7 人間世界
更新ペースは遅いですが、それでも頑張って地道に行こうと思います。
容赦ない風が吹く海上を飛んで約四時間。ずっと海しか見えなかったが、前方に巨大な島影が見えだした。初めは小さく見え始めたかと思うと段々と大きくその姿が目に入った。自分の住む大陸とは比べるまでもない小ささで、ただの小島のようだと思ったが、代わりに奥行きがあった。島の海岸線を越えて陸地に差し掛かった時にエンダーから、これが長く続く半島で本体はまだ先だと教えられてようやくギルファーはこの地形を理解した。
この半島は故郷とは違う特徴が散在していて、前日までの退屈だった時間がこの新天地を目の当たりにして急に興味が湧いた。島に入った途端にエンダーは高度を上げ、故郷には見かけない形の山々の中を進んでいることに気付く。
何か……変なところだ。
妙だった。朝いた休息地まで普通に竜の姿があったのに、海に出て竜の背島の境界線を越えると全く見かけなくなったのだ。いるのはまばらに飛ぶ小さな鷹ぐらい。空はただ静寂が支配していた。
更に時間が経ち、半島から大陸内部に侵入すると近くの山から進行方向(自分の)に沿って木々草むらが刈り取られて地面が剥き出しになった茶色い一本線が不意に出現した。もっと先に進むともう一本別の場所から現れ、最初の線と合流しまた一本に交わる。交わったりするだけでなく、再び分岐して別方向に消えることもあってそれが何度も目撃した。
線がとても小さいことをギルファーは怪しんで、父親の背中の上からもっとはっきり見ようと身を乗り出した。
「あれは人間が作った道だよ」
幼竜が質問の一言を舌の上に乗せる前にエンダーは言った。羽ばたきを弱め、一回ごとに数分高度を維持して体力を温存する方法に変えて会話しやすい態勢になった。
「迷ったりしないようにああやって印をつけているんだ。彼らの考えた知恵さ」
再び翼をひと振りして大きく限界まで広げたまま滑空を続ける。向かい風のない無風帯の中を悠々と飛ぶも風圧は常にかかり、エンダーはそれを顔面で受けていて呼吸はゆっくりと深かった。
ギルファーの掴まる手足に力が入った。
「ふうん。人間って頑張るね」
一方で自分は幼い翼を閉じて逆風に体を持っていかれないように耐える。冷たい風に晒されて身を震わせ、父親の温かみを分けてもらおうと身体を摺り寄せる。
「僕なんてまだ狩りすら出来ない」
「これから教えるから慌てなくていい。それにまだ、お前はそんな時期じゃない」
情けない口調で言う息子に向かってポジティブな言い方で励まし、大きく息を吐いた。その拍子に青白い炎が噴射され、周りの空気や塵を焦がした。
「今はじっと待つんだよ。その時が訪れるまで」
幼竜は父親の発言に納得がいかなかったが、現実を突きつけられ渋々景色を静観することに戻った。今できなくて……いつ出来るのだろう?心の中ではそんなことを呟いていた。僕と同じくらいの竜がどこまで出来るのか、この目で確かめられれば……。
その時、突風が吹きエンダーの態勢がふらつく。そのために彼は危うく落ちかけ、必死に掴まり、思考が中断される。尾でさえ父親の体にきつく巻きつけ安定を求めた。
身体に冷たいものがよぎり、下の遠い地面が急に恐ろしく見えた。風はすぐに収まったがまた来るのでは、という恐怖からしがみつく力を緩めずそのままじっとする。
「ギルファー、大丈夫か?」
エンダーが自分の身を案じてこちらを振り返り、状態を確かめてきた。そして大丈夫だと分かると、怯える自分に向かって安心させるように声を掛けることを忘れない。
「安心しろ。たとえお前が落ちても私が助けるからな」
その言葉の後には密かに安堵の息をつく音があった。
