45 超空の惨劇者
「ところで……父さん」
「どうした?」
朝の狩りによる食事を終え、再び父親の背中に乗って空を飛びながら、ギルファーはエンダーに訊ねた。今日は自分との世界の違いを今後の為にもよく見てもらう為に、人間の街などを眼下に周遊して帰る予定である。今は腹は満たされていていつもの調子は戻っているが、先程の父親の言葉を聞いて以降気分は複雑だった。
「この世界に棲む、竜の天敵って……何なの?」
竜は故郷の世界の空では最強だと、長老から教えられた。自分のような子供なら例外だが、普通襲ってくるのは人間位か好戦的な同じ竜。しかしその人間も竜を畏れ、あるところでは崇められている。竜は同じ系統な為、論外。なので完全なる天敵はいない筈だ。どの世界も……。
「カルグレイス……。人間も私達も、近くの異世界中でそう呼んでいる」
「カルグレイス……?」
エントラルは父親から発せられたその天敵の名前を反芻するが、どんな生き物か判らず首を傾げる。無論自分も同じだった。そんな天敵、聞いたことがない。少なくとも……自分の世界にはいないだろう。
何が居てもおかしくない。それが異世界のルール。ギルファーは強くそれを意識し始めていた。
「そう。竜に似た……だが実際は竜ではない、我々よりもずる賢く生きる……巨鳥。超空の惨劇者という異名を持っている」
「超空の……惨劇者」
ギルファーはその異名を自分の口でもう一度呟く。名前の響きが恐ろしい。竜でさえ、そうと言わしめるなんて……一体何者何だろうか?好奇心がくすぐられるが、同時に寒気を感じた。父さんでさえ、襲われるかもしれない相手。そのイメージは悪い方向へ傾くばかりである。
「どんな……姿をしているの?」
エントラルが不安そうに周囲を見渡しながら、エンダーに聞く。だが自分が見ても、空には輪を描きながらこちらを避けて飛ぶ灰色の翼を持った小さな鷹くらいしか見えない。流石にアレではないと思う。だが、エントラルは臆病風に吹かれてビクビクしていた。
「襲われたことはないが……一度だけ遠くから見たことはある。不気味な姿だったよ。身体は細く……翼は灰色で鳥の羽根だが両方とも、父さんのように大きい。中でも特徴的なのは、嘴が異常に鋭く長いことだ。そして血のように赤い眼。単独ならば恐れることはないが……奴等は集団で襲ってくる。だから……“基本”、絶対に相手にしてはいけない」
エンダーは実感の籠った口調で話す。姿にモデルはいないが、イメージすると確かに不気味だと思う。竜ぐらいに大きな巨体の鳥など……不死鳥もそうだが想像がつかない。少なくとも、自分を助けてくれた不死鳥よりは禍々しい姿だろう。それが集団で……。想像するだけでゾッとした。
「大丈夫なの……?今飛んでいて。見る限り竜が一匹も見えないよ」
集団で竜を襲うのなら、今の状況は危ないのでは?とギルファーはふと思い心配した。例え身体が小さな生き物でも、群れで襲えば大きな相手を倒してしまうのは、以前自分が人間に捕まった経験で知っている。あのとき程、仲間の大切さを感じたことはない。だからこそだった。
また、今見える限り竜の姿が見当たらない。自分の世界では当たり前のように飛んでいるのに。人間の領土とかと言われれば納得がいくが、人が手を加えたような痕も皆無だった。それほどまでに恐れられている証拠だと思う。
だがエンダーはその懸念を否定した。
「大丈夫だ。彼らはそう滅多に見かけることはないし、いざというときは父さんが守る。それに……奴等は火吹きを狙わない」
「「えっ……どういうこと?」」
さっきの説明とは矛盾していて、二匹は思わず同時に同じ問いを投げ掛けてしまう。直後にお互いに恥ずかしくなって視線を泳がせるものの、疑問は強く残った。なら父さんはどうして怖がるのだろうか?
