6-3
わたしたちは山の斜面を登った。落葉樹に混じってところどころ常緑樹が生えている冬の雑木林。斜面に足を掛けると枯れ葉とその下の柔らかい土のせいで靴が滑る。思っていたより大変。
汗がしたたって息が上がる。腕時計を見る。出発してから約20分。敵はわたしたちが作った陣地を見つけた頃だ。わたしたちが西に逃げたことなんてあっというまにわかるはず。なぜなら、東はグローブ学園のある街。北も南も敵が完全に制圧している鉄道の沿線。わたしたちはセルフディフェンスが守る西へ、深い森の中へ逃げるしかないのだから。
ビシッ
空気を切り裂く鋭い音。
ビシッ
ビシッ
敵とはまだ1㎞以上離れているはず。でも、ここまで弾が届くということはサブマシンガンではない。けれど見通しはそれほどよくないし、動いている標的を狙っても簡単には当たらないはず。
「ユウキ、弾が飛んできた。ライフルっぽい」
「急ごう」
木々の間を縫って登る斜面。いくら急いでも平地を歩くより遅い。でも、ここを登り切れば助かるはず。
「この調子で行けば余裕だよ。アオイはこのペースで登り続けることができるかい?」
「わたしは大丈夫。ユウキは?」
と振り向いた時、ユウキがゆらりとよろめいて、右の太ももを押さえながら、枯れ葉の積もった斜面にドサッと倒れた。
「ユウキ!」
大変! 迷彩ズボンが血に染まっている。わたしは斜面を駆け下りてユウキを抱きかかえた。低木と枯れたツタの茂みの中に横たえてナイフで彼のズボンを切り裂いた。太ももの内側から血が吹き出している。動脈が傷ついていたら命に関わる。弾は残っているようだ。骨の状態はわからない。
救急キットから止血帯を取り出して右足の付け根にきつく巻き、傷口にガーゼを目いっぱい詰め込んで包帯で覆った。
「ありがとうアオイ。でも、この傷では歩くことができない……。先に行ってくれ」
わたしはスマートフォンでスズキ中尉に連絡した。
「こちら第5狙撃班。ユウキ隊員が右太ももに被弾。止血処置済み。意識あり。歩行不能。わたしもここに留まります」
「了解。位置は確認した。ただちに戦闘ヘリを飛ばしてそちらの援護に向かわせる。救援ヘリも全速力で行くから待ってろ。私も乗る。30分で着くからそれまで全力を尽くせ」と、中尉は落ち着いた声で約束してくれた。
「ユウキ、これから戦闘ヘリを飛ばして援護してくれるった。小隊長も救援ヘリに乗ってあと30分で助けに来てくれるよ!」
けれどユウキはちっとも喜ばなかった。それどころか、とても恐い顔をしてわたしを睨んだ。
「30分か。間に合わない。ここにいたらヘリに収容される前に包囲される。逃げるんだ。早く!」
「ユウキ、何言ってるの?」
「間に合わないんだ。早く行け、行ってくれ、アオイ!」
「行かない。わたしはあなたを守る」
「敵は2000人以上いるんだ。勝ち目はない」
「わたしはあなたをショウと同じ目に遭わせたくない。あなたを置いて行ったらわたしは同じ悲しみを二度も味わうことになるの。そんなの、とても耐えられない。だからここであなたを護る」
「だめだ、アオイには生き抜いてほしいんだ。君をモエと同じ目に遭わせたくない。わかるだろう。僕も同じ苦しみを二度も味わいたくないんだ」
ユウキは腰のホルスターのカバーを外し、右手でピストルを取り出した。黒い鉄の塊が鈍く光った。
「アオイ、頼むから行ってくれ、君には生き残ってほしい。ショウやモエのことを決して忘れず、生き抜いてほしいんだ」
ユウキはそう言うと、ピストルのスライドを左手で一気に後退させた。シャキーンと鋭い音が響いた。弾を装填したのだ。まさか、一人で敵と戦うつもり?
