12.blame
あるところに、説得が得意な男がいた。男は旅をしながら、心に問題を抱える人々を言葉一つで救って回ることを生業にしていた。男の説得は謙虚で誠実だというので、出会った人々の評判はいつも上々だった。
そんな男が、小さな村にさしかかって、ひとつの噂を聞いた。
なんでも村に住んでいるある少年が、とんでもなく無責任だというのである。間違いを起こしては責任逃れに邁進し、自分に何か悪いことが起これば人のせいにし、それどころか、村にふりかかった災害すら無関係な誰かのせいにするというのだ。
男は、すぐさま少年の説得に向かうことにした。少なくとも心構えの上で、常にまっとうに生きようとしている男にとって、負うべき責任を放棄する人間というのは放っておけない存在であった。
「こんにちは。君が噂の少年ですね」
「……はあ。誰すか、あんた」
少年はあからさまにぞんざいな態度で応じた。どうやら警戒しているのか、それともただ面倒なのか、その後男が様々に質問を重ねようとも、柳に風でいつまでも会話が成立しない。そんなことをしているうちに、とうとう夕方になってしまった。
これは強敵だぞ、と男は腹をくくり直し、その日は引き下がることにした。
その夜、宿に戻って少年について尋ねて回った男は、多くの村人から意外な言葉を聞いた。少年を放っておけ、というのである。
「でも、あの態度はあなた方にとっても、彼にとっても良くありませんよ」
「いやあ、もう我々はあれでいいと思ってますから。仕事をしないわけじゃあないし、何かひどい害が出るなら別だけどねえ」
「そんな馬鹿な! あなた方は彼のいい加減な態度に感化されているのじゃありませんか」
男は村人たちにも、その場での説得を試みたが、誰もかれも困ったような顔をするだけで、暗に迷惑だということを態度で示している。とはいえ、男にとってはいつものことである。これから時間をかけて説得していこう、と腹を据えた。
翌日以降、男は本格的な説得に乗り出した。
仕事休みの時間帯から少年の家に出かけて行き、午後は彼の仕事を手伝いながら、ひっきりなしに話しかけた。受け入れてもらえるようにと世間話もしたし、一緒にお茶をしたりもした。
最初は迷惑そうだった少年も、一週間もたつと次第に態度を和らげ、笑い話などもするようになった。評判が悪い割には少年の交友関係は広いらしく、しょっちゅう村人が訪ねてきたから、そんなときは男を交えての歓談で盛り上がることもあった。ただし、村人の方はまだ男への警戒心が強いようで、態度があまり軟化しないのが気がかりではあった――彼らの中には、「少年と二人で話がしたい」と言って、どうやら男の言うことばかり聞かないようにと説得しているらしい者すらいたのだ。
それでも、男の滞在が長くなればなるほど、少年は心を開いていった。
あるとき少年がへまをして、男に怪我をさせそうになったとき、「ごめんなさい、僕のせいです」と申し訳なさそうに言った時、男は説得の成功を確信した。
「いやあ、よかったよかった。少年が心を入れ替えてくれて」
男は満面の笑みを浮かべ、説得成功の翌日、村をたった。少年のせいで鬱屈した空気に染められていたであろう村人たちも、爽やかな心持で男を見送っているように思えた。
それから一年後。
偶然同じ村に通りかかった男は、村人たちの暮らしぶりに変化が訪れているのではないかと、懐かしさと期待に胸を膨らませて村を訪ねた。
が、何やら様子がおかしい。
天気の良い昼さがりだというのに、辺りには人っ子一人いない。人の声もほとんどしないし、仕事をしているのかいないのか、一部を除いては畑や家畜小屋も荒れ放題だ。男は不意に不安になり、近くの住居の門をたたいた。
「ごめんください、ごめんください!」
たっぷりと間をおいて、扉が緩慢に開かれる。陰鬱な顔をした老婆が隙間から様子をうかがっていた。そして、どうやら一年前に訪ねてきた男だ、と気づいたらしく。
「……あんたは……何をしに、またこんなとこへ来たんだい! 帰れ、帰っておくれ!」
すごい剣幕でまくしたてた。
男が困惑していると、庭先まで出てきて石ころをひっつかみ、細枝のような腕で男に投げつけ始める。
「ちょっと、えっ、やめてくださいっ」
「出ていけ! 疫病神!」
老婆は必死の形相である。
「ちょ、ちょっと待って下さい、私が何をしたっていうんです? それにこの村の様子は、一体何があったんです」
「なんだって? これを見ても分からないっていうのかい! この無責任男が」
それは、男にとってはずいぶんと心外な言葉だった。無責任、などといわれては引き下がれない。ひたすら追い出そうとする老婆をなんとかなだめすかしてワケを聞くと、この衰退の原因を見せてやる、といって、老婆は村の一角へ歩み出した。男はおや、と思った――一年前、何度も通った道。あの無責任少年の住まいへの道である。
本当に一体何があったのか……。
「お邪魔するよ」
扉をノックして、老婆は少年の家へ入った。
後に続いた男は仰天した。昼間だというのにカーテンを締め切った室内は真っ暗で、どれだけ放置しているのか、湿気と埃が充満している。狭い室内にはほとんど家具が無く、そして耳を澄ますと、隅の方からなにやらぶつぶつと呟く声が聞こえてきた。
急いで近づくと、案の定、あの時の少年である。しかしその姿は、すっかり変わってしまっていた。
肉は落ち、体が骨ばって、背は曲がっている。落ちくぼんだ目が虚ろに床を凝視している。
「いったいどうしたんだ? 何を言っているんだ」
男の言葉にも反応しない。耳を近づけてみると、かろうじて、少年のつぶやきが理解できた。
「僕が悪い、僕のせいだ、僕は無能だ、僕のせいだ……」
男はぞっとした。
同じようなことを、少年はいつまでもつぶやき続けている。
言葉を失った男に、老婆が静かな怒りを込めて話しかけた。
「あんたが妙な説得とやらをしてから、この子はずっとこうなんだ。閉じこもって、自分が悪い自分が悪いって……おかげで皆もこの子に何も相談できなくなっちまった」
「相談……?」
「気付かなかったのかい。この子はね、皆の心を楽にしてくれてたんだよ。そりゃあ、おおっぴらには言えなかったけどさ。誰だって、自分のせいにばかりしてちゃあしんどいじゃないか。この村は、貧しい。天災だってなんかのせいにしちまわないと、やってられないんだよ。……あんた、そんなこともわからないのかい」
男は、呆然として立ちすくんだ。老婆の言うようなことは、彼には、実感としては理解できなかったのだ。常に自分ひとりの力で旅をし、何が起こっても自分ひとりに責任を持てばよいだけ、という生活をしてきた男は、「誰かのせいにしなければならないほどの絶望」など、長らく忘れていたのだった。
「そ……そんな」
「だから全部あんたのせいだって言ってるんだ。え? 出ていきなよ、さっさと。でなけりゃ、お得意の説得でこの子を元に戻してみな」
「いや……だって、私は、正しいことを」
「何が正しいだい! よそもんが勝手ばかり言いやがって」
男はへたり込んで頭を抱えた。
「違うんだ……私の、」
混乱しきって、男は口走った。
「私のせいじゃ……ない! 私は悪くないんだ、私に責任はない、だって、知らなかったし、そんな……」
老婆の冷笑が聞こえた。
「~を非難する」、
「~のせいにする」、
「非難」、
「責任」。