24 竜の涙
また主人公がボコボコにされます。
くっ……一体どうすればいい……?
ギルファーは絶望的な状況下の中で必死に考えた。しかし動揺と焦りで思うように考えが上手くまとまらない。自分を突き動かすのは彼らに殺されることに対しての反抗心だけだった。
荷車が動き出した。しかし行く方面は彼らが来た森の方ではない。川の方だった。クルバスが川に視線を送ると、上流の方から複数の筏が人を数人載せて流れてくる。
なんで……どこから……。
こんなに用意周到に計画されているなんて……。仕組まれたこととはいえここまで協力的に排斥を手助けするということは、それだけ自分が認められていない証拠だ。次々と明らかになる実態にギルファーの心は引き裂かれていった。
筏に全員が乗り終わると岸辺とを繋いでいたロープを切り、海に向かってゆっくりと進み始めた。川の流れは速く、川幅も広いせいで岩にぶつかるようなこともないので徐々にスピードを増してウェーンド神殿から離れていく。父親の姿はまだ見えなかった。
嫌だよ……認めたくない。こんな簡単に死にたくない……。
辛さのあまり涙が出そうになった。あまりに理不尽過ぎる仕打ちに。自分は悪いことなんてしていない。ただ平凡に平和に自由に暮らしたいのに、どうしてその願いすら否定されるの?僕は……。
ギルファーの青い瞳からとうとう涙が溢れ出す。竜は人前で泣くことがタブー視されていたが耐えきれなかった。自分が竜ではないという烙印を押されたのなら……泣いてもいいだろう。この世界の理不尽さに、死という運命に落とされたことに。
「おい、こいつ泣いているぞ」
捕らえた獲物の異変に気付いた見張り番の一人が言う。その見張り番の手には槍が握られており、いつでも手を出せる状態だった。しかし鎖に巻かれていてしかも暴れる気配がないと分かると、涙を流すギルファーの顔をじっくりと観察し始める。
「誰が?お前がか?」
蹲って暇そうにうたた寝をしかけた右方見張り担当が、冗談のつもりでボケる。その態度に全く信用の欠片もない。
「違うぞ、お前。俺の話を聞いていなかったのか」
「ちゃんと聞いてるさ。竜の涙ねェ……」
フンと鼻を鳴らし、筏の上に置かれた鉄色の粗悪な太刀を護身用に手に掛けると立ち上がる。そして状況を口にした仲間と共に鎖で戒められ、横向きに身体を倒されたギルファーの泣き顔を見ようと角を掴んで頭を持ち上げ、覗き込んだ。彼は目をきつく閉じてその羞恥に耐える。
「おいおい。こいつは珍しいな……」
「だろ?」
その男に賛同するように発見者は言う。幼竜の悲しみを彼らは娯楽のように楽しんでいた。
「どうする?このことリーダーに報告するか?」
異常事態を逃さない第一発見者は主張し、前方にいるクルバス王子とその助手であるリトウの乗った筏の方へ目を向ける。クルバス王子は杖を携えて、リトウは黒い筒を周囲に構えながら前を警戒し続けていた。
「まさか」
寝ていた見張り番はそう言って小さく笑うと、ギルファーの腹を思い切り踏みにじった。直後に口輪から呻き声が小さく聞こえてくる。既に深手を負っているので、傷ついた脚から流れる血が踏みつけた男の革靴の底にこびり付いて赤く染めた。
「おっ……おい」
仲間の内の一人がその暴行を止めさせようとした。勿論それは彼の生き物としての保護ではなく、物が壊れることを危惧する見方である。
「殺すなって言われているだろ。そんなに痛めつけて死なせたらどうするんだよ。貴重な被験体だぞ」
その言葉に蹴った男がその足を止めて止めようとする仲間に視線を移した。その目は不機嫌そうで、今にも怒りそうだ。
「お前、この化け物を擁護するのか?」
「いや、そういう訳じゃない」
その答えに男は呆れて大きくため息をついた。
「別に少しくらいいいじゃないか。こいつを捕獲する為に何か月も航海して、未開拓の竜の大陸を進む遠征をしたんだぞ。確かに帰ってからは王子から勲章と報酬をたんまり貰えるが、帰るまでだって嫌な位時間が掛かる。だから……」
