14 別れ
この小説、まだ登場人物が全員揃っていません。これから増えていきます。また、ヒロイン的な存在も用意しているのでご期待下さい。
「ギルファー、大丈夫だったか?」
カムルデスは息子に駆け寄り、か細い両手で慰めるように頭を抱き締めてきた。自分にとってはか弱い力であるのに、とても強くされている感覚がある。ギルファーは安心して彼の手に抱かれた。エンダーには及ばなくても、少なくとも自分を心配してくれる。その思いやりだけでも十分だった。
ギルファーはフウッと温かい息を彼にそっと吹きかける。
「大丈夫……心配しなくていいです」
しかし、それは真っ赤な嘘である。実際クルバス王子から受けたところは痣がくっきりと残り、少し色が蒼くなっていた。また、クルバス王子から真実をそのままに暴露されたのだから、心の傷はとても深い。トドメにここの人間からの差別を考えれば、自分はここにいるべきではないとはっきりと思い知らされた。つまり、ズタズタだったのだ。
「ならいいのだが……。我が孫をこのような仕打ちをする人間は、我が息子だろうと許さん。例え血筋が竜と混ざっていても、外見が人でなかったとしても、孫であることに変わりはないのだから」
触れていた身体を離し、拳を作ってギルファーに向かってそう言った。しかしギルファーはそれを頑なに拒否した。彼には自分を憎んでもおかしくない程の理由があるのだから……。
「カムルデス叔父さん。クルバス王子を……責めないで」
ギルファーは苦しげに彼に理由を伝えた。彼が母親の弟であったことから、このようなことを引き起こしたのだと。自分が恨まれて当然なのだと。だから彼に全て責任がある訳ではないということを言い、説得した。
「しかし……」
「良いんです。僕を心配してくれてありがとう。それに……僕はもう、ここに来ることはもうないと思いますから……」
ここは人間の世界。竜はここに誰も住んでいない。それに自分みたいな混血竜は……今日の出来事から、いるべきではないということを知った。それならあの竜達の住む大陸にいた方が、よっぽど幸せだ。父さんの為、クルバス王子の為、ここに住む人間の為にも……。叔父さんにはとても悪いことだけど……。
「ごめんなさい……」
泣きそうな口調で深く頭を下げて謝る。こんな残酷な決定に、彼は罪悪感を覚えずにはいられなかった。これで叔父さんとこうして一緒に居られるのが、最初で最後になるのだ。真実を早く知ってしまったせいで。
「泣くな、ギルファー。竜としても、人間の男としても情けないぞ。男なら力強く堂々としていないと」
殴られて傷ついたギルファーの頬に手を滑らせて王は励まそうとしていた。
「良いんだよ。ここへ戻って来なくても。孫よ、お前は竜の世界で生きていた方が安全だ。お前を差別するような、こんな薄汚い人間の世界じゃなく」
「でも……」
「私は大丈夫だよ。お前が成竜になってこの世界の何処か、はたまた遠い異世界の何処かで生きているのなら十分だ。それに、私の生涯は君よりも儚く短い。だからどちらにせよ、一緒に居るのは無理なこと。そして何より私は……お前を守りたい。二度とこんな辛い目に遭わせない為にも……。だから気にするな」
自身も話すのが辛くなったのか、絞り出す声で答える。よく見ると王が手に握る杖に力が入って、ギリギリと感情を抑える音が響いた。枯葉が風鳴りと共に巻き上げられてカサカサと乾いた音を立てて石床の上に落ちて来る。
「叔父さん」
「何だ?」
「叔父さんは僕のことを……どう思っていますか?」
ギルファーは彼に静かに尋ねた。別れるのであれば絶対に聞いておきたい重要なこと。僕の母さんの父親は……自分をどう思ってくれているのだろうか?父さんのように……今まで真実を隠し通してきた存在として……。母さんの命と引き換えに産まれた自分をどう受け止めていたのか。
「私は父親同様、お前を憎んではいない。確かに我が娘を喪ったことは悲しいことだった。しかし、エルエンの残した遺産であるお前は、ちゃんとここにいて、生きている。私も娘と約束をした。どんな結果になろうとも、産まれた子供だけは必ず守ると」
カムルデス王の言葉にも悲しみの気持ちが籠っていたが、声はとても明るくどんな苦難にも崩れることのない力強さに溢れていた。まるで今の結果でも十分に満足しているように。答えを聞いたとき、ギルファーはその心の持ちように感動すら覚える。きっと彼は僕の母さんを失うこと以上の辛いことを乗り越えてきたのだろう。そう思った。
その時、城内の鐘が打ち鳴らされた。もうすぐ一日が終わるという時報だ。やがて一つ、また一つともう使わない場所の城の明かりが消されて、暗闇に溶け込んでいくのがここから見える。次第に人々の会話の声も静まっていき、それに代わって自然の生み出す虫の声が物寂しく周囲に響き渡った。深くそれに耳を傾けると、今の別れる悲しみがこみ上げてきて耐え難い胸の痛みを感じる。
「……ありがとう、叔父さん」
