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短編

若騎士の槍試合

作者: Rima

 都の一角に無数の群集が詰め掛けていた。


 盛夏の照りつける陽光は試合会場を暑く包んでいるが、集まる人々の興奮はそれ以上の熱さを感じさせる。

 ある者は席を巡って隣席の者と喧嘩し、ある者は売り子から山程の酒やつまみを買い込んでいる。


 そして、熱気は身分の貴賤や男女の区別無く放たれている。

 だが、彼らの熱狂も理解出来ようというものであった。


 

 今日は馬上槍試合の決勝戦なのだ。



 禄に娯楽の無いこのご時世、馬上槍試合はけっして見逃せない一大イベントだった。

 ましてや決勝戦である。他の事を捨て置いてでも見物に集まるのは当然であった。


 周りに観衆が群がる試合会場の中央には、柵を挟んで二本の細長く平ら道が敷設されている。

 道の両端には既に鎧を着込み、試合用の巨大な槍と腕に括り付けた盾を備える騎手が待っていた。

 二人とも嘶く軍馬に跨がり、丁度対角線上にいた。


 客席近くの壇上に立つ布告者がそれぞれの騎手の紹介を始めた。


「第一の方角! サー・ジョバンニ・コールネイ! コリンとパレの大会優勝者!」

「第二の方角! ポートのガストン! ポートの大会優勝者!」


 布告者の紹介が行われると観衆の熱狂は度合いを増した。二階建てに作られた観客席は観衆が床を踏み鳴らして歓声を上げるために今にも崩れんばかりに振動している。


 そして、その一方に待つ貴族の若者――ジョバンニ――は緊張と興奮の渦中にあった。

 純粋に決勝戦を前にした騎士としての昂揚も理由であったが、一番の理由はとある女性についてのことだった。


 ジョバンニはちらっと観客席を見た。

 視線の先には彼女がいた。決して見間違えることも、見逃すことも無い。


 輝く金の髪。透き通るような白い肌。柔らかで気品ある物腰。

 月の女神もかくやのその器量。


 ――美しきフラン。愛しきフランだ――


 彼女は見た目通りの高貴なる身分の淑女だった。その美しさにジョバンニはひと目で心奪われていた。

 ジョバンニは彼女に求婚し、槍試合での優勝を条件に結婚が受け入れられた。

 そして、槍試合を得手とした彼は今日まで順調に勝ち残り続けていた。この試合に勝てば晴れて彼女の愛を勝ち取る事が出来るのだった。


 ところが、ここに至り一つの問題が発生していた――


 対角線上の男。名をガストンという。

 平民と大差無い身分定からぬ生まれ、粗野で粗暴、低俗な奴だ。


 ガストンは愛しきフランに向けて槍を掲げて大声で叫んだ。


「フラン! 今日、俺はお前をモノにするぞ! 待っていろ!」


 ――何と下品な男なんだ! 栄誉ある槍試合には決して相応しくない――


 ジョバンニは軽蔑した。


 そう、問題とはこの卑人ガストンもまたフランに求婚しているということだった。

 フランもどういう訳か、奴にも槍試合での優勝という条件を与えていた。

 

 ――彼女は優しいから、あんな愚か者に対しても希望を与えてしまうのだろう――


 ジョバンニはそう思っていた。そして、ガストン如き平民などすぐに敗退するだろうとも踏んでいた。

 ところが奴は馬上槍試合に於いて、荒削りながら中々の腕前を見せついに決勝戦まで登って来たのだった。


 ――愛の為にも、フランの為にも奴に負ける訳にはいかない!――


 喧騒の限りを尽くしていた観客席も試合の始まりを前にして、次第に熱狂が静かな緊迫へと置き換わっていく。


 ジョバンニは逸る心を落ち着かせるように深呼吸すると、兜の免頬を下ろした。鋼鉄製の手甲が兜に触れ、カチャンと音がなる。


 試合用の兜は怪我を防ぐ為に通常よりも頑丈に作られていて、覗き孔が非常に狭い。

 視界が制限され息苦しさを覚えるが、同時に目に入るのが憎き恋敵だけたとなり否が応にも戦意が高まる。


 ガストンも試合の準備を済ませているようで、面頬を降ろし槍を従者から受け取っている。

 二人の騎手はどちらも今か今かと待ち構えている。


 先程まで喧しく騒いでいた観衆も固唾を飲んで見守っている。


 今、ジョバンニの耳に聞こえるのは股下の軍馬の嘶きと自身の鼓動だけだ。開始までの時を数えるようにジョバンニは自らの鼓動を数えていた。


 そして吹手がすっとラッパを掲げると、威勢良く開始の合図を吹き鳴らした。



 ダッダ、ダダッダ、ダッダッ!