ギルファーは何も怪我を負っていなかったので、ただ単に平気だという簡単な言葉だけを返し同じことを繰り返してたまるか、と更に体を伏せて父親に密着した。風の音に用心深く耳を傾け、低い音の風なりの兆しを逃すまいとしたがその後は比較的風が穏やかになる。父親の方は息子が風に煽られることを懸念してスピードを緩め、かかる空気抵抗を減らした。そのおかげで昨日よりも一度に飛ぶ時間が増える。同時にギルファーはこの伸びた時間を眠り損なった穴埋めに堂々と利用した。
休息地を発って約5時間。エンダーに背中を揺さぶられて彼は起こされた。閉じていた目を見開くと、太陽が南に高く昇っていてすぐに目が眩む。もう昼に近い時間だろうか?朝までは暗く、加えて寒さに震え上がったが今度は逆に暑苦しい。それは相当自分たちが南下してきた証拠だった。北方のエバンヌ大陸で短い一生のほとんどを過ごしてきたこともあり、感覚としては冬より夏、秋が少し入っているぐらいの丁度いい具合の気候だった。
「父さん、どうしたの?」
半ば無理矢理起こされてギルファーは不機嫌そうに反応を返した。
「あと少しで着くから起きていろ」
エンダーは胸を高鳴らせ軽く口笛を吹き、鼻先で前方を指した。とっくに山脈は後方に過ぎ去り、平野に来ていた。眼下にはよく見る未開拓の森林が広がっていたが、木が北方のスギなどの針葉樹林から多種多様な広葉樹に変わった。しかも殺伐とした緑一色だけではない。オレンジや赤、黄金色などの明るい色彩が主役の紅葉が大半を占めている。
それだけではない。少しまた時間を置けば森林がまばらになり、今度は地平線までの平野へと景色が一変する。ギルファーは移り行く景色に釘付けになり、長い首をあちこち伸ばして落ち着こうとしなかった。
毎日緑ばかりで、雪が降らない限り変わらない故郷と全然違う。僕の故郷もこれくらい綺麗だったらいいのに……。
そんなことを思いながら、彼は真下の線を注視する。相変わらず消える気配がない。どうしてだろうか?それどころか……。
「何も見えないけどもう近いの?」
目を細めて待ちきれなさそうに彼は言う。丁度、西に冬に備えて熊が食糧を探して森の中を移動するのが一瞬だけ視界に入った。これが動物を見た最後だった。それ以降は小さな小鳥だけが空を申し訳なさそうに飛んでいた。平原帯には動物が居らず、例の線だけは変わらずにそこを貫いて伸びる。
「もう人間の地だ。目的地は近い」
エンダーはそれだけ答えるとまたスピードと高度を上げた。すると平原の見える範囲は広がり、変化が分かりやすくなる。
ある地点を過ぎると平原に川が入り、はっきりとした四角形の区切りが現れしかも増えていく。気付けば景色全てがそれに統一されていた。川は小さい糸のように、四方八方へ伸びて視力の良いギルファーでも見分けが困難なほどに網目状に分かれているのが分かった。この辺りまでは彼の思う自然だった。
しばらく経つと真下に見慣れない風景が前置きもなく、突如として姿を見せた。草原は手が加えられた四角形の形となって緑一つない黄土色のものに統一され、その一つ一つの間に道らしき細い線が作られている。
幼竜はその中に動くものを発見した。思わずあっと声が出る。
「あれ!あれは何?草むらにいるの!」
目を凝らして見る前にその場所はすでに通り過ぎてしまった。だが大きな太く茶色い線を見たときにまたそれがいた。
「あ!まただ。ねぇ父さん、あの二本足の生き物は?手に何か持ってる」
言い終わらないうちに彼らをまた抜かしてしまう。代わりに何か高い鳴き声が残響する。そのほとんどがワーとかギャーといった濁った声だった。
あれが鳴き声なのかな?知識に乏しいギルファーは首を傾げる。
「あれが人間だよ」
「あれが……人間」
エンダーから言われたことを彼は反復する。初めて目にする存在に深いブルーの目が更に大きくなった。
「沢山いるだろう?この先ずっと見かけるからな。慣れておいて」
それ以降、人間の姿を見る数が倍々に増えた。丘を越えても森を過ぎてもあのグレーと茶色に白や肌色がある風変わりな“二本足”はいた。更には自分の好物の牛や馬の背にも乗っている。そのどれもが茶色い線上を堂々と歩く。
