49 ターニングポイント
「タヨザキ……ショウ……?」
ギルファーは青年から明かされた名前を反復する。全く聞いたことのないような珍しい名前だ。異世界から迷い込んだなんとかということは信憑性に欠けるが、ちゃんと明かしてくれたのなら味方かもしれない。今の時点では。
「ああ、そうか……この世界だとショウ・タヨザキだったな。君の名前は……?」
「ギルファー……」
本人が名前の言う順番を間違えたことはさておき、自分も聞かれたので明かす。向こうは竜と会話することに全く緊張したような様子はない。それどころかこちらが取り乱していた。この人間は……どうして自分を恐れないのか。身体も自分の方が大きいのに。
「ギルファーね。怪我は大丈夫?」
少年は黒い剣を腰の鞘に納めると、こちらを恐れることなく歩み寄ってきた。その声はまるで仲間を労るようにとても優しく聞こえる。まるで……自分は今、エントラルに掛けたときと逆の立場に立っているようだった。だが……
「グルル……」
ギルファーは低い唸り声を出して威嚇する。傷が酷く痛んで苦しい。でも人間に介抱されるのが竜のプライドとして情けなかった。弱みを相手に……見せられない。
「強がるな。ここで見栄を張っても今後の為にはならないぞ」
少年は厳しい口調で叱る。竜からすれば人間に叱られるなどある意味屈辱的なことだ。普通ならば牙を剥いて怒るだろう。だが混血竜である彼は、怒りに燃えつつも理性的に考え直す。
そう。強がっても意味がない。寧ろ怪我を悪化させるだけだ。自分はこの傷を舐めることしか出来ず、今すぐには治せない。でも今動かないと父さんには二度と会えない。
「大丈夫じゃない……です」
ギルファーはそれを悟ると、渋々ながら苦し気に本当のことを少年に伝える。ここは折れて助けを求めるしかない。情けないけど……命には代えられない。父さんに会えるのなら。
「じゃあ、取り敢えずじっとしてて。薬草を貼るから」
向こうは肩に掛けたバッグを開けると、中から透明な液体の入った酒瓶と深緑色の小さな草の葉を数枚取り出した。それらからは今まで嗅いだことのない変わった臭いがした為、ギルファーは目を細めて注意深く観察する。人間の持つ技術は驚かされるものばかりなのだから。
取り出した草の葉を白い紐で吊し、瓶の中に入れて液体に浸す。そして暫く時間を置き十分に葉が水気を含んだことを確かめると、少年はそれを自分の肩の傷に乗せた。
「くっ……うう……」
浸した薬草が傷に滲み激痛が走るが、ギルファーは呻き声を堪える。焼けるような痛みだ。本来なら泣いているところだが、最低限のプライドは守りたい一心でそこは耐えた。が、鉤爪に力が入り地面を抉る。
だが耐えた甲斐があって時間が経つと、薬草を充てた傷口の出血がある程度収まってきた。それを少年は確認すると、今度は細長い白い布を取り出す。
「どうして僕を助けるの……?」
ギルファーは知りたくて彼に尋ねる。自分はもう怪我を負って弱りきった幼竜だ。普通の人間だったら、囮にするなり見殺しにするなりする筈なのに、どうして……。
「最初はお前を囮にするつもりで身を潜めてたけどね。悲痛な声を聞いて放っておけなくなっただけだよ。単なる気紛れさ」
多代崎は白い布(包帯)を傷口に巻きながら、さらりと本当のことを答える。ギルファーはそのことにやや怒りを感じたものの、助けられた事実から感情を納めることにした。よく考えればそれが当たり前なのだ。異なる種族を助けようなんて……普通は思わない。
「でも、何でこんな場所に……?」
カルグレイスの巣は元々高山の頂上に造られていることは、先程見て知っている。だからこそギルファーは彼の行動を疑った。わざわざこんな巣まで麓から登ってきたのだから。何か明確な目的があるに違いない。
しかし、その問いの答えは意外なものだった。
「移動手段を探してたのさ」
多代崎は答え、ポケットから取り出したナイフで包帯を切りややきつく結ぶ。その為に傷口が圧力で締まり、激痛が彼を容赦なく襲った。
「う゛っ……移動手段?」
討伐や調査といった答えを予想していただけに、幼竜は驚いてしまう。移動手段を探していた……?一体どういうことなの?真っ先に思い浮かぶのは馬に跨がる人間の姿。
「馬でも捕まえるの?」
人間の移動手段と言えば馬か船ぐらい。だからギルファーは馬を自力で捕まえるのかと考えた。でも山で馬が見つかる訳がない。他には……。
「違う。俺が狙ってたのは君のような竜や、カルグレイスといった空の生き物だよ」
しかし彼は即座に否定する。また、治療の手を止めずに今度は後ろ脚と破れた翼の方へ移り、新たな薬草を貼っていく。痛いことに変わりはないがさっきよりはまだマシに思える。
狙いは竜やカルグレイス。その意味深な答えに彼は顔をしかめた。さっきの言葉と矛盾している。どういうことなのか。真意が読めない。
「要は……空の移動をしたいのさ」
「なっ……!?」
意外な目的に思わず声が漏れてしまうが、滲みる傷のせいでそれは呻き声に変わる。空の移動。つまりこの人間は、竜やカルグレイスを捕まえてそのまま背中に乗り、空を移動したいと言っていることになる。普通なら、まず浮かばない考えだ。確かに人間からすれば移動は楽だと思う。でも……。
「無理だよ。カルグレイス相手なんて……」
襲われたのがこれきりの自分でも判る。あの鳥は頭の良い生き物だと。倒すなら未だしも、捕まえて馬のように使役するなんて……絶対に出来ない。もし捕まえても、従う筈が……。
「出来る。これを使えば……」
多代崎はそう言って後ろ脚と翼の包帯を結び終える。そして自分の細い右の掌についた黒い点に左手を添えると、静かに目を閉じた。まるで何か念じるように。すると黒点からゆっくりと音を立てずにどす黒い霧が吹き出し、彼の周囲に広がった。
ギルファーは警戒心から、傷付いた身体を引き摺り後ずさる。また竜と人間の両方の本能が恐怖を感じているのか、四肢に震えが走った。正体すらまだ判らないうちに何があるのか、身体が知っているように。
最初はクルバス王子の使うような魔法の類いだと思った。でも違う。これは魔法ではない。そんな生易しいものではないと直感が囁く。もっと別の……何処かで感じたがことのある感覚。最も思い出したくない記憶の中に……。
謎の黒い霧は彼の手の中で一つの形を取ると、周りの闇に溶け込むように消えていく。そして黒点のある掌に残ったのは、不気味に黒く光る一本の長い鎖だった。
「今のは……何なの?それは……」
ギルファーは震える声で尋ねる。あれはただの紐じゃない。触れると自分に良くないこと起こるような気がする。でもあれは何なのだろうか?
