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第五章

第五章


(織田信長だと?

戦の最中にこの国に紛れ込んだだと? 

夜遅く変な奴につかまっちゃったなぁ。

適当にあしらってさっさと逃げなきゃ)

男は、信長の冷静な話口調に多少安堵したようだったが、どんな相談事であろうと夜10時を過ぎた今は迷惑な足止めだった。ただただ何とかその場から早く去ることを考えた。

「あ~織田信長さんですか、始めまして。私も大好きな武将です。しかしその鎧といい馬といい、戦国時代そのもの井出達ですね。よほどお好きなんですね」

「おぬし、儂を知っておるのか?」

「知ってるも何も、織田信長ですよね。

日本人なら皆知ってるでしょう」

(日本人なら皆?)

「私も歴史小説が好きなんですよ。ただそこまでお金をかけるほどじゃないですけどね。」

(???)

男の言っている意味が分からなかった。

「かなりの戦国マニアとお見受けしました。頑張ってください。それじゃ」

男はさりげなく歩き始めようとした。

「待て」

距離はあるものの、信長がすっと刀を抜いて男の顔先に向けた。

「ちょっと待って下さい、物騒なものをこちらに向けないでくださいよ!」

「おぬしの言ってることがようわからん。とにかく儂等を助けてくれんか」

「助けるって、何を助けるんですか。刀を抜いて助けろ、って言われても無理ですよ。私も家に帰らなきゃいけないんで失礼します」

再び歩き出そうとすると、信長は更にぐっと刀を近づけ前に乗り出してきた。男は後ろにのけ反り、

「やめてください!警察を呼びますよ!」

お互い緊張した面持ちで睨み合った。

(警察? 誰じゃ?

ここまで待ってようやく見つけた奴じゃ、逃がす訳にはいかん。

ましてや仲間まで呼ばれては)

信長は刀をおろし、再び話し始めた。

「脅かして悪かった。とにかく儂はここがどこかも、どうやって儂の国に帰ったらいいのかもわからないんじゃ。頼む、力を貸してくれ」

またしばらく沈黙が続いた。

「お金ですか?」

「金がどうした?」

「お金が欲しいんですか?」

「誰が金の話なぞしておる、永楽銭なら帰れば山ほど持っておる。

儂は国に戻りたいだけじゃ。それ以外何も望んではおらん」

「馬と一緒にどこへ帰るんですか?そもそもここへどこからどうやって来たんですか?」

「先ほど話したであろう。戦の途中に川で躓き、気付いたらここに居ったのじゃ」

(気が狂ってる)

男はふーっとため息をつきながら肩を落とした。

「本気でそんなこと言ってるんですか?今の時代、ど・こ・で、戦なんてやってたんですか?」

「徳川方の援軍で設楽原におった。相手は武田の勝頼じゃ」

「それ、四百年以上前の話でしょう?今を何年だと思ってるんですか?2016年ですよ」

「なんじゃその二千年とやらは。今は天正じゃ」

一瞬の沈黙が訪れた。

「おぬし今四百年前と言ったの?」

「そうですよ。徳川家康に頼まれて、設楽原に三万の兵を出したんでしょう?千人もの鉄砲隊を組んで三弾撃ちで武田軍を蹴散らしたんでしょう?」

「儂の三弾撃ちを知っておるのか?」

(本気でいかれてるのか、このオッサン)

「知ってますよ。私も歴史は好きだし。長篠の戦いで勝利をおさめ、石山本願寺との和睦で、織田信長が天下人となるんじゃないですか」

(こやつ、本願寺との抗争も知っておる。

ましてや奴らと和睦するじゃと?

……そして天下人か。

だが四百年前の出来事? 歴史?

この奇妙な見たこともない風景は四百年後の世界だというのか?