そんな彼らの混乱をよそにエンダーの説明は続く。
「奴等の身体は鱗ではなく、羽毛なのだ。少しでも火傷すれば向こうにとって命取りになる。向こうもそれは知っているだろう。だから私が傍にいる限りは襲われることはない」
エンダーは口から青白い炎をポッと吐き出し、誇らし気に言う。しかし、その口調は強がっているようにしか見えない。彼は言葉と様子がまるで違うことに顔をしかめるが、直後にその訳は明かされた。
「だが……この世界にいるときは、父さんからなるべく離れないで欲しい。狩りに行っている最中は何処かに隠れているんだ。奴等は幼竜なら火吹きなど関係なく付け狙う。ある意味で父さんにとって天敵だ。この世界での絶対数が少ないと言っても……油断は出来ない」
つまり父親が本当に恐れていたのは自身のことではなく、自分やエントラルが襲われること。また天敵というのも、実際は火吹き以外の竜と幼竜全般を意味していたのだ。
何処の世界でも共通だが、獲物は決まって自らよりも弱いものを狙う。だから今の場合、認めたくないが自分やエントラルがその弱者になる。成竜じゃない……力の弱い幼竜だから。
「……分かった」
「うん……」
彼らはそれぞれで、前を見据えて飛ぶエンダーに言葉を返す。父親がいる限りは襲われることはない。その言葉だけでも安心するには十分だった。横にいるエントラルに視線を移すと、さっきまでの表情にあった恐怖が消え、いつもの明るさが戻っている。自分も張り詰めていた緊張が切れて重く息をついた。
(父さんがいれば大丈夫)
左の前脚と後ろ脚で父親に掴まりながら、ギルファーは胸元の鱗に右の前足をを充て、未だ身体に残る震えを納めた。まだ人間に対する経験がトラウマになってる。かもしれないという曖昧な言葉だけでは不安なこの心を……克服しないと。
しばらく経つと、右側に赤く平たい岩のようなもので積まれた高い壁とその中に建つ複数の建造物が見えた。この高さと建物の細かさから、人間の住む街だろうと思う。直後にそれを証明するように、その近くには人間の姿が映った。
街は中央の丘を中心として丸形に広がるように存在していた。丘上には白い城とその周りを囲む塔が他とは違うオーラを漂わせ、いかにも自分の領地であることを主張しているのが判る。恐らくはあれが王様のような人間の住む場所だろう。以前訪れた城に似ていたからこそ、ギルファーは理解出来る。
エンダーからは街の名前を告げられ、簡単な説明を聞いた。だが頭に入るのは“クロモスク”という街の名前を表す単語だけ。興味が湧かなかったからだ。逆にエントラルは説明を聞くと、純粋な好奇心を持って更に眼下の街を見下ろして眺めていたのだが……。
人間のことを考えると、クルバス王子からの仕打ちの記憶が蘇り、一瞬身体が震える。彼はすぐに必死に頭を振ってその恐怖を忘れようとした。
(もう自分はあんな風に襲われない。だからもうこのトラウマを……)
だがそれは、ある意味で現実逃避とも言える。目の前の敵から目を背け、怯える自分を誤魔化すことと何ら変わらない。ただの……強がりだ。竜としてあってはならない弱い心。人間が持つ負けず嫌いだからこそ持つ、必死に強がろうと足掻く心。それがギルファーの中で矛盾を生んでいた。
(竜は敵を滅多に恐れない)
それが例え自分の天敵だろうと。父さん自身はカルグレイスを恐れていない。自分達がいなければ悠々とこの空を飛んでいたと思う。彼らが襲うのは火を吹けない竜だけ。吹ければそんなことはないのだ。
(父さんみたいに火が吹ければ……)
向かい風が吹き荒れる背中の上で、ギルファーは流れ行く景色を静かに見据えながら密かに思った。今のままでは……いけないから。
試しに口を開けて火を吹こうとする。だが出てきたのは僅かな熱を持った温かい息だけだった。
「ギルファー、何をやってるの?」
端から見れば怪しい行動だったのだろう、エントラルは気になって景色から目をそらし聞いてきた。彼は喜怒哀楽が面に出て、感情がすぐに判る程に純粋だ。自分はそれを羨ましく思う。こんなにも……迷うことがないから。
「何でもないよ、エントラル。ただ……この世界の空気ってどんな感じかなって、深呼吸してただけ」
完全な嘘だ。そんなことはこの世界にやって来たときにもう五感で大体を知っている。しかしそれ以外に誤魔化す言葉がないのだ。だから見抜かれると思って、ギルファーは直後に正直に説明しようと構える。
しかし、エントラルはギルファーを疑うことはなかった。
「そう言えば……確かに空気が全然違うね。美味しいけど何か違和感がする。何なんだろう?」
エントラルはその言葉を間に受け止め、自分と同じ真似事をする。当然と言っていいのか分からないが……彼の口からも火花すら吐き出されることはなかった。嘘をついたことに罪悪感を感じたが、かと言ってこの複雑な思いを告げることは出来なかった。
闇雲に頼るだけでなく、自分だけで考えることもしないと……。
「ところで……僕達の世界とこの世界って他に何が違うの?父さん」
空気のことだったので興味がすぐ薄れたのか、エントラルは本題の内容を教えて欲しいと言わんばかりにブルーの眼をサファイアのように輝かせ、質問し始める。自分もそれは知りたい。……というより知らないと異世界に来た意味がないと思う。ギルファーは抱いている暗い話題を頭の隅にしまい、耳を傾けた。
(今すぐに襲われる訳じゃない。じっくりと待てばいつかは……)
そう自分に言い聞かせる。だが現実はそこまで待ってくれる程甘くなかったことを、後に自分の身を以て知ることになった。
「そうだな。この辺りは我々の世界とあまり変わらないから……説明しよう。カルグレイスも今はいないようだから」
エンダーは周囲をぐるりと見回し、また耳を尖らせて音を聞いて敵がいないことを念入りに確認すると、いつものような穏やかな声で話し始める。聴こえやすいように羽ばたきを緩めたので、自分達に当たる風が弱まった。
「ここ空間スタールテランは……」
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修正話第45話後半は一時間後に投稿します。