ゾンビ的な話とのこと
この短編はゾンビを題材とした山崎さんと新橋さんの会話中心の物語です。
グロ耐性、カニバ耐性、被虐耐性のない方には読むことをオススメできません。
またまのわ等とはまったく異なる話ですのでその手の内容を期待されている方にもオススメはできません。
上記の文章を読んで問題ないと判断された方のみお読みください。
「やあ、ようこそ。我が家へ」
その日、山崎は案内人に通されたマンションの中に入った。途中に誰とも会わなかったのは配慮してくれた結果だろう。そして指定された一室の中に入ると玄関先で陽気そうな中年の男に迎え入れられた。
「うん、よくここまで来れたね。正直眉唾ではあったんだけどね。まあ最近は僕らの中でもある程度の節度ってものは出来てきたからね。時期も良かったのかな」
「ええと、あなたが新橋さん?」
山崎はいきなりしゃべり始めた男の言葉を遮り、とりあえずは会う予定になっていた人物なのかを尋ねた。
「ん、そうか。名乗ってなかったか。これはやはりちょっとどうなんだろうな。まあ、元々身のないことをしゃべり過ぎって怒られることも多かったしね。ああ、そうそう。僕の名前は新橋真三です。はい、四十一の普通のおっさんですよ」
山崎は男が指定された人物であることに安堵し挨拶を返す。
「私は■■■出版の山崎義則と申します。このたびは私共の取材を受けていただき、まことにありがとうございます」
「いやいやいや。僕としてもね。こういう機会を設けて誤解を解いたりとかしたい気持ちはあってさ。うん、自分の身はかわいいからね。そりゃ目の前に糸を垂らされたら登らざるを得ないって心境なんだよね。うん、みんなのためにも僕が一肌脱がなきゃってね」
そこまで言うと新橋は「じゃあ、上がってください」と口にしてそのまま部屋の奥に進んでいった。
「ぁあ……助け……」
「はい、上がらせていただきます」
山崎は声を上げそうになったが、慎重に靴を脱いで上がっていく。
中に入るとカーテンで直射日光は遮られてはいるが、暗いという印象はなかった。床が赤く汚れている部分もあるが、全体的には片付けられている。
「ごめんなさいね。もう水道も電気も止められてて、まあ僕はいいんだけど」
向けられた視線は山崎に対してではなく玄関の方だ。
「ほら、やっぱり御飯とかはちゃんとしたのを上げないとダメだろうしね。お腹壊しちゃうと困るじゃない」
「そうですね。人間生きるだけで色々と必要なものは多いもんです」
山崎の返答に新橋も「でしょう」と機嫌良く返す。ソファに座り、ポケットからタバコを取り出し、火をつけずに加える。
「こりゃ癖というか性分でね。正直、僕自身ももう味覚も分かんないしね。とりあえずタバコの味もわかんなくなったのは辛かったかなあ。今は口に咥えてるだけで我慢してるけどさ。そんで君は吸うの?」
「いえ」
「そうなんだ。仕事柄、吸う人も多そうだけどね」
「五年ぐらい前に社長が自分の禁煙ついでに社内も禁煙にさせちゃいましてね。私の直接の上司だった人はそれで会社辞めてましたけど、私はそれを期にタバコを止めて、それが今も続いていますね」
山崎の言葉に「へえ、そうなんだ」と新橋が呟く。
「僕は無理だなあ。いや、まあ会社辞めちゃうってのも無理だから、色々とゴネはするけどやっぱりコイツを止めてたかもしれないかな」
ガタンと入り口の方で音がした。
「そっか。じゃあ吸ってはいたんなら少しは気持ちの共有も出来るかな。辛いよこれ」
新橋がそう言ってプハーと口で言いながら火のついていないタバコを持ち上げた。山崎はそれに苦笑いで応じる。
「ふーん。ま、座ってくださいよ。話、聞きに来たんだよね?」
「はい。新橋さんの話を聞かせてもらえると伺い、こちらまで来た次第でして」
そう言って山崎はICレコーダーをテーブルの上に置く。
「記録よろしいですか?」