「わたしも戦う!」
「早く行くんだ、アオイ!」
「行かない。あなたと一緒に戦う」
「だめだ、行くんだ! 君が行かないのなら、僕はこうするしかない」
ユウキはピストルの銃口を自分の頭に向けると、こめかみに当てた。
「ユウキ、だめ!」
「行け! 生きるんだ!」
わたしは彼の右手首を両手でつかんだ。けれど、ユウキは一瞬早く引き金を引いた。
◇
不発だった。
わたしはユウキの右手に全体重をかけ、こめかみから銃口を遠ざけた。
「死なないで。あなたが死んだらわたしも死ぬ」
彼は力を抜いた。ピストルが枯れ葉の上に落ちた。わたしは彼の上に覆い被さった。わたしの涙が彼の頬にこぼれ落ちた。
「アオイ……」
ユウキは右手でわたしの頬にそっと触れて、わたしの瞳を見つめた。わたしも彼の瞳の奥を見つめた。
無数のライフル弾が頭上を飛び越えていった。弾が空気を切り裂く音以外はとても静かだった。冬の昼下がり。無風。
◇
どれくらい時間が経ったのだろう。気がつくとゴオオオオオーッと空から竜巻のような音が聞こえた。涙を拭って振り仰ぐと、稜線を超えてヘリコプターが3機飛んで来るのが見えた。ヘリはあっというまに上空を通過した。龍のような形。戦闘ヘリだ。わたしたちの国の紋章が細い胴体に描かれている。スズキ中尉に連絡を。
「こちら第5班。セルフディフェンスの戦闘ヘリが上空を通過しました」
「了解した。戦闘ヘリからも連絡があった。これから直ちに敵に反撃を加える。救援ヘリは15分後にそちらに到着する。ユウキ隊員の意識はあるか」
「あります。他の班の状況はどうですか」
「全員無事。順調に撤退中」
「了解」
よかった……
「ユウキ、あと15分で救援ヘリが到着する」
「わかった」
戦闘ヘリは斜面に沿って飛行しながら裾野をめがけて機関砲を撃ち始めた。一音一音が区切られた射撃音ではなくて、ウオーッと唸るような、今まで聞いたことのない音だった。小さな翼の下からロケット弾が連続して数十発発射されると山裾に轟音が響き渡り、閃光が走った。戦闘ヘリはそのまままっすぐグローブ学園の方に飛んでいった。時計を見た。あと10分。
バシッ、バシッ、バシッ バシッ、バシッ、バシッ
5mほど離れた大木に弾が当たったようだ。細い枝が何本も降ってきた。これは……わたしたちを狙っているのではなさそうだ。何を狙っているのだろう。……そういえば訓練小隊の頃、講義で聞いたことがある。敵は「督戦隊」という組織を持っているという。恐ろしいことに自国の兵士が逃走すると背後から射殺するのだそうだ。逃げ出す兵士がいるのだろうか。サブマシンガンを持った兵士たちの後ろには督戦隊が銃を構えているのかもしれない。
再び味方の戦闘ヘリが飛んで来た。今度は海側から山裾に機関砲を撃ち始めた。ヘリはどれだけ弾を積んでいるのだろう。敵はいったいどのくらいいるのだろう。2000人以上だって聞いたけれど、街全体にはそれより多くの敵がいるはず。
戦闘ヘリは山の中腹で反転した。わたしたちの真上を通り過ぎると、再度ミサイルを発射した。大きな爆発音が聞こえ、さっきまでわたしたちが陣地を構えていた辺りから黒煙があがった。
3機の戦闘ヘリは急上昇して反転すると、編隊を組んで稜線の向こうへ消えていった。チラッと腕時計を見た。救援ヘリの到着まであと5分。
◇
ダダダ
乾いた三連射。斜面の下からだ。
カカカッ
キツツキが木をつつくような着弾音。
敵のサブマシンガンだ。姿は見えないけれど近い。
ユウキと目を合わせてうなずき合った。わたしは5㎜ライフルを背負った。ユウキの体を後ろから抱えて大きな木の後ろに動かす。灰色の幹の陰から斜面を見下ろすと、低木の茂みが揺れている。黒い服がチラチラ見えた。距離は約50m。
ユウキは木の根元に伏せてピストルのスライドを引いた。排莢口から不発弾が飛び出して枯れ葉に埋まった。彼は新しい弾を慎重に薬室に送り込んだ。
わたしは彼の左横で立て膝の姿勢をとった。半身を木の陰に隠し、5㎜ライフルのコッキングハンドルを操作して弾を装填した。安全装置を回し、連射の位置にカチッと合わせる。
時折聞こえる敵の三連射は、わたしたちの姿を確認して撃っているわけではないようだ。威嚇射撃のつもりだろうか? でも、索敵中に威嚇射撃をするなんて自殺行為だ。敵は戦闘の経験が無いのだろうか? というより、訓練すらまともに受けていないように思える。
黒服たちがガサガサと藪から出てきた。10人が横に10mほど散開して、キョロキョロしながら斜面をゆっくり登ってくる。距離は40mを切った。チラッと時計を見た。救援ヘリが来るまであと3分。
敵は30秒ほどでわたしたちを発見するだろう。今ここで敵を倒さなければ、わたしたちは包囲されてしまう。先制攻撃しかない。
「ヘリが来るまであと3分。先に攻撃しなければ包囲されて捕まる」とささやいた。
「わかった。僕は左端から順番に撃つ。アオイは右端から頼む。タイミングは僕に合わせてほしい」
「了解」
ライフルの照準を右端の黒服に合わせた。距離は30m。もう少し引き寄せてから撃ちたい。ユウキがすうーっと大きく息を吸う気配がした。わたしも彼の呼吸に合わせる。ユウキがゆっくり息を吐く。わたしもゆっくり息を吐く。20m……。彼が息を止めた。わたしも息を止める。15m……
今だ!