そんなことをしてよく襲われないね。あんな無防備でいると竜にやられるのに……。
ギルファーは関心するが気がかりなのは通り過ぎた、若しくはその前の矢先に必ずといっていいほど鳴く。
もしかして怖がってるのかな?こっちはそんなことしないのに。よく見ればこちらから逃げていく人がいる……。
その光景を申し訳なさそうに見つめながら思った。
そのうちに綺麗な立方体で形作られた箱のようなものが点在し始めた。父さんはそれら全てが彼らの住処であると教えてくれ、これもまた多くなるよと付け加えた。案の定人と住処だけが増え、反して家畜は減っていきとにかく人だらけになった。ここが人間の街だと分かると余計に胸が高鳴った。少し観察するとさっきからついてきた太い巨大な線は彼らの家の傍らを通り、それに沿って街が続いていることに気づいた。
「ギルファー、あれを見ろ!」
幼竜は父親の指す前方を見据えた。先にあったのは今までと比べものにならない程の人間の街だった。高い棒が十六本巨大な壁に沿って並べられ、これらの奥側には住居であろう建物がぎっしりと埋め尽くされている。更に先は山だが、建物が途切れることなく続き頂上には明らかに他とは違う雰囲気を漂わせる純白の石の家があった。
因みにかなり上空を飛んでいるにもかかわらずやかましいほどの人の声が耳に入ってきた。遠くてこれなら一体ここには何匹いるんだろう?
「あそこがお前の産まれた場所だ」
エンダーは首を振って目の前の山の頂上を指し示し、鼻から煙を上げて言った。ここで翼の羽ばたきを弱めたので、景色がゆっくりと流れ始める。そのため細かいところまで目が届くようになった。
壁の内側では、人間が自分でも到底入ることの出来ない家の隙間で何かをやっていた。物と物とを交換しているようにも見える。ただそれでも一人一人に見入っている余裕はなく、行き交う人間を見るだけでも精一杯だった。
そうして建物に近づくとエンダーは「掴まって」と合図を出したので、ギルファーは彼の背中に掴まった。
身体を傾けて徐々に速度を落として旋回をし、世界がぐるりと一回転したかと思うと頂上の“城”の庭の中央付近の芝生の上に堂々と着地した。
着地の衝撃で背中からバランスを崩し、地面に幼竜は転がった。頭をぶつけたときは痛いには痛いのだが、そんなことはお構いなしにすぐさま体を起こして周囲を見渡した。芝生の他にここには色彩の綺麗な花園が広がっていて、建物側には竜を象った立派な竜の石像を中心に立つ噴水が水を噴き上げている。ギルファーはその一つ一つに見覚えがあった。
「これ、見たことがあるよ」
生まれたとき、寒い雪が降っていて何もかもが真っ白だった。自分は毛布に包まれて父さんに運ばれていったんだっけ?だが、記憶とは大きく差異があっても大半は合っていた。
「父さん、ここはなんていう……」
ギルファーは好奇心いっぱいに尋ねようとしたが、“城”の中から何人もの人間が出てきたせいで会話は中断する。周りの騒がしさが一気に増して空気が一変するのを感じた。
相手は慌てた様子でこちらを取り囲むと、鈍く光る棒をこちらに向けてきた。彼らの目は血走っていて睨み付けている。明らかに飛んでいるときに目撃した人間とは雰囲気も恰好も違った。
「父さん、あれは……何?」
ギルファーの声は震えていた。意識する好奇心よりも本能的な恐怖を感じた。それまでの明るい雰囲気が一気に消え、怯える。
自分達に向けるのは無言でとてつもない殺気と何十本もの槍だった。
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次は第四章 差別 入ります。
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