新橋は山崎の質問に頷き、そして口を開いた。
「そうだねえ。じゃあ始めてくれる。まあ、確かにこの辺りじゃあ僕が一番喋れるんだよね。理由とかは分かんないけど。もしかしてあれかな。低血圧? 朝起きるの辛かったんだよねえ。最近じゃぐっすり寝れないのが辛いんだけどさ」
「私には分かりかねますけど、どうでしょうね。こっちにお医者様とかはいるんですか?」
山崎の質問に新橋は「いたんだけどねえ」と答える。そして窓際を見ながら指をさす。
「あっちのね。大隈大学病院の猪熊っていう先生がいたんだけどさ。その先生も僕みたいに喋れて、実際何人か募って調べてたんだよね。まあ僕らって基本的にフレンドリーな関係だし、ちょっと解体するぐらいで抵抗するようなのはいないのね」
「そういえば、仲間割れとかないみたいですね。生物的に同類と分かるんでしょうか」
「そうなんじゃないかな。けど田沼区の方だと喧嘩があったって聞いたな。ま、言ってるヤツがちょっと頭がやばいヤツだったんで聞き流してたし見間違いかもしれないけど。でも、猪熊先生がいうには株が違うと喧嘩するかもって言ってたし、ねえ株ってどういうことか分かる?」
山崎はそう言われて、浮かんだ答えを口にする。
「さあ? 病原菌の種類とかですかね。インフルエンザもA型とかB型とかありますよね」
山崎の問いに新橋は「そうだったかなあ」と首を傾げるが「そうだったかも」と頷いた。
「ともかく猪熊先生だけど、身体のね。具合を見たらしいんだけど、部位的に大丈夫だったりダメだったりしたところがあるって言ってたんだよね」
「ダメなところですか」
それは腐ってるような部位のことだろうか。山崎が頭の中で連想するが、なぜか部位ごとに名前が書かれている牛の絵を思い出した。
「そう。僕なんかは首から上辺りが大丈夫っぽいんじゃないかな」
「確かに見た目はあまり分かりませんね」
山崎の言葉に新橋は「そうだよねえ」と頷く
「たぁす……て。死ぬ、わたしは」
新橋が足をドンと床を踏むと声が止まった。
「ごめんなさいね。ちょっとお客さんが来て過敏になってるみたいで」
申し訳なさそうに言う新橋に山崎が何とも言えない顔で首を横に振る。どうにかしようという気は元々ないのだ。
「あー、いえ。気にしないでください。それよりも続きをどうぞ」
「なんだったっけ。猪熊先生かな。彼はそうだね。一週間ぐらい前にちょっと騒ぎがあってさ。そっちでも聞いてるかな。暴動があったんだよ」
「はい。大島四丁目のカグラ百貨店のことですね」
山崎はそれがニュースに少しだけ出ていたのは覚えているが、その後の続報はなかったハズだ。恐らくは失敗したのだろうと山崎は考えていた。
「うん、そうそう。猪熊先生がちょうどそっちに患者を見に行ってたんだよね。とは言っても美子さんがいうには足が腐って折れたんで接ぎ木をしにいっただけらしいんだけど。そこでバッタリ遭遇して燃やされちゃったらしいのね。僕も実際に見た訳じゃあないんだけどさ」
「それは残念でしたね。出来ればその猪熊先生にも取材をさせていただきたかったのですけど」
「そうだね。あなただったら先生とも上手く話せたんじゃないかな。あの人も外の情報とかすごい気にしてたから。さすがに大学病院だと発電装置とかもあって色々と調べることは出来たみたいだけど。うん、ただね。何をしてたかは知らないよ。専門的なことなんて僕にはさっぱりだもの」
山崎は「そうですか」と返す。
「うん、そうなの。まあ、いいか。そんなことは。で、さすがの猪熊先生も病院の設備だけじゃあどうにもならないってぼやいてたんだよね。外だともうこれのこととか結構解明されてたりするの?」
「いえ。残念ですが、私からお伝えできるような詳しい話はまったくないです。実際に研究はされてるんでしょうけど、私らに話される情報ってはその上澄みの上澄みって感じで。ニュース番組とかでもせいぜいが映画の内容を並び立てて比較してる程度なんですよ」
