敵味方にかかわらず女性の英雄を崇拝なさいます。狙撃金章を持つ女性英雄を、ぜひお側に迎えたいと熱望されているのです」
「女性英雄? 男性はどうなるのですか?」
「我が国へ移送します。そして総領様の前で拷問します。生きて帰ることはできません」
「……」
「軍服には狙撃金章の略章、軍隊手帳にはそれを証明する記述もありました。アオイ様は我々の大切なお客様なのです」
「よくわかりません」
「狙撃金章を持っていなければ、美しいあなたは今頃我が軍の男たちの慰みものになっていたのです」
「あなたは誰なの?」
「申し遅れました。私はアオイ様のお世話係をさせていただく者です。カトリーヌとお呼びください。ここを出ること以外、アオイ様のご希望をできる限り叶えて差し上げるのが私の仕事です。なんでもお申し付けください」
つまり、わたしは捕らわれて総領様とやらの慰みものにされるために敵国に護送されるってこと? カトリーヌって何? 確かに顔立ちはお人形さんみたいに整っていてまさにカトリーヌって感じだけど。でも本当の名前じゃないに決まっている。スパイ映画のコードネームみたい。ここを出ること以外ならなんでも聞いてくれるのね。わたしはここを出てユウキと一緒に戦いたい。彼は無事なのだろうか。
「カトリーヌ、教えて。ここは本当はどこなの?」
「ここはアオイ様の国の中です。お許しください。それ以上は申し上げることができないのです」
「そうなのね。残念。カトリーヌはわたしたちの国の言葉がとても上手だけれど」
「我が国の大学とアオイ様の国の大学院で習得しました。私は軍人ではありません。民間人です。軍に徴用されるまでは翻訳者として働いていました。私はアオイ様の国に憧れを持っているのです」
「憧れている? あなたの国にそんなふうに思っている人がいるなんて……。大学院卒ってことは、カトリーヌは25歳くらい? あっ、ごめんなさい」
「アオイ様、気になさらないで下さい。私は28歳です」
「カトリーヌ、お願いがあります。わたしのことは『様』を付けずにアオイって呼んでほしい」
「わかりました、これからはそう呼ばせていだたきます。アオイ、おなかが空いたでしょう。食事を用意してあるので、一緒に食べましょう」
はっきり言ってペコペコだ。でも、敵が作ったものなど食べられない。それに、わたしは総領様とやらへの献上品にはならない。
「カトリーヌの気持ちはとてもありがたいです。でも、わたしはあなたの国から出されるものを食べるわけにはいかないの。わかってほしい。それに、総領様という人には会いたくない」
「アオイは死ぬつもりなのですね。その気持ち、よくわかります。私はアオイが望むようにさせてあげたい。それが敵へのせめてもの情けと思うから」
この人にはわたしが考えていることがわかるんだ……
「けれど、あなたが死んでしまったら私は殺される。家族も殺される。愛する父が、母が、兄が、姉が、弟が殺されます。胸が張り裂けるほど悲しい。総領様はアオイを迎えることを近年まれにみるほど喜んで楽しみにしているのです。あなたが死んでしまったら、わたしとわたしの家族だけでなく一族も皆殺しになります。そうなったら、とても悲しい」
家族も一族も人質にとられているんだ。でも、こんなことを平気で言える彼女の本心がわからない。お世話係って言ってるけど本当は監視役のはず。わたしが逃げないように死なないように見張るのが彼女の仕事だと思う。そんなことは普通の民間人にはできない。試してみようか……
「カトリーヌは何もかもお見通しなんだね……。あなたの話を聞いて迷ってしまって。わたしが死ぬとあなたの家族や一族が殺される。生きるべきか、死ぬべきか……それが問題」
「シェークスピアですね。大好きです。私には夢があります。祖国を、人間の本当の姿を描くシェークスピアの演劇を、ハムレットやマクベスを誰はばかることなく上演できる国にしたい。そのためには私の命を捧げても惜しくはないです。一族に累が及ばないのであれば、私はあなたの望みどおりにさせてあげたい。この気持ちに偽りはないのです」
彼女はやっぱり普通の人ではないようだ。独裁者に刃向かうようなことを平気で口にしている。何かの罠なのだろうか。彼女にはこちらがどんな小細工をしても無駄な気がする。率直に聞いてみるしかない。
「ねえ、カトリーヌ。そんなこと普通は話さないと思います。わたしはあなたの敵。今あなたが言ったことは国への反逆。どういうこと? わたしをおとしいれる罠なの?」
彼女の美しい顔が急に歪み、その大きな瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「アオイがそう思うのは仕方のないことです。わたしはあなたのことを他人とは思えないのです。なぜなら、亡くなった妹にあなたがそっくりだから。私のことをいつも気にかけてくれた優しくて美しい妹に」
彼女はハンカチで涙を拭くと、わたしの目を見つめた。カトリーヌの目は黒く潤んで澄み切っている。この人は嘘を付いてはいない……ようにしか見えない。ああ、この人が嘘をついているとしたらその演技力は凄まじい。彼女はわたしなんかが敵う相手ではない。
見事としか言いようのない芝居を見せつけられて、わたしも覚悟を決めた。わたしも芝居をしよう。下手かもしれないけれど。騙されたふりをして総領様という人の所へ行く。どうせ死ぬならその寝首を掻いてからでも遅くはない……
「カトリーヌ、わかりました。わたしは死なない。約束します。出された食事は感謝していだだきます」
「アオイ……」
彼女はわたしの髪を白い指先で撫でた。優しすぎる。
「用意をしてきます。部屋まで運びますので少しお待ちください」
カトリーヌはそう言って立ち上がった。華麗な民族衣装。ため息が漏れた。彼女は裾を揺らしてドアを大きく開けると、衣擦れの音を残してどこかへ消えた。
◇