男は顔を歪め、怒りに打ち震えていた。彼の中では不満が溜まっていたのだ。ストレスが発散できないことに。
「こいつで胡散晴らししてもいいんじゃないか」
仲間の制止を振り切って彼はそう叫び、泣き続ける幼竜の頬を今度は勢いをつけて蹴り上げた。
ギルファーの身体が少しだけ宙を舞い、また筏の上に叩き付けられる。蹴られた箇所には蒼く痣が生まれ、口元からは血が出る。しかし、それだけではなかった。偶然にも蹴った足が口輪に当たり、元から錆びていたことも重なっていとも簡単に外れて吹き飛んでしまったのだ。口輪は筏から落ちて川底に沈んで見えなくなる。
「おい、お前!!何てことを……!!」
一部始終を目撃した他の仲間が持ち場の筏から離れ、こちらに乗り移ってその男の胸ぐらを掴みかかった。
その直後だった。
「グォォォォォーン!!」
ギルファーは口封じの拘束具が無くなって新鮮な空気を求めて咳き込み喘いでいたが、すぐに痛みと苦しみのあまり喚き出した。その声は辺り一帯に一気にこだまする。
「何だ、この鳴き声は?」
ハンター達は争いの手を止めて、未だに全身を鎖で縛られている幼竜に一斉に目を向ける。その目はもう目障りそうで、苛立ちでしかない。そして彼らにとっては泣こうが喚こうが取引が成立した今、それで助けが来ないことを知っていた。
「グォォォォォーン!!」
悲しげな泣き声は収まらない。ギルファーは涙がダラダラと滝のように流しながら、悲痛に叫び助けを呼んだ。来てほしい、自分の存在を否定しないでというささやかな願いを一心に込めて。
父さん……助けて……。
「うるせぇな。この化け物風情が!!」
その喧しい叫びにうんざりした他のハンターの一人が拳でギルファーの頭を殴りつける。彼らの鬱憤はもはや限界まで到達し、その攻撃の目は全て彼に集中し始めていた。もはや、本来の目的からも離れ始めていく。
「キュゥゥゥゥ……」
泣き声が強制的に止み、幼竜の高く弱々しい声が周囲に広がった。だがそれは人間にとってはただの雑音であり、眠りを妨げるものでしかない。
「放っておけ。どうせ助けは来ない」
前方を進む筏の方から声がした。全員が彼に手を上げることを止めてそちらを振り向くと、そこにはいつの間にかクルバス王子が立ち、彼らを見下ろしている。杖は下ろされたまま、やれやれとでも言いたげにため息をついて。
「リーダー、しかし……。口輪の替えは……」
「ならば耳栓をして眠ればいい。下手に暴力を加えてもこの声は収まらん。それに追手が居たとしても……」
王子は余裕たっぷりに断言しようとした。誰もがそれで納得して引き下がる筈の最大のアドバンテージ。敵地にいる仲間を安心させる言葉を再び出そうとした、その時だった。竜の怒る咆哮が聞こえたのは。
グォォォォ……。
竜の力強い攻撃的な咆哮が、突然遠くの空から響いてきた。それは決して自分ではない。ギルファーは今何も声を出してはいないし、その力も残っていなかった。またこんな大きく低い咆哮することなど自分には出来ない。
なら……もしかして……。
「いっ……今の声は一体……?」
それまで安心していたハンター達に動揺が広がった。さっきまで竜の大陸を悠然と踏みしめていた彼らの表情が強張る。お互いに協力するという取引を交わし、討伐する身の安全を保障されていたのだから当然の反応である。
「取引はちゃんとしたんですよね、リーダー?」
たちまち周囲の視線が計画を立案したクルバス王子本人に向けられる。その目はどれも不信と疑問を投げかけるものだった。嘘と言おうものなら一斉に飛び掛かってきそうな一触即発の状況である。
クルバス王子は顔を歪め、怒りのあまり拳を握り締める。握られた杖が不気味な音を立てて若干変形した。その顔は本性を現したときのものと同一である。
「取引は抜かりなくやった。逃がした幼竜のことも取引内で言えば、彼らが我々を狙う理由にはならない。だが……」
頭に手を回して乱暴に手串で髪をかきむしる。とても悔しい感情が出ていた。
「それでも動く奴はいる。計画を知らされていないごく少数の竜だがな。気付かれたらしい」
