38 お互いの思い
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「ん……」
エントラルはうっすらと瞼を開けて目を覚ます。身体を横に倒して眠っているので、片目だけが周囲の様子を鮮明に映した。だが丸まって寝転んでいることで、視界のほとんどを自らの尾が占めているが。
視界に映る洞窟の中には自分以外誰も居なかった。それもその筈、狩りの獲物を分け与えてくれた幼竜と顔を合わせてからそれほど時間が経過していないのだ。だが、あれから大分睡眠は取ったと思う。自分が元いた場所が昼の筈なのに、ここは夜。身体が時間に慣れていないのか、最初身体がだるかった。でも今は大丈夫……だろう。
そう思い立ち上がろうとする。
「うっ……」
だがその前に前脚から軽く痛みが走り、再び藁の上に倒れる。その部分に目をやると白く薄い何かで脚が覆ってあった。先程は幼竜との対応で神経がそちらに向いていた為に気付けなかったらしい。この痛覚もまた同じく。痛みに心当たりはある。母親から鉤爪でやられた痕だ。それ以外の何者でもない。
だがそれでも立ち上がり、傷ついた前脚を庇うように慎重に一歩ずつ歩き出す。巣穴の外に向かって。外にいるかもしれない命の恩人を探して。傷の痛みに気付けなかった最初が恨めしかった。
そして、巣穴の外にようやく這い出すことにエントラルは成功するが、目の前に広がる景色に目を疑った。自分の知る世界とはまるで違う光景だったからだ。雪原の上で目覚めたときから違和感はあったが、こうして平常心で覗くとそれははっきりと感じることが出来る。
巣穴の外は崖の上。その上から見下ろす景色は辺り一面の銀世界だった。広大に存在する雪が積もった針葉樹。身を切るような寒さを振り撒くそよ風。不思議な緑色の光の膜が覆う満天の星空。森の先には地平の果てまで続く氷が張った巨大湖。恐らく自分はあの湖で……。
「あ、目は覚めた?」
「っ!!」
突然、横から声を掛けられてエントラルはビクッと身体を強張らせた。落ち着いていた心が急に緊張感を持ち始める。恐る恐る視線をそちらに向けると、そこには先程自分に獲物を持ってきてくれた青竜がいた。
「……」
返事を必死に声に出して返そうとするが、何かにつっかえたように言えない。自分の中で会話することを拒んでいるのだろうか?分からない……。
「大丈夫?まだ休んだ方がいいんじゃない?」
青竜は返事を返さないことをまだ体調が優れていないと解釈したのか、心配するように尋ねてくる。普通の竜ならここまで配慮なんてしない筈なのに。この竜は……自分に似ている。細かいところまで気にする部分が。
「だっ……大丈夫だよ」
ここでようやく声が出た。しかし、会話をあまり交わさなかったこともあって小さく、また言葉が震える。でも助けてもらったのだ。返事を返さない訳にはいかない。
「あ、始めて喋った。最初話し掛けたとき何にも答えないから、声が出せない竜かと思って緊張したんだよ?」
「そっ……そうだったの?ゴメン……」
彼がすらすらとしかも明るく話してくるのに、自分の言葉は躊躇いがちで暗い。もっと……もっと気楽に話したいのに。どうしてこんな上手く会話が出来ないんだろう?
「でも良かった。君が元気になって」
向こうはそう言いながらとても幸せそうな笑顔を浮かべると、崖の方に身体を向ける。自分とは違う背中の棘とがっしりとした肩が覗いた。
「こんな寒い夜に君一匹で居させるなんて……君の親はどうかしてるよ。湖の真ん中で落ちても助けに行かないなんて……最低だ」
彼は自分をここまで放っていた親を許せないのか、態度を変えて怒りの籠った口調で言った。ただ、それは仕方のないことだ。自分は親に捨てられたからそうして放って置かれたんだ。
でも、何で……?
