22 襲撃
恐怖は再来する……。
背後の森からガサッという音。細かく言えば草を強引に掻き分けるような音だ。それは小さなものだったが、竜の鋭い聴覚では聞き逃す筈もなかった。
バキッ。
今度は地面に落ちた枝を踏み折る音。音の大きさからして、明らかにここから近い。もしも普通の野生動物なら、自分の想定される距離からだとすぐにこちらの存在に気付いて一目散に逃げ出す。それは自分が開けた河原のど真ん中に立っているから。更にさっきまでカシリルと一緒に話しているから近づく以前に遠くから耳にして距離をとる。今挙げられるそれらを無視して近づいてくるなんて……。
ギルファーはハッとして動きを止めた。カシリルは滝の近くの岩場に今も隠れているので、今の音も水音に掻き消されて知る由もないだろう。でもそれで良かった。
冷たい殺気が背後から襲った。普通外敵の存在がない竜には感じない感覚。これは他の野生動物ではない。自然のものでもない。まるであの時と……。
ギルファーはある結論に達すると素早くその場から飛び上がり、近くの岩場に退避しようとした。この場には何も防げるものがない。後ろ立ちの格好から前脚を地面に付けて……。
が、その前に突然シュッと風を切るような音を耳にしたかと思うと、右肩と左後脚に何かが突き刺さった。直後にそこから激痛が体に走り、後脚をやられたせいで身体を支え切れなくなりその場に崩れ落ちた。気付いてから動くまでおよそ0.5秒。それでも逃げられなかった。
何……だ……?
ギルファーは首を動かして自分の痛む肩に目を向けた。そこには黒い柄の長い一本の太い槍が深々と刺さっていて、赤黒い血がドクドクと噴き出している。後脚に至っては形の違うフォーク型の槍の三本の刃が脚を貫いていた。貫通こそ免れたが、骨まで達しているようで、尋常ではない痛みを感じる。
槍。こんなものを生み出せる生き物はこの世界で一種類しかいない。
人間が……どうしてここに……?
ギルファーは理解出来なかった。人間はこの大陸に上陸すること自体、古くからの協定で禁じられているのにどうして……。
まさか……竜狩り!?
最初にそう思った。竜狩りとは文字通り竜を殺すこと。目的は竜を殺すことで人間を守る為。主に竜による被害を受けて恨みを持つ人間、竜を倒した名誉に魅せられた人間達がそれらを密かに行う。
竜の統治する大陸の外ならばそんな輩がいてもおかしくない。だがここは大海を隔てた大陸であり、ウェーンド神殿という本拠地がすぐそばにある。そんなところに人間が立ち入ることすら許されないのに……。このイレギュラーな状況にとてつもない恐怖を感じた。自分のような幼竜は彼らの目には重要ターゲットと映る。理由は先程の目的を容易に達成することが出来るからだ。幼いうちに始末してしまえば、何十年後に発生しうる幾多もの可能性を一気に抹消できる。だからこそ、領土外において幼竜は親と一緒に行動するのが鉄則だったし、人間の脅威も教え込まれた。(カムルデス王国領では、それはないとされていた為にエンダーから教えられなかった)
でも今は……。領土内である為に親はここにはいない。鉄則の範囲外だからだ。
ギルファーは彼女が隠れているだろう滝の方へ目を向けた。近くには自分とカシリルしかいない。このままだと彼女も……。
「ギルファー!!」
カシリルが悲鳴にも近い金切り声を上げ、隠れていた岩場から飛び出して倒れる自分の元に駆け寄ってきた。カシリルは偶然にも自分が槍に貫かれて倒れるまでの一部始終を見てしまったらしい。酷く心配する表情をしている。
「来ちゃダメだ!!」
ギルファーは痛みに呻きながら必死に彼女に呼び掛けた。今この場に来てしまえばカシリルも狙われてしまう。自分もそこから逃げようとするが、脚をやられて立つことが出来ず地を這うことが精一杯だ。しかも少しでも動いたら激痛が自分を襲う。
