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第六章

第六章


「えっ?そんなの絶対イヤよ!」

家に戻った吾郎はまず事情を妻の由紀に説明した。由紀は夕方のニュースで銀座の出来事を知っていた。その騒ぎを引き起こしたまま行方がわからなくなった物騒な武士がやってくるという。犯人はとても正常な人間とは思えない。当然ながら猛反対した。

「実はその男、自分は織田信長だって言ってんだ」

「何言ってんの。そんなの頭がおかしい人に決まっているじゃない。尚更そんな人を家に泊めるなんて出来ないわよ。日比谷公園に引き返すなんてやめてよ」

「そうなんだけど、もし彼が本当に織田信長だったらどうよ」

「そんな事あり得るわけ無いじゃない。あなたまでどうかしちゃったの!?」

「いや話をした限りでは頭がおかしい人には見えないんだ。目をみたら判るよ。で、話をしてみるととても現代人とは思えなくなってきたんだ。兜も見せてもらったんだけど、かなりリアルだし。刀捌きとか馬とか見ても」

いくらそう言われようが由紀にとっては信じられるはずが無い。

吾郎は自称信長が決して気が狂った男ではないこと、闇雲に危害を加えるような人間には見えないこと、更に吾郎も信長から聞いた話を全部鵜呑みに信じているわけではないことを正直に話した。

「たださ、もし本当に信長だったら凄いよ。戦国武将と一緒に生活した奴なんていないからさ」

「だからそんな事有り得っこないじゃない」

「ん~、でもとりあえず連れてくるだけ連れてくるから会ってみて判断しようよ」

「いやよ、そんな人。怖いし」

「大丈夫だって。僕の方で面倒見るから」

しばらくの押し問答の末、連れてくるだけ連れてきて、それから会った上で判断してよと、なかば強引に由紀を説き伏せた。


信長用に誰も使っていない和室を片付け、車庫の中は馬のスペースを確保できる程度に工具類、アウトドア用品らを手早く片付けた。


再び日比谷公園に向け出発したのは午前二時を過ぎ、そこから人気のない日比谷公園の霞門の近くに車を止めて、信長の待つ木陰に到着した頃には既に三時になろうとしていた。


この間信長は、はたして吾郎が戻ってきてくれるものかどうか、その事をずっと気に掛けていた。昨日まで意のままに何もかも支配出来ていたはずの自分が、今はもどかしい程何も出来ない。既に夜も更け人影もまばらになってきた。吾郎が戻らなければ、再び夜を待って身を隠しながら味方を探さねばならない。

そんな不安をずっと抱えていた信長が吾郎の姿を再び見つけた。

「お~い、吾郎!ここじゃ!ここじゃ!」

信長は鎧を身に着けていることも忘れ飛び跳ねながら、片手で大きく刀を振り回しながら吾郎の到着を喜んだ。吾郎は歩きながら人差し指を口の前に置き、待ち人の大きな声を制した。

「お待たせしました。家の方の準備は終わりましたから、とりあえずこれに着替えて下さい」

家から持ってきた一枚のTシャツとジャージ、サンダルとぶかぶかの柔らかなサマーニットキャップを信長に渡した。鎧兜では、夜中とはいえ人々の注目を集めるに十分であった。吾郎にとってはそれ以上に信長の携えている刀が気懸かりで、一刻も早く引き取りたかった。

信長は鎧兜をはずしシャツ、ジャージを身に着けると、手で撫で下ろしながら柔らかな感触に驚いた。サンダルを履き、キャップを深めにかぶせられ、鎧をむら雲の背に乗せ人気の失せた公園をゆっくりと歩き始めた。ひづめの音が響かぬように土の上を選んで注意深く踏みしめながら車のもとへと進んだ。


「おっ、これはわしが日中不思議に思っていた動き回る箱じゃ。吾郎も持っておるのか」

「これは自動車と言います。ただ車って呼んでいますけど。今は馬の代わりにこれに乗って移動するんです。殿にはむら雲を連れて帰ってもらわなきゃいけないんで今日は乗れませんが今度乗せてあげますよ。馬よりずっと早く走りますよ」

