34 アルトネイン湖
固有の地名に解説は必要ですか?
ミニ解説:アルトネイン湖の大きさはカスピ海くらいの設定です。
気がつくとギルファーは竜大陸最大の巨大湖、アルトネイン湖まで来ていた。
この湖の特徴は岸部に沿って森林が開けて寸断されていること。また湖の水は近くの山脈の湧き水から流れ込み、この地形を形成していると長老のランデスは教えてくれた。加えて水は全ての生き物において欠かせないものであり、決して枯らしてはいけないともついでに解説。
つまりは……大事にせよということなのかな?
教えられた時のことを思い返しながら頭を傾げる。でもこの極寒の季節となると木々は積もる雪で真っ白。湖自体もすっかり凍ってしまい、表面が厚い氷の層で覆われてしまっていてとても水のありがたみなど分からない。ただでさえ寒さで震えているのに、こんな風景を見てしまうと今度は心まで凍ってしまいそうだ。幻想的で興味はあるが、過剰に成りすぎるのは危険だった。
彼は今、エンダーとは距離を取りながら単独で行動していた。だが親の元を離れるのは抵抗を感じるし、父さんも反対している。自分が生き残っていることをみんなが知っている以上、再び命を狙われる危険があるからだ。父さんはもう自分を失いたくない。そして自分もまた、あんな目に遭うのは嫌だ。でも、それでも自身単独で物事を見極めてみたかった。
彼は恐る恐る岸辺の雪の上から湖の氷の上に足を踏み入れた。サクッという鉤爪が雪の中にうずまる音が、いきなりガリッという氷を削る耳触りな音に変わる。爪がちゃんと氷に立てられない。おまけに酷く滑るので更に嫌になる。そして歩こうと一歩踏み出すと、ツルンと滑って尻もちをついてしまった。
氷にぶつかると普通に転んだ以上の鈍い痛みがやってくる。彼はその痛みに思わず小さく呻くが、声はただ周囲に伝わり掻き消えるだけで何の変化もなかった。エンダーはこの一部始終を後ろから目撃していたが、助けには来ない。それは些細なことだから。
竜も嫌がる寒い夜になど誰も外に出たりしないだろう。だからこそギルファーにとっては比較的安心でき、自由に行動できた。今なら自分を襲う敵なんていない。いても父さんが助けてくれるだろう。だからのんびりと過ごすことが出来る。これ程の幸せはなかった。
だが、湖の上も他の場所も雪に覆われて白一色だった。こうなると小さな発見もなければ出来事もない。逆にギルファーは落胆する。でもそれは分かっていたことだ。
ギルファーは後ろからエンダーがついて来ていることを確かめると、星が瞬く夜空を見上げながら滑る氷の上を踏ん張り、凍った湖の上を歩いてみた。今は自分をからかう仲間はいない。そう考えれば気分は楽だ。滑って転んでも誰も笑わない。歩く度にミシミシと下の氷が微かに悲鳴を上げていたが、彼はまだ空を飛ぶことの出来ない小柄な体格の幼竜である為に、その軽い重さで割れることはなかった。
当然、割れるのではないかという恐怖はある。もし割れたら父さんが助けてくれるだろうけど、それまでは冷たい生き地獄を堪能する。北風がヒューっと吹き、それへの恐怖と重なってゾクッと身震いをした。そして立ち直ると身体に積もった雪を揺すって払い落し、自分でも知らない道を歩く。
歩いてしばらくすると、ギルファーは氷の上に小さな足跡があるのを発見した。爪を突き立てたような、丁度自分の足跡と何ら変わらないものだ。しかも少し雪の中に埋もれているのでやや時間が経っていると察しがついた。そして……積もって薄くなった赤い血痕がそれを追うように続いている。
おかしいな。彼は足を止めてその足跡を訝しむように睨んだ。血痕はまるで引き摺るような感じに続いているから、竜が恐らく狩りの獲物でも運んでいたのだろう。だが先述の通り足跡は小さい。他の竜がいることに彼は気分を少しだけ悪くするが、それ以前にある疑問が残った。
こんなときに外に出るの……?酷く寒い夜に。この近辺には小型の竜は住んでいない。それにここは狩りの場所ではない。もしかして自分と同じことを考えていた幼竜がいたのかな?それで偶然獲物が見つかって……。でも足跡がこれしかない。つまりは親のものが無かった。だから更に怪しむ。
だけど……どうして一匹なんだろう?