 同時に観衆も溜め込んだもの全てを吐き出すように大歓声を上げた。嵐の如き大音声が試合場だけでなく、都を包み込んだ。


 ラッパの音が聞こえるや否やジョバンニは馬に拍車を当て、思い切り駆けた。一秒でも早く動き出す必要がある。

 一拍遅れてガストンが走り出すのが見えた。槍試合に於いて一瞬の遅れは命取りだ。


 馬の躍動に合わせ体の揺すりを調整し、姿勢を維持する。槍試合の過半はこの馬術で決する。

 ジョバンニは幼いころから乗馬が得意であった。鎧越しに風を切るのを感じる。今日は馬も自分もすこぶる体調がいい。


 ジョバンニは試合用の槍の持ち手をしっかりと脇に抱えて固定すると、先端を走り来る相手に向ける。

 ガストンも同じく槍を向けて来たが、やはり技術が甘い。焦りからか抱え込みも上手くいかず、穂先が揺れている。


 ――この角度ならば避けるまでもない――


 手綱を握りしめ、体勢を固定したジョバンニは正しく人馬一体となった。疾駆する馬の速度を全て槍先に載せ、ガストンの胴体に向かって突いた。


 互いに交差する刹那の一瞬。

 馬上槍試合の全てが凝縮された瞬間。

 この一秒足らずの間に勝負は決する。


 すれ違い様に突き出したジョバンニの槍は見事に命中し、一方のガストンの槍は目標から大きく逸れた。

 命中の瞬間、衝突を目の当たりにした観衆から一際大きな歓声が上がった。


 凄まじい音と共に槍が砕け、木片が散った。木片か兜に当たりカラカラと音がする。

 腕に激しい衝撃が走るが、槍はしっかりと抱え込まれている為、吹き飛ばされることも無く問題はなかった。


 ――いつもと同じ、いやいつも以上の手応えだった――


 そのまま駆け続け道の逆端まで着いたジョバンニは砕けた槍を捨て、従者から新たな槍を受け取った。


「槍を!」


 先程使用した槍と全く同じ試合様の大槍だ。そして槍を握り込むと、馬主を巡らせて反対を向き、試合相手を見た。


 ガストンはまだ馬上にあった。槍を命中させはしたが落馬させるまでにほ至らなかったようだ。

 奴自身の頑健さも手を貸しているらしい。


 ガストンも遅ればせながら馬毎こちらを向いた。兜に覆われ相手の目は見えないが、強烈な殺気と敵意をジョバンニは感じることが出来た。


 一撃で落とせなかったのは残念だったがこの程度の実力ならば、最早不意を突くまでもない。

 十分に正面から打ち勝てるだろうとジョバンニは確信していた。


 そして、時を置かずに再び二人は槍を構え馬を駆けさせた。

 馬蹄が大地を踏み締める音はまるで地響きの様だ。


 またも刹那の交差が訪れる。両者の影が重なり、反対方向に離れていく。


 先程の衝突が左右逆転してもう一度繰り返された。

 結果も同じだった。

 ジョバンニの槍はガストンの体を捉え、ガストンの槍は空を切った。


 しかし、ガストンはまたも耐えた。これにはジョバンニも驚ざるを得なかった。


 ――まだ落馬しないのか、頑丈な奴め。だが体がふらついているぞ――


 耐えはしたもの二度の一方的な攻撃はガストンの心身に大きな痛手で与えているようであった。

 馬上の体はフラフラと揺れており、衝撃を振り払うように仕切りに頭を振っている。


「槍を!」


 再度反転して槍を受け取ったジョバンニは覗き孔越しに観客席いる愛しきフランを見た。

 この喧噪の中にあっても、彼女は貞淑な態度を崩していなかった。まるで退屈と言わんばかりの落ち着き方だ。


 ――そうだ、彼女の為に一つ大技を見せて差し上げよう――


 このままもう一撃加えるだけでも、ガストンの奴を落馬させる事は可能だろう。だがジョバンニはそれでは飽きたらず、より高度な技量を見せようとした。

 憧れの女性の前で格好をつけたかったのだ。


 三度、二人の騎手が駆ける。馬はゼイゼイと荒い息を吐きながらも騎手の掛ける拍車に従い、全速力で走り続けた。

 これが最後の交差になるであろう事は確かだった。


 観衆も決着の時を感じ取ったのか、止まらぬ歓声にも緊張感が入り混じっている。


 拍車を掛け、馬を走らせる。

 馬の揺れに合わせて姿勢を維持する。

 槍を抱え込み固定する。

 穂先を相手に向け、狙いを定める。


 ここまでは先の二回と同じだった。


 しかし、今度は槍先が狙う場所が違っていた。

 ジョバンニはガストンの胴体ではなく頭を狙っていた。

 

