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第十章 その一

第十章


むら雲は予想に反して大人しい馬だった。本来、馬は非常に繊細な動物で、ストレスを溜めないためには放し飼いが一番良い。だが都内ではそうもいかない。幸い菊池家は東京にしては広い庭を有してはいたが、吾郎は馬を飼うことに関してもっと安易に考えていた。信長も世話に関しては小さい頃より人任せで、当時の役割はもっぱら馬に乗ることだけであった。


休日の午後に吾郎と優太とでインターネット経由で馬の飼い方を調べながら必要な道具を買い揃えて行った。

ゴムマットを車庫全面に敷いてその上から干し草を敷き、飼い葉桶と水桶を置いた。そして通販で米国産の牧草を買い込み車庫の脇に積んだ。既に車庫から吾郎の車は追い出され、ここはむら雲専用の厩舎と化していた。長い手綱を用意して、日中むら雲がなるべく広範囲に歩き回れるよう車庫の周りの木々を整理すると、以前生えていた庭の雑草が、むら雲の可動範囲内に限りきれいに無くなった。これを知った由紀は、信長にむら雲を連れて庭中歩き回ってくれるよう頼むようになった。

更にネットで装蹄師を探し出し、スケジュール調整の末、わざわざ自宅まで来てもらい蹄鉄を打ってもらうことまでした。


現代に現れて以来、むら雲を走らせていない。

その事を吾郎に相談すると、早朝に限り道を選んで自宅から連れ出すことの同意を得た。

それ以降雨の日以外は朝早く起き、自宅から300mの若宮小学校までをむら雲に乗って何往復かすることが日課となった。


朝方はきれいに晴れ渡っていた空が午前十時を過ぎた頃にはだんだんと厚い雲に覆われてきた。信長は雨が降らないうちにと、車庫の干し草の入れ替え作業を始めた。

庭の雑草を探し回るむら雲の奥で、信長が車庫からフォークで干し草を掻き出していた。

(いつになったら国に戻れるものかと願いつつ、儂もすっかり未来の生活に馴染んできたもんじゃ。しかし国にそのまま居ったら儂の寿命は後七年で終わっておったんじゃ。そう思えば未来に来た価値は十分あった。しかしおぬしにとっては不幸な出来事よのぉ。国におれば好きなだけ野山を駆けておれたじゃろうに)

信長は同じ運命を辿ってきたむら雲に同情した。


古い干し草を車庫から掻き出し新しい草を敷き始めた矢先、黒のメルセデス(正確にいうとAMG C63)がゆっくりと菊池家の門を通って庭に入ってきた。


車が庭先で停車すると小柄な運転手が姿を現すなり、急いで後部座席のドアを開けた。そこからは和服に身を纏った家康が降りてきた。

むら雲を背にフォークを両手で持ったままの信長は、その様子をジッと見守っていた。

「よぉ家康」

「これはこれは、信長殿。突然お邪魔いたして申し訳ございません。先日お会いして以来如何がお過ごしかと思いまして勝手に押しかけて参りました」

「何か用か?」

「いえ、特に用があってという訳もございませんが、殿とこの世でお会い出来たものですから四方山話などを、と思った次第です」

「儂は今忙しいんじゃ。

ま、しかし折角来てくれたんじゃ、まずは上がれ」

「ははっ」

信長はフォークを車庫の脇に立て掛けると、家康と執事風の運転手を従え玄関に向かった。

「由紀殿~!家康が来おった。すまんがコーヒーでも入れてくれんか?」

二階で洗濯物の整理をしていた由紀が急いで階段から降りてきた。

「あら~家康さん、先日はどうも。さぁお上がりください」

既に家康自身を疑っている様子は微塵も無かった。

「突然で申し訳ございません。由紀殿と申されるか、先日は失礼いたしました。今日も事前に連絡を入れればいいものの、なにせ住所しか分からなかったもので。これ、大喜多」

家康が後ろを振り向くと、控えていた運転手が上品な風呂敷に包まれた手土産を由紀に差し出した。

「初めまして。私、徳川記念財団から参りました大喜多と申します。このような突然の訪問になってしまい申し訳ございません。こちらは誠に勝手ながら、お殿様方の御茶うけにとご用意させていただいた品にございます。よろしければ奥様もお召し上がりくださいませ」