山崎の言葉に新橋が「あはははは」と笑う。
「そりゃあ酷いね。でもそんな感じだから僕のこの取材も意味があるのかも知れないな」
ドンドンと入り口から音が響く。
「あーもう、ゴメンね。うるさくて。ちょっと里心が出ちゃったんだろうねえ」
「いえ。気にしてませんので」
新橋が若干苛立った声で言うが山崎は首を横に振る。気にしたくはないのだ。
「そのカグラ百貨店で猪熊先生を燃やしちゃったのがあれでね。まあ、話を聞きたければ一応しゃべれるとは思うけど」
「いや、そっちの話はあんま外に流さない方がいいんじゃないですかね」
個人的にも山崎は会いたいとは思えない。
「そっか。そうかもねえ。うん、じゃあ話の続きだよね。猪熊先生は燃えちゃっててもういないし、他の先生は思い当たらないかな。ごめんね」
「いえ、それは仕方ないです。それで、新橋さんは首から上が大丈夫なんですよね」
「まあそうかもってだけだよ。頬部分とかはちょっと怪しいし」
新橋は頬をさすりながら言う。確かに若干ヌルッとした膿が出ている。本人が特に気にした風でもないようだが。
「僕みたいに喋れるのもそこそこいるんだよ。時々集会みたいの開いて話すけど、他の連中に比べると大人しいのが多いかな。まあ僕らもあれを食べないと我慢が効かないのは変わらないし結局は同じモノなんだろうけどね」
「ああ、そういう点ですね。聞きたいことは。自制ができないってことですよね」
山崎が身を乗り出て尋ねる。スポンサーの要求はつまりはそうしたことの言質を取って欲しいと言うことだった。止むを得ないのだという証言が欲しいと。
「うん、そうなんだよ。今は彼女がいるから僕も抑えられてるんだけど、普通の食欲って意味では実はお腹って減らないんだよね」
新橋が自分の若干出ている腹をポンと叩いた。少しイヤな音をした。
「どちらかというと禁断症状……みたいな? 僕もちょっとは禁煙してたときがあったんだけど、それが一番近かったかも。イライラして周りに当たりたくなっちゃうんだよね。でもちょっと口にして我慢するだけで一応は治まるんだよ、あれ」
「そうなんですか。でも、一度食べ始めると止まりませんよね」
少なくとも山崎が見てきた映像ではそうだった。甘噛みで終わった映像など見たこともない。
「だから今言ったでしょ。しばらくすると、なんだよ。お腹も特に空いてないんだけど、逆に言えばいくら詰め込んでもどうともないんだよね。それで食べ始めると止まらないわけ。映画見てるときのポップコーンみたいってアメリカ人なら言うんじゃないのかな。日本人はどうだろう? それほど食べてる印象はないけど?」
「映画館の中だと普通に売ってるし、食べてるんじゃないですかね」
山崎は自分では何かを食べながら映画は見ないし横で食べられると匂いが気になるのであまり良い印象はない。まあ、見始めるとそれも気にはならなくはなるのだが。
「そっか。僕は家では見る派だから映画館はいかないんだよね。そういえばソングオブザデッドって先月やる予定だったじゃない。あれってやっぱり中止になったの?」
「なりましたね。そういうご時世ですからね。昨日もニュース番組で予告編と今の状況の類似性とかを指摘してましたよ。あの監督がウィルスを撒いた犯人とグルだったとか言ってるコメンテーターもいました。ええと、丸内さんとかいう小説家の」
「ああ、これウィルスだったの。やっぱり?」
「いえ。予想です。ただの」
そう言った後に山崎は若干考えた後、こう言い加えた。
「とは言っても、日本だけじゃなくていろんな国で一斉に発生していますから、人為的な感じはやっぱりします。おかげで外は陰謀論ブームです」
「みんな好きだねえ、そういう流行が。でも、そうだよね。僕も人間にだけ反応するなんて変だと思うしね。犬とか猫は気にならないんだよ。実際代用してみようとも思ったけど殺すのも可哀想だしちょっと無理。実際食べた人もいたんだけど吐いちゃったって。そりゃ、食べれないよねえ。可哀想だし」