儂は四百年の旅をしてここにおるということか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

「まことの事か?本気で言ってるのか?」

(オッサンこそ、本当に自分を信長と思ってんだろうか)

男も武士との会話で少し違和感を感じ始めていた。

「まことも何も歴史の教科書でも何にでも載っているでしょう。お見せしましょうか?」

“ビーッ、ビーッ、ビーッ”

“ザッ”

男の胸ポケットから突然着信音が鳴りはじめるやいなや、信長は一歩さがり、再び刀を抜いて男の目の前に突きつけた。

「なんじゃ!」

男は体を硬直させ、寄り目で鼻先に渋く光を放つ刀を見つめながらゴクッと喉を鳴らした。

“ビーッ、ビーッ、ビーッ、ビーッ、ビーッ”

信長も再び緊張した。

「何じゃ、その音は?」

「こっ、こっ、これは只の携帯電話ですよ。今止めますから・・・」

ゆっくりと右手をポケットに入れた男は、スマホを取り出すとボソボソと話し出した。

「もしもし、今取り込み中だから後でかけ直すよ。・・・うん」

「驚かせてすいません、家内からの電話でした」

男は鼻先の刀に神経を集中させながら小声であやまった。

「何を独りで言っておるんじゃ。

ところで先程の話はまことのまことか?信長は既に過去の武将なのか?」

「ほ、本当ですって。だから織田信長を皆が知ってるんでしょう?いまだ人気がありますよ。ただそれは本当に四百年も前の武将の話なんです」

「四百年」

「本当ですよ」

(・・・・・どうやって

・・・・・・儂の頭が狂ったか?

・・・・・・それとも夢か?

・・・・・・いや夢には思えん。

・・・・・・何かが起きている事は確かじゃ。)

信長の沈黙が続く。

必死に事態を分析しようと試みるも、もはやその域を超えていた。

(・・・・・この状況をもっと理解せねばならん。

・・・・・・だがそうするにはまだ時が必要じゃ。

・・・・・・とにかくこやつを味方につけて生き延びねば。

・・・・・・そのためには儂が信長本人であることを説得せねば)

信長は再び刀を下ろし、男に向かって話しかけた。

「すまん。儂は正真正銘織田信長本人じゃ。何故ゆえにここに紛れ込んできたのかも分からん。だが、ここでジッとしていても埒が明かんのじゃ。どうかおぬしの家で世話になれんか?」

「いや、その、そうは言われても織田信長本人がここにいるなんて誰が考えてもおかしいじゃないですか。そんな訳も分からない人を家に連れて帰るなんていやですよ。だったら本当にあなたが織田信長であることを証明できますか?」

男は武士の刀の動きに注意しながらも、次第にいらだつ気持ちをぶつけた。


(儂本人が儂であることを証明しろと)

実際困った。

今ここに自分を知っている者などいるはずもない。

(刀か。いや刀は渡すわけにはいかん)

信長は片手で顎紐を解いて兜を脱ぐと男に放り投げた。


「この兜はどうじゃ。織田家のものに間違いない物じゃ。調べてみてくれ。

しかし今は儂が信長であるかどうかは重要ではないのじゃ。とりあえず元の国に戻らねばならんのじゃ。その間しばらく世話をしては貰えぬか?」

信長はその生涯で見せたことのない謙虚さで男に嘆願した。


この織田信長に遭遇した平民然とした男の名前は菊池吾郎、四十三歳。六年前に友人とインターネット経由の通販会社を起業し、ようやく最近売り上げが伸びてきた。今日は午後二時から帝国ホテル内の一室で出資に関する長時間に及ぶプレゼンをしていたため、この日あった銀座の午後の騒動は知らない。遅い夕食もホテルで済ませ、今日提示された幾つかの条件を思い返し、夕涼みがてら公園に出向いてきたところだった。

吾郎の家は中央線の阿佐ヶ谷と西武新宿線の鷺宮をつなぐ中杉通り沿いにある。菊池家はかつてその近所一帯を所有する大地主であった。既に大半の土地は手放しているが、それでも都内にしては破格の広い庭と大きな門を有している。その敷地内には二十メートルを超える木々が何本もあり、春先には毎年鶯の声さえ聞けた。両親は温暖な熱海の別荘に移り住み、今は妻と息子の三人で住んでいる。客人を迎える余裕はあった。