だが向こうは静かに首を横に振る。
「黒い霧については俺も答えられない。ただこの黒い鎖の性質だけは説明出来る」
代わりに彼は薬を仕舞い鎖を束ねて一つに纏めると、ギルファーの傍に座りはっきりと見えるようにしてくれる。しかし本能は近づくことを拒み、一瞬だけ後退しようとした。が、必死にそれに抗い踏み留まる。ジャラジャラと金属音がするだけでも脚が震えていた。
「これは死生の鎖と言ってね、付けた相手を自由に操ることが出来る道具なんだ」
相手を自由に操る。つまりは鎖の持ち主の言いなりになってしまうことだろうか?まるで魔法みたいな道具だ。一度それを目の当たりにした経験のあるギルファーは鎖を警戒しながら思う。見た目は何も感じない只の鎖。だが“何も”感じないからこそ不気味だった。
「じゃあ……それで捕まえるの?」
自分よりも遥かに大きいあの巨鳥を?しかも殺さず生かしたまま。そんなこと不可能だ。成功する筈がない。父さんですら倒すのも無理だったんだから。それを人間一人でなんて……。
「ああ、その為にここまで来たんだ。君はここで隠れていた方がいい。危険だ」
しかし少年は全く怖がることなく、平然と無謀とも言える目的を肯定した。竜ですら本能でも諦め、背を向けるようなことを。自分よりも無力であろう人間が……。
「なんで……怖くないの?」
ギルファーは尋ねる。自分は本来そうでありたいから。恐怖に怯えることなく、常に強く冷静のまま相手に立ち向かいたい。どんな苦難でも、怯むことなく……。
「怖いと言ったら嘘になるな。だが俺はやる。待っている仲間の為にな」
多代崎はこちらから目を離して告げる。何処か寂しげな響きだ。だがそれを打ち消すように、離した先に見えるカルグレイスを睨み付ける目は、竜の炎よりも強く燃えていた。
「仲間……」
彼の脳裏に真っ暗な空の中で自分を必死に探す、親友のエントラルと父親の姿がよぎる。大切に思ってくれている仲間。あのとき庇ったのは紛れもない自分。でも彼らは悲しんでいるに違いない。自らを責めているかもしれない……。
その為にも……僕は……。
「僕も……行きます」
内心ではこのまま隠れていたいという弱気な自分を封じ込め、ギルファーは震える声で多代崎に宣言する。父さんに会える可能性を含んだ最後のチャンスだと思って今は耐えた。本来ならここにいる筈のなかった、イレギュラーな存在。この機会を生かさないと……!!
「でも何を目的に?言っておくが、これはプライドだけでは生き残れないぞ」
「目的はあります」
少年の現実を突き付ける言葉に胸の苦しさを覚えながらも、幼竜は怯まずに答えを返す。そして彼にその理由をこと細かく説明し、協力を頼んだ。竜として……自分よりも遥かに小さな存在に助けを求めるなど屈辱的なことだ。しかし、今はそうする他に手はない。自分の力が足りないのだから。
「お願いです。どうか……貴方の力を貸して下さい……」
ギルファーは沈痛な声で頭を下げ、強くお願いする。もうプライドが潰れてもいい。父さんに会いたい。その為なら……。
「判った……。なら取引をしよう」
多代崎は自分の必死な懇願に折れた。しかし同時に何かを思い付いたのか、こちらの意思を汲み取りながら話の口火を切る。その表情はとても真剣だ。無論、自分もまた神経を尖らせて話を聞く。
「お前の父親が助けに来るまで俺がお前を守る。その代わりにこっちの作戦への協力、あとヒルディア・ユラヌスまでの道案内を父親に頼んで欲しい。身の保証も含めて」
(ヒルディア・ユラヌスへの道案内……身の保証)
ヒルディア・ユラヌス。聞いたこともない街の名前を出されて彼は一瞬だけ困惑したが、迷わずに頷いて同意を示した。これで自分は父親の所へ戻れる。その為なら構わなかった。道案内については判らないけど、きっと父さんなら……その場所を知っている筈。
「分かった……説得する」
ギルファーは静かに首を縦に振り、頷く。今は……自分が生き残ることを考えないと。後のことは何とかなる。自分勝手なことだけど、そうするしか他に道がない。
「よし、作戦開始だ。お互いに生き残る為にベストを尽くそう」
そうして彼らは頷き合うと、待ち構えるカルグレイスの雛に向け巣の中へ走り出す。追われる者が追う者に変わった瞬間だった。人間の持つ勇気を原動力にして。
そして……両者はそれぞれの目的の為に戦う。
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