14.persuade
「あなた、ただのリンゴ売りなのよね。そうでしょ?」
白雪姫はそう言って、いたずらっぽく目を光らせる。魔女はマントの下でこっそり嫌な顔をした。
一番最初は櫛だった。櫛売りに化け、毒をしみこませた櫛で髪をといてやり、瀕死に追い込んだ。だが、忌々しいこびと共が櫛を抜いてしまい、毒が回りきらなかった。
二番目は紐にした。胴衣の紐売りに化け、試着を装って締め付ける作戦だった。
だが、このとき白雪が妙な様子を見せた。そわそわと何かを期待する目で、こちらを伺ったりあからさまに反らしたりしているのだ。
「……どうかしましたかえ、お客さん」
無視しかねて尋ねると、
「あら、なぁんでもないのよ、紐・売り・さん」
とわざとらしい台詞である。強いて気にすまいと、何食わぬ顔で紐を通していると、今度はその手を目を輝かせて観察している。どうも気味が悪いので、もうひと息にやってしまうことにした。
「ふん!」
力を込めると、白雪は「うっ」と呻いて倒れかけた。ここぞとばかりに締めに締め上げ、よしとどめ、と思ったところで腕を掴まれた。
「あなた魔女ね? 前に櫛売りに化けてた人でしょ」
あまりに冷静に言うので、締めきる前に思わず手を離してしまった。白雪は深呼吸して息を整えると、がっかりと言った風情で腰に手を当てた。
もたもたしていると、もうこびと共が戻る時間だ――結局その場は、諦めて退散した。
そして三度目。
魔女の作戦は、毒リンゴを食べさせることだった。
「お嬢さん、リンゴはいらんかえ」
よぼよぼの老婆を演じる様子を、白雪姫は好奇の目でじっと観察している。魔女の額に冷や汗が浮いた。
「……新鮮な美味しいリンゴだよ」
「ふうん。どう美味しいのかしら? どこ産?」
「うっ……」
なんて意地の悪い娘だ、と魔女は恨みを募らせた。
「き、北の○○村でとれたての品でございます」
「ふうん。農薬とか使ってないの?」
「も、勿論無添加です」
「輸送手段は?」
「えー、あー、れ、冷蔵設備付きの馬車を使ってございます」
「へー。その業者信用できるの?」
「え、ええ! 王宮付きの卸でございますゆえ」
言ってからハッとした。気付かれたか、と表情を盗み見る。白雪姫はにんまりと笑ったが、特には触れず、
「あなたは?」
と尋ねた。
「あなたは信用できるの?」
魔女は言葉に詰まった。
「どうしたのよ。商売人なら、客の一人ぐらい信用させてみなさいよね」
にやにやする白雪。「殺す気なら騙しおおせてみろ」と暗に言われていることに、魔女は少なからず腹を立てた。
「お客さん。うちのリンゴは本当にいいリンゴですよ。何なら儂がひとつ、毒味して進ぜましょう」
籠の中から適当に一つ掴み出し、毒のない側にかぶりつく。
「ほら、いい音でござんしょ。うーんジューシィー! どうです、こっちの半分だけでも召し上がってみませんか。ナイフでお切りしましょう」
どうだと言わんばかりに差し出した。
「いえ、結構よ」
「えっ」
虚を突かれて見ると、白雪は冷ややかなクレーマーの表情を浮かべていた。
「あなたね、後で切るからって商品に直にかぶりついて、それを客に勧めるなんて正気? 試食なら最初から小さく切り分けなさいな。そのやり方じゃ……まるで、『片側にだけ問題がない』みたいよ」
最後の数語を、白雪は最高に意地の悪い笑みを浮かべて口にした。魔女は作戦がバレたことを確信し、撤退の意志を固めた。この女は、一度疑いを強めれば決して隙を見せないだろう――。
「だから」
白雪姫が言った。
「もう半分も、食べて見せなさい」
魔女は目を剥いた。そして自分をも殺そうとする白雪の狡猾さに戦慄し――しかしそれよりも、悔しさが勝った。
(馬鹿にしくさって……この私が自分の作り出した毒で死んでたまるか。きっと我慢すればどうということはない!)
魔女は大きく息を吐き出し、毒入りの半分に思い切りかぶりついた。口中の不快な味をこらえつつ咀嚼する。白雪が面白そうに眺めている。
果肉がほとんど液体になってから、魔女は一口分の毒入りリンゴを思い切って飲み下した。
そのまま数秒――
「……うっ。ぐ、げええッ」
我慢は、出来なかった。流石に死ぬまではいかなかったものの、胃の腑がひっくり返るような苦しみに、魔女はしばらくのたうち回った。
地面を転がりながら、魔女は悔しさに歯噛みしていた。結局、白雪を騙しきることはできなかったのだ――
「まあ、すっごい。素晴らしい商品ね」
そのとき、白雪が声を上げた。魔女はぽかんとして顔を上げる。
「ここまでやるだなんて、いい商売根性じゃない。敬服しましたわ。お母様。このリンゴ、いただきます」
魔女はあっけにとられた。白雪は無造作にひとつリンゴを掴みだし、子細に眺めると、毒入りの側を自分に向ける。
「おいしそう……」
呟いて、うっとりした横顔を見せた。
いまだ状況の掴めない魔女に向かって、白雪は流し目で笑ってみせる。
「いい戦いでしたわ、お母様。私、こんな最期をずっと望んでいたのよ。……あなたの勝ち。騙しきられて私は死ぬ……さよならよ」
しゃくっ、とリンゴが鳴った。
「~を説得する」、
「~を信じさせる」。