引き金を引いた。
黒服が次々に倒れていく。苦し紛れにサブマシンガンの引き金を引いたのだろう、ダダダという音と共に木の幹にビシビシと弾丸が食い込んだ。けれど銃声はすぐに途絶えた。敵は倒れたまま動かない。時計を見た。あと2分で救援ヘリが来る。マガジンを入れ替えて新たな敵に備える。
チュイーン
ドーン
わたしたちが隠れている木の幹を弾がかすめ、背後で大音響がこだました。さっと振り返ると、10m程離れた所に生えている直径30㎝程の木の幹が真っ二つになった。木が空中に浮いている……と思ったらこちらをめがけて倒れてきた。5㎜ライフルを放り出し、ユウキに覆い被さる。ドサーッという大きな音と共に頭や背中や足に枝がムチのように当たり、大きな風が巻き起こった。
しばらく動けなかった。おそるおそる目を開けると、ユウキが首を傾けて心配そうにわたしの顔を見ていた。体を動かすと背中が少し痛んだ。折れた枝に埋まっていたけれど、幸い太い枝は当たらなかったようだ。
「アオイ、だいじょうぶか?」
「うん」
ドカーン
今度は爆音と共に、さっきまでわたしが身を隠していた直径60㎝ほどの大木から木屑が一気にぶわっと吹き出した。耳の奥でキーンという音がする。
完全に狙われている!
木の幹を見上げると、地上1mほどのところに大きな穴が貫通していた。すごい威力……。大きなライフル弾だ。とても近い所からわたしを狙っている。
「・・・・・」
ユウキの口が動いている。何か言ってるんだ……
「えっ、何? よく聞こえない」
「・・・・・・危険だ! ・・・・・ヘリが撃墜される! 敵は14㎜を・・・・・300から撃っている!」
やっと聞こえた……。ユウキの言うとおりだ。このままでは救援へりが危ない。
「中尉に連絡する!」
特に危ないのはヘリがホバリングしている時だ。パイロットやエンジンやローターを撃たれたら墜落する。すぐに知らせなければ。
時計を見た。救援ヘリの到着まであと1分しかない。スマートフォンを掴む。
「こちら第5班、緊急連絡です!」
「スズキだ。間もなく着く。位置は把握している。心配ない」
「来てはいけません! 敵は14㎜ライフルを距離300mから撃っています。ここに近付いたらヘリが撃ち落とされます!」
「私を誰だと思っているの? あなたたちの上官よ! 必ず助けるから14㎜の位置を教えなさい!」
泣きそうになりながら、コンパスを見た。木の幹の穴から割り出した敵の位置を連絡する。
「現在地から真西に300mです」
「わかった。二人とも警戒を怠らず待ってなさい、すぐ終わらせるから」
バタバタバタバタバタ……
聞こえてきた……。ヘリのローターとエンジンの音だ。
稜線を超えて救援ヘリが飛んできた。戦闘ヘリとは違ってずんぐりしている。胴体に描かれたわたしたちの国の紋章が眩しい。全開の右スライドドアから銃身が突き出ている。ヘリは轟音を響かせて低空を飛び、西300m付近で右に急旋回した。
ドドドドドドドドドドド
12㎜機関銃の特徴的な発射音が聞こえてきた。使っている弾丸は狙撃用ライフルと同じだ。スズキ中尉は、敵の狙撃兵の真上で機関銃の銃身を真下に向けることができるようにパイロットに指示したのだろう。
ローター音とエンジン音が大きくなった。掃射を終えたヘリはこちらへまっすぐ飛んで来た。わたしたちが隠れている木の斜め上でホバリングを始めると、一人の隊員がワイヤーで降下してきた。ストンと着地したのは、セルフディフェンスの逞しい男性隊員だった。胸に空挺記章が見えた。
