10 違和感
この小説は作者の苦い思い出を反映したものでもあります。改稿し、若干の差異はあるものの、執筆当時の感情は残ったままです。
残されたのはギルファーと王子だけになった。一気に雰囲気が中途半端なものに包まれていき、ギルファーはどうすればいいのか困惑する。
取り敢えず隣に控えた王子の顔を覗きこんでみる。好奇な目ではなく、相手の様子を伺うような警戒を含んだ目で。クルバスはしばらくその場に立ったまま動かず、今王から言われたお願いを聞いて顔を真っ青にしている。その顔は如何にも嫌そうに歪んでいたので彼はすぐに首を引っ込めた。
この人間は一体何者なのだろう?彼は不安だった。いつも巣の中にいる以外はエンダーと一緒に行動していた為に見ず知らずの竜、ましてや初めて会ったばかりの人間と一緒にいるのはこれが産まれて初めてだった。
だからこそ人間について知りたいという思いはある。だがこの王子のことについては知りたくない。振る舞いが初対面の自分ですら違和感を感じるのだ。さっきから自分にだけ向けられているまるで……僕が何か悪いことをしたかのような、そんな目。
見方を変えれば……この人間は竜を恐れていない。それどころか竜であるはずの自分が……向こうのオーラに押されている。
「ギルファー様、ついてきて下さい。我が城の中を案内しましょう」
王子は自らよりも一回り大きい自分に対してやけに丁寧な口調で話し掛けてきた。その振る舞いにさっきまでの差別するような視線は消えて、落ち着いている。ただこちらの、今は地面に突き立っている前脚の鉤爪には警戒しているのが伺える。幼竜である彼の爪はまだ鋭さに欠けていて、柔らかい肉を切り裂く位しかできない代物であったが、生身の人間を引き裂くには十分であった。
「うん……。あの……よろしく」
取り敢えず話し掛けられたのだから何か返事をしておかないと失礼だと考えてこう言ったが、緊張のあまり躊躇いがちなものになった。そして不気味とか違和感があるとかは自分の偏見かもしれないと信じてここは普通に振る舞うことにする。
すると王子はニコッと笑みを浮かべた。
「こちらこそよろしく。改めて自己紹介するけど、私の名前はクルバス。カムルデス王家の王子です。父はあまり僕の名前を出そうとはしないので……。えっと、分からないことがあったら気軽に聞いて下さい。出来る限り答えるので」
とても厚い挨拶をして更には頭を下げてきたので、ギルファーもそれに倣って同じように返す。顔を上げたときにクルバス王子はマントが邪魔になったのか手で後ろに払った。すると王子の腰には立派だが不気味に黒光りする太刀があることに気付いた。太刀はさっきの取り囲んでいた衛士達の中で見ていた。服装も王家絡みの豪華なものと思いきや、質素な無地の紫の上着と藍色の長ズボンを身に着けている。首にはネックレスが掛かっているが、上着の中に隠されていて何の飾りかは分からない。
「僕の名前はギルファー。エンダーの一人息子です」
自分も改めて自己紹介をする。でも心の中では王子の人柄を疑い、警戒した。やっぱり信じるのはやめた方がいいかな?何か様子が変わり過ぎる。どちらが本心なのか……僕には分からない。
「一人息子……ね」
クルバスは自分の言葉に何か引っかかるところがあるのか小声で呟いた。だが聴力の鋭い彼には聞こえる。ギルファーは何故そんなことを気にするのか疑問が浮かんだが、それよりもこの場所について知りたかったので尋ねることはしなかった。
「僕が産まれたのがここって本当なの?」
王子は頷いて城の建物を指差した。建物は石造りの四階建てで屋根はストレート葺き。窓はどれも大きく均等に配置され、三階のベランダには巨大なガラス戸があって贅沢を極めたものだった。しかし、ギルファー目線で言えばそれは石造りの為に洞窟の巣穴の発展形くらいにしか見えなかった。
「あの建物で君は産まれたんだ。私もそこに立ち会ったよ。もっとも、君は覚えていないだろうけど」
