25 絶望の果てに……
狩る方は人間、狩られるのは竜です。狩られるサイドから見ればこうなりました。
グォォォ……。
その咆哮は彼にとって希望の光だった。その声は間違いなく父さんのものだと確信する。エンダーは自分の叫ぶ声に気付いてここまで追って来たのだ。種族から見放され、絶望しかけていただけにギルファーはその助けが嬉しかった。
「グォォォーン!!」
父親の呼び声に答えるように傷ついた声で叫び返す。自分の居場所を知らせる為に必死で。生きたいという一心のみで。
「ギルファー!!」
そのうちに自分の名を呼ぶ声がはっきりと聞こえ、その方向に目を凝らす。竜の目測距離からでもまだ遠いという部類に入るが、夜の暗い空に紛れるように黒い一点がこちらに向かって来ているのが見えた。
「父さーん!!」
もう自分を見張るハンター達は既に全員が降りていて、筏は意志もなく川の流れに任せられている。だからこそこうして大声で呼ぶことができた。ギルファーは縛られた鎖で立ち上がることが出来なくても首をもたげ、顎を舟板に付けて身体を起こそうとする。
「俺がそう簡単にお前を逃がすとでも思っているのか?ギルファー」
背後からの声にギルファーはハッとして固まる。そして冷たい汗と何よりも遭いたくない恐怖が自分を包み込んだ。未練も護衛もなくここに残ろうとする人間は一人しかいない。そう、クルバス王子しか。
声のする方に目を向けると、もう一つの筏から彼がこちらの筏に乗り移ろうとしている姿が映った。その手には白い刃の長剣と先程男から渡された長く黒い筒のようなもの。しかも長剣の刃の先端には黒々しい液体が塗られている。そしてこちらを睨む彼の目は明らかな殺意が籠っていた。
ギルファーはその姿に一層の恐怖を感じ、すぐさま腕に嵌められた鎖を牙で噛み切ろうとする。向こうは自分をここで仕留めるつもりだ。しかも父親がここに来るまでに。
「まさかお前の父親がこの謀略にここまで早く気付くとは……意外だったよ。元々今日、父親を会議に呼び出したのはお前を一匹で神殿の外に置いておく為だった。常に父親に護られる中で唯一無防備になるときが作り出せるように」
剣と筒を持って近付く王子の顔は喜びに打ち震えている。
「じゃあ、まさか……」
ギルファーはそう問い掛けながらも、神経は鎖を断ち切ることに全力を注いだ。少しだが、鎖の輪が曲がり始める。
「ご明察」
クルバス王子はそう言いながら筏に飛び移る。彼の乗っていた筏は直後に岩にぶつかり、木端微塵に砕け散った。バラバラになった木片は川の流れに呑まれて消えていく。だがそんなことなど意に介さないように彼の話は続く。
「会議自体も俺と竜サイドの奴らが立てた作戦の内だよ。出来るだけ長引くように仕組んだ筈なんだけどなぁ……」
何かで遊んでいるように面白そうな口調で喋りながら、王子は黒い筒を下げて長剣の刃をこちらに向ける。こちらが逃れようとするのを見て楽しむように。これはもう彼の姉の仇討ちではない。これは恨みが引き起こした……虐殺。自分の不幸を利用した……。
それに対してギルファーは必死に鎖を噛み切ろうとした。もうすぐ鎖が歪んで切れる。それに父さんはすぐそこまで来てるから……。
「父親がお前を護ってくれるとでも?」
こちらの強い思いを読み取ったのか、更に笑みを浮かべると持った剣を(杖で魔法を唱えたあの時のように)空に掲げて目を閉じた。途端に自分の感覚が違和感を察知し、心の中で何か嫌な予感が広がる。自分の都合を思いのままに捻じ曲げる力の存在を。
「gnorts:dniw:ydde:sseldne:kcatta:ria……」
彼にとっては意味の成さない言葉の羅列を唱える声が王子の口から流れ出る。その間にもエンダーの姿が近づく。黒い一点から一羽の鳥へ、鳥から竜の姿へと変わり距離がみるみるうちに縮まった。
最早手を伸ばせば届くくらいの距離まで肉薄すると、エンダーは牙を剥き出しに口を開け立っているクルバス王子に向けて鉤爪を振りかざそうとする。相手が王家の人間だということなどお構いなしの攻撃。恐らくは殺されたカムルデス王への敵討ちへの……。
それがあと数秒で……。
しかし、その直前に彼の目が閉じられたままの表情が不気味に笑うとあり得ないことが起こった。突然強力な突風が王子の周りを中心に巻き起こり、間近まで迫っていたエンダーの巨体が木の葉のように一気に数百シード吹き飛ばされたのだ。
「そんな……」
ギルファーはその光景を茫然と見上げるしかなかった。もうこれで助かると思っていた希望が一瞬にして絶望に転落してしまう。信じられなかった。もうすぐ目の前まで来ていたのに……どうして!?