ギルファーはそう言うと、静かに身体を離した。自分を大切に思ってくれるのが嬉しくて、もう別れなければいけないことが悲しくて、甲高い咆哮を上げる。たった一日で別れなければいけない。自分を良く思ってくれる数少ない存在なのに……。課せられた運命を呪いたかった。自分を嫌悪する存在だけが増えていって……味方が減るなんて……こんなのおかしいよ。
「行きなさい、ギルファー」
カムルデス王はギルファーに優しく、送り出すに言った。ただ前へ進め、という励ましだけが込められた言葉でもあった。もう過去のことを思い返すなとも言いたげな表情で更にもう一度声を掛ける。
「行きなさい……」
ギルファーはしばらく思い悩むようにカムルデス王を見つめていたが、最終的に頷いて答えた。やり切れない悔しさが残り苦悩する。でも、これが一番正しいことなんだ。もう叔父さんの元へは……。身を震わせて辛い呻きをぐっと堪えた。
「うん……」
彼らの間に風が吹いた。外庭の草花を揺らし、唸り声を上げて両者を見えない壁で隔てる。風は冷たく、北方に住む彼には丁度良い風。風は自分を呼んでいた。
ギルファーはゆっくりと故郷の方角の空を見上げた。いつだって北の星空には自分が成りたいと憧れる種族の星座、竜座がそこにある。勿論、人間の星座だって……。竜は今ではもう成れないおぼろげな幻想になってしまったが、それでも目標にするつもりだ。僕には……それしか出来ないのだから……。
自己の境遇に再び苦しむ幼竜の肩にエンダーの大きな前脚が置かれた。
「ギルファー、お前には何の落ち度もないんだ。それだけは忘れないでくれ。ここへ連れて行こうとしなければ、こんなことにはならなかった。クルバス王子の怒りを考えなかった私のせいだ」
悔やむように言う。でも彼はそれでも何も知らなかった自分が悪いと思った。
「でも叔父さんに会ったこと、本当のことを知ったことは後悔してないよ。辛いことだったけど……必要なことだった」
真実を残酷に突き付けられても、後で知ることになるのなら構わなかった。それに、もう終わったことだ。頬からは別れを惜しむ涙が流れていたが、前脚で拭いまたカムルデスと目を合わせた。今はまだ前脚を下げなくても普通に同じ目線で話せる。成長してしまえば自ら頭を下げる羽目になってしまうだろう。現に父さんがそうしている。だからこそ、この時を胸に刻み、大事に心の内に仕舞っておこう。そう思った。
しばらくして、見切りをつけたエンダーは翼を広げ、背を落とし自分が乗れるような態勢になった。
「ギルファー、私達ももう行かないと」
尾で地面を叩いて早急にと強調する。怒っている訳ではないが父親もまた、彼と同じ思いを感じて名残惜しそうだったがその気持ちを押さえていた。エンダーの場合、自分が犯してしまった罪の重さに胸を焦がしている為に余計に辛いのだ。目を細め、頭をうなだれて地面しか見ないその姿はギルファーの抱く悲しみに匹敵した。
ギルファーはカムルデスに背を向け、浮かした尾を浮かしてエンダーの背中をよじ登った。いつもの特等席、首の付け根あたりの棘と棘との間にずんと腰を下ろす。そして背の上からカムルデス王とかつて自分が産まれた城に目をやった。
自分の母さんは人間だった……。それだけが分かっただけでも衝撃的だったのに、みんなが隠していた自分の産まれた秘密すら知ってしまった。たった一日で……何もかもが変えられた。
エンダーはギルファーがちゃんと背中に乗ったかを確認すると、起き上がり後ろ立ちになる。もうグズグズと別れを先延ばしにするのを許さなかった。
「行くぞ、ギルファー。準備はいいか?」
念を押すように背中を振り返って直に目で確認し、本人の了承を得て大丈夫だと判断すると、翼を大きく広げ羽ばたき具合を最後に確かめた。それを見守り、ギルファーは背中に突き出した棘に前脚で掴まる。
「行って」
自分にも見切りをつけるつもりで父親に言う。するとエンダーは飛び立つ直前、その場を離れて距離を開けたカムルデス王に視線を移した。
「これまでお世話になりました。ありがとうございます」
そして一礼する。対し向こうは無言でこちらと同じことを返すに留まった。ギルファーも何か言わなければと口を開いた。
「さよなら……」
最後の別れの言葉を言うと次にはカムルデス王の姿が遠ざかっていった。完全に声は伝わっただろうけど、返答は聞けずに終わる。恐らくあの反応ならば頷く程度だと思った。その本人は今、眼下でただ立ったままこちらをじっと見上げている。静かに手は下げられたまま……。
エンダーは力強く羽ばたいて城を一周すると、翼を北に向けて平常飛行に移った。打ち付ける風は冷たく、重々しく感じたがその代わりに追い風で、帰路はのんびりと早く行けそうだ。
カムルデス王の姿はそのうち更に小さくなっていき、城の景色に溶け込んで見えなくなった。そしてその城は都市の中に、都市は平原に、平原は雲の中にと彼らが高く空に駆け上がるにつれ、姿を消していった。あとはもう壮大に広がる雲の大平原と、その上を照らす月と幾多もの星々があるだけだ。
14.5話に続きます。14.5話はこの話が投稿された一時間後にUPするのでお待ち下さい。
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