吾郎が車のエンジンをかけヘッドライトを点灯すると、信長は興味深そうに車内を覗き込んできた。その内には訳の分からない機械類がぎっしりと埋め込まれ、聞きたい事は山ほどあったものの、今は聞くまいと信長は自分に言い聞かせた。

「それじゃ出発しましょう。ゆっくり走りますから僕の横について来てください」

信長がむら雲にまたがった。と、その時。

「吾郎、わしの刀をどこへやった。刀をよこせ!」

腰に刀を携えていないことに気付いた信長は慌てた。見知らぬ地で家来も誰もいないなか、刀無しで夜道を歩くなど信長の時代では考えられないほど危険な行為である。

「大丈夫です。ちゃんと車にしまってありますから」

一方の吾郎はやっとで刀をトランクの中に隔離することが出来てほっとしていた。

「刀を返せ!夜道を丸腰で行くわけにはいかん」

(丸腰でいてもらわなきゃ、こちらも困るんだ)

「殿、先程約束したじゃないですか、刀は振り回さないと。それに今の時代は夜道を歩いていて命が危険にさらされるようなことはありません。夜中でも女性が一人で歩ける時代なんですよ」

とは言われても不安でたまらない。信長は必死に食い下がる。

「そうは言ってもじゃ。一応いざという時のためじゃ」

「そんな時は無いんですよ。逆に刀など持っていることが見つかれば、また追いかけられますよ!」

信長が諦めざるをえなかった。


ようやく一行は阿佐ヶ谷の吾郎の家に向け出発した。吾郎の車は馬に乗った信長を歩道側に挟み、時速二十キロほどのゆっくりとしたスピードで時折後続車に道を譲りながら走った。信長は丸腰の自分を追う者がいないか注意しながらも、周囲の様子に驚き続けた。

一行の脇を様々な形の車が次々と軽快に走り抜けていく。

道は恐ろしく平らで、石ころや草など見当たらず、道の表面に所々何やら文字や模様が書いてある。その文字の意味するところを問う前に道に文字が描ける時代に感心した。

道路の周囲には途切れることなく頑丈そうな城が連なって見えた。

夜中であるにもかかわらず、様々な色を発する光源で溢れていた。

(眩いほど綺麗な世界じゃ。何がどうなってこんな世に変わるんじゃ)

阿佐ヶ谷への道中、何度か車道に馬が走っていることに注意を向けた車もあったが、特に何事も無く小一時間ほどで吾郎の自宅に到着することができた。信長にとっては異空間の移動で、あっという間の出来事であった。更にその間一度もむら雲が土に触れることがなかったことを思い返してため息をついた。


早朝の珍客として吾郎の家の門をくぐると由紀が玄関で出迎えてくれた。

「初めまして」

由紀はまだ昼間の事件のことを思い、警戒しながら伏し目がちに挨拶をした。

「世話になるぞ」

信長はそれだけ言うとむら雲を吾郎にまかせ、自分から率先して家に入ろうとしていた。

(えっ)

その悪びれた素振りの無さが何故か由紀の警戒心を少しばかり和らげたが、まだ得体の知れない人物であることには変わりない。

(ちょっと!)

由紀は吾郎に目配せしながら玄関に向かう信長の背中を追った。

止めるわけにもいかず、どうしたものかと躊躇している由紀に吾郎が近付いて耳元で囁いた。

「刀は車のトランクにしまったからさ」

「そんなこと言ったって、どうするのよ。まだ・・・」

二人でひそひそと話をしている間にも信長は既に玄関をあがり廊下を奥へと歩いて行った。

由紀は渋々と後に続き、家に入れた以上まずは信長に風呂に入って貰うようお願いした。


吾郎が信長を風呂場に連れていき説明を始めた。

こんなに明るい風呂場など見るのも初めてだった。

湯が熱い時は水道の蛇口をひねる。

(?)

逆に湯を熱くしたい時は追い焚きボタンを押す。

(??)

シャワーの使い方はこうやって。

(???)