「はあ」
山崎は苦笑いをするしかなかった。だとすればどうして……と思ったところで、その思考を止める。この気持ちが表に出てしまえば新橋が気を悪くするかもしれないと考えたからだ。
「それでね。しばらくすると落ち着くってのに気付いてるのは僕みたいに喋ったり考えたり出来るの限定なんだよね。それにあんま浸透してないみたいだね。自分の分を確保できれば問題もないし。ほら、さっきも言ったように僕らフレンドリーだから。仲よく食べることはあっても横取りとかはしないのね」
その新橋の言葉に山崎は疑問を投げる。
「それも映像とは違う感じですね。獲物を見たら一斉に飛びかかるという印象しなかったんですが」
山崎の言葉に新橋はイヤイヤと首を振る。
「あれはバーゲンセールのオバサンみたいなものだよ。まだ所有権が決まってないから取り合いみたいになる。けど、ほら取り合いの途中で互いに殴り合ったりの喧嘩とかはないでしょ? それにあんま目に入ってないだけで落ち着いた場所でなら何人かで分け合って食べてると思うよ」
「なるほど」
山崎は確かに群がる集団は見ているが、互いに殴り合ってるのをみた記憶はない。何人かで群がっているという場面も確かに写真でなら見たこともあった。
「僕が思うにあれは食事というか嗜好の類なんだよね。なくても大丈夫だけど、ないと我慢できないというか。ええと、こういう話が欲しいんだよね」
「そうですね。止むを得ないので仕方がないという感じですか」
山崎の言葉に新橋はウンウンと頷いた。
「それでお腹は空かないんですよね。食事とかは他にはしてるんですかね?」
「いや試してはみたけど、味覚もないから食べても味気がないし、実際栄養になってるかは分からないね。それに普通に外うろついてるのは多分口にしてないと思うよ。コンビニとか荒らしてんのも彼女らみたいに残った人たちだし」
弱々しくドンドンと聞こえてくる。
「うーん、やっぱり気になるね。ちょっと待っててくれるかな」
「ああ、いや。気にせずに」
立ち上がる新橋を山崎が制するが、新橋は首を横に振って山崎に答える。
「躾はちゃんとしないとダメだよ。いっしょに暮らしてくんならちゃんとしないとどっちのためにもならないでしょ」
そう言って新橋は入り口の横にあるバスルームの中に入っていった。山崎は縮こまり耳を塞いだ。何かが聞こえた気がしたが無視を決め込んだ。
「もう、言っても聞かないんだから。あ、終わりましたよ。ほら山崎さん?」
「あ、は、はい」
新橋の声で山崎は耳を塞いだ手をおろした。
「ごめんなさいね。本当に。ちょっと刺激が強かったかもしれないけど、まあ、これもどっちのためだからさ」
「ええ、承知してます」
山崎は強張った笑顔で答える。
「それで話の続きだったよね。うん、普通の食事は今のところ要らないって考えてる。猪熊先生もそう言ってたし」
新橋はそう言って「他にある?」と尋ねる。
「そうですねえ。ええと」
山崎は自分のメモを取り出す。
「下世話な話なんですが性欲とかそういうのはあったりするんでしょうか?」
「あーあー、そういうのも気になるよね。うん、そっちはないよ。勃たないし」
「やっぱりそうなんですか」
山崎の言葉に新橋が眉をひそめる。
「やっぱりってのは心外だな」
「すみません」
「あーいやいや。別にいいんだけどね。うんジョーク、ジョーク」
そう言って山崎は外を見て「少しきてるかな。ちょっと待ってて」と言って再びバスルームに向かっていく。
か細い悲鳴と打ち付ける音と今度は明確な痛みによる悲鳴が聞こえてきた。
「ごめんなさいね。ちょっと時間みたいだったんで」
口を拭って戻ってきた新橋に山崎は「いえ」と低いトーンで返す。目は合わせられなかった。
