21 嵐の前の静けさ
またストーリーが違う方向に動きます。
カシリルと楽しく会話しているうちに夕方になった。川にいた彼女の兄弟達は、遊びに飽きてしまったのかとっくに何処かへ消えてしまっている。自分は彼女に一緒に行かないのと尋ねたが、「どうせ親は近くにいるから平気よ。それに襲われることもないから大丈夫」と答えそのまま今に至る。だがそうすると親を心配させるのでは?と聞きたくなる。
彼らは二匹の近くにずっといたのだが、結局最後までギルファーと顔を合わせることはなかった。むしろ会っていたら再び気持ちは暗く沈んだことだろう。二匹もそろそろ親が迎えに来る(カシリルの親。恐らく無理矢理に)か、こちらを呼ぶ(エンダー。いつもそうしている)かしてくるので、ギルファーは彼女の傍から離れようとした。彼女の親の前に自分は立つべきではない。そう思ったのだが、カシリルはどうせならギリギリまで話そう、親が近くに来たら隠れればいいと説得された。ギルファーの方も本当は彼女ともっと話していたかったので、そう説得してくれたのを内では喜んでいたが。
そして、会話は続行した。エンダーがいつ帰ってくるのかを気にしながら。
しかし、いくら待ってもどちらの親も来なければ呼ぶ声もなかった。気付いた時には太陽がとっくに沈んで、月の明かりが森と川を照らし始めている。だが殆ど真っ暗であることに変わりはない。神殿の方を見たが、一向に羽ばたきも聞こえず静かなままだ。空を飛ぶ黒い影もない。
「来ないね」
明るく話していた彼女も、流石にここまで長引くとは考えていなかったのか不安そうに言った。辺りをきょろきょろしたり、確かめるように自分に目を向けてきたりと落ち着きがない。
「うん。迎えにしては遅すぎると思う。父さんは長居をしてもここまで時間は掛けないから」
ギルファーも頷く。心の中では彼女と同じく不安でいっぱいだった。もし、このまま来なかったら……と考えるだけで胸がギュッと締め付けられる。実際ギルファーはディスカレーンにて一匹で(クルバス王子は敵だから除外)過ごしていた時に痛い目に遭った。その時のことを思い出すと……。
ビクッと身体が震えた。寂しさのあまり、怯えるあまり。
しかしその不安はすぐに消される。何故ならばカシリルが自分の傍に寄り添ってきたからだ。この突然の行動にギルファーは固まり、驚いて目を大きく見開く。彼女の意図が分からず、すぐに尋ねた。
「カシリル……?」
「大丈夫よ。今は私がいるから。怖がらなくていいわ」
自分のことを心配し、庇おうとするように彼女は言った。こちらが孤独に怯えていることに気付いたらしい。身体を寄せ合っていることで、彼女の体温と規則正しい心臓の鼓動が聞こえてくる。
身体が触れ合うことにギルファーは本能的な抵抗を感じた。他者と会話するならまだしも、こうして密着するなど夢にも思っていなかったのだ。その為彼女の配慮とは裏腹に心が更に緊張してしまっている。だが、彼は彼女の優しさを無駄にさせまいと我慢した。抵抗を感じるのは以前の記憶を引き摺っているからだと自分に言い聞かせる。
カシリルは信頼できる竜だ。自分を受け入れてくれる存在だ。怖がってはいけない……。
「ありがとう……」
ギルファーは俯いてカシリルに感謝の言葉を述べる。彼女に自分が怯えていることを知られたくなかった。多分表情に出てしまっているだろう。だからこそ危惧した。カシリルの気持ちを害したくない。ボロを出さないためにも、それ以上余計なことを口に出さず沈黙することに決め、相手が話すまで待った。
「……やっぱり嫌だった?」
「えっ……何を?」
カシリルがいきなりそんなことを申し訳なさそうに尋ねてきたので、彼は聞き返した。主語が抜けていて普通は意味が分かりかねるが、何のことを言いたいのかは理解できる。何故気付けるのか……?