「フンッ。竜をこうやって風で吹き飛ばすなんて魔法の基本で出来るのさ。人間様を甘く見ては困るんだが」
距離を離され、もう一度エンダーは突っ込もうと翼を傾けて降下するが、やはり不自然に発生する突風に邪魔されて近付くことが出来ない。その間に筏との距離が離されていく。自分の希望が遠ざかる……。
「さて、邪魔者には退場してもらうことにして……本題といきますか」
散々彼の不幸を見せつけ嘲笑ったクルバス王子は一歩、また一歩と近付いていく。既に勝ち誇ったような顔をしていて、追い詰められていく自分を楽しんでいるようだ。
ガシャン。
その絶体絶命のタイミングで腕の鎖が外すことに成功する。間一髪だった。そして部分的に自由になったギルファーは、すぐに動ける範囲で後ろ立ちになり鉤爪を構える。
「チッ。鎖の拘束を解いたか」
だがそれでも余裕を崩さない。完全に甘く見られているのが分かった。自分は人との混血であり、こうして戦った経験のない子供だから。そして何より……近接戦闘では不利だと人間の理性が戦いを押し留めようとしてしまうから。
じゃあ、どうすれば……。
ギルファーは牙を出して威嚇しながら、懸命に考える。自分は彼より身体が大きいが、筏の上で動きが制限されて迂闊に動けない。少しでも動けば川に落ちてしまう。むしろ落ちて逃げられるのならばそうしたい。でも足の鎖がある限り上手く泳ぐことが出来ない。溺死してしまうのが関の山だ。
そうして相手と相対していると、背後の移り行く景色が目に入りあることを思いつく。危ない賭けだがこれしか方法がない。だからすぐに行動に移した。クルバス王子が余裕を持って油断しているうちに。
それは思い切って筏から岸へ跳ぶことだった。翼を使わず、脚を合わせたジャンプで。筏が岸に近づくその時を狙って。
そしてそのチャンスはすぐにやって来た。横目で距離を確認してから一気に筏を蹴り、クルバス王子の攻撃を回避する。脚が怪我で悲鳴を上げるのを堪え、傷口が広がることを覚悟して。
「何!?」
この彼の苦渋の強硬手段に余裕を見せていた王子も驚き、残り数シードの間を走って詰めようとするがもう手遅れだった。その余裕が与えた数秒が彼と筏との距離を突き放す。
ギルファーは河原に向かってダイブに成功し、着地を試みようとした。しかし貫かれた肩の痛みから前脚をちゃんと立てることが出来ずに曲がり、加えて後ろ脚の鎖の制約と怪我で状態が同じだったことで実質的に、頭と腹からの着地となってしまう。
「ゔぁ!!がっ!!」
全身に凄まじい衝撃と痛みが走り、顎の下を強打して小石が大量に転がる河原の上を滑走し、ようやく止まる。そのせいで最早、全身の打撲で身体の何処にも無傷な箇所などなかった。
「うっ……くっ……」
頭や口からも出血し、痛みに苦しみながらギルファーはそれでも立ち上がろうとした。支えようとする前脚が尋常でない程に震えている。後ろ脚の方はもう立てる力はなかった。そして片目をきつく閉じ、理不尽に痛めつけられた身体を動かして背後を振り返る。
振り切っていて欲しい……。
ギルファーは祈るように筏とクルバス王子が視界から消失していることを想像して現実を見据えた。出来るだけのことはした。どうか……自分の存在を他者が否定してもいいから……これ以上苦痛を味わうことだけは止めて欲しい。そう神を信じない竜が苦し紛れに心の中で叫んだ。
しかし、その現実は彼に味方をしてくれなかった。最後まで何もかもに見放された。
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25.5話に続きます。投稿はこの話が出た一時間後です。




