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第四章

第四章


「日比谷公園に逃げたぞーっ」

警官達は一斉にパトカーを路上に止め、公園の中へと突入していった。

まるで映画の撮影を見ているようである。

信長は日比谷門から逃げ込み一直線に馬を走らせた。霞門の手前を左に曲がると、都合良くも馬が跪きさえすれば馬体をスッポリと隠せそうな大きな穴を見つけた。そこは公園のゴミを一旦集積するためのごみ穴であった。その中に馬を力いっぱい押し込み、穴の脇に折りたたんであったゴワゴワとした青い布を無造作に広げて馬を覆った。その上からありったけの落ち葉や枯葉をかけて大急ぎで自分もその穴に潜り込んだ。


信長を見失った警官達は暫く公園の中を忙しく探し回っていた。その様子を一人の老人がベンチからじっと眺めていた。坊さんのように頭は禿げ上がり口髭をたくわえたその老人はベンチに座りながら静かな午後を楽しんでいた。目の前の警官達の往来を迷惑そうに見やりながら、何を思ったのか突然北の方角を指差し、警官達に向かって言い放った。

「敵は公園の向こうに抜けて行ったぞ。」

その一言で全ての警官が早々に公園から立ち去る様子を見て、老人も重そうに腰を上げその場から去って行った。


信長はゴミ穴に身を隠しつつも追っ手を思いながら恐怖に慄いていた。

(捕らわれれば打ち首じゃ。)

馬の手綱を必死で抑え、息を殺して外部の敵の気配を感じ取るべく集中した。 


暫くして追っ手の気配が消えたように思えたが、念には念を入れ周囲が暗くなるまで穴の中に身を潜め続けた。蒸し風呂のようなゴミ穴の中で信長は音を立てないように窮屈に鎧を脱ぎ、朝から起きた今日の出来事を何度も思い返してみた。

が、やはり合点がいくような解釈など考えつくはずが無かった。

(一刻も早く国へ戻る道を探さねば。

だがこの場所がどこなのかも見当がつかん。

そもそも戻る時までこの国で生き伸びられるかどうかも判らん。

夢であるなら早く醒めてくれ。)


一体何故こんな事態になったのか。同じ疑問がまたよぎる。暗い穴の中で考える事以外何も出来ない信長は、繰り返しこの疑問と格闘した。

(わからん。全くもってわからん。)


考える事に疲れ果ててしまった信長は、ようやく一つの結論を導きだした。

(事の究明よりも、まずはこれから先、生き延びる策を考えることじゃ。)

半ば開き直りであったが実際それ以外方法が無かった。

(まずはここで生き続けねば。

冷静になって考えてみるんじゃ。

ここは全くの異国の地でもなさそうじゃ。

民衆の顔つきも儂等と似ておった。

言葉も多少理解出来たように思う。

妙な世界には違いないがこの国を改めて観察した上で対策を考えるんじゃ。)


信長はようやく腹を決め行動にでることにした。

(まずは誰か頼れる家来を見つけ出すことじゃ。今はそれしか無い。)

一度開き直れば元来好奇心旺盛な信長であった。途轍もなく奇妙な国ではあるが、この得体の知れない世界がどうなっているのか少しずつ興味が沸いてきた。

ただし先程騒動を起こし追われている身であることは間違いない。慎重に立ち振る舞わらねば命が無いものと自ら気を引き締めた。


夜の公園の時計が10時を回ろうとしていた。

信長は音を立てぬようゆっくりと穴から這いだすと、濡れた衣服にこびりついた枯れ葉を見て蓑虫のような井出達の自分が哀れに思えた。天下の武将といわれている男が、たった一人で暗くなるまでじっと穴に身を隠し、外界に恐れおののいていた。

枯れ葉を払い、大きく背伸びをすると肩と肘の関節がいくつも音を立てた。馬を引き上げ、走り出さないように奥の木にくくり付けると再び鎧と兜を身につけた。

日中自分自身も訳が判らぬまま騒ぎを引き起こし、周りをじっくりと見渡す余裕など無かった。今改めて観察してみると、見れば見るほど、そして昼間以上にそこには奇妙な風景が広がっていた。日が沈んで空が暗いにもかかわらず、その庭園内の至る所に透き通るように白く輝く灯りが燈っている。篝火のように火を燃やしているでもなく、その光は冷たく安定して周囲を明るく照らしている。遠くを見渡せば巨大な城が幾つもそびえ立ち、いずれのてっぺんにも不気味な赤い目が点滅している。時折空にはゆっくりと動く蛍もどきが飛んでいる。恐ろしくも奇妙な光景である。


信長は太めの木の幹に半身を隠しつつ、庭園を行きかう人々の観察を始めた。

酒に酔っているのであろうか、ふらふらと呟きながら歩く男。

無心にゴロゴロと板を乗りこなす若者達。

急ぐ様子も無く、楽しげに汗を流しながら走り去って行く男と女。

観察していても彼らの行為が一体何のためなのか理解さえ出来なかった。

(何故ゆえに夜中に板に乗る?何故ゆえに男と女が訳もなく走るんじゃ?)