しかし、カシリルは自分の呼び掛けに応じることなく傍にまで戻ってきてしまった。
「ギルファー、大丈夫?しっかりして!!」
不幸にも彼女は自分を守ろうと、飛んできた方から覆い被さるように立っている。長い首と頭を使い傷ついた自分を起こそうとするが、幼竜の非力さと彼女の細い体格のせいで一向に持ち上がらない。
「カシリル……逃げて……。早く!!」
ギルファーは訴えた。自分は恐らく逃げることは出来ない。でも怪我のない彼女なら助かるだろう。自分を守る為に犠牲にはさせたくなかった。
「嫌!!」
カシリルは悲痛に叫ぶ。そんなやり取りの間にも敵は容赦なくこちらに攻めてくる。時間が無くなっていく……。
「私は貴方を置いてはいけない。そんなことをしたら……」
目を瞑って意地でも自分を助けようと力を加え続ける。彼女は今自分を襲ったのが何なのかを理解しているようだった。だからこそ拒否するのだ。でも現実はそんなに甘くない、冷たく跳ね返してしまう。
ギルファーは意を決しまだ使える前脚を動かして彼女の前脚と重ね、出来るだけ深く鉤爪を立てて思い切り刺した。ザクッという肉が切れる音を立てて爪が肉に食い込み、彼女の前脚からじわじわと赤い血が流れ出す。
流石の彼女もその痛みに呻きやった自分の方を向く。しかしその目は彼への怒りではなく、自分を攻撃した意図が解からないという困惑の色だった。自分を持ち上げようとした一連の動作が止まる。だがカシリルは刺されて未だに傷つく前脚を振りほどこうとしなかった。
「カシリル……僕のことは構わないで。ここにいたら君まで……。だから助けを呼ぶんだ。きっと誰かが助けてくれる筈……」
「嫌よ……。貴方を見捨てて逃げるなんて……私には出来ない!!」
拒むように頭を激しく振る。僅かな時間しか話を交わしていない自分に対してもう仲間のように守ろうとしていた。ギルファーはその彼女の意志の強さに驚きを隠せなかった。
それでも心を鬼にして揺るがない決意のまま、留まろうとするカシリルを説得した。
「カシリル……ここにいても……状況は変わらないんだ。君だけで彼らを追い払うなんて……無謀過ぎる。それくらいなら……助けを呼んだ方が一緒に助かるよ」
「無謀なのは分かってるわ。だけど貴方の言うとおりにしたら……」
カシリルはまだ反論しようとする。最悪の結果を想像したのか、辛そうに顔が歪み血だらけの前脚が地面の土を抉った。自分は助けたい。でもその力が足りない……。そう自分の無力さに苦悩するように。
ギルファーは顔を上げ、懇願する思いで彼女を見た。
「僕は……大丈夫だから。こんな傷、抜いてしまえばどうってことはないよ。まだ……逃げられるから……」
今度は自分の前脚をそっと彼女のものと重ね、安心させるように言い聞かせる。本当は一緒に居て欲しいと願っていた。でも彼女を巻き込むことはそれ以上に責任を感じた。だからこそ自分の意志を無理矢理に押し込めて決断したのだ。
カシリルはその言葉に僅かに沈黙する。しかしすぐに首がガックリと項垂れて彼の説得に渋々同意した。
「解ったわ。すぐに助けを呼んでくる。だから……」
そう言って顔を近付け、柔らかい鼻づらを彼の頬に押し付けた。その行動に彼はハッとして固まる。
「ギルファー……死なないでね。私が戻ってくるまで……」
ドスッ。
鋭い音と共にカシリルの身体が引き攣った。敵が飛ばした何かが彼女に当たってしまったのだ。
「くっ……」
片目をきつく瞑って痛みを堪えようとする。顔はそれで自分と同じように歪んだ。
「カシリル……!!」
自分の傷の痛みも忘れてギルファーは彼女に声を掛ける。どう考えてもやられたようにしか見えなかった。巻き込みたくないのに……彼女まで……。人間に対しての怒りで心の中が煮えたぎった。