「うん、もう少ししたら落ち着くかな。話は続けても大丈夫だよ」
「はい。では」
落ち着いてからでもと山崎は言おうと思ったが逆らう方が逆に危険だと考え、話を続ける。
「それでは性欲はないんですね」
「ないね。僕みたいにしゃべれる人たちの中には若い子たちもいたんだけど、やっぱり男女そろってもどっちも興奮しないらしいんだよね。そんで生きてるので頑張ってみたんだけどやっぱり無理だったって言ってた。男の方は接着剤で無理やり固めたって聞いたときは笑ったけど後でボッキリ折れたって言われたときはもう久し振りに爆笑しちゃったよ。そいつ、また接着剤でくっつけたんだよね。立ったままじゃあ邪魔なんで下に向くようにしてさ」
「それは酷いですねえ」
山崎が苦笑いをしながら答える。その光景はシュール過ぎた。
「まったくだよ。ああ、結局連れてきたのは食べちゃったらしいよ。だから花より団子ってことかな。僕らみんなさ」
「そういうものですか」
笑うしかない。それ以上の感情は出せない。
「後は睡眠欲とかかな。聞きたいのは?」
「そうですね」
確かにそれも聞こうとしていたリストにはある。
「実はこれが微妙でねえ」
「微妙なんですか?」
「う。ボーッとしてるときはあるけど深く眠ってるってことはない感じ。近付くとすぐに分かるしね」
その言葉に山崎が興味を引かれて掘り下げて尋ねる。
「匂いとか分かるんですか?」
「そうなのかなあ。なんか温かいの来たなあってのが分かるの。いや、匂いってのは違うよね。だってぼくら鼻が馬鹿になってるみたいだし」
そう言いながら新橋はティッシュで包んでいた赤黒い物を取り出して口にする。それを山崎がギョッとした顔で見る。
「ああ、ごめんね。驚かせちゃった? そのままかじっちゃうとお仲間になっちゃうからこそいで食べてるの。ドネルケバブみたいな感じかな」
クッチャクッチャと噛みながらそういう新橋に山崎は胃の底からこみ上げるものを感じる。
「うん、まあ、気にしないでよ。話を続けよっか」
新橋の言葉に山崎が何も言わずに頷く。
「睡眠欲はないけど大体は半分寝てるような状態だから睡眠自体はとってると思うよ。猪熊先生がいればもっといい言葉が出せたと思うけど。ごめんね。こんな教養もないオジサンが相手で」
「いえ。十分記事になる話だと思います」
「だったらいいんだけどね。他には何かあるかな」
「そうですね。いえ、大丈夫です」
山崎はメモの内容を見てそれっから目を離し、そう口にした。もう限界だったのだ。ここにいること自体が。頭がその後の質問を拒絶していた。
「うん、それじゃあ最後にとっておきのいいお話聞かせちゃう。多分泣ける系だよ」
「はあ」
「僕のことを調べてるなら知ってるとは思うけど、僕って妻子持ちだったのね」
「ええ、伺っています」
その点のリサーチはさすがに終えていた。妻と娘が一人いたはずだ。
「美奈子は外に出ててたから多分誰かに食べられちゃったんだと思うけど、娘はいっしょだったわけ」
「奥様についてはご愁傷様です」
以外にすんなり出た山崎の言葉に新橋は首を横に振る。
「いやいや、実際外の人にはこの感覚分かり辛いとは思うんだけどね。誰かのお腹の中にるんなら安心なんだよね。繋がってるっていうか、一緒にいられるっていうかさ」
そう答える新橋のなんと幸せそうなことか。
「だから、可奈は、僕の娘なんだけど、あの娘があの時僕と一緒にいたことは奇跡みたいなものだって思えるんだよ。僕がこうなって最初に可奈が一緒になったんだよ。今も可奈が身近に感じられるんだから、こんなに幸せなことはないんだよ。これがちょっと良い話かな」
そう言って新橋は細身にしては少し出ているお腹をさすった。
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「うん。大丈夫かい。本当に」