「まぁ、お気遣いありがとうございます」

「信長殿にも馴染の塩瀬の本饅頭を今日はお持ちしたんじゃ」

「あら、結構なものを。これすぐ売り切れちゃってなかなか手に入らないんですよね」

「ほぉご存知でしたか。長篠の戦でも信長殿に差し上げたものですぞ」

「塩瀬が今でも饅頭を売っておるのか。長命じゃのぉ。大したもんじゃ」

「頑張っておりますな。私なぞは昔ながらのこういったものがやはり口に合いますな」

家康が玄関脇の椅子に視線を移した。

「あらごめんなさい。こんなところじゃ何ですからお上がりください。大喜多さんもどうぞ」

「いえいえとんでもない。私は外にてお待ちしておりますので。殿様、気になさらずに心ゆくまでご歓談ください」

大喜多は由紀の誘いを辞退すると素早く車へと向かった。


「由紀殿、家康とちょびっと話があるんじゃ。すまんがコーヒーと饅頭を儂の部屋に持ってきてくれんか」

「はあい、すぐ用意してお持ちしますね」

「では私にはお茶を下され」

「はい、承知しました」

由紀が風呂敷を抱えてキッチンに向かった。

「最近どうも胃の調子が悪くて刺激物は控えておりましてな。家人からは一度医者に診てもらうよう言われてまして、今度ここの医者に診てもらおうかと思っております」

信長が家康を連れて自分の部屋へ消えていった。


信長がドッカと座布団に胡坐をかくと、対面して家康が膝を気遣いながらゆっくりと座った。程無く由紀がコーヒーとお茶と饅頭を盛った菓子器を部屋に運んできた。

「ごゆっくりどうぞ」

信長は饅頭を一つ口に放り込んでコーヒーをすすった。

「で、近頃は何をしておるんじゃ」

「そうですな、ここでは特にやることも無く、徳川家の末裔に面倒かけながら色んな所に行っては油を売っておるような毎日でございます。

そうそう、先日は日光に私を祀っている社がございましてな、そちらで三日程何もせずにゆっくりと過ごしてきました」

「おぬしを祀った社?」

「そうでございます。日光東照宮といいまして、その一帯には神社やら寺やらが混ざって点々としておりました。私も今では何やら神様として崇められてる次第で、噂では大層ご利益があるとかで連日多くの観光客で賑わっておりました」

「・・・・」

「そんな中を神様本人が人を縫って歩くわけですから何だか気恥ずかしゅうございましてな。まるで祝言をあげる花嫁のような気分でしたかな。ふっ」

「・・」

「で、またその敷地が広大でその一帯を歩くだけでもくたびれるのなんの、休養に行ったのか疲れに行ったのか終いには分から」

「もう良い、今度は儂が喋る番じゃ。実はおぬしに相談が有るんじゃ」

「これは、これは。大変失礼いたしました。いけませんな、年をとるとどうも饒舌に」

「もう良い、話を聞け」

「はは~。で、どのようなお話でございましょう」

一旦座りなおした家康に、信長が顔を近づけ声を潜めながら話し出した。

「ふむ、おぬしも既に知っての通り、儂は光秀に謀られるんじゃ」

「・・・・・」

「おぬしはあの時近くにおったらしいのぉ」

信長が家康の顔をじっと見た。

「・・・それは信長殿が私を呼ばれたがため近くに居った次第ですが」

(そうか、殿にとってはまだ未来の出来事。当時の企みは殿自身も未だ知っておられんのじゃ)