エントラルは理解出来なかった。どうして自分みたいな他の竜を、無茶をしてでも助けてくれたのか。そんな心の広いのは人間の考え方だ。決して竜の性には当てはまらない。
「仕方ないよ……。だって僕は……僕は捨てられたんだから」
「えっ……」
彼は自分の自虐的な告白に声を失い、こちらを見る。こんな答えなんて予期出来る筈もない。竜の親が故意に自分の子供を捨てるなど、よっぽどの理由がなければしないのだ。奇形や何らかの障害がない限り。野生での世界ではそれが常識とされている。如何に優秀な血統を次世代に継が。せる為に。自分は……混血故に、竜として不完全なせいで……。
「信じられない……話だよね?でも……本当なんだ。だから親は……助けに来なかった」
「そんな……どうして君が……?」
「聞かないで……お願い」
エントラルはさっと彼から目を逸らした。話したくない。今事実を言えばどんな反応をされるかが目に見えている。こんな……夢みたいな時間を失いたくない。
「じゃあ……君には帰る場所がないの?」
「ないよ。ここが……自分のいた世界なのかさえ……分からないんだ」
悲しげに言うと彼は肩を竦めた。北風が少し吹くだけでくしゃみをしてしまう。寒い……。ここはなんて寒いんだろう?どうして……こんなにも胸が苦しいのだろう?
「君のいた世界の名前は……?」
「空間……エストラン」
自分の答えに向こうはハッとして目を見開く。でも何となく予想出来た。自分を捨てる為にあんなおかしな真似なんてしない。つまり……。
「ここは……空間エバンヌだ。じゃあ君は……異世界から……」
「そう……みたいだね。僕は……ここまで避けられてきたみたい」
ここは自分がいた世界とは違う世界。自分は生まれた世界にすら、立つことを許されなかったということなのか。よりにもよって異世界になんて……僕はそこまで嫌われていたなんて知らなかった。
「僕は……独りぼっちだ。もう……生きていくことだって……」
エントラルは俯いて眼下の景色を悲しく見下ろす。心が砕けそうだった。もう自分の支えになってくれる存在なんていない。彼はただ……湖に落ちた自分を助けただけに過ぎない。それこそ親がいることを前提にして。
踏み込んだ考えになるが、普通の竜ならば捨てられた子を引き取るなどしない。何か事情があるならば尚更だ。それに野生の世界は、行方不明の子を親が探す程甘くないし、そんな余裕などないから。頼んだところで……。
その考えに行き着いたところで、エントラルはハッとして自分の隠れた本音に気付く。
自分は……彼に助けを求めている?
何を血迷っているんだろう?そんなことはないんだ。彼には親がいる。捨てられた自分を拾ってなど……。儚い願望にすがり付く本心がいることに余計に悲しくなる。自分なんて……自分なんか……。
自らを卑下する負の連鎖が起きて、今にもこの場から立ち去ろうと考えてしまう。そのときだった。
「なら……僕が一緒にいてあげる」
その言葉にエントラルは雷に打たれたような衝撃を受け、固まってしまう。今、なんて……。心の中では強く願い、またある筈がないと諦めていたもの。それが現実のものとなって鋭い耳に響き渡ってきた。
「帰る場所がないなら……ここに住めばいい。構わないよ」
思ってもみない言葉。聞くだけでも嬉しい。だが、それでもなお自分の中には現実の考えと自分の境遇を隠していることへの懸念が残った。
「でっ……でも、君の親は……」
許す筈がない。自分は捨てられた子。子が求めても親は認めない。
「何とかして説得する。大丈夫だよ。それに僕には兄弟なんていないから……独りで巣にいるのが寂しかったんだ」
「兄弟が……いない……?」
どういうことだろうか?自分は母体を竜として卵から産まれた。だが卵は複数産んでも孵ったのは自分だけ。父親が人間だったからだと母親が呟いていた。だがそれは本当に特殊な例。自分のようにひとつしか孵らなかったのだろうか?
「うん……。お母さんは僕だけしか……産めなかったから」
「それは……どういう……?」
急に沈んだような、悲しみを含んだ声で話す。その様子の変化に、自分の境遇よりもそれが気になって思わず追求してしまう。彼もまた、何か暗い事実をを抱えているのではないかと考えた。
「先に言うよ……。これから言うことに対して……別に僕を罵っても、差別しても構わない。だけど聞いて欲しい」
彼は少しだけ間を置くと小さく息を吸い込み、意を決したように言った。エントラルは黙って次の言葉を待つ。差別されるくらいの事実。もしかしたら混血として差別される自分と気持ちが分かりあえるかもしれない。その時はこう思った。
「僕のお母さんは……人間だった。だから……僕しか産むことが出来なかったんだ」
「ッ!!」
その衝撃的な事実にエントラルは怯み、思わず目を大きく見開いてしまう。信じられなかった。自分の目の前にいるこの幼竜が、同じ混血竜だということに。確かに普通の竜とは違うとは思っていた。でもまさか……こんなことが……。
「僕は混血竜だ。人間と……竜の血の二つを引く。だから……溺れた君を放って置けなかった」
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