帰り道は新橋の付き添いだと決まっていた。山崎の背中をさすりながら歩く新橋に山崎は「はぁ」としか答えることが出来なかった。
最悪だったのはあの話の後に耐えきれずにそのままトイレに向かった途中であの女と目を合わせたことだろう。山崎はあの目を一生忘れられないだろう。それは山崎が生きている内で見た中でも、もっとも恐ろしい、二度と忘れられない目だった。
「それじゃあ、この音声を記録したメディアカードは言われたとおりにして外に届くようにしておくからね」
「はい、お願いします。何から何まですみません」
新橋は「いや、これも自分のためだからね」と返す。
「僕もね。このまま余生を平和に過ごせるとは考えてないんだよ。でもねえ娘と過ごす毎日が出来る限り続けばいいとも思ってるんだ」
山崎はこの会話が早く終わればいいと思っている。もう山崎には新橋をまともに見ようという気力はなかった。
「だから外の人権派のみなさんが僕らを支援してくれるのは嬉しいし、そのための協力なら惜しまないつもりだよ。そう君からも伝えておいて欲しいな」
新橋の言葉に山崎はただただ頷く。それを「仕方がないなあ」と酔いつぶれた同僚を見るかのような目で新橋は見ている。
「じゃあ、ここから右に曲がってまっすぐ進むと外に出れる門があるから。自衛隊の人もいるしそこまでたどり着ければ帰れるよ」
その言葉に山崎はわずかに残っていたポジティブな気持ちで以て頷いた。
「聞いてるとは思うけど僕が手を離したら、もう僕は君の所有権を主張できない。そういうルールだからね。だから手を離したら君は走りなさい」
それも聞いている。生きるか死ぬかの鬼ごっこだ。ゲート前は門を護る自衛隊がいる。そしてこの周囲には逃げ出そうとする人間を捕らえて食べようと待ち構えている彼らがいる。
「自衛隊の人がいたらちゃんと自分は生きてる人間ですってアピールすること、そうしないと君も撃たれるかもしれないからね」
「ええ、分かっています」
それも承知の上で受けた仕事だ。山崎は体の中のものを取り出されてくたばるよりはと、この仕事を選んでここに来ていた。
「じゃあ、頑張りなさい」
そういって手を離す新橋と、そして全力で走り出す山崎。
周囲がざわめき、何人もの腐った男女が新橋を通り過ぎ、山崎を追う。
銃声が響く。自衛隊が彼らを見つけたのだろう。或いは山崎諸共撃ち殺したかもしれない。警備している自衛官のPTSDが深刻だとは新橋もラジオで聴いていた。もっとも新橋はPTSDの意味は知らないのだが。
「さて、これで少しはこの街が生きながらえてくれると嬉しいんだけどね。なあ可奈」
新橋がお腹をさする。
映画などのラストなら街は謎の強力な爆弾で爆破されて消え去るのだろう。だが、実際にそう簡単には行かない。
さきほどの山崎も口にしていたがこの街で起きていることが世界中でも起きているらしい。自然現象か、誰かが待き散らかしたのか定かではないが、この街一つ吹き飛ばせば解決というわけには行かないはずだった。
「出来ればこのまま保護区みたいにしてくれるといいんだけど」
新橋たちは麻薬の依存症のように人の肉を食べることは止められない。だが、それだけだ。人の肉を食べる、少し頭がおかしくなった人たち。そんな風に受け止めてもらえれば新橋は災害に見舞われた可哀想な被害者として治療を受けることも可能かもしれない。
山崎の裏にいるのはそう言うことを口にして世間を煽っている見知らぬ他人たちだ。昔はそういった人たちを胡散臭く見ていたし、今も気持ちは同じだが、まあ助けてくれるならありがたく助けてもらおう。
そう思いながら新橋は来た道を引き返し、再び自分のマンションへと帰っていった。
昨日の夜中に何と無く思い付いて書いてみた小説で、コンセプトは低予算短編ホラー映画的なもの。
書いててちょっと気が滅入ったが、とりあえず考えたままのものが書けたので満足しました。