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環境で全てが決まってしまうなら、私はここで朽ち果てるということだ。ここから抜け出すための、違う未来に進むための、切符がほしい。ずっとそう思いながら生きてきた。
ここにいることは本当に現実なのか。時々真剣に考える。
私は今、初等部から大学までエスカレーター式のお嬢様学校に在籍している。私でも名前くらいは知っていたんだから、相当知名度が高い学校なんだろう。今年の一月、高等部の一年に編入した。母の再婚相手がなかなかの金持ちで、転校を強く勧められたからだ。
編入して三か月ほどは、異世界へ飛ばされたような気分だった。
金持ちの彼女達も私達庶民とさほど変わらないと思ったのはごく最初だけで、しばらく話すうちに、それは大きな誤りだとわかった。口調はくだけていても、端々に混じる教養。歌舞伎や能などの伝統芸能や古典の書物、美術や音楽といった芸術が小さい頃から身近にないと、あの台詞は出ない。今まで、できる限り知へのアンテナを張ってきたつもりだったけど、当たり前に与えられてきた人間とは蓄積が違うと思い知らされるばかりだった。私がアプローチの方法すら知らなかった存在に、彼女達は自然にふれてきたんだから。この状況を表すのにうってつけな、文化資本という言葉も、この頃知った。
知らない話を振られたら、あんまり詳しくなくて、と言ってお茶を濁し、帰宅後すぐ、義父に買い与えられたパソコンで必死に調べた。少しずつ知識は蓄積されていったけど、周囲もあいつは何も知らないと察し始めたんだろう、次第に話を振られなくなった。品のいい彼女達は、あからさまにいじめるような真似はしなかった。でも、ちょっとした瞬間に垣間見えてしまう蔑みの表情はなかなかにきつく、私の方も必要最低限しか話さないようになった。まあ、社交に費やす時間を勉強に充てられるんだから、それでいい。割り切りは得意だ。
「苦労をバネにして」なんて大嘘だ。苦労が多いと、欠落を埋めることばかりに必死になって、人を信じることができない、卑屈な人間ができあがるだけだ。苦労は顔に滲み出る。そんな奴とわざわざ関わろうとする人間は少ないし、一人で生きるにはバネが伸びきっていて脆い。金と愛情を溢れんばかりにかけられて、大事に育てられてきた人間の強靭さに、かなう訳がない。
母が再婚するまで、私の人生はどしゃぶりだった。
血縁上の父は、私が五歳になった日、家にある金を全て持って女と逃げた。出ていく前に頭をなでられたことを、なんだか妙に覚えている。いつもそんなことしないのに、おかしいな、そう思って外に出ると、扉の向こうには雪景色が広がっているばかりで、父の姿はもうどこにもなかった。
一緒に小料理屋をやっていた母は、店の金を持っていかれたことより、あんたの将来にと貯めてた金を盗られたのが痛かったと言っていた。あんたの父親は無駄に人好きする男だったけど、金と女にだらしなくて、こんなこともあろうかと銀行の貸金庫にへそくりしてた、おかげでなんとか切り抜けられたのと言い、苦笑しながら窓の外を眺めた。
母が再婚したいと言ってきたのは、青天の霹靂だった。私がぎりぎりの生活を送っている間に、母は楽しくやっていたんだ、という思いも、正直、なくはなかった。でも、名前を聞いて、納得した。相手は常連客の一人で、店の客層ではかなり珍しい、いつもにこにこしている品のいい男性だった。地味な顔立ちだけど、感じがよく、誠実そうで、間違っても父のように女と逃げたりはしないだろう。いいんじゃない、賛成するよ。私がそう言うと、母はほっとした表情を浮かべた。
いいんじゃない、再婚すれば、安定した生活ができるし。さすがにその言葉は飲み込んだ。母だってそろそろ楽になっていいはずだから。
再婚前に一応顔合わせということで、母と義父と三人で食事をすることになった。たいして盛り上がりはしなかったけれど、なんとなく覚えている会話がある。