こんなところに一匹でいたら、狼とかの猛獣に襲われてしまうのに。それにこんな寒さの中にいたら凍死してしまう。親が外に出したのだろうか?もしそうなら子供を大切に思わない愛情に欠けた親か。すぐ近くにいるのならその子に戻った方がいいと伝えたい。氷が割れてしまったら、それこそとんでもない大惨事になり兼ねないのは目に見えているのだから……。
自分が混血竜であって、普通の竜とはあまり関わってはいけないと分かってはいても……放っておけない。命は一つだけだ。
ギルファーは狼の遠吠えに近い咆哮で追随する父親を呼ぶ。咆哮は抑えたつもりだが、それでも周囲に大きくこだました。それほどまでに周りは静かだったのだ。
父親はすぐ来てくれた。
「ギルファー、どうかしたのか?」
特に心配する様子もなくエンダーは自分に聞く。父親は成竜なので下の氷がバキバキとあからさまにヒビが入った。多分あと少しでも力を加えれば父親のせいで氷水の中へ落とされても不思議ではない。それを分かっているので歩くスピードはのっそりとしていた。
「これを見て」
幼竜は三日月の刃がついた鼻先で先程の足跡を指す。そして「どう思う?」と父親に見解を求めた。流石にこれは自分では解決出来ない問題だ。
「この足跡から察するに……幼竜がいたみたいだな。でもこんな夜に一匹で……それも狩りをしているなんてあまり聞かないな」
エンダーはそう言うと首を長く伸ばし、周りに目を凝らす。自分よりも身体の大きいエンダーの方が視界は遥かに高いので良く見える筈だ。だが、足跡に若干の時間があるので何処へ行ったのかを突き止めるには無理がある。
「近くに誰かいた?」
エンダーは足跡を中心に目を細めて先を見て答える。
「いないな……足跡が残るなら、そんなに時間は……あっ!!」
「なっ……何、父さん?」
父親の突然の叫びにギルファーは思わずビクッと身体を震わせてしまう。少なくとも何かを見つけて叫んだのは間違いなかった。
「あそこに氷が割れた跡があるぞ!!」
それを聞いたとき何か不味い結果がギルファーの頭をよぎる。まさか……その竜はこの湖の中に落ちてしまっているのではないか?だとすれば……。
だがすぐにそのネガティブな考えを切り捨てる。そんな簡単になんて落ちる筈がない。自分の考え過ぎだ。そう思いつつ、切迫したようにその場所目指して歩き出す父親の後を追った。だけど……気になる。
エンダーは急ぎ気味に歩いて数十秒後。二匹はアルトネイン湖の対岸近くの、父親が見つけた氷の割れている場所近くまで近づいた。竜の視力は高い。だが身体の小さいギルファーには届かない距離にあったせいで見えなかった。だから近づいてようやく視界に入ったときは早く大きくなれればと強く思ってしまう。
だが近付いたところである問題が発生した。
「ここから張っている氷が薄いな。父さんは残念だがこの先には進めない」
エンダーは氷の穴から五十シード手前で足を止めてギルファーに言う。既にビキッとヒビの入る不気味な音が大きくなっていることから、本格的に氷の強度に限界が来ていることを示していた。これ以上進めば二匹とも湖に落ちるだろう。特にギルファーは飛べない為に脱出も出来ない。
ギルファーは自分だけが先に進める薄い氷の上に乗り、エンダーの前に出ると後ろを振り返る。こうなるとまるで境界線のようだ。大人と……子供との。自分には行けて父さんには行けない……何か複雑な気分になった。
「なら僕が見て来るよ。父さんはここで待ってて」