「で、おぬしは岡崎にもどり、結局光秀を討ったのは秀吉じゃった」

「・・・はい、あの手際の良さ、まるで既に事が起こることが分かっておったような対応ですな、後から考えるに」

「・・・そうか」

「・・・・・・」

「まぁ良い、過ぎた昔の事じゃ。儂はこうして既にそのことを知ることになった。知った以上対処も出来るというもんじゃ。今は何も恐れてはおらん」

「はぁ」

「で、話というのはな、この国の今の技術を持って帰って織田時代を改めて作ろうと思うんじゃ。おぬしの徳川時代は三百年続いたそうじゃの。儂は五百年続く織田時代を作るんじゃ。ふふっ、考えただけで夜も眠れんわい。どうじゃ協力してくれんか」

「・・・・」

「どうじゃ?」

「お待ちくだされ、信長殿。それはあまり宜しくないお話に思えますが」

「何でじゃ」

「はぁ、その過去の歴史を大きく変えるのは何かと矛盾が生じるというか、世の中に混乱を来すのではなかろうかと。しかも前にもお話ししましたように、国に戻った時点では、今の記憶が全て消え失せてしまうのでございます。そのような不確かなことを実際に計画されてもはたして実現可能かどうか・・・お言葉ですが多少無謀かと」

「たわけが!人様からうつけ者と呼ばれながらも無謀と思われることをやってきたから儂はここまでのし上がってこれたんじゃ。これが信長流なんじゃ!」

「はっは~っ」

(こりゃ、まずいぞ。仮に光秀を討って本当に五百年もの織田時代ができたら、秀吉や儂の時代は来ないではないか。儂等二人とも生きている間に天下統一を果たせんではないか。徳川家の繁栄が歴史から消え去ってしまうではないか。まずい、何とかせねば)

頭を垂れたまま家康は考えていた。

「信長殿、昔に戻って未来の技術を使うなどは大層骨の折れる作業でございますよ。そんな面倒なことをするより、私にもっと良案がござります」

「良案?」

「はい、信長殿はご存知かどうか分かりませぬが、実はこの未来には殿様がおりません」

「本当か!?」

「左様でございます。未来の技術を国に持ち帰ろうなどとはせずに、ここの技術はそのままここで使い続ければ宜しい。要はここでもう一度、私と二人で天下を取るというのは如何でしょうか?」

「いやいや、技術を熟知しいてる未来人と戦っても勝ち目なぞありゃせんわい」

「いや、戦なぞ不要。ここでは大将を民衆の中から選挙する仕組みになっておるそうですぞ」

「戦もせずに選挙で大将を選ぶのか」

「はい」

「しかしそれでどうして儂等が大将になれるんじゃ」

「大将はいつの世も一人でないと混乱します。そこは私よりお若い信長殿にお譲りいたします。選挙には殿と私で党を組んで名乗りを上げるのです。そうすれば他の奴らが誰であろうと、私どものその知名度でいえば圧倒的勝利が望めると。これで天下を取ったも同然。その後は、天下の政をその地位にまかせて執り行えばよろしい。如何かな」

「ふ~む、面白いのぉ。ここで天下が取れるなら、それも悪くないのぉ」

信長が乗り出してきた。

「で、城はどうするんじゃ。大将となったからには政を日々執り行う場所も必要じゃ」

「問題ございません。先程お話しした日光に土地を手配して、そこに城を準備いたします。東照宮が使えるならば、それが一番手っ取り早いのですが、何ですか、そこは国宝やら重要文化財とやらに登録されておったり、はては世界の遺産にまで成っておるようで、すっかり国に管理されて自由がききません。かつて徳川が所有していた物が、今はろくに修理もできんようになったと一族が嘆いておりました。あまり大層なものを造り過ぎてもいけませんな~」

(・・・・いやな奴じゃ)