「ノダ曹長です。負傷者から先に収容します」
曹長はユウキを抱きかかえてヘリの真下まで運んだ。手際よくストラップを装着し、カラビナでワイヤーと繋ぎ、「すぐに迎えに来ます」とニッコリ笑って言うと、上を向いて合図を送った。
曹長とユウキの体がすうーっと引き上げられていく。ほどなくして曹長は再び降下してきた。ストラップをわたしの体に装着して手際よくワイヤーに繋いだ。5㎜ライフルは置いていくことにした。曹長に抱きかかえられ、ワイヤーで引っ張り上げられる。
「もうだいじょうぶですよ」と、曹長が言ったその時、左のふくらはぎにパシッと衝撃を感じ、軽い痛みが走った。抱きかかえられているので下を見ることができない。足を動かしてみた。だいじょうぶ、吹き飛んではいない。血が噴き出しているような感覚もない。たいした傷ではなさそうだ。
おそらく7㎜ライフル弾だ。訓練小隊での講義のとおりだとしたら、もしこれが14㎜ライフル弾だったら、かすっただけで膝から下が無くなっている。ホバリングの爆音と風圧に負けないように、
「狙われている」と大声を出した。
けれど、ノダ曹長には聞こえなかったのかもしれない。いや、単にわたしが不安がっているだけだと思われたのだろうか。曹長は、『安心しなさい』とでも言うように、にっこり笑って、わたしの体をさっきよりも広くカバーするようにきつく抱きしめてくれた。そして、「だい……」と言いかけたところで何かが曹長の背中にドンッと当たるような気配がして言葉が途切れ、曹長はがっくり頭を垂れた。
まさか……
右手を伸ばして探ると、曹長の背中からぬるぬるした生暖かい液体が流れ出していた。ああ、どうしてこんなことに……
「曹長! ノダ曹長!」
呼んでも返事がない。頭が真っ白になった。どうしたらいいのだろう。ああ、どうしたらいいの。誰か教えて!
その時、『みんなに知らせるんだ!』という声が聞こた。 誰? 誰なの? あなたは誰? もしかして、ショウ、あなたなの? 『上に向かって合図するんだ!』
ヘリを見上げた。開け放たれたドアから胸に空挺記章を付けた男性隊員の姿が見えた。
「撃たれた!」と大声で叫び、血に染まった右手を大きく振って見せた。
声は、たぶん聞こえていない。けれど、ただならぬ気配に気付いたのだろう。機内を振り返って何か指示しているように見えた。
エンジン音がいきなり大きくなった。鼓膜が破れるかと思うほど甲高くなってグーンとGがかかった。両腕で曹長を力一杯抱きしめる。腕がだんだんしびれてきた。雲が遙か下に見える。信じられないほど高く上昇している。寒くて息が苦しい。もう限界、と思った。
いつのまにかわたしは機内に収容されていた。カラビナとストラップは外されていた。隣では背中の傷を衛生記章を付けた隊員と空挺記章を付けた男性隊員が心肺蘇生法を行っていた。けれど、再び曹長の心臓が動くことはなかった。わたしは曹長の体にすがって泣いた。涙が止まった時、スズキ中尉は何も言わずわたしを抱きしめた。
ユウキの右太ももの銃創は洗浄して包帯が巻かれた。鎮痛剤が注射されると、彼は眠ってしまった。飛行中、衛生隊員は何度もユウキの止血帯を調整した。
わたしの左ふくらはぎの傷は弾がほんの少しかすっただけだった。ヘリは高空を飛び、標高約3000メートルの真っ白な水晶山の山頂を軽々と越えた。