僕、結構スキー好きなんだけど、今度一緒に行かないかい?ユキちゃんはスキー、好きかな?あれ、スキーが好きって、なんだか駄洒落みたいだね。歳を取るとくだらないことを言うようになってしまってだめだねえ。そんなことを言いながら、義父は笑う。
名前はユキだけど、雪はあまり好きじゃないし、スキーにも興味ないです。きっぱりそう言うと、義父は、そうなんだ、残念だなあ、と、さほど残念に聞こえない声音で答え、目を細めた。
スキーに行ける唯一の機会を、私は蹴った。
中二の修学旅行は他県にあるスキー場だった。行きたくない訳じゃなかった。本当は何も考えずに遊ぶという経験をしてみたかった。でも、毎晩暗い顔で帳簿を付けている母を見ていたら、私には行かないという選択肢しかなかった。修学旅行に充てる金があれば、何日も食いつなげる。
「スキー楽しみだね!」
近くの席の女の子が無邪気に話しかけてくる。
「私、行かない」
「どうして? 修学旅行だよ?」
「その時期、店が忙しいしね」
私は精一杯の見栄を張ってそう言った。行かない理由を問われたらどう答えるか、何度も想定していたから、驚くほどするりと言葉が出た。
「でもきっと、ユキちゃんのお母さんももっと頼めば行かせてくれるよ。ユキちゃんがいないと寂しいよ」
彼女の言う通り、母は頼めば快く願いを叶えてくれる人で、小さい頃は古着をリメイクしてなるべく可愛い服を着せようとしてくれたり、爪に火を灯すようにお金を貯めて流行りのおもちゃを買ってくれていた。だからこそ、絶対に言いたくなかった。
「うーん、でもほんとお母さん一人じゃ大変だと思うし」
早くこの話題終わんないかな、そう思っていると、ガタリと音がした。
「浅井のこと、あんまり困らせるなよ。可哀想だろ」
音の方を見ると、近くの席の男子が女の子をたしなめていた。
これが一番むかついた。俺はわかってるよ、みたいな目。私は、ぬくぬくと育ってきたお前に、憐れまれるなんてまっぴらだ。
「私は可哀想なんかじゃないよ。お店のこと好きだから」
私はそれまでの人生一番の笑顔で答えた。
ここから抜け出すには、勉強しかない。小学校の社会科で職業について学習した時、悟った。女性の職業選択肢は少ない。そして、金を稼げる、いわゆるエリートと呼ばれる職業に就くためには、学歴がいる。店番の合間に教科書を読んだ。それこそ、手垢にまみれ、擦り切れるほど。他の娯楽がなかったのもあるし、塾に行くことのできない私は、それくらいしか巻き返しの術を持たなかった。
絶対に負けたくない。環境にも、甘やかされて育ってきた同級生達にも。
そう思っていても、現実は厳しい。学費のことを考えると、私立は論外だった。模試の結果から、公立のトップ校に余裕で受かることは想定できたけれど、運の悪いことにその高校は学区内で最も遠く、通うにはどうしても交通費がかなりかかる。私は自宅に最も近い、2ランク落とした学校を受験した。
早朝と放課後は近所のコンビニと新聞配達のバイト。夕方からは母の店の手伝い。勉強は深夜。たぶん、がんばればもう少しバイトを増やすことも可能だったけど、セーブするのも大事だろうと判断した。結果、バイト代は大した額にならないし、いつも眠いと思ってた。トップの成績はキープしていたけれど、もっと偏差値の高い学校に通えていたなら、バイトの負担がなければ、私の学力はもっと伸ばせるんじゃないかという思いが、どうしても時折頭をかすめた。
甘やかされて育ってきた同級生は、苦もなく明るく整備された道を進んでいく。
名前はユキなのに、私の人生はどしゃぶり。ぬかるんだ道に足を取られて転びそうだ、なんて、全然シャレにならない。
あんなにほしかった未来への切符は、えらくあっさりと手に入ってしまった。母が義父に身売りをしてくれたおかげで。母は小料理屋を閉めた。今は悠々自適な専業主婦で、店で出していた料理を私達のためだけにふるまっている。なんて贅沢。再婚してからの母は、いつもにこにこしていて、ずいぶん若返った気がする。朝から晩まであんなに身を粉にして働いて得られる金はわずかだったのに、家事をするだけでこんなに優雅な生活ができるなんて、母自身びっくりしているに違いない。