「ふん、ではおぬしに城の件は、任せてよいのか?」

「大丈夫にございます。なんでしたら近いうちに日光を一度ご覧になられては如何でしょか?そうです、それがよろしい。今度お迎えに上がりますから」

「儂はたっぷり時間があるからその件についてはおぬしに任せる」

「では、そういう事にいたしましょう。早速その準備に取り掛かります」

家康は暇を告げ、一人で部屋を出て行った。

(信長殿は既に自分の運命を知っておられたか・・)


一人部屋に残った信長は腕を組んだまま家康の提案について考えていた。

(この未来で天下を取れるなど想像もしておらんかったな。はなから未来人にはどうやっても勝てんと思っておった。

ふ~む、面白くなってきたぞ)


その晩、信長の機嫌がすこぶる良かった。

「どうしたんですか、殿。何か良いことでもあったんですか?」

「ふん、今日家康がきおったんじゃ。そこで儂の織田時代構想を話してやったんじゃ。そしたら家康の奴、もっと良案が有ると言うんで聞いてやったら、確かに面白い話でな」

「面白い話って?」

「そうそう、その前に聞きたい事があったんじゃ。家康がこの国にはもはや殿様がおらん、と言っておったが本当か?」

「そうですよ。天皇家は今も存在しますが、殿様は一人もいません。今は民主主義と言って昔のような序列が存在しないんです。我々は皆平等の原則の元で、その中から政をやる人を投票で選び出すんです。」

「やはりそうなのか。それで選ばれたものの中からこの国の大将が選ばれると」

「あ~総理大臣ですね。大将というよりこの国の政治の代表、まあ、ある意味大将ですかね」

「ふ~ん、儂等は力と力で決着をつけるから、強い者が国を統治していけるが、そんなんでよく国の治安が保てるのぉ」

「現代は警察という専門組織が全国に出来上がっているんです。最初の日に殿が追いかけられたでしょう?あの人達ですよ。全国に三十万人位いるのかな」

「三十万人。兵士がそれだけいるということか、しかも専任で・・・」

「兵士じゃないけど・・・で、その殿様の話がどうかしたんですか?」

「そうそう、殿様がいないのであれば、儂等が党を組んでその大将の座を狙うというんじゃ。なんでもこの秋にその選挙が有ると聞いたが」

「あぁ、このまま行くと衆議院選挙がありますよ」

「それじゃ。実はな、以前話した通り国に戻ってもう一度天下統一を果たすことも考えてはおるが、この未来でも天下を取る方法があると聞いて決めたんじゃ。今迄の歴史のなかで二度天下を治めた奴などおるか?おらんのだ。儂はそれを狙ってみたいんじゃ。戻って国の天下を五百年治めるための予行演習みたいなもんじゃ。あの未開の時代で五百年続けて行くためには、相当大変じゃからの。それにあんな野蛮な奴らの中で大将面しているよりも何かもっと大事に思えてきたんじゃ。家康曰く、儂等の知名度はぴか一じゃから、その選挙で名乗りを上げたら絶対当選するというんじゃ。今から考えても楽しみじゃのぉ。わっはっはっは~」

信長が半分椅子を浮かせたままふんぞり返って笑った。

「でも選挙には出られませんよ」

“ガタン”

「何でじゃ?」

「だってそもそも戸籍も無いじゃないですか。だったら立候補するなど夢の夢、選挙権すら無いんですよ」

「えっ」

「大前提が、日本国民であること、ってあるから殿の場合は無理ですよ」

「なに~家康め~。いい加減なことをぬかしおって。そのために日光に城を建てると約束して帰って行ったんじゃ」

「城なんて今更建ててもしょうがないでしょう。後から無理でしたって連絡が来ると思いますよ」

「しかし・・・」

弾んでいた気持ちがすっかり萎んでしまった。

信長は肩を落として部屋に戻った。

(仕方が有るまい、国に戻ってからの事を考えるか。ここで大将になれたら無敵じゃと思ったがのぅ。

家康め~人をいい気にさせるだけさせておいて、悪い奴じゃ。

・・・・しかし光秀の件、奴は妙なことを言ってたな)


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