8.shake
彼女は接客業には向かないんじゃないか、と俺は常々思っていた。
新顔の客に対しては常に鉄仮面だし、常連にだってめったに微笑みすら漏らさない。注文を訊くとき以外はほとんど口を開かず、隙なく完成されたカクテルを音もなく目の前に差し出しては客をたじたじさせる。
そんな彼女が唯一饒舌になるのが、怪談を語って聞かせる時だった。深夜、客が一人か二人しかいなくなって時間がなくなったようになると、彼女はシェーカーをある一定の速さで振りながら、おもむろに口を開くのだ。
彼女の低く澄んだ声は、薄暗い店内によく溶けた。そんな独壇場で、赤ん坊の声だの消える男だのという話は妙に真に迫って聞こえ、そいつに運悪く出くわした客は震え上がったものだ。もちろん、俺も例外ではない。
静まり返った店内に、シャカシャカ、と聞き覚えのあるリズムが響くと、俺はどんなに酔っていても反射的に緊張した。不思議と止めることはできず、彼女の声はするりと耳に侵入してきてしまう。
酔いも醒めるような寒気を味わったら、それが引き上げ時だ。青ざめて席を立つ男達を、彼女はいつもの無表情で、けれど少し勘定をサービスして送り出してくれるのだった。
ある夜。
その日も俺は怪談を聞かされて、あんまり怖くて思わずブランデーを一気飲みしたら、珍しく彼女がちょっと微笑んだからフト訊いてみた。
「ねえ、どうして怖い話するんだい? ホラーとか好きなの?」
途端、彼女はよそよそしい鉄仮面に戻った。俺はとっさに、しまった、と思い、
「いや、いいや。今日はこれで帰るね」
勘定を済ませて、帰ろうとした。と、
「あの」
声がかかった。俺は思わず振り向いた、彼女が直接用件を切り出さないなんて初めてだったからだ。
「……何?」
「……いえ。ありがとうございました」
それだけだった。どうやらそれ以上話す気はなさそうだったので、俺は諦めて背を向けた。
それからしばらく彼女の怪談を聞くことはなくなっていたが、ある夜久々に遅くまで飲んでいると、彼女がおもむろにシェーカーを取り上げる音がした。
シャカシャカシャカ。
シャカシャカシャカ。
久しぶりの緊張を味わう俺の耳に、随分長い間、シェーカーの音は響き続けた。
シャカシャカ、シャカ。
シャカ。シャカシャカ。
おや、と俺は怪訝に思って顔を上げ、すぐにまた伏せた。
見なきゃよかった。
シャカ、シャカ。シャカシャッ……。
彼女の胸元に、一つ二つ、雫が落ちるのが視界の端に映った。
「私、ここをやめるんです」
俺のいつもと違う緊張に気付いたのかどうか、彼女がいつもの低い声でそう言った。俺は俯いたまま答える。
「そうなんだ」
「はい。だから練習しなきゃいけないんです。私、ちゃんと笑えてますか?」
俺は答えなかった。彼女は、完成したカクテルを出さなかった。これはいつものことだ。怪談が終わると、俺はカウンターに何も出てこないのを不思議に思うこともなく、いつも帰路についていた。
あれは、どんなカクテルだったんだろう。彼女はどんな顔をして、独りそれを味わっていたのだろう。
今夜は――俺は、どうしようか。
グラスに添えた指は、不格好な形のまま微動だにしてくれなかった。
「~を振る」、
「震える」、
「~を動揺させる」