「その少数派とは……?」
ハンターの一人が緊迫した声で彼に質問する。他は武器を構えてそれぞれの刃の先を空に向けて警戒した。ただ筏の上である為にぐらぐらと体が揺れ、固定していた狙いが定まらない。彼らはこのままだと勝ち目がないと考え始めていた。
「そいつの父親だ」
王子は面倒くさそうに拘束されたギルファーを指差した。その指は緊張と竜に対する恐れからか、小刻みに震えている。
「親がそう簡単に手放す筈がないだろう。竜の方で計画した会議での時間稼ぎに気付いて飛び出したのか。それでこいつの声を聞きつけて……くそっ」
そう悪態をつきながら推理するが、その間にも咆哮が近づいてくる。そのうちに姿もはっきりと見えてくるぐらいに肉薄するだろう。
「リーダー、どうしますか?もう見つかるのは時間の問題です」
ハンターの声は恐怖で裏返り、怯えていた。何故なら彼らは竜狩りのハンターだとしても、狩りの部門が隠密行動に特化した幼竜殺しのみで、正面から成竜とまともに戦ってきた者達ではないからだ。つまり、彼らの竜狩りとは成長しきっていない若い竜を未熟なうちに退治することであり、この場合目的から大きく外れていた。
「迎え撃てるか?」
クルバス王子はそんな彼らに頼むように言う。しかし、当然今まで素直に従ってきたハンターの首は横に振られる。
「無理です!!地上ならともかく、筏の上で成竜と戦うのは自殺行為です!!」
悲鳴のような反論にクルバス王子も流石にたじろいでしまう。彼は少し考え込み、動揺して士気が倒壊寸前の仲間の光景を目の当たりにして自らの強硬姿勢な考えを止めた。そして彼らの意見を聞き入れると、分かったと頷きすぐさま全体に指示を送る。
「総員撤退する。捕獲ご苦労だった。これより竜への迎撃は中止し、筏を放棄せよ。そして個人で逃げ延び、緊急時指示に従って行動しろ。合流地点は上陸場所と同じだ。船は三日待つ。それでも来なかった者は置いていく。いいか!!」
「イェッサー!!」
その指示にハンター達全員が安堵の息をつき、一同に王子に向かって敬礼する。それは王子に対して信頼と助けてくれることに対しての感謝を表していた。彼らは逃げのプロであり、未開の地で生き残ることなど得意分野であった為に心配する必要はないのだ。王子は目的よりも人命をこのときは優先した。
「では各自筏から脱出しろ。私はここに残ってこの竜を始末する」
クルバス王子は杖を腰に下げ、代わりに鞘から引き抜いた剣と持ち替えた。仲間が川岸に向けて筏を漕いで行く中で、迷彩柄のリトウという男は持っていた黒く長い筒を王子に手渡す。彼からの餞別である。
「お前一人で何とかなるのか?何なら手を貸してもいいぞ」
ハンター達が次々と陸にロープと小型の錨を投げて筏を停止させ、降りていき森に逃げ込んでいく中で、リトウはクルバス王子に尋ねる。単独で竜と渡り合うのは誰から見ても無謀なことだ。彼は王子の身を案じた。
グォォォォ……。
またあの咆哮。もう距離は近かった。幼竜はそれに応えるように鳴き声を更に大きくして居場所を知らせようとする。
「目標接近!!距離およそ800シード。時間がもうありません!!」
索敵班も最後の状況報告を終えると、ロープに掴まり筏を下りる。残ったのは王子とその男と、ギルファーだけになった。
「大丈夫さ。生きて帰るぞ、我が友よ」
しかし、王子は彼を頼ることはしなかった。その意思の強さを読み取ったのか、彼は同行することを諦めて代わりに応援の言葉を残していく。
「そうか。じゃあ、後でまた会おう。幸運を祈る」
お互いにしばしの別れの挨拶を交わし、ハイタッチを一度交わすと男は踵を返して筏を降りて森へと走り去って行った。森に入る直前、男は王子以外が降りたのを確認して岸を繋いでいたロープを切断する。
そして筏は再び川の流れに沿って進行を開始した。
意見、感想がありましたら投稿お願いします。
原本総執筆ページ / 投稿ページ = 237 / 169
この小説は主人公がただボコボコにされるだけの話ではありません。それだけは留意して下さい。