「大丈夫……だよ」
苦しげな息遣いと高い呻き声を漏らしながら彼女は答える。よく見るとカシリルの背中には何本もの矢が突き刺さり、鱗を貫通していた。傷口からは赤い血がダラダラと流れ、小さな血だまりを作っている。
彼は痛みに震える前脚で彼女の身体を押して引き離そうとした。
「早く、逃げて!!手遅れになる前に!!」
今持てる出来る限りの咆哮を上げて必死に行くように促した。自分は助けられる資格なんてない。まだ会ったばかりなのに……こんなことで彼女を傷つけたくない。絶対に。だから彼はカシリルを優先した。
その意向を知らないカシリルは頷き、躊躇いを残しつつも自分から離れると一気に背を向けて四肢を使い走り出した。苦しそうにもがきながらだが、確実に神殿の方へと。走る度に血飛沫が小さく上がるのが痛々しく見えたが、逃げられるだけ自分よりマシだった。
彼女の姿が木々の間に消えて見えなくなると、ギルファーは槍が飛んできた方向を睨み付けた。耳を立てるが動く気配がない。何の意図でカシリルへの攻撃を渋ったのか判らないが、近付いて来ない以上逃げられるチャンスは今しか残っていないのは確かだ。
カシリルの言葉が脳裏に反響する。
(ギルファー……死なないでね。私が戻ってくるまで……)
その言葉は重かった。この絶望的な状況で生きるという試みは恐らく失敗に終わる。自分は犠牲になる為に彼女を行かせたに過ぎない。
でも……。
ギルファーは首を曲げて後ろ脚に刺さったフォーク状の槍の柄を口で咥えた。槍がぐらりと動いただけでも鋭い痛みがくる。生きたい。彼女を苦しませない為に、父さんをこれ以上迷惑を掛けない為に、そして母親を犠牲にして与えられたこの命の為に。他から化け物呼ばわりされてもいい。ただ僕は……。
自分のことを認めてくれる仲間と一緒に居たい!!
彼は口に咥えた槍を傷口から一気に引き抜いた。何とも言えない肉が裂ける音と共に槍が抜けて全体が外に出される。
「うぁァァァァァー!!」
痛みに耐えきれずにギルファーは甲高い悲鳴と呻き声を上げてきつく目を閉じる。咥えていた槍はその声を上げる間に口から落ちてその場にカランと音を立てて転がった。痛かった。でもこれしかないと思った。少しでも自分が生き残る可能性を上げる為の苦渋の決断。
前脚で立ち上がり身体を支えて、それから傷ついた後ろ脚を起こし四本脚で立とうとする。足が地面について胴体の体重を乗せた瞬間、また激痛が走りバランスを崩しそうになる。
「くっ……」
ギルファーはきつく閉じた片目を開いて険しい顔で前を見据えた。倒れてはいけない。決して……。こんな簡単にやられてたまるか。人間なんかに……。汗と血がぽたぽたと滴り、地面に落ち血だまりを作る。
そしてギルファーは痛みを堪え、四本脚で地面を蹴って走り出そうとした。カシリルの後を自分も追うのだ。神殿には他の竜がいて、自分にはあまり良い扱いは受けないかもしれない。だが、人間による竜狩りならば話が違う。自分たちにすら危害が及ぶものを彼らだって見逃しては置けない筈だ。必ず何かが来る。自分を助けなくても……。
「現実を甘く見るなよ、ギルファー」
突然、背後から聞いたことのある声がしたかと思うと、冷たい恐怖感がいきなり襲いかかってきた。その恐怖は本能的に逃げろと強く自分に呼び掛けてくる。
咄嗟に振り返って行動に移そうとしたが、それより前に何か硬い物で殴られ横に吹き飛ばされた。
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下書きでは主人公は彼女の逃げた方向とは逆に行きました。しかしその理由がおかしかったので後を追うことに変えています。そのせいで一部のページがショートカットになりました。