そう言って氷の穴の方に目を向ける。自分の傍の地面には先程見つけた足跡が穴に向かって続いていた。あそこに落ちているにしろ、いないにしろ親が立ち入れない氷の上を歩くのは自分でも危険なことだろう。
「ギルファー」
先に行こうとする自分をエンダーは呼び止める。再び後ろを向くと父親は心配そうな表情でこちらを見ていた。自分を一度救えなかったという出来事から、父親は自らの元を離れることを恐れているのが分かる。
「助けるのか?お前が助けても……感謝すらしないだろう仲間を。本当ならば見捨ててもいいのが……野生の掟なんだぞ」
エンダーは確かめるように聞いてくる。だがギルファーは迷わずに答えた。
「助けるよ。僕らしか……今は助けられないんだから」
純血竜は勿論長老や父さん、カシリル以外嫌いだ。でもこのまま危険に陥っている仲間を見捨てるなんて……まるであいつらとやっていることが変わらない。不幸に陥っているのを笑って見るなんて最低だ。
「なら……気を付けて行ってくれ」
エンダーは少し思い悩むような顔をしながらも了承する。ギルファーはその心配する言葉に本当に行くべきだろうかと一瞬迷ったが、早くこの湖に落ちた可能性のある幼竜を助けたいという気持ちが先行した。もしあの穴に落ちているのであれば少しの時間でも命取りとなる。躊躇う暇はない。
「すぐに戻って来る」
そう言い残しギルファーは親に背を向けて走り出した。四本脚で湖の上の積もった雪原を走ると、ふわふわした雪が少しだけ舞い上がり自分の足跡をくっきりと残す。しばらくすると氷の砕ける音が背後から聞こえた。恐らくエンダーが心配する自分の為に上空から見守るのだろう。向こうの氷は飛び立つときの反動で完全に割れている筈。
すぐにギルファーはエンダーの見つけた氷の穴に着いた。大きさはすっぽりと自分が丁度落ちるくらい。問題の穴の中は冬の零下まで下がった冷たい湖の水が真っ黒な色で溜まっていた。空のオーロラと比べればこの中は光のない地獄に見える。
この中に落ちれば命はないだろう……。
ギルファーは自分の体験した死の感覚を思い出して身体を震わせたが、今はそれどころではない。足跡はこの穴を完全に跨いでいた。しかも穴の中心を通っている。周囲に目をやり足跡の続きを探したがそれはなかった。
まさか……。
ギルファーは穴の中に近付き、水の中をすぐに確かめようとした。しかしその前に穴の手前の氷が割れそうな軋む音を立てて、ヒビが広がり始める。それは自分の体重でも氷が支えきれないということを意味していた。だがここはリスクを背負ってでも確かめる必要がある。
彼はならば、と周り込んで別の地点から中がよく見渡せる場所を急いで探す。だがどこも同じで真上から見ることが出来ない。その間にもヒビは更に広がる。このままだと自分も落ちてしまうだろう。
それでも危険を推して中を覗いた。だが、暗い水の中には何も見えない。一応水の底らしきものまで見通すことが出来たがそれ以外は無。
「…………」
どうやら何か他の生き物との間違いだったようだ。例えば水中に潜る生き物とか。それを知ると今まで張り詰めていた緊張もすっかりなくなり、騙された気分になった。
そうならもうこんな危ない場所にいる必要なんてない。飛んでいる父さんにさっさと言って探検の続きをやろう。
ギルファーはそうして穴に背を向けて立ち去ろうとした。そのときだ。背後から、彼の頭の中に今にも力尽きそうな助けを呼ぶ声が聞こえたのは。
(誰か……誰か助けて……)
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残り14ページ。約2話分。
尺の関係で3話に分ける予定です。