信長と名乗る男は今朝まで戦をしていたという。にわかに信じられる話ではない。

しかしながらその風貌は妙なリアリティを醸し出していた。

確かに歴史の教科書に載っている肖像画に似ていなくもない。

先ほど突きつけられた刀の妙な金属臭もまだ鼻の奥に残っていた。

あの電話の着信音に対しての驚き様。

そして素早い刀使いとその所作。

最後に渡された兜に関しては、本物かどうかなど自分にはわからない。

ただ所々にあるキズは生々しい。

とりあえず家に帰って改めて兜を調べてみたいと思い始めた。

そして、もし今ここで話していることが事実なら、これは大変な事である。

薄気味悪さは感じつつも、次第に本人だと言い切る信長に興味を持ち始めていた。

更にこの気持ちを後押したのは、吾郎が歴史小説好きであったということだ。中でも幕末と戦国時代がお気に入りで、戦国武将に対しては憧れすら感じていた。

いささか強引な信長の出現に、とうとう吾郎は彼らを家に連れて帰ることについて考え始めた。

(むら雲は庭の離れの車庫内で飼えば何とかなる。信長一人くらい泊める部屋は十分ある。ただ妻の由紀が何と言うか。刀を携えた見ず知らずの武士を易々と家に入れてくれるだろうか)

吾郎はまだ考えていた。

この男が狂人には思えないのである。とりあえず妻に相談したい、もう少しこの“自称”信長と付き合ってみたいと思い始めた。吾郎の好奇心が湧き出し始め、ようやく口を開いた。


「二度と刀を振り回さないと約束できますか?」

「先程はすまなかった。儂も驚いたんじゃ。助けてくれるのであればもう乱暴な振る舞いはせん」

「わかりました。とりあえずあなた方を私の家に一旦お連れします。ただそれから家族に相談させて下さい。まず一度私は家に戻って準備しますからそれまでここで待っていて下さい。紹介が遅れましたが、私は菊池吾郎といいます。吾郎と呼んでください」

信長の顔が安堵の色に染まり、膝の力が抜けていった。

信じられない出来事に終始した一日のなかで初めて救われた思いが込み上げてきた。

野垂れ死から免れた。

「いや、吾郎よ、感謝するぞ」


吾郎は信長達を一緒に連れて帰ろうかとも考えていたが、鎧兜を身にまとった武士を馬と共に公園から自宅まで無事連れて帰る自信が無かった。日中には騒ぎを起こしたと言い、警察も巡回警備を続けているかもしれない。

「まずは殿の着替えを持ってきますから、更に夜が更けてから行動しましょう。その方が安全です」

信長はまた一人になるかと思うと不安であったが今は従うしかない。無言でうなずいた。

そして安心感からか、今度は忘れていた空腹感が襲ってきた。 

「吾郎よ、家に戻る前に何か食う物を恵んでもらえぬか」

「しばしお待ちを」

吾郎は近くのコンビニでおにぎりニつとペットボトルに入ったお茶を買ってきて信長に差し出した。

そして必ず戻ってくると約束し、吾郎は去って行った。

信長は手渡された白い袋のなかから握り飯を取り出した。初めて見る未来の握り飯の表面は様々な文字が書いてある。くるくる回しながら眺めた後、決心して袋ごとかぶりついてみたが、透明な包装は味もなく食感も悪くすぐに吐き出した。中の飯だけは食べられることが分かると、二つめの握り飯は包装を破り捨て中身を取り出し、手のひらを米粒だらけにしながら夢中で平らげた。旨かった。

お茶の入ったペットボトルも扱いが分からず暫く眺めた後、キャップの部分を刀でそぎ落とし、一度臭いを嗅いだ後は一気に飲み干した。いちいちどれもが見たことの無い物ばかりであった。しかし今はそれらを疑問に思うことよりも全てをまず受け入れるしか無かった。信長は立ったままで無造作にペットボトルを放り投げると木に背中をもたれ掛けながら空を見上げた。

(国では皆が儂を必死で探しているかも知れん。だが今はそれを知る術も無い)

相変わらず蛍がゆっくりと直進しながら飛んでいた。

信長は無性な孤独感と共にいたたまれない気持ちになった。

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