「隠さなくていいわ。触れ合っていて貴方の身体が緊張していた。こういうことってもしかして初めてだったの?その……二匹でくっついていることが……」
カシリルは言うのが恥ずかしいのか目を合わせようとはしない。でも身体は離れない。彼女の方が望んでいるのではないか、とも受け取れそうだった。
「そうだよ。でも、これが初めてじゃない……。仲間がいない代わりに父さんと一緒にいて、こうしたことがある。だから、僕の緊張はやっぱり他の竜と関わった経験がないだけ。別に嫌いなんかじゃないよ。それに……」
ギルファーは一度言葉を切る。そして目を閉じ、自分に向かって誓うように言った。
「これを克服しなきゃいけない。だから……このままでいいんだ」
彼女はそれ以上言及することもなく、ただじっとしていた。その間にも彼女の上下する心臓部の鼓動が、鱗を通して伝わってくる。その鼓動を聴くと父親と傍にいるときの感覚が蘇ってきて、いつの間にか緊張が収まっていく。硬く閉ざされた心の殻が、外側から少しずつ溶けていくような気がした。
ビクッ。
突然彼女の身体が大きく震える。その反応にギルファーは驚いて彼女の方に目を向けた。震えた勢いで尾が跳ね上がり、自分のものと重なっていることに気付いて赤面しながら。しかし、カシリルは目を伏せて辛そうに川面を見つめていた。目は怯えているように見える。
「どうしたの?そんな悲しい目をして……?」
沈黙するのも耐え兼ねたギルファーは思い切って尋ねる。それに答えたのは触れ合って感じる彼女の身体が縮こまった感覚だった。
「怖い……」
カシリルは震える声で答える。その次にはか弱い竜が甘えを求めるような鳴き声を発し、更に自分に身体を寄せてきた。それは自分の先程までなっていた振る舞いと同じものだった。
「ごめんね。さっきまで強がったこと言って。本当は私も怖いの……。いつもこうして一匹で抜け出していると、すぐに親は来る筈なのに……今は来ないから。見つけに来てくれるよね?ちゃんと……」
こちらが答えを出せない問いを確かめるように尋ねてくる。また、伏せた目を上げて頼るようにこちらをじっと見つめてきた。
ギルファーには確証を持って答えることは出来ない。しかし不安に陥る彼女にこう答えた。
「大丈夫だと思うよ。必ず僕らの親はちゃんと迎えに来てくれる。もし来なかったら……そのときは僕が一緒にいるよ。君の親が来るまで、見つかるまで……守る」
嘘偽りのない言葉。カシリルが自分を安心させる為に使った言葉の恩返しのような形として。決意は本物だった。
カシリルは瞬きをする。
「ありがとう。そうだよね……たとえ怖くても一緒に居れば大丈夫よね……」
自身に言い聞かせるように呟くと、寄り添っていた身体を離して川辺に数歩歩いて止まった。今は使えない幼い翼を少しだけ広げ、羽を伸ばす。(これは人で言う背伸びのこと)
「不思議ね。会ってまだ一日すら経っていないのに……こんなにも親しく会話しているなんて。それに、貴方も笑顔が戻ってきてるから……」
カシリルは目を細め神殿へと視線を向ける。どうやら彼女の親も自分と同じところにいるらしかった。なら父さんの言う会議に出ているのかな?それなら来ない理由が分かる気がする。
「僕も同感だよ。今日この短い間君と一緒にいたときだけ、他の竜に本来の自分に戻って話ができた。でもだからといって、ずっと心にある暗い心を突然変えることは出来ないけど……ほんの少しは前に進めたかな……?」
ギルファーは頭を傾け、普段父親以外には出さないとびきりの笑顔で言い返した。自分のその反応に彼女も応えるように笑う。そんなやり取りをするだけでも、とても幸福な気分になる。また、信頼したい、もっと深く彼女に関わりたいという欲求が起こった。自分を理解し受け入れてくれた竜だからこそ。
「そう……なら良かったわ。貴方が元気になってくれて……」
カシリルは安心したとばかりに大きくため息をついた。それからは少しの間だけ考え込むように川の流れに視線を走らせる。そして何かを思いついたのか上流の方で移動させていた顔を止めた。視線の先には大きな一枚岩があるだけだが、その向こうからは水が岩にぶつかる大きな音が聞こえてくる。
「ねぇ、そこの滝を見に行かない?」
「どうして……?」
ギルファーは彼女の誘いに素朴な疑問を投げかける。どうしていきなり滝が見たいなんて言いだすのだろうか?