ギルファーは思わず王子の方に顔を向けた。僕が産まれるときに……この人間は近くにいたの?ある意味衝撃の事実を知り、固まった。そんなこと父さんから聞かされていなかった。僕には産まれたときの記憶が曖昧だ。視界には“ヒト”しか映っていなかったことはなんとなく覚えている。
「そんな……。だって父さんは僕が産まれるとき、自分以外には“ヒト”しかいなかったって……」
ギルファーは訳が分からず、口ごもってしまう。父さんにここが自分の産まれた場所だと言われたとき、薄々疑っていたが理解を拒否していた。でも彼の言葉が正しいのなら、つまりクルバス王子が……。いや、そもそも“ヒト”という生き物が……。
「何を言っているんだい?その“ヒト”という生き物が僕ら人間のことなんだよ」
クルバスの一言は彼の世界の見方を少しだけずらし、事実を断定させた。ヒトが人間。僕は……あの人達に囲まれて産まれた?にわかにも信じ難い。てっきり自分は今住んでいる洞穴のような場所で産まれたのだと信じて疑わなかったのに。
彼を始めとする竜には文字を扱う文化などない。だから発音だけではヒトと人間とが同じものだと知らなかった為に起きたのだった。
「そんなこと……僕は知らなかった」
ギルファーは俯いてその事実を速やかに受け止める。証拠は父さんに尋ねる前に周りにたくさんある。この建物に人間が住んでいるのなら自分が産まれるときに近くにいてもおかしくない。それに第一ここには竜がいない。結果は自明だった。
「これは常識だよ。竜にだって“タツ”という呼び方があるんだから」
自分の常識が全く通用せず、また今までの常識が破られて軽くショックを受けた。これが人間と竜とのはっきりした違いなのかな?いや、それよりもどうして僕がここで産まれたのかが不思議に思えて仕方がない。
「まあ、ここでずっと考えるよりも折角僕らの城に来てくれたんだ。中を案内するよ。二人の話が終わるまでかなり時間が掛かると思うから、ついて来て」
クルバス王子はギルファーの思っていることを察したのか、それとも単にちゃんともてなしてあげたいのか不明だがそう言い、手招きをしながら城の建物へ先に歩いていく。
「うん、分かった……」
ギルファーは好奇心と疑問が混ざったような複雑な表情で王子の後に続いて城の中へと足を踏み入れた。しかし、中に入った瞬間その豪華さと汚れ一つない美しい装飾品に目を奪われ、ブルーの瞳が一際宝石に負けない程に輝き、さっきまで考えていたことが吹き飛んでしまった。自分とは違う世界。それが広がっていた。
そこからは三時間ほどクルバス王子先導の元、城の中を見学した。見学中は至る所に人がいて、皆それぞれ与えられたことに従事しているのだと初めに教えてくれた。ギルファーからすればそれはいわゆる群れでの行動のことかと思った。
そして案内されたのはまず玄関に始まり、大広間、食堂、客室、収蔵庫、特別許可で玉座の間、資料室、武器庫など取り敢えず沢山の部屋に入り中身を観察し、その度に人間の作ったものに見とれ王子に質問を次々と浴びせた。なぜならどれも見たことのない物や景観ばかりで聞かなければ気が済まなかったからだ。ただ、武器庫だけは最初のトラウマで槍の切っ先を見るだけで身震いがしたが。
一方で見かける従者達は相変わらずどこか変な振る舞いのままだった。案内されている間に出会ったときは必ず礼儀正しいという挨拶をしてくれる。でも、その行為だけならいいのに一人一人の顔がどれも友好的とは思えない顔なのだ。気持ちが籠っている以前に別の見方……即ち仲間から疎外されて避けられている状態に感じた。
その本心が隠されているのは最初に見た衛士の態度に同じ。まして食堂では飢えた腹を満たす為に用意してくれた料理を敢えて人間達に配慮し、鉤爪をフォークとナイフ代わりにして器用に口にしているときは王子以外食堂に運んでくるときを除き誰もいなかった。これには段々と不信感と不安が滲み出てくる。