そもそも祭りでもないこんな夜更けに、大勢の男女が庭園にたむろしている事自体が不思議であった。

信長はこの不思議満載の様子を観察しながら次に取るべき行動を考えていた。

(あんな訳も判らん連中の前にいきなり現れてはまた昼間の騒動の二の舞になりかねん。まずは一人の奴に狙いを定め、味方につけるべきじゃ。)

更に目を凝らして公園内を行き交う人々の品定めを始め、何人かが信長の目の前の小道を通り過ぎて行った。

片耳に手を当てたまま素っ頓狂な笑い声をあげたかと思うとおもむろにボソボソと呟きながら足早に歩く少女。

猫背で肩を交互に大きく上下させながら歩く二人組みの若者。

大きな荷物を幾つもぶら下げトボトボうつむきながら歩く厚着の老人。

信長はいずれも声を掛ける事をためらい、じっと彼らが通り過ぎる様子を見守った。

そんな彼らを見過ごしながら暫くたった頃、一人の男が右手方向からやってきた。信長はじっと男の様子を観察した。若くもなく、かといって老人までいたっていない中年男は一見誠実そうで、信長の時代であればとても武将には成りえないような平民然とした男である。

(まずはこの男か。)

男の反応は全く予想出来なかったが、たとえ争いになっても負けそうには思えなかった。信長は緊張しながら息をひそめ、男が目の前に来る瞬間を待った。

(今じゃ。)

信長は音を立てずにすっと木の脇から姿を現した。

「うわっ!」

男は思ったとおり気弱そうに大きく後ろによろめいた。

「びっくりした~。」

突然鎧を身に纏った男が現れれば当然か。

「声を出すな。切りつけたりはせん。」

信長は努めて声を低く話しかけた。

(かっ、刀を持っている。)

男は腰の刀に気付くと更に慌てたが、今ここで突然大声を出したり、逃げ出そうものなら切りつけてくるかもしれない。

敢えて武士の次の出方を待つことにした。

緊張した面持ちの男に対して信長は意識して冷静にゆっくりと話し始めた。

「いきなり驚かせてすまん。事情は後で話すとして願いを聞いてほしい。まずは儂と連れの馬を助けてくれんか。どうやら違う国に紛れ込んだようじゃ。」


確かに後ろには馬が木にくくりつけられていた。男は武士から注意を逸らすこと無く、周囲にテレビカメラが無いかキョロキョロと見渡してみた。しかしどこにも人影らしきものは伺えない。

(テレビ番組の悪ふざけじゃ無さそうだ。)

男は改めて武士を観察した。腰にさげた刀とそこに添えられた手は、何かあればすぐに抜いてくる意思表示なのか、あるいは単なる威嚇か。理由無くいきなり切りつけてくるような狂人には見えないが、暗闇にもかかわらず武士の眼は異様な輝きと共に人を威圧するようなエネルギーを発している。単に仮装して夜を徘徊するその趣味の人種には思えない。

男は武士の気持ちを逆なでしないよう敢えて平静を装った。そして刀を振り下ろされても切り付けられない距離までジリジリとゆっくりと下がった。隙さえ有ればすぐさま逃げだすつもりでいた。


お互い見合ったまましばらく沈黙が続いた後、信長はあごで男を目立たない木々の下へ誘った。男は警戒しつつ距離を保ちながら歩き出した。信長は刀に手を添えたまま立ち止まり、周囲に誰も居ない事を確かめると、小声でしかし良く伝わる声で今日起きた出来事を順番に話し始めた。

自分は朝まで戦場にいたこと、そこから突如としてこの国に迷い込んだこと、訳も判らぬまま突然追われ挙句にこの庭園に駆け込み身を隠していたこと。そして最後に、木にくくられた馬の名をむら雲、自分は織田信長であると告げた。

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