 高速で駆けながら小さな頭部に命中させるのは大変難しい。とはいえ当たれば一撃で打ち倒せる必殺の部位だ。

 ジョバンニはそれをやろうというのだった。

 そして、頭という急所への一撃は下手をすれば相手の死を招くこともある。例え兜で守りを固めていても、高速の衝突は恐ろしい破壊力がある。

 ジョバンニはそのことも分かって狙っていた。寧ろガストンの死を願っていた。


 ――死んでもそれは事故だ。恨むなよ!――


 興奮と集中が極大点に達し、風景が薄く消えていき、視界は狙うべき一点のみを映し出している。

 全てがゆっくりで、時間の流れが遅くなったように感じられる。


 一瞬毎に穂先がガストンの頭に近づいていく。



 ――後、二メートル――


 もうこの距離まで来ると高速の馬上にありながら、相手の一挙手一投足が把握出来る。

 ガストンはフラフラと揺れている。槍も抱え込めていない。


 ――後、一メートル――


 周りの風景が消えようが消えまいが、ガストンと相手の馬で視界が一杯になる。


 ――後、半メートル――


 向こうの覗き穴からガストンの目すら伺うことが出来る。もう衝突まで数瞬もありはしない。

 絶対に外さない距離だ。


 そして――――


 ――命中だ! 愛しきフランよ!――


 ジョバンニは穂先を突き出し、勝利を確信した。


 

 槍先が命中すると思われた、その瞬間。



 ガストンは今までのふらつきは何だったのかと言うほどに素早く上体を逸らして槍を避けた。

 この時間の遅く流れる世界に於いてすら、素早いと感じられる速さだった。


 そして、交差の瞬間、ガストンは攻撃が外れて体勢の崩れたジョバンニの胸に自らの槍を叩き込んだ。

 ジョバンニには為す術が無かった。


 激しい衝撃と砕ける音。


 胸を強烈に打ち据えられた痛みと苦しさで息が出来ない。


 ジョバンニは自分の体が馬から落ちていくのをゆっくりと感じた。


 体の下の支えが失われ、何も掴むことも出来ずに宙を舞う。



 そして、気の遠くなる程に長く感じた一瞬の後、地面に叩きつけられた。散々馬に踏み散らされて柔らかくなった筈の地面でも十分に衝撃は強かった。


 

 地面に倒れ込んだジョバンニの周りに従者達が集まって、不安げに声を掛け、引き起こそうとしていた。


 だが、ジョバンニは起きられなかった。


 彼は体よりも、心が打ちのめされていた。


 自慢の一撃を外された事。

 逆に相手に槍を命中させられた事。

 無様に落馬した事。

 敗北した事。


 そして、愛しきフランとの結婚がたった今消滅してしまった事。


「勝者!! 第二の方角! ポートのガストン!!」


 勝利の布告と観衆が勝者たるガストンを讃えて、大地すら震わせる大歓声を響かせているのを感じながら、試合も恋も終わった事を悟った。


 ――終わった……負けた。負けてしまった……ああ、愛しきフラン、美しきフランよ――


 ジョバンニは脳裏にガストンが可憐なフランを粗野に抱き締める光景を思い浮かべながら、何時までも地面に倒れていた。

 心を打ち砕かれた衝撃で体がドロドロに溶け、地面に吸いこまれていくように感じる。


 ジョバンニは立ち上がれなかった。


 いつまでも倒れていた。


 いつまでも、いつまでも倒れていた。


 読んで下さり本当にありがとう御座います。何か一言でも御感想が頂ければ感謝感激です。

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― 新着の感想 ―
[一言] ジョストで検索してきました。 面白かったです。描写も過不足無く、スピード感も演出できてました。 ただ…、どうせなら対戦相手との間に因縁とか、そういうストーリー性をもたせた方が面白かったかなと…
[一言] 馬上試合のシステムの考証がしっかりしている点や、ラストまで一気に話が進む疾走感が印象的です。 慢心ゆえに招いてしまう結末には、どこか青春小説のようなほろ苦さを感じました。 内容は面白いので…
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