信長は吾郎が何を説明しているのかさえ理解出来ず、ただうわの空でうなずいていた。今日の勝手分からずじまいの一日にはホト々疲れきっていた。既に頭の中は、人間が一日に吸収できる新たな経験の許容量を明らかに超えていた。我々が普段当たりまえに使っている水道の蛇口ですら、四百年前の信長にとっては理解を超えた技術であった。そんな時代の人間にとってシャワーなど使う意味すらわかるはずも無い。ヘチマの感触を未だ知ることの無い信長はゴワゴワとしたウォッシュタオルで汚れた足を洗い、ツルツルしたホーローの湯船に体を浸けてみた。信長の頃の風呂といえば半身欲か蒸し風呂で、全身を湯に浸ける風呂など無かった。

この狭い空間でさえ、分からないことだらけだった。

しばらく湯船に浸かっていると四百年をまたいだ一日の疲れが噴き出してきた。

壁についている操作パネルを不思議そうに眺め、しばらくすると恐る恐る触り始めた。パネルの右下に触れた時である。急に風呂釜の両脇から泡が勢いよく噴き出してきた。

「うわおーっ!」

早朝のバスルームから叫び声が聞こえてきた。

リビングルームでは由紀がその声を聞いて不安げに吾郎を見た。

「大丈夫だって」

信長は飛び上がって湯船を出た。

(なんじゃ、この恐ろしい風呂は)

逃げるように風呂場を出てもまだ肩が上下していた。

脱衣所からは信長の脱ぎ捨てたものは全て消え失せ、風変わりな衣服がそこに置かれていた。それらを手に取ろうと足を踏み出すと、右に人の気配を感じビクッと立ち止まった。そこには洗面台の鏡に写った自分の姿があった。これほど平らで大きな鏡を見るのも初めてだった。鏡と判ると正面に向かい直し自分の姿をまじまじと眺めてみた。首から上が赤黒く日焼けし無精ひげが伸び、気にしたことすら無い細かな皴がたくさんあることを知った。

髪を濡らしたままの信長は、裸で脱衣所をでると誰を呼ぶともなく、自分の城でそうしているように唸るようにただ声を発した。

吾郎がニコニコしながらやってきて、パンツ、シャツ、ジャージを身に着けさせ、バスタオルで髪を拭くことを勧めながら、信長をリビングルームに招き入れた。

大きなテーブルの上には夜明けながら暖かいご飯と味噌汁、焼き魚、漬物が用意されていた。信長は馴染みの料理が並べられていることに感激し、簡単な礼を言うと貪るように平らげていった。

「殿、お酒飲みます?」

信長の食欲がひと段落したころを見計らい、吾郎はお猪口を持ちながら日本酒を勧めてみた。

「うむ」

普段はあまり酒を飲まない信長であったが、吾郎に勧められるがままに杯で四杯、五杯と飲み干した。

「美味い酒じゃ」

お世辞では無かった。今迄に呑んだことも無いような上品で見事な酒だと本心から思った。

しだいに酒の酔いが回りはじめた信長は、食欲が満たされたこともあり、だんだんと上機嫌になってきた。

吾郎は更にもう一杯酒を注ぎながら、

「これじゃ小さいから湯飲み茶碗でいきませんか?僕も付き合いますから」

信長は杯に口をつけたまま嬉しそうに吾郎を見やり、赤ら顔で吾郎の背中をバンバンと叩きながら頷いた。

現代に現れて十二時間以上が経ち、ずっと張っていた緊張の糸がこの旨い酒によってようやく弛んできた。

「いや~吾郎に由紀殿、本当に感謝するぞ。おぬし等も飲め」

徐々に気を許し始めたのか、はたまた酒のせいか段々と声は大きくなり、立ち振る舞いも更に威風堂々といったていを見せ始めた。

傍らでずっとその様子を眺めていた由紀は、自分が信長だと豪語するこの人物を、まだ信じきれなくてもまんざら嘘ではなさそうに思えてきた。

初めて信長に話しかけてみた。

「本当に織田信長さん?」

「本当じゃ」

「でも信じられない」

「儂だって何故ここにおるのかはわからん。ただもし儂が織田信長でなければ歴史は大きく変わるはずじゃ」

信長は自信たっぷりに答えた。

改めてこの男が本当に時代を飛び越えてやってきた織田信長だとしたら。

由紀には信長と一緒の生活がどんなものになるのか想像できなかった。


目の周りを赤くした信長は、食事を終え、礼を言うと吾郎に伴われて客室に案内された。翌朝には夢が覚めることを期待しつつ布団に入るやいなや、異常な疲れのせいで直ちに鼾をかき始めた。

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