ここまで嫌な視線を受けるには自分が原因かなと考えた。だからギルファーは出来るだけ迷惑を掛けるまいと大理石の床が貴重なものだと知ると出来るだけ爪を立てずにそろそろと歩いたし、宝物庫に至っては大きさがそもそも小さかったので、触れることを控えて眺めるだけに留めた。
でも、それだけで十分だった。宝石は輝きに魅せられて心惹かれたが、欲しいとは思わなかった。理由としては自分のせいで簡単に砕けてしまうから。それに掴むことすら難しいのにちゃんと大事に持っていられる自信もない。一応王子から何か欲しいものがあるならプレゼントすると話を持ち掛けられたが、結局は断った。
そうして時間は過ぎていき、城内の探検も終わりが見えてきた。そして最後に案内されたのは図書館だった。王子に続いて堅牢な鉄の扉を潜ると、そこには目を見張る光景が広がって目が釘付けになる。
壁の下から天井に届くまで書物というもので埋め尽くされ、更にはそれと同じくらいの高さの本棚が十数列並んでいた。ギルファーはさっきまで見た場所とは全く違う雰囲気が漂っていることに息を呑んだ。
一体、ここは何だろう?
興味が湧いて視線が右へ、左へ、奥へ……。次々と目を走らせた。自分でも分からないが、まだ手を付けていないのにここが気に入った。多分、物静かで地味なところがここでの落ち着きを求める彼の心を惹いたらしかった。勿論金銀財宝もそれなりに気に入っていたが、ここはそれすらも凌駕している。
「クルバス王子。ここは……?」
すぐさまギルファーは彼にここの場所のことを尋ねた。名前さえ分かればまたここへ来たときに探しやすくなる。できればすぐに読みたくて仕方なかったが、父親から勝手なことをするなと言われていることを思い出し、その衝動を抑えた。そもそも竜が本を読めるかどうかさえ怪しいところだったので猶更だった。
「ここは図書館というところだ。様々な書物がここに収められている」
王子は自分の服についた埃を右手で払い、一度咳払いして説明すると、ちょうど近くにあった棚から一冊の緑背表紙の分厚い本を手に取る。そして、ギルファーの方に題名が見えるように差し出した。
「例えばこの本。題名は読めるか?多分無理だとは思うけど」
クルバス王子は本の表紙に書かれた題名を爪先で示しながら、何故か嫌味たっぷりに尋ねてくる。その問いにやや腹が立った。自分の知りもしないことを分かっていながら聞いてくるなんて……。とても悔しかったが認めるしかない。また、人間ってこんなにも自分の嫌らしい生き物なのかと思う。
ギルファーは目を細めて本の表紙を覗いた。読めないとは分かっていながらも、黙るよりは当てずっぽうで言おうとした。しかし、その抵抗をしようとしたところで彼の思考は表紙の題名を実際に目にしたところで固まる。
何故か自分にはただの歪んだ線にしか見えないのに、頭が何故か理解していた。それが嬉しくも恐ろしくも感じた。何か違和感を感じながら、分からないと諦めていた本の表紙の題名を口にした。
「空間……見聞録……。著不死……鳥エルフェスと……混血竜シラナル……」
その時のことはこの先の自分の記憶の中にはっきりと残ることになった。呟いたとき、今まで勝ち誇っていたクルバス王子の顔が強張り豹変し、とてつもない殺気を込めた冷たい視線をこちらに投げ掛けてきたのだから……。
自分は産まれて初めて恐怖というものを感じた。寒気を感じ、身体が金縛りにあったかのように固まる感覚を。そしてこの人間の裏の感情を知ってしまった。
それは幼く純粋な彼にとってそれは酷すぎる衝撃だった。
感想、意見がありましたら投稿お願いします。因みにこの恐怖感は作者が過去実際に体験した感覚を元に表現しています。
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