「どうしてって?」
カシリルはそう言い、こちらを振り返る。ブルーの瞳が楽しげに月の光との反射と相まってきらりと光った。
「それはね、夜の滝の方が昼より綺麗に見えるからよ。知らなかった?」
そして誘うように尾を振って促してくる。
「本当に?でも僕一応遠くから見たことがあるけど……そんなには綺麗だったかな?」
ギルファーは暗い川面を見ながら、その全容を想像した。本来ならば、もう夜なら巣の中で眠っている時間だ。そんなときに外に出たことがない。代わりに月は何度も見て、遠くで月明かりに浮かぶ滝も見た。しかしそんなに綺麗とは感じなかったのだが……。
「あと私が知ってるのは……ある場所だと他とは違う光景が見られることかな?」
カシリルはそう言うと、滝がある岩の方へと歩き出す。その足取りは何故か早い。まるで自分を置いていこうとしているようだ。
「違う光景?それは知らないよ」
他とは違う光景?あの滝がまた違う姿を見せてくれるというのだろうか?どこから見たって同じに見える筈なのに……彼女は他を知っている?想像できずに彼は混乱する。
「知らないの?勿体無いわよ」
見ない方が勿体無い。彼女がそう言わしめる夜の滝の姿とは一体何なのか?彼の好奇心が次第に疼き出した。本来の竜が見る世界を自分は知らない。だからこの機会に彼女の世界に触れてみよう。
ギルファーも遅れをとるまいとそれに続こうとしたが、そこで彼女が前脚を上げて制し忠告してきた。
「えっと……先行くからから貴方は後から来てね」
「?どうして?それじゃあ僕は見つけられないよ。だって何処なのか教えられていないのに……」
これには意味が分からずギルファーは首を捻り、不安そうに口ごもった。一方でその真面目過ぎる答えにカシリルは思わず笑う。
「自分で探してみて。私だって探すのに苦労したからそんな簡単には教えないわよ。それに……」
彼女は前脚を振り上げて真下の川石を粉々に砕いた。
「これはかくれんぼなのよ」
そう言い残してギルファーに聞き返す余裕も与えず、さっさと滝を覆い隠す手前の岩の影に入ってしまい、姿が消えてしまった。しかし竜の聴力で簡単に距離位は分かるのだが。それを分かっていての行動なのかと疑問が浮かぶ。
ギルファーは仕方なくため息をついて探そうとした。大体物音で分かるのだが、彼女の具体的な場所は水が滝壺に落ちる音で掻き消されて分からない。周りには幼竜であれば身を隠せる岩場が点在している筈なので厄介だ。
ギルファーは念の為に空を見上げた。竜の羽ばたきは今のところはない。それもその筈今日のウェーンド神殿上空は、飛行が会議終了まで原則禁止にされている。これはエンダーからの情報だった。何故なのか分からないが、その副産物としてエンダーの帰りははっきりと気付けるのだ。つまり羽ばたきがないイコール、まだ会議が続いているということになる。
大丈夫だよね、ここなら。たとえ一匹でいたとしても安全だ。何処かの人間のいる世界とは違って襲われる心配なんてない。ギルファーはその安心感と共にカシリルが始めた小さな遊びに没頭しようとした。
その時だった。彼女が消えた方向とは逆、自分の背後であり森の中から物音が聞こえたのは。自分よりも一回り小さい何かが忍び寄る音が。
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第4章は以前お知らせした